還情線



 毎度のように、小さな衝撃で心地よい眠りから引き戻される。
 目の奥に残った眠気を振り払うため、強く目を瞑ってから、開ける。
 目に入る車窓の向こうに広がるのは、一面の紅葉。
 電車から外に出ると、駅舎も改札もない簡素なホームに色とりどりの葉が積もっている。
「おぉ、絶景」
 どこを見渡しても色とりどりの紅葉が目に鮮やかだ。
 しかしいつまでも堪能しても仕方がない。
「さて、探すか」
 出発前に見せられた写真に写っていたのは同じ歳くらいの男。
 取り立てて特徴もなく、ろくに顔を覚えていないがさほど問題はないはずだ。
 どうせこの場には、その対象しかいない。
 これだけきれいな景色の中にいる相手なら、それほど荒んだ相手ではないだろう。
 歩くたびに葉っぱがさくさくと音をたてる。
 しばらくはそれも楽しかったが、あまりにも対象が見つからず飽きてくる。
「紅葉もきれいだけどなぁ」
 変化に乏しく、退屈だ。
「……?」
 視界が一変する。
 色とりどりだった物が、一面真っ白の銀世界。
 まっさらな積雪に、自分の足跡がつく。
「うゎ、なんだこれ」
 ふりかえって見ても、もう紅葉の気配は全くなく、どこまでも続く雪景色。
 真っ青な空に白のコントラストがまぶしい。
 ざくざくと雪を踏みしめ、歩を進める。
 夢の中だから何でもありとはいえ、ここまで唐突に脈絡なくかわると妙な感じだ。
 視界が開けているので、人がいないのはすぐにわかるが、とりあえず進むしかない。
 そしてやはり雪に飽きてきた頃、桜、菜の花満開の春の風景に変わる。
 次は夏。空には絵に描いたような入道雲が広がり、途切れなることなく続くひまわり畑。遠くには濃い色をした山々。
 そしてまた、紅葉の景色に戻る。
「なんだ、これ」
 一年ぐるっとひと回り。
 そして、会いたい相手はみつからず、ものすごい徒労感に襲われる。
「勘弁してくれよぉ」
 もう一周しないとダメなのか?
「あれ? 気に入らなかった?」
 ため息をついたところに声をかけられ、あわてて顔をあげた。
 黄葉の銀杏の陰から出てきたのは、たぶん写真の人物であろう男。
 自分から出てきてくれたのは幸いだ。
 もう少し早く出てきてくれればよりありがたかったけれど。
「いや。きれいで良かったよ」
 体感的には一時間くらいか? それで四季を堪能できるのは、面白いといえば面白かった。
 ただ、飽きる。
 が、当人は気にいっているようだし、それを否定するのは得策ではないだろう。
 あくまでも、ここはこの男の夢の中で、自分は闖入者に過ぎない。
「だろー。きれいなものばっかり集めたんだ」
 どこか自慢げに笑う男に違和感を覚える。
 電車に乗った先で出会う人は、悪夢から逃れずにいる人で、どこかマイナスの感情を持っているイメージがあった。
 が、この相手はなんというか、元気だ。
「現実は汚いものばっかりで、イヤになるよな」
 同意を求められても、少し困る。
 悪いことばっかりでもない。もちろん良いことばかりではないけれど。
「まぁ、でもそんな悪いことばっかりでもないよ」
「それはおまえがオシアワセで気付かないだけだ。何も知らないくせに。おれはもう見たくないんだよ。憐れみの目も、陰で勝ち誇って笑う姿も」
 やんわりと否定すると、先ほどまでの笑顔はいつの間にか拭い去られ、憎々しげにこちらを見る。
「……まぁ、わからないでもないけどさ」
 ひとつため息をついて、続けようとするところを遮られる。
「何がわかる。何も知らないくせに。したり顔で説教するな」
 ヒステリックな怒声とともに、白い光がはじけた。


