犬鬼



「いらっしゃいませ」
 ドアが開く音と同時に愛想のない定型通りの客を迎える声。
 客からは見えないカウンターの奥から、昊は入ってきた男たちに目をやる。
 大学生と思しき男三人がニヤニヤと笑いながら、レジに立つ章に近づく。
「オマエが拝み屋か?」
 馬鹿にしたような口調をかくさない男に章はめんどくさげに目を合わせる。
 いつのまに拝み屋になったんだか。
 以前、何でも屋だという噂がネットにあがっていたのは見たが、それが変質したのか?
 昊は、客と章のやり取りにぼんやりと耳を傾けながらため息をつく。
「何をおっしゃっているか、わかりかねます」
「バカにしてんのか?」
 しらをきる章を男は睨みつける。
 自分が馬鹿にするのはよくても、他人にされるのは我慢ならないらしい。
 わがままで困ったガキだが、手出しするまでもないだろうと昊は傍観を決め込む。
「すみません。心当たりがありません。別の方とお間違えでは?」
 淡々と、感情の揺らぎを見せない章の話し方はこういう場合、火に油を注いでいる気がする。
 特に相手が今回のように酔っぱらいだったりする場合、余計に。
 案の定、男の一人が苛立ったように章の制服のえりを掴み引っ張る。
「申し訳ありませんが、放していただけませんか? ここ、防犯カメラ、ありますよ?」
 こんな状態になっても、焦りひとつ見せず章は静かに伝える。
 男は舌打ちして手を放す。
 証拠が残るのはまずいと判断できる理性があるのは幸いだ。お互い。
 あれ以上こじれることになれば、見た目ほど無力ではない章はおそらく実力行使に出るだろうし、それがバレたらそれなりのお咎めを受ける羽目になる
「ありがとうございました」
 心のこもっていない上っ面の礼を背に浴び、店をあとにする男たちの姿を眺めていた昊は、後についていく小さな影に目をとめ、カウンターを跳びまたぐ。
 店のドアを出る直前、昊はその小さな影を捕まえた。
「……たぬき?」
 カウンターに頬杖をついた章がぽつりと呟く。
 昊につかまれ、じたばたしていたそれはふくれっつらで章をにらみつける。
「オレのどこがたぬきだよっ」
 年頃としては小学生低学年くらいだろうか。
 幼さが残る、愛嬌のある顔立ちのその子どもの頭にはけものの耳。ハーフパンツをはいたおしりからはふさふさの茶色のしっぽがぷりぷりと揺れている。
「章、この耳見て、狸はないだろ」
 ぴくぴく動く三角の耳を昊はつまんでみせる。
「きつね?」
「ちがーう」
 子どもが地団太を踏むのを面白そうに章は眺める。
 からかうのもいい加減にしておいてやれよ。
「で、ちび犬、何してるんだ?」
「オマエ、人間じゃないだろ」
 自分のことを棚にあげての、単刀直入な言いように昊は苦笑した。
「その通りだが、化け犬に言われたくないな」
「オマエ、人間を手下にしているくらいだから、強いんだろ。手を貸してくれよ」
 どちらかといえば人間の手下なんだが。
 どうするかと章に目をやると、めずらしく楽しげな笑みを浮かべている。
 他人事だと思ってるな?
「俺の主はあっち。決定権もあっち。お伺いはあっちにたてろ」
 章を指差し、まる投げする。
 ちび犬は嬉しそうにしっぽをぱたぱたふり、昊を見上げる。
「そうか。オマエも主人がいるのか。なら、わかるよなっ。主人、大切だよな。主人のことは何があっても助けるよなっ」
 確かにそうではあるけれど、こうも率直に言葉にされると、同意するのが憚られる。
「さっきの三人組のどれかがお前のご主人なのか?」
「まさかっ」
 ちび犬は噛み付くように章に否定の言葉を吐く。
「あいつっ、悪いヤツだよっ。いらないよ。殺しちゃってよっ」
 その言葉に目を細めた章を見て、昊はため息を漏らす。
 カウンターから出てきた章は、膝を曲げ、ちび犬と目を合わせる。
「お前、名前は?」
「……コタ」
 気おされたようにちび犬は答える。
「コタ、めったなことを口にするな。悪い言葉は強く、コタ自身にはねかえる」
 静かに諭す章の声に昊も続ける。
「特にお前は人間でも、ただの犬でもない。言葉がそのまま呪いになりかねない。気をつけるんだな」
 ぽすぽすとちび犬の頭をたたいてやると、昊と章の顔を交互に見る。
「オマエ、何? オマエも人間じゃないの?」
「おれは一応人間」
「章は『浄声』だよ。言霊使いの方がわかりやすいか?」
 章の苦笑いまじりの答えに昊は付け足す。
 言葉をそのまま具現する能力を持つ故に、章は言葉を大切にしている。
「……言霊使い……じゃあ、オマエ、なんでも出来るのか?」
 期待に目を輝かせたコタに見つめられ、章は小さく笑って首を横に振った。
「残念ながら、そんな万能な力じゃない。制約も多いし。だから、手助けできるとは断言できないけれど、それでも良ければ話を聞こうか?」


