鬼節



「いらっしゃいませー」
 かすかにきしむ扉の音に、手にしていた袋をカウンターのかげに置き声をかける。
「って、なんだ鷹間(たかま)か」
「失礼な態度だなぁ。何食べてんの?」
 良く見知った、客とは呼び難い相手に丁寧な対応をする必要もない。
 先ほど隠した袋の中身を一つかみ口に放り込んで残りを鷹間に渡す。
 受け取った鷹間は袋と昊(こう)を見比べて微妙に中途半端な表情を浮かべる。
「鬼が豆を食うなよ。それも見切り品」
 半額シールの張られた福豆の袋を指ではじく。
「売れ残りを自腹きって処分するなんてけなげだろうが」
「昊って給料出てんの?」
 心底意外そうに言われ、昊は苦笑いする。
「じゃなきゃ、わざわざ労働しないって」
 深夜帯のバイトに関わらず最低賃金という残念待遇だが、客はごくまれな状況のコンビニで二人分の深夜割増バイト料払っていたら完全赤字だから仕方ない。
「ご主人と一緒にいるためにバイトのフリしてるだけかと思ってたよ」
 一緒にいることは昊にとっては基本で最低限だが、別に働く必要はない。
「それだけなら客の態でそこに座ってれば良いしな」
「ご主人の手助けに無償労働する使鬼って素晴らしいと思ってたのに」
 鷹間はわざとらしく悲しげな表情を作る。
「有償で働いてこそ家計の助けだろ」
 無償で働いても腹の足しにはならない。現金収入は大切だ
「で、当のご主人は?」
「冷蔵庫」
「……主人の方が大変な仕事してるじゃないか」
 なんだか今日主人主人とやけに絡むな。
「章(あや)の方が時給高いし、相応の仕事はしないとな……章、おつかれ」
 飲料の補充から戻ってきた章は、鷹間を一瞥して何も言わずにカウンターに入る。
「章ー、親友が遊びに来てやったのに無視かよぉ」
「間に合ってる」
 章は簡潔に、いつもの無愛想な顔と声で鷹間に返す。
「お前の主人、ちょっとひどくないか?」
 無自覚にトラブルを持ち込む鷹間には妥当な対応な気もする。
「鷹間、豆でも食っとけ。豆のご利益でトラブル体質も収まるかもしれない。そうすれば章が迷惑を被ることもなくなり、しいては鷹間の地位向上、扱いも良くなるだろ」
「節分は昨日だけど、まだご利益あるのかぁ?」
「なに、その風が吹けば桶屋が儲かるみたいなの」
 鷹間と章が同時につぶやく。
「病は気から、鰯の頭も信心から」
「トラブルがなくなるのは大歓迎だけどな。コーヒーは?」
 諦めたように章はため息を一つつく。
「ほしいー」
「同じく」
 二人の声に、章は黙ってカウンター奥に置いてある店員用のコーヒーメーカーからコーヒーを注ぐ。
「で、鷹間はそんな恰好でどうしたわけ?」
 昊の渡した豆を素直に食べている鷹間をあきれたように章は眺める。
 普段はラフな格好なのに、今日はかっちりとしたスーツにコートを着込んでいる。
 指摘された鷹間はめずらしく不機嫌そうな顔をする。
「集まりがあって、家に帰ってたんだよ。ほんと、めんどくさい」
「そりゃ、ごくろーさん」
 鷹間も章の家同様、特殊な力を継ぐ家であり、大体の状況は昊にもたやすく想像がついた。
 渡されたコーヒーを一気に飲みほすと、鷹間は渋面を深くする。
「まったくね、二言目には自覚を持てとか、さんざん言うんだったら自分たちの吐き出す言葉を顧みろって思うわけだ」
「おれと関わってるから、余計に苦言吐かれるんだろ。少し距離置いたほうが良いんじゃないか?」
 鷹間の家は、その力の性質上、不浄のものに触れず、身を清く保たなければならない。
 鬼を有する章と関わるのは普通に考えれば御法度だ。
 章のどこか諭すような静かな口調に、鷹間の目が険しくなる。
「なんだそれ? 迷惑なら迷惑って言えばいいだろ?」
「言ってないし、思ってない」
 口調が荒れていく鷹間に対し、章は普段と変わらず淡々とまっすぐ向き合う。
 この程度で感情を揺るがせるようでは問題だが、この場合は逆効果な気がする。
 案の定、鷹間は不機嫌どころか不愉快そうに章をにらむ。
 章は気にした様子はみせないが、良くない兆候だ。
 昊は鷹間の手から何気なく豆の袋を抜き取る。
「家に口出しされるのも腹が立つが、オマエのそういう態度も、いい加減、」
 鷹間が感情を完全に爆発させる直前に、昊は鷹間に豆をぶつける。
 ほぼ同時に章がぱんと一つ手をたたく。
「《去れ》」
 章の短い詞声と同時に鷹間の背後で空気がはじけると、鷹間はぺたんと床に座り込む。
「なんだ、今の」
 先ほどまでの険のあるものではなく、力の抜けきった声。
「『天承』が不浄のものに憑かれたらダメだろ」
「家が毒になるようじゃ、何のための『籠り』の意味ないな」
 湯気の消えたコーヒーを口にしながら、章は疲れたように零す。
「鷹間に生まれた、イコール『天承』にはならないだろ。おれは外に出る人間なんだし」
 バツが悪いのをごまかすように拗ねたように鷹間は口を尖らせる。
 鷹間家は『神』の声を聞き、必要に応じて人々に伝える『天承』の系譜ではあるが、そこに連なるもの全てがその力を有するわけではないのは確かだ。
「でも、鷹間は完全に資質あるしなぁ」
 末子であり、跡を継ぐ必要がないために比較的自由にしているから本人に自覚はないようだが。
「自覚しろ。感情を易々と昂らせるな」
 鷹間本人の気質なのだろうが、修養を積んでいるわけでもないのに、基本穏やかで人当たりが良い。それは『天承』にとっては強みだ。
「でも、さっきのは章が悪いんだからな」
 子供のようにふくれっ面をして、鷹間は章に抗議する。
「なにがだよ」
「おれはおれの友人くらい自分で選ぶし」
 章は深々とため息をつく。
「友人だから言ってるんだよ。おれと付き合うせいで心労ためて、結果、憑かれるようなはめにさせたくない」
 いつもとそれほど変わらない静かな口調であっても、本気で章が案じているのは伝わったのだろう。
 鷹間はがっくりと肩を落とす。
「昊さーん」
「んー?」
「あなたのご主人、ちょっと卑怯じゃないですかね。恥ずかしげもなくこういうことをストレートに言いますか。これ、女だったら完全に惚れるよ。普段とのギャップで。くそぅ」
 ぶちぶちと文句のようなことを呟く鷹間をみて章は顔をしかめる。
「そんな顔しても、出した言葉は戻らないんだし。……ほら、鷹間もいつまでも床に座ってるとジャマ。掃除するからどけ」
 昊は鷹間の腕をつかみ引っ張り上げる。
「そういえば昊、豆ぶつけただろ」
 足元に転がったままの豆を見て、非難するように見られて昊は笑う。
「邪を払うには豆だっていうし、手近にあったし、ちょっと楽しそうだったし?」
「鬼がまく豆で退治される邪に憑かれたおれ。あれ? なんかすごいダメな感じ」
「……今更」
 ほうきを持ってきた章に追い打ちをかけられた鷹間は、それでもなんだかうれしそうに笑った。
「ま、これからもよろしく」

【終】




Feb. 2014
関連→連作【神鬼】