in seed



 息を整える。
 外から見たら明かりがついていたので在宅は間違いない。
 時刻は真夜中、十二時過ぎ。訪問には少々非常識とも言える時間。
 手許の黒い物体をにぎりしめ、インターホンのボタンを押す。
 部屋の中でピンポーンというのどかな音が響き、人の身動きする音。
 しばらくしてドアチェーンがはずされ、鍵のあく音。
 外側に開かれるドアにぶつからないようにちょっと避けたところで軽く不機嫌そうな顔が細いすきまからのぞく。
 その空間に手にした黒い拳銃を差し込む。
「菓子を出せ」
「……帰れ」
 冷ややかな声。ドアを完全に閉じられる前に左足をつっこむ。うぎゃ。オマエ、ホンキで閉めたな?
「どこの悪徳新聞勧誘員だ。何時だと思ってんだ」
「十二時十七分」
「で、この拳銃は何?」
 すきまからのぞかせたままのおもちゃのピストルを奪い取られる。
「ほら、ハロウィンも近いことだし。トリック・オア・トリート。ってことで」
「アンタの場合、トリック・アンド・トリートでしょ。で、なに」
 深いタメイキまじりの呆れ声。すまんね、週末の疲れてるところに。
「泊めて?」
「帰れ」
 言葉と同時に足が挟まったままのドアをぐいぐいとひっぱる。痛ぇーよっ。
「飲み会に付き合ってたら終電なくなっちゃったんだよー。大人しくしてるから泊めてください、おねーサマ」
 哀れっぽく言って手を合わせる。
「駅前には二十四時間営業のファミレスもまんが喫茶もカラオケもある。それがイヤならカプセルホテルにでも泊まれば?」
「ナサケナイですがお金がありません」
 もう十月も終わりで夜はずいぶん冷える。そろそろ入れていただけるとありがたいんですが。返ってきたのは冷ややかな視線。
「じゃ始発まで駅前で時間つぶしてれば? 真冬じゃないんだ、凍えたりはしない……たぶん」
「あー。まぁねぇ。でも風邪は引くよなー、きっと。したら看病に来てくれるよな? その手間考えたら泊めた方が楽だと思わん?」
 看病の手間を考えたというよりは押し問答をするのに飽きた風に塔子はひっぱっていたドアノブから力を抜いた。
「鍵かけて入って来てよ」


 ――弟が出来たのは高二の時だった。
「塔子ー、塔子の学校の遠山先生って知ってる?」
 お風呂上りにビールを飲んでいた母親の唐突な言葉に皿洗いの手を止める。
「知ってるけど?」
 直接教えてもらったことはないけれど、可も不可もなさそうなカンジのおだやかな雰囲気の先生だ。
 それがどうしたって言うんだ?
「遠山先生の息子さんが塔子と同じ学校にいるって知ってる?」
「知ってるよ。同じクラスだし、割と仲良いし。……で、それが何?」
 このままだとぐるぐると話が遠回りして結局本題が何かわからないままになってしまう気がする。
 いつの間にやらビール三本目を空にしてるし……飲みすぎだ。
 四本目の缶ビールを開け半分ほどを飲み干したあとでじっとこちらを見つめる。
「塔子。ママ、結婚しても良いかな?」
 意を決したように言った母親の言葉の意味が一瞬わからずに固まる。
「……え? ……再婚するってこと?」
 酸素不足でかすれてしまった声でたずねる。
 こくん。と小さな子どもみたいにうなずく。
 ちょっと、待って。つまりさっきの前ふりは。
「なに、それは遠山先生とってコト?」
 再び首をたてにふる。
「…………ホンキ?」
「ダメ?」
 かわいらしく、でも真剣な目でこちらを見つめる。
 とりあえず泡だらけのままの手を洗い。丁寧に水気をふき取る。
 そして母親と向かい合う。
「ダメ」
 半分残っていたビールをもらい飲み干す。ぬるくなってる。
 しょげた顔。でもやっぱり、って思ってるようにも見える母親にむかってタメイキと一緒に吐き出す。
「って言うわけないでしょ。いーんじゃないの?」
 いつまでもどこか子どもっぽいとこのある母親には遠山先生みたいなおだやかーな感じの人があってる気もするし。
「ホントに?」
「ま、知紀と兄弟になるっていうのは問題は無きにしも非ずって感じだけど」
 ぼそりとつぶやく。
「やっぱり反対、だよね?」
 簡単に落ち込む。わかりやすいなぁ。
「してないって。知紀、いいヤツだし仲良くやっていけるんじゃない?」
 安心させるように笑ってみせると半泣きの表情でテーブルの上にあった手を握ってくる。汗ばんでる。
「塔子、好きー。ありがとう」
「ん」
 うなずいてぎゅっと手を握り返した。