「っ」
 目の奥で白い光がしつこく明滅する。
 何度かまばたきを繰り返し、起き上がる。
「……失敗か?」
 対象を怒らせて、夢から弾き飛ばされたようだ。
 こういう場合どうするべきかという説明は全く受けていない。
 もう一回寝れば同じ夢に入りこめるのか?
 時計を確認すると、目覚ましが鳴る三十分前で、二度寝をするのには微妙な時間だ。
「仕方ない。起きて教えを請いに行きますか」
 この状況に巻き込んだ無口なクラスメイトが、素直に話してくれるかどうかは微妙に謎ではあるけれど。
 今から急げば朝練中のヤツをつかまえられるだろう。
 鳴り出す前の目覚ましのスイッチを切り、ベッドから抜け出した。


 学校の敷地の最奥部にある、忘れ去られたようにひっそりと建つ小さな建物の戸を引く。
 よく手入れをされているのか、引っかかりもなくするりとあいた隙間から中に入る。
 上がり口にあるのは一足の靴。その隣に自分の靴を揃える。
 いつものように一人、弓をひいているクラスメイトはこちらに一瞥だけを寄越し、そのまま矢を放つ。
 途中で人が来たにも関わらず集中を乱さず、的に当てているあたり可愛げがない。
「はよーっす」
 座って待っていると、諦めたように射場からはなれたクラスメイトに取りあえず朝の挨拶をする。
 妙なことで繋がりはできたものの、だからといって仲が良いと言うわけでもなく、距離を測りかねている。
 無口で無愛想で人付き合いが悪いという三拍子が揃った相手だから尚更だ。
「……早起きだな」
「あの状態で二度寝出来るか。渡井(わたらい)、あれ失敗だろ」
 『夢』の中で駅員の格好をした渡井に指示を受け、電車に乗り込み、人に会う。
 そこで会うのは悪夢に呑まれ、出口を見失った迷子。
 たぶん、その迷子を助けるのが自分の役割だと思われる。
 はっきりとした説明を受けていないので確証はないのだけれど。
「別に。オレは会って話をしてくれ、と言っただけだし、水弥(みずや)はそれを果たしたんじゃないのか?」
「本当にそれだけで良いのか? 連れて帰るのが目的なんじゃないのか?」
「……たぶん、それが出来ればベストなんだろうけど、絶対ということもない」
 少し考えるように間をあけてから、渡井はため息をつく。
「助けろという依頼があって動いてるわけでもない。ある種、慈善事業みたいなものだしな」
「慈善事業?」
 なんというか、しっくり来ない。
 だからといって、金銭授受があるといわれても妙な感じを受けるだろうけれど。
「だから別に水弥が気にすることはない。あの件はあれで終了で構わない」
「おれがもう一度、同じヤツに会いに行きたいといったら?」
「一期一会が基本だから無理。だいたい、戻る気ない者を連れ帰ったって、同じこと繰り返すから無駄な労力が増えるだけだ」
 それはまぁ、そうなんだろう。
 あの夢の主も、完全にあそこが気にいっていて、外に出る気など全くなさそうだった。
 たしかに今は居心地は良いかもしれないけれど、この先ずっと一人でいるというのは辛くならないのだろうか。
 気付いたとき、自力で戻ってこられるのか。
 それとも夢の中では、そんな気持ちにもならないのか。
「不服そうだが、何かこだわる理由でもあるのか?」
 割と目ざといな、コイツ。
「……いや、消化不良なだけ」
 見透かされたくなくて、板間に寝転がり視線を避ける。
 背中から冷えた感触が伝わる。
 気にしてしまうのはたぶん似ていたからだ。
 もう少し、かけられる言葉があったのではないかと思ってしまう。
「うまくいかないもんだなぁ」
「水弥はうまくやってるよ」
 愚痴に思いがけない言葉が返り、あわてて身体を起こす。
 渡井は既に立ち上がり、再び弓を持って的に向かう。
 嫌味、という感じは受けなかった。口調からも、垣間見えた表情からも。
「……ま、良いか」
 それならそれで。
 結局出来たことしか、出来なかったわけだし。
 矢が二本、的にささったのを見たあと、弓道場をあとにする。
「お先」
 一応軽く声をかけると、返事のかわりに的中した音が聞こえた。

【終】




Oct. 2012
関連→連作【眠交電車】