君知らぬ雨



 お墓の前で泣かないで、って歌があったけれど、涙の一つくらい見せてくれてもいいと思うのよ。
 まだ新しい墓石を丁寧に掃除して、花を供え、線香に火をつける。
 炎天下にご苦労様だ。
 墓前にしゃがみ、目を伏せ、手を合わせる。
 額に浮かぶ汗。
 少し幼く見える横顔。
 濃い木々の中から響くセミの声。
 ほんの数か月前まで、並んで歩いていたのに。
「ねぇ。ここにいるよ」
 手を伸ばし、頬に触れても気づかない。
 微動だにせず、ただ墓石に向き合っているだけだ。
 何を想っているかは、わからない。問うことも出来ない。
「また来るよ」
 顔を上げ、笑ってくれる。
 視線はかみ合わない。
 こんなとこに来なくても、ずっと、そばにいるのに。気付いてもらえない。
「ねぇ」


 もともとは幼馴染だった。
 三つ下で、可愛い弟みたいに思ってた。
 生まれた時から知っていて、そばにいた。
「大きくなったら、おねえちゃんとけっこんするー」
 なんて、可愛いこと言われてぎゅっと抱きしめたりした。
 普通なら、幼い頃のありがちな思い出で、長じて彼女が出来た時には「あんなこと言ってたのに」とからかうネタになるくらいのはずだった。
 でも、変わらなかった。
 呼び方はいつしか、おねえちゃんから早紀ちゃん、そして早紀さんへ変わっていったけれど。
 私は中学、高校でそれぞれカレシがいたりもしたし、私の後ろをくっついていた海斗は背が伸び、それなりにかっこ良くなってはいて、手近な私で済ます必要なんてなかったはずだけれど、ずっと私に「好き」と言い続けた。


 それはもう数えきれないくらい好きだと伝えた。
「小さな泣き虫海斗を知ってる身としてはねぇ。おむつを替えたことはないけど、おむつの頃から知ってるんだよ?」
 困ったように笑って、毎度やんわりと退けられた。
 三歳差と言うのはひどくもどかしい。
 小学校は良いが、中学・高校と一緒の学校に通うことはできない。
 いくら近所でも、顔を合わせる機会は減って、たまに見かけたかと思えば、仲の良さそうな男子と並んで歩いていたりして、そこに割って入るだけの度胸もないまま、ただ見ていた。
 最後に隣に並ぶのは自分だと根拠なく信じてた。
「海斗のそれはさ、刷り込みだよ」
 何度も繰り返されたやりとり。
 たとえそうであっても、他の誰かを考えることなどできなかった。


 結局、ほだされたというか、何度も繰り返された「好き」に暗示にかけられたのか、海斗が大学生になった頃、幼馴染以上恋人未満な関係になり、私が大学を卒業するころには普通に付き合うようになっていた。
 年下だけど、しっかり者で、私のダメなところもわかっていてくれる海斗と一緒にいるのは楽で、そして楽しかった。


 年下だから、その分しっかりしていなければという部分はあったと思う。
 付き合うようになっても、やっぱりどこか弟みたいな扱いはあったし、だからこそ、かっこ悪いところなんて見せたくなかった。
 きっと、そんなことも見透かされていて、子供だなぁって思われていただろうけれど。
 就職して一年。
 付き合ってはいたけれど、さすがにこれを口にするのは緊張した。
 冗談ではなく心臓が飛び出しそうな中、うなずいてくれた顔が、染まった頬が、はにかんだ笑顔が、すごくすごくかわいくて、幸せだった。


「結婚してください」
 こわばった顔で、緊張した声音で、それでもまっすぐこちらを見つめた。
 子供のころは、あんなに簡単に結婚するって言っていたのに、今はこんなに必死で一生懸命で、大事にしたいと思った。一緒にいたかった。


 それは突然のことで、どうしようもない喪失感の中、ただ、早紀さんにみっともないところは見せられないとだけ思っていたような気がする。
 泣き虫だと、また笑われるのは癪だから、かっこいいところを見せたいから。
「ねぇ、見ててよね、早紀」
 隣からいなくなってしまったけれど。
 滴る汗に染みる目をそっと拭った。

【終】




Aug. 2017