インプリンティング



 小高い丘。その頂上にある三階建てほどの高さの物見台。切れかかった蛍光灯がちかちかと薄暗く照らす階段を音をたてないようにのぼる。
 屋根のない展望場。こちらは完全に明かりがつかなくなっているせいでほぼ真っ暗。
 つまずかないようにすり足で近づき、かたまりを蹴突く。
「んー」
 寝ぼけたような反応。
「何こんなところで寝てんの」
「人聞き悪いな、起きてるよ」
 のそりと身体をおこし、そのまま座る。
「一泰、寒くないの?」
 となりにしゃがみこみ聞く。それだけでもコンクリートうちっぱなしの床からは冷気が漂ってきて、思わず身震いする。
「つめたい」
 妙に生真面目な口調にため息をつく。
「はい、差し入れ」
 コートのポケットに入れていたあたたかな缶紅茶を渡す。
「気ーきくじゃん」
 さんきゅー、とかるく言って早速プルタブをあけて飲む。
「あち」
「缶に触った時点で熱いのは想像つくと思うけど、普通」
 反対のポケットに入れていたもう一本を出して自分も飲む。ぬくもりが冷えた手にじんじんとしみこむ。
「加穂とちがっておれの舌は繊細なの」
「学習能力がない、の間違いでしょ。毎度毎度」
 猫舌のくせに冷まして飲むということを覚えられないのだろうか。
「はいはい、おっしゃるとおりですよ。で、どーした、こんなとこまで」
 暗闇に慣れてきた目に、相手の表情がだいぶわかるようになってくる。不審そうというよりはなぜか楽しそうな雰囲気。
「別に。暇だっただけ。楽しい? 星見るの」
 視線を避けるように空を見あげる。満天、とは言えないけれど自分の家からよりはたくさん見える。綺麗だとは思う。けれど、この寒い中わざわざ星を見に来る一泰の気がしれない。それもしょっちゅうのことだ。
「見てるっていうか……あぁ、うん。まぁ楽しいよ」
 中途半端に言葉を濁して星を見る横顔。やわらかくゆるんだ微笑。
「暇人」
「ロマンチストと言ってよ」
 恥ずかしげもなくしゃあしゃあと言う。
「なんで星なの? 私はどっちかって言うと月のほうが好きだけど」
 今日の空には見えていないけれど。
「不健全」
 ぼそりと一言、からかい混じりの声。たいした意図もなく持ち出した言葉だったけれど思いかけない返答に眉をひそめた。
「何それ」
 ちょっとむっとした口調になるが、一泰は意に介さずのんびりと言う。
「ほら、月は人を狂わすっていうだろ」
「狼男とか?」
 眉をひそめたまま、とりあえず応えてみる。
「そう。ルナティックっていうしさ、月は人を惑わす。きれいだけどな、星見るには実はじゃまなんだよ」
 最後のは不健全関係なく自分の都合なだけだろう。
「邪魔って」
「月は明るいから、星のか細い光をかき消しちゃうんだよなぁ」
 確かに満月だったりすると地面に影が映るくらい明るいから、わざわざ街灯を避けて暗いところに来る意味はなくなる。
「で、星は健全なの?」
「どうだろ。でも、星って希望の象徴みたいなとこあるし。期待の星、とか人気有名人のことスターって言ったりもするよな。だから不健全ではない感じ」
 説得力があるとはいえない回答にため息をつく。
「星ってたくさんあるからどれがどれかわかんないんだよね」
 見上げてもわかるのはかろうじてオリオン座くらいだ。
「あれが北極星」
 すっと腕が伸ばされる。その指の先を辿ってみるが良くわからない。
「うーん?」
「じゃあ、北斗七星」
 指先が動く。
「……わかんないって」
 北斗七星がひしゃく形をしている星座だということくらいは知っている。けれど見ようと思えばどの星をつないでもひしゃくに見える気がする。
「加穂、視力悪くなかったよなぁ」
 少しあきれ含みの言葉。視力は関係ないんじゃないだろうか、こういうのは。
「両目とも二.〇」
「じゃ、加穂のほうがたくさんの星が見えてるはず。うらやましい、おれ眼鏡かけても一.〇しかないのに」
「やっぱり、違うものなのかな。見えるもの」
「そりゃー違うよ。眼鏡はずしたらおれは隣にいる奴がどんな表情してるかさっぱりだし。星だって」
 一泰はかけていた眼鏡をはずし、再び空を見あげる。