「聞いた?」
 始業二十五分前。幸いほかに誰もいない教室でノートをひろげている、しっかり者のクラス委員に声をかける。
 おどろいたように顔をあげ、こちらの姿を目に入れてニガワライする。
「聞いた。びっくりした」
「おれも……で?」
「知紀は?」
 伺う少し不安そうな声音。視線を合わせる。とりあえず、不思議とわかった。
「よろしく、おねえさん」
 本当のことを言えばちょっと複雑な思いはあるのだけれど、とりあえず解ったことを伝えるためにそう呼んだら思いっきり眉をひそめられた。
「なんで姉確定?」
「え? だって塔子の誕生日十月三十一日でしょ。おれ十一月七日だし。一週間とはいえ、ねぇ?」
 何でそんなにイヤそうなのよ。だいたい「お兄ちゃんと呼んで」とかいったらそれはそれで嫌がるでしょーに。まーったく。
 あの、ますます不審げに眉根にしわがよってますが。
「っていうかなんで誕生日知ってるワケ?」
 それはさー。仕方ない。
「塔子サンのことだったら何でも知ってるよ」
 わざとまじめくさった顔をして言ってみせる。
 案の定、全く信じてないふうに笑う。
「ま、知紀はどーみても弟って感じだけどね、兄っていうよりは。例え誕生日が私より先だったとしてもね」
 想像はしてたけどさ。確かにそういうキャラだけどさ。声にしてそういうコト言われると凹んだりするじゃないか。やっぱり。
「どこからどう見ても頼りがいあるいいカンジのいいオトコにむかってなんてことを」
 うそぶいてみせる。
「はいはい。私予習したいんでジャマしないでくれるかな、知紀クン」
 ご丁寧にあっち行けといわんばかりに手を振ってくださる。つめたい。
 しょうがない。そのうち他のクラスメイトも来るだろうし。まだ大っぴらにしないほうがいいネタだろうし。
 大人しく自分の席に向かう。
「あ。知紀」
 呼び止めた声にふり返る。
「よろしく、ね」
 照れたふうな顔がかわいくて、得したキブンで。唐突にふって沸いた考えナシの再婚話に反発もあったけれど、だからまぁ感謝しておくことにした。


「ていうか、男が来る予定だったらどーするつもりだったわけ?」
 既にくつろぎの態勢に入っている知紀に塔子は苦く言う。
「初耳。いつの間にカレシができたんだ?」
 わざとらしく手をたたいて「おめでとー」と平坦な声で付け加えてくれる。やなヤツ。
「仮定の話」
「ま、その時はおねーサマに相応しいかチェックして差し上げますよ……つーか、塔子さ、その仮定むなしくないかぁ? 夜通しDVD鑑賞する態勢だし、ここ」
 二人がけの小さなソファの前には届いたばかりのDVDボックス、リモコン、ポット、マグカップが一つ。ベストポジションに設置されている。
 確かにカレシを迎え入れる状況ではない。誰がどう見ても。
「それにアナタ、ジャージ上下はダメでしょ、いくらなんでも」
「追い出されたいんだ?」
 問題外、と言いたげな知紀を横目で睨む。
「とんでもない。そのジャージ、とっても良くお似合い」
 何言ってもムダだな。
 とりあえず無視してポットからお茶を注ぎ、ソファのまんなかに座ってリモコンの再生ボタンを押す。
「塔子サン、つめたい」
 勝手にマグカップを出してきてお茶を注ぐと知紀はソファのすきまに無理矢理入り込んでくる。一声かけなさいよ。
 仕方がないのでベストポジションから少しずれて知紀が座れるようスペースを作った。