「章はちょっと、人間以外に甘くないか?」
 話し終えたコタが帰ったあと、ため息と一緒に昊は吐き出す。
 人からの依頼はとりあえず即、断るくせに、今回は自ら手を差し伸べた。
 コタの話にウソはないとは思うが、それでもやはり一方的な言い分であるには違いなく、誇張がないとも言い切れない。
「昊だっておれに甘いじゃないか」
 人外のなのに、人により寛容だと言いたいのだろうけれど。
「それとこれとは話が違うだろ。俺はお前の使鬼なんだし」
「バランス取れてるだろ。だいたい見境なく甘いわけじゃない」
 章は言い訳めいたぼやきを返す。
「どうだかねぇ」
 あまり信用できない。
 まぁ、今回に関してはコタがかわいさにほだされたのもわからないでもないし、仕方ないか。
「さて、じゃあどうする、ご主人サマ? 命令を頂きましょうか?」
 わざとうやうやしく礼をとる昊に、章は顔をしかめ、しかし文句を口にはせずにため息をつく。
「……とりあえず、帰って寝る」
「おまえ、実は何にも考えてないだろ」
 欠伸をかみころす章に、昊は苦笑いをむけた。


「コタのご主人か、『悪者』か、どっちから当たる?」
 本日分の講義をやりすごし、陽が傾きかけた道を歩きながら章に尋ねる。
「とりあえず家がわかっているコタのほうかな。ご主人がいるのかどうかはわからないが、コタなら居場所わかるだろうし」
 コタの話は、ごく単純なものだった。
 コンビニに来た男の一人が言葉巧みにご主人に近づき、懇意になったところで霊がついているのが見える、除霊できる人を紹介するから……など言い出したらしい。
 このままだと、お金を騙し取られかねない。ご主人がその男に好意を寄せているから尚更。
「了解。しっかし、何で霊がついてるなんて言い出したんだろうなぁ」
 結婚詐欺でありがちとはいえ、親の急病で、お金が入用だから貸してくれ、の方がよほど現実的だと思うのだが。
 その辺りを口にすると章は肩をすくめる。
「ご主人が霊みたいなものを信じやすいタイプなのか……借りる、だと一応返さなきゃならないが、除霊費用だったら返金する必要がないからとか?」
 そんな、言葉に律儀な男には見えなかったぞ?
 まぁ、でもそれなら昨夜の「拝み屋」発言も納得いくが、あえて本物連れて行く意味もないよなぁ、詐欺なら。
「ま、それっぽくみせるなら本物使った方がいいか」
 説得力が違うというものだ。章が一見して拝み屋っぽく見えるかどうかは別として。
「金にならない仕事はやりたくないな」
「そんなこと言って、コタからは徴収できないのに引き受けたじゃないか」
「あぁ。……でも、今回はお金を取れるような仕事じゃないし。この辺りだよな?」
 メモに書いてある住所と、電柱につけられた町名を章は見比べる。
「章、あれ。昨日の奴じゃないか?」
 昊は三軒先にある家に入っていく人影を指差す。
 不審にならない程度に足を速め、道路から 甲高い犬のほえる声が聞こえる家をそっとのぞく。
 築五十年程度だろうか。
 古いけれど、手入れの行き届いた家の玄関先に男の背中が見える。
 それを威嚇するように、ひたすら続く犬の鳴き声。
 章が躊躇なくふらりと庭先へ入り込む。
 不法侵入だよな、と思いながらも、公道でつったってのぞきこんでいる姿は、はたから見て確実に不審者なので、昊もあとに続く。
「どうか、しましたか?」
 やわらかな声音で章が男の背に声をかける。
「っ、てめぇ」
 振り返った男はまなじりを吊り上げ、章を睨みつける。
「わんっ」
 今は犬型をとったコタがこちらを見て歓迎するように一声なく。
「幸則、いらっしゃい。 ……あら、どなた? 幸則のお友達?」
 三和土におりてきた、のんびりと落ち着いた口調の老婦人を見て、昊は少し驚く。
 コタのご主人は、なんとなく、勝手に若い女性を思い浮かべていた。
「こんにちは。……申し訳ありません。あまりに犬がほえていたので、泥棒でもいるのかと勝手に入りこんでしまいました」
 めずらしくにこやかな笑みを浮かべて章はご主人に頭を下げる。
 普段からこの顔してれば、もっとコンビニの客も増えるんじゃないか?
「ごめんなさいね。心配かけて。この子ったら男の人が嫌いみたいで。こっちは私の孫なの」
「そうなんですか。偶然ですね。幸則くんとは同級生で、ここで会ってびっくりしてたところなんです」
 ご都合主義な作り話ではあるけれど、章の話し方は妙な説得力がある。それは、言葉を『力』として使っていなくても。
 ご主人も何の疑問も持たずに納得する。
「幸則くん、ここで会ったのもなにかの縁だし、ゆっくり話でもしない?」
 章は言葉と一緒に、先ほどから握っていた相手の手首により力を込める。
「そうなさいな。私も今から出かけるから」
 何も気付かないまま、ご主人はにこにこと笑う。
「お気遣いありがとうございます。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「こちらこそ。幸則と仲良くしてやってくださいね」
 頭を下げ、男と一緒に敷地を出る章の後を昊は追う。
 こちらを見つめるコタに小さく手を振ってやった。