「北極星はもうわかんないな。オリオン座はかろうじてわかるけど北斗七星はびみょーな感じ」
 眉をひそめ、目を細めている。その顔を見つめる。
「極悪面だよ」
 憎まれ口をたたく。
「こんないい男つかまえて失礼な」
「あー、そうだね」
 心をこめずにうなずく。
「おまえねぇ」
「でも、変っていうか面白いよね。おんなじ空、見ているのに実は違うものが見えてるかもっていう」
 苦い声を聞き流して仰向く。冴え冴えと散る光の粒。
 視力の悪い一泰にはどんな風に映っているのだろう。
「確かに。実は加穂は全然違うもの見てたりするかもだよな」
 眼鏡をはずしたままの状態で寝転がる一泰にうなずく。北斗七星、見つけられないしね。
「で? 本当は何の用だった?」
 空を見たままの一泰から何気ない問いかけ。
「本当は、って何?」
「加穂は暇だからってわざわざこんなところまで来る性格じゃないし。実際今までだって来たことなかっただろ。なのに今日はなんで?」
 目線だけがこちらをむく。全てお見通しのようにみえる。腹立たしいというか憎たらしいというか。
「別に」
 そっぽを向く。
「そ? ところで、足しびれてきてない?」
 あまり信じてない風に気のない返事をしたあと、前触れなくふくらはぎをつついてくる。
「うぎゃっ……痛ーっ」
 足にびりびりと独特の感じが走り、よろけてしりもちをつく。背筋を突き抜けるような痛みが響き、そして冷気が伝わってくる。
「あー。ごめん」
「それ、すごく心こもってないんだけど」
 とりあえず謝っておけ、という気持ちが透けて見える。
「加穂に倣ってみた」
「どういう意味」
 含みのある笑みをかるく睨みかえす。
「加穂の『別に』も本心とは違うだろ。ほら、これ敷いてな」
 寝たままの状態で巻いていたマフラーを器用に首からはずし、まるめてこちらに寄越す。
「ありがと」
 かすかに体温が残ってる気がするマフラーをたたみなおし、その上に座った。
「いつも、そういう風に素直だと良いのに」
 一泰は目を細める。
 視線を合わせたくなくてちいさく下を向く。
「それは一泰が悪いんだと思う」
「なんで」
 そういう、見透かしたような笑みが全ての要因なんだけど。それさえもわかっていそうなのが小憎らしい。
「一泰、むかしはかわいかったのに」
 小さな頃は、加穂ちゃん加穂ちゃんとあとをくっついて来ていたのに。いつの間にか背を追い抜いて、余裕の大人びた笑顔をこちらに向けるようになった。
「加穂が思い出してくれたら、かわいいこと言ってあげても良いよ」
 その言い方がすでにずいぶんかわいくないのだけれど。
「何を」
 一泰は答えず足を上げ反動をつけて起き上がる。
「一泰」
 眼鏡をかけ、立ち上がった一泰の差し出した手をとる。
「おれが星を好きになった理由」
 ひっぱってくれる力を借りて立つ。
「思い出すも何も、端から知らないけど」
 言いながら、記憶をさらってもやはり思い当たることはない。
「そんなはずないよ。ぜったい」
 敷物になっていたマフラーを拾い、小さく笑む。
「うそ」
「嘘じゃないよ。……ほら、帰ろ」
 もう一度さしだされた手を握る。
「そうやって、すぐ煙に巻く」
「加穂はすぐごまかすじゃないか」
 先に行く背中。表情は見えないけれど確実に笑っている気配。
 このまま蹴りを入れてやったらどんな顔をするだろう。
「加穂」
 不穏な空気を察したのか一泰はふり返る。
「ん?」
 思惑を隠して曖昧に笑ってみせると、ばればれだったのか苦笑いが返ってきた。


――。
「加穂ちゃん、どうしたの?」
 薄暗くなり始めた空を見あげる幼馴染に声をかける。
「昨日ね、テレビでみたの。新しい星、見つけると自分の名前つけれるんだって。すごいね。いーなー」
 満面の笑みを浮かべた横顔のとなりで瞬きはじめた一番星を見つめて、決めた。


「まさか、忘れられるとはねー」
 星空を見つめて歩く横顔を見つめる。
「何って?」
「んー」
 視線を合わさないままごまかすように微笑う。
 だから言ってなんかやらない、まだ。

【終】




Jan. 2007