 真剣に観てるなぁ。
 冷めかけたお茶をすすりながらとなりを盗み見る。くだけた場面で表情がゆるむ。あーあ。
「塔子」
「んー」
 意識、完全にテレビにいってるな。返事、無意識にしてるだけで。
「お願いがあるんだけどさ」
「……お茶なら自分で入れてよ?」
 画面から目を離さないまま。
「コレもらって欲しいんだけどさ」
「くれるものはもらうよー」
 絶対だな。絶対だな?
 ポケットにつっこんでいたものを塔子の手に握らせる。
「ぅえ?」
 やっと顔をこちらに向ける。そして手のひらに目線を落とす。
 無造作にむき出しの銀色の環。
「は?」
 塔子は何度かまばたきしてそれを確認したあと知紀を見つめた。


「何コレ」
「もらってくれるんだろ?」
 にっこり笑って言うと不審げに見つめられる。
「……くれるモノはもらうけど」
「うん。誕生日だし」
「あー、そうだったね」
 カレンダーに目をやってはじめて気がついたように塔子は息をつく。
「忘れてるなよ」
「で、なんで?」
 リングを手のひらの中で転がしながらどこかめんどくさそうな声。
 どうして言わせるかな、そういうコト。今更。
 確かにつきあってたという前提も何にもないけれど、気持ちがゼロじゃないこともわかってる。長い付き合いだから。
 大きくため息をつく。というか深呼吸。
「結婚しない? 塔子」
「『弟』と?」
 からかうような笑み。性格悪い。そういうヤツだよな。
「知ってたんだろーが。おれが、」
 言いかけたところを塔子は不意に立ち上がる。指輪をサイドテーブルに置いて。
「塔子」
 声を強めて呼ぶ。
 ちょっと待てというように手をふって塔子はキッチンの方に入っていく。
 戻ってきたその手にはほのかに湯気の立つホールサイズのパイ。入ってきたときからいいにおいがすると思ったら。
 つーか、話の腰おって今とりに行く必要がどこに?
「作ったの?」
 テーブルに置かれたそれをながめ、気抜けした口調で尋ねる。一大決心だったんだけど。
「迷ってるんだよね」
「何が」
「ということでこのパイの中にアタリがひとつ入ってます。それ見つけたらもらってあげるよ、指輪」
 視線を合わせず、塔子はパイを八等分に切り分ける。
「どれ行く?」
「じゃ、その手もとのヤツ。食べててアタリに気づかないってコトないよな」
 そうならば入っていなくても入っていたと言い張ればいい。迷っているということはほぼOKと同じ。つまりきっかけが欲しいっコトだろ?
「食感ちがうからそれはありえない」
 ち。変なところでこだわりやがって。
 仕方ない。小皿に取り分けられたパイをフォークでつつく。
 かぼちゃの甘みがほどよいパンプキンパイ。うまい。腹へってたし。
 ここに来るのに緊張してほとんど食べられなかったといったら信じるだろうか。
 小さく笑うと怪訝そうに視線だけがちらりとこちらをとらえる。
「塔子、おかわり」
 一つ目完食。残念ながらアタリなし。
「は?」
「一回で当てろって言わなかったよな?」
 大皿から適当にひとつつかんでそのままかぶりつく。
「力技すぎ」
 呆れたようなニガワライがやっとこちらを見る。
「こーいうものをパイに仕込むアナタもどうかと思いますよ」
 コレは食べれないワ。口の中に残った異物を手のひらに吐き出す。
 指輪。テーブルにおいてあるものより大きめの。
「だーから、迷ってたんだって。今更だし」
 少し照れたようにも見える表情。そして大きく息をつく。
「うん。よろしく」
 塔子はテーブルから指輪をとり自分で薬指にはめてこちらに見せた。

【終】




Oct. 2006