「てめぇ、何なんだよ。はなせよ」
「別に好きでつかまえてるわけじゃない。霊がとりついているなんて嘘をついて、お金を巻き上げるのを止めてもらえればそれで良い」
 先ほどまでの笑顔を消し、無表情に章は伝える。
「てめ、何でそれをっ」
 しらをきることも出来ないようじゃ、話にならないなぁ。
 逃れようと、もがく男の腕を章はひねり上げる。
 男はうめき声をあげ、顔を歪める。
「繰り返されると、おれも同じように何度も邪魔しに来ないといけないし。それも面倒だから。ここで素直にうなずいてもらえると、ありがたいんだけど」
「あのさぁ、そうは見えないかもしれないけど、そいつ結構強いから。痛い目みる前にいうこと聞いておいた方が良いと思うよー?」
 昊は半分親切で声をかける。
 その言葉に嘘がないことを、すでに身を持って知った男は舌打ちする。
「くそっ。わかったよ」
「ありがとう」
 心のこもらない言葉と同時に章は無造作に男の腕をはなす。
 男はよろめきながら、その場を立ち去る。
「実力行使するつもりだっただろ」
 男の姿が見えなくなる程度に距離をとったあと昊は尋ねる。
 あんな道端で、けんかめいたことをして、誰かに見られたらどうするんだ。通報されるぞ、確実に。
「眠くてあれ以上、説得の言葉が思いつかなかった。昊の援護のおかげで回避できた。たすかった」
 時計に目を落とし、バイトまでどれだけ仮眠ができるか確認している章にわざとらしくため息をこぼしてみせる。
 割と、厄介な主人だ。今更ながら。


「今日はありがとうっ」
 日付が変わってしばらくした頃合に入ってきた小さな姿に昊は苦笑いする。
 人型にもかかわらず、残ったままのしっぽが大きく、せわしなくうごいている。
「どういたしまして」
 同じく苦笑いをうかべた章が応える。
「今日は、もう帰るねっ。昨日抜け出したことがバレて心配かけちゃったから。ホントにありがとう」
 ぺこんと大きく頭を下げて、あわただしくドアを開けて出て行きかけて、コタはふり返る。
「あのね。また、遊びに来ても良い?」
 どこか不安そうに尋ねるコタに章は小さくうなずく。
「待ってる」
 跳ねるように、暗闇の中を帰っていく姿を見送って、昊は小さく笑みを浮かべた。

【終】




Jun. 2010
関連→連作【神鬼】