紙の魔法使い



 従兄の通っている高校の、文化祭だったと思う。
 どうして行くことになったのかは覚えていないけれど、従兄の家に遊びに行ったのが、たまたま文化祭の日だったとかだろう。
 もともと家族ぐるみで仲が良く、特に理由なくお互い行き来していたから。
「私、あっちに行ってきていい?」
 一緒にいた母と伯母は、お互い顔を見合わせた。
 小学生の子供を一人放逐していいものかと考えているのは見て取れた。
「学校からは出ないし、待ち合わせ時間、決めて、集合しよう?」
 人混みに疲れてきていた私は、却下されないように一人でも大丈夫なことを伝える。
 入校には一応招待券が必要だったので、校内なら安全だろうと納得してくれたらしい二人と別れて、人の少なそうなほうへ抜け出した。


「こっちは、何にもやってない……わけでもない?」
 隣の校舎まで来ると、生徒だと思しき人を一人二人見かける程度だから、文化祭には使っていないかと思ったのに。
 教室の出入り口のいくつかには画用紙に黒マジックで書いただけ、のような簡素な看板が貼り付けられていた。
 『将棋囲碁研究会』『郷土研究会』『亀を愛でる会』『国境研究会』……なんか良くわからないものがいろいろ。
 閑散としているのも仕方ないラインナップだった。
 おまけに教室のドアを閉めているところもあるし、端からお客さんを呼ぶ気がないのかもしれない。
 こういう不人気な教室と人気の教室を交互に配置すればもう少し向こうの校舎の混雑も緩和されるんじゃないのかなぁ。
 まぁ、人混みに負けた身としては、静かなのはありがたかった。
 何をやっているのかわからない看板をながめつつ、扉が開いている教室をそっと覗いたりして端まで歩く。
 壁にかかった時計を見たら、まだ待ち合わせ時間までだいぶあった。
「よし、二階も行こう」
 殴り書きのように雑な感じで二階を指す矢印が描かれた画用紙が貼られているから、きっと何かやってるのだろう。
 さっぱり人のいない階段を、ちょっとだけ駆け足で登る。
「折り紙?」
 あがってすぐの教室には『折り紙研究会』の文字。
 高校生の、男の人が折り紙?
 空いた扉からそっと教室内を覗くと窓際の机に学生服の人が一人だけ。
「ご自由にどうぞー」
 うつむいたままの男の人から声がかけられた。
 なんか、すごく棒読みだ。お店とかでセンサーに反応して「いらっしゃいませ」とかいう機械みたいな感じ。
 っていうか、よく気がついたよな。ちらりともこちらを見てないのに。
 人の気配を察知したわけではなく、一定の時間がたつと声をかけるようにしているのだろうか。
 これだけこちらに興味がないなら、逆に入りやすい。
 邪魔をしないようにそっと男の人のいる机に近づく。
 教室の机を四つくっつけた作業スペースには色とりどりの折り紙が広げられていた。というか、散らかっていた。
 その片隅の空いたスペースでよどみなく指が動いていた。
 細かく折って、ひっくり返して、また折って、回転させて、折って。
 本とかを見ることなく、大きな手が、細かく丁寧に紙を折りたたむ。
「あ、怪獣だ」
 最後に少し広げて机に立たせられたのを見て、思わず零れた。
 二足で立つ怪獣はとても紙一枚からできているとは思えない精巧さだった。
「触って良いよ。っていうか、欲しければあげるよ」
 机の周りを移動しながら、いろんな角度で眺めていた私に、くすりと笑った男の人は無造作に怪獣を渡してくれる。
「……いいの?」
「どうぞ。……何色が好き?」
 机の上に広げられた折り紙を選ぶように言われ、グラデーションがかった藤色の折り紙を選んで渡す。
 それを半分に四角に折る。斜めに折って、開いて、もうそのあとは覚えていない。
 丁寧なのにすごく速いスピードで折られていく何か。
「はい。女の子なら、こういうものの方がいいよねぇ」
 あっという間に出来上がったのは薔薇の花だった。
 ハサミもノリも使っていないのに、立体になるの、すごい。
「すごい。ありがとうございます。でも、怪獣も、好き」
「そう? 二つとも持っていって大丈夫だよ」
 怪獣を返さなきゃダメかと思っていたのはバレていたらしい。その言葉にほっとした。
「自分でも何か折ってみる?」
「鶴くらいしか、折れない」
「教えてあげるよ、えぇと、何が良いかな」
 机の中からプリントの束を取り出して順番にめくっている指をぼんやりと眺める。
『相馬夏音さん、お母様が待ち合わせ場所でお待ちです、繰り返します』
 校内放送から急に自分の名前が聞こえてきて慌てて教室の時計を見る。
 待ち合わせ時間、過ぎてる!
「ごめんなさい、行かないと」
 ぺこり、頭を下げるとコンビニの袋を渡される。
「これ、折り方の説明書入ってるから、お家で折ってみて?」
「ありがとうございます!」
 お礼を伝えて、そして急いで教室を出た。


 袋の中には、小学生でもどうにか出来そうな折り方が描かれたプリント数枚と折り紙が二十枚ほど入っていた。
 簡単そうなものから順番に折った。
 もらった折り紙だけでは足りずに、買ってもらって、失敗もして、何度もやり直しもした。
 もらったプリントの分がどうにか折れるようになったあとは、折り紙の本を買ってもらって、折れるものが少しずつ増えていった。
 なんとなく、あの人と同じ高校生になれば、同じくらいの腕前にはなれるのではないかと思っていたのだけれど、いまだに失敗することもあるし、何も見ずに滑らかに折るなんて全然無理。
「道のりは、遠いねぇ」
 あの時もらった怪獣と薔薇の花は少し色あせて、まだ机の上に置いてある。
 今折り終わった、よく似た薔薇の花を隣に並べてみる。
 やっぱりどことなく、自分が折った薔薇はゆがんで見えて零れた声にため息が混じった。


「夏音、ごめん。借りてたノート忘れた」
「ごめんじゃないよ、どうするの。明日使いたんだけど」
 テスト前に何てことしてくれる。
 貴重な土日にノートがないのは困る。
「ほんと、ごめん。今日、帰りにうち寄ってくれないかな」
 手を合わせて拝む友人に溜息を返す。
「咲奈って、西中のそばだっけ?」
 遠回りにはなるけれど、全く逆方向というわけではない。
「わかった。しょうがない、良いよ」
「ごめん。ありがと。じゃ、一緒に帰ろうね」
 チャイムと同時に先生が入ってきて、咲奈は慌てて席に戻った。


「夏音、あがって、あがって」
「え、良いよ。ノート取ってくるだけでしょ。ここで待ってる」
「もらい物のケーキがあってさ、食べていって。うち、あんまり食べないんだもん。私一人で食べる羽目になって、太るんだよ!」
 玄関先で待とうと思っていたのに、家の中に引っ張り込まれる。
「そのためにわざとノートを持ってこなかったとか?」
「まさか! でも気づいた時にはちょうどいいと思った、ごめん」
 からかうように確認した私に、咲奈も笑って謝る。
「今、持ってくるから!」
 リビングに案内された後、咲奈が階段を軽快に上っていく足音が聞こえる。
「あ」
 なんとなく室内を見まわして、棚の上のものに目が留まる。
「座ってて良かったのに」
「うん。……咲奈、折り紙するの?」
 並んでいるのは折り紙で作られたリアルな馬や、ハリネズミ。うさぎ。恐竜。
「ってことは、夏音、折り紙するんだ」
「あ、でもこんなに上手じゃないよ。すごいね、咲奈」
 こんな身近に折り紙仲間がいたとは。ちょっとうれしい。
 何なら教えてほしい、いろいろ。
「あー、ちがう。折り紙やってるのは私じゃなくて、兄だよ。私は鶴を折るのもあやしいくらい」
 困ったように笑って否定した咲奈はケーキの入った箱を開いて、好きなのを選ぶように促す。
「咲奈、お兄さんいるんだ?」
「うん。私と違って器用だし、なんか自分で考えたものも作ってるみたいだよ。私にはさっぱりわからないけど……あ、噂をすれば」
 玄関のドアが開く音に反応して咲奈は立ち上がり、リビングを出ていく。
「ちょっと、待って」
 話の流れからいって、お兄さんが帰ってきたのだろう。そして会わせようとしているっぽい。
 制止の声は聞き留めてもらえず、壁の向こうで何やら話し声。
 引き合わされても、微妙に困る。
 創作までするらしい人と、作り方を見ながらどうにか折っている自分ではレベルが違いすぎる。気まずすぎる。
「夏音、これ、うちのお兄。折り紙つくりマシン」
 眼鏡をかけたお兄さん、むりやり引っ張ってこられた感満載。申し訳ない。
「お邪魔してます。相馬です」
 立ち上がって小さく頭を下げる。
「そうま、かのん?」
 まじまじと見つめられ、視線のやり場に困る。
 え、何。知り合いじゃないよね。
「お兄? 夏音のこと知ってたの? 一目ぼれ?」
 咲奈、一目ぼれはないでしょ、普通に考えて。
「高校の文化祭で、怪獣の折り紙持って帰った、迷子の?」
 お兄さんは咲奈の後頭部を軽くはたいたあと、こちらに向かってちいさく笑う。
「え、はい。あ、もしかして、あの時折り紙してた?」
「そう」
 改めてお兄さんを見ても、全然覚えがない。辛うじて、眼鏡はかけてたかも、程度。
「……ごめんなさい。手ばっかり見てて、顔を覚えてなくて」
 一枚の紙が魔法のようにかたどられていくのが不思議で、目が離せなくて。ずっと見ていたかった。
「すごく真剣に見てくれてたから、印象深くて、呼び出されてた名前、憶えてた」
「運命の再会。私ったらお邪魔ね、あとは若いお二人で!」
 にやにやと私たちの顔を見比べる咲奈の後頭部をお兄さんがまたはたく。
「暴力反対!」
「お前の言動のほうがよっぽど暴力だ。相馬さん、ごゆっくり」
 お兄さんはそのままリビングを出ていく。
「び、っくりしたぁ」
 ソファに腰を下ろす。今になってドキドキしてる。
「もしかして、好きだったとか? あ、でも顔も覚えてなかったから違うか」
「っていうかね、憧れてたの。あんな風に折れるようになりたいなぁって」
 思わず白状してしまい、恥ずかしくなってケーキを食べる。
「うわぁ、かわいい。初恋?」
「これ以上揶揄うんなら、二度とノート貸さないから」
 ゆるむ口元をごまかす為に、残ったケーキを大きく頬張った。

【終】




May. 2022