耳を、うばわれた。
駅前や歩道橋の上、人通りの多いところで歌っている人たちは良く見たし、結構うまいな、って思う人もいた。でも足を止めようと思ったことはなかった。
もともとそんなに興味もなかったし。
その時は、そんなこと考える間もなく立ち尽くしていた。
人通りが多いとは決して言えない住宅街の真ん中にある小さな公園。ブランコを立ちこぎする青年。
歌声、吸い込まれる。空に。
歌い終え、ブランコを止めた青年と目があう。
それと同時に一時停止状態が解除された私は逃げ出すように立ち去った。
「あれ?」
いない。
公園の入り口からぐるっと見渡す。
さっきまで歌声が聞こえていたと思うのだけれど、幻聴だったのだろうか。聴きたいと願うあまりに。
のぞきこむようにしながら公園へ足を踏み入れる。別に不法侵入するわけじゃないからこそこそする必要ないんだけれど。
ぽん。肩に重みがかかる。
「うぎゃぁぅうぅぐ」
叫び声は大きな手にふさがれる。
「あのさぁ。大きな声出さないでよ、変質者みたいじゃん、おれ」
みたい、じゃなくてそのものでしょ? じたばたと抵抗すると簡単に手ははなされる。安全距離をとってから声の主を確認する。
「あ」
ブランコで歌っていた青年。
「昨日はどーも」
ひら、と手を振る。目元に出来る笑いじわがやさしい感じ。
「しっかし、すごい悲鳴だったよねぇ。女の子ってきゃーって可愛らしく叫ぶもんだと思ってたよ」
くすくす。
笑われている身としては腹がたってもおかしくないのに何となくそんな気にならないのは、あまりにも子供みたいで楽しそうにしているせいかもしれない。
「中学生?」
「高校生です」
多少憮然としてしまうのは間違えられることがあまりにも多いからだ。
「ホントに?」
「ホントですっ」
こんなことで嘘ついてどうするんだか。青年は首を傾げる。
「下手すると小学生かと思ったのになぁ」
さいてぇ。
「ほら、そんなふくれっつらしてると余計に幼く……女の子は難しいねぇ。若く見られると嬉しいのかと思えば、そうでない子もいるしー」
いやがることわかっててやってるでしょ、ホントは。
「ゴメンってば。かわいーから、つい」
顔の前で手を合わせてるけど、そのかわいーって小さい子に対するかわいいと同義に聞こえるんだけど。それだと何のフォローにもなってないんだけど。
「だいぶ、暗くなってきちゃったね。早く帰った方が良いよ。……知らないおじさんにはついていかないようにね?」
青年は一方的に話を切り上げる。
「ついていきませんよ」
小さく頭を下げて公園を出る。何しにいったんだろう。
……歌が、聴きたかったのに。
「おつとめ、ごくろー」
滑り台の上から大声。子供みたい、手をぶんぶん振って。
素通りしちゃまずいかな。歌、聴けないなら立ち寄る意味あんまりないんだけど。
「さみしいじゃないか、帰ろーとするなよ。ジュースおごってあげるから」
来い来いと手招きする。
知らないおじさんについて行っちゃいけませんって言ったのは誰だっけ?
滑り台を駆け下り、そのスピードに乗ったままこちらへ走ってくる。たいした距離じゃないのに息あがってるよ?
千円札を自販機に差し込んでボタンを押す。
「何飲む?」
取り出し口から取り出した緑茶を片手にこちらを向く。
「……おんなじので」
「んー」
もう一本、お茶を取り出してこちらへ渡してくれる。
「ありがとうございます」
「いえいえ。話し相手をつかまえるためにはこのくらい出資せねば」
話し相手、決定なの?
「そんなイヤそーな顔しなくても。傷つくじゃないか」
美味しそうにお茶を飲みながら言われても、とても傷ついているようには見えない。
「いただきます」
プルタブをあげてお茶を一口飲む。
かわいたのどにおいしい。
「名前教えてもらって良い? おれは司くんです」
地面に木の枝で『司』と書いてみせる。
司くんって、自分で言ったということはそう呼べと言うことか?
渡された枝でその文字の隣に『海』と書く。
「うみちゃん?」
「かい」
男の子みたいであまり好きじゃない。
「かいちゃんね。学校帰り? 家この近所?」
「そう、ですけど」
青年は座っていた車止め用のポールからおちそうになる。どうしたんだ?
「あのさ、海ちゃん。今の『そう』がどっちの質問の答えか知らないけどさぁ。無防備だよ。おれがストーカーだったらどうするの?」
あぁ、家が近所だとか言うのはまずいのか。でも、いまさらな気もする。帰りにあとつけられたら終わりだし。
「女子高生を話し相手につかまえてるおれが言うことじゃないかもだけどさ。気をつけたほうが良いよ?」
おれみたいな無害なのばっかりじゃないんだから、と続ける。……自分で無害とか言うかな。
とりあえず素直にうなずいておく。
「ここで何やってたの?」
毎日毎日。一人で。
「んー? ぼんやりしたり、歌をうたったりね」
空をながめて気持ち良さそうに言う。
仕事行ってないんだろうか。
どうでも良いけど。
「今日は、歌わないの?」
「聴きたい?」
見透かされたようで、それを隠すようにそっぽを向く。
「ごめんね、今日は売り切れ」
売り切れ?
「明日は海ちゃんのためにとっておくから」
ふり返ると柔らかな笑顔。
「だから、また明日ね」
ばいばいと小さく手をふるのに見送られながら公園を後にした。
約束が何だかうれしかった。
「おかえり、海ちゃん」
公園の入り口で待っていた青年に一瞬違和感を覚える。
理由はすぐにわかった。声がかすれている。
「風邪?」
尋ねるとあいまいに微笑むだけで答えない。何だろ。
「座って?」
言われるままにベンチに座ると青年は隣に、だけど逆側から座る。
「今日、大きな声でないんだけど。それでも良い?」
肩越しに青年はこちらに言う。何でわざわざ話をするのに苦労するような座り方をするのかな。体をひねって青年の方を向く。
「良いけど。のど、痛いなら無理しなくても」
歌が聴きたいというのが本音だけれど。だからといって強要する権利はないし。
「大丈夫。約束だしね。リクエストある? 知らない歌はダメだけど」
目を細める。
そんなこと言われても唐突に思い浮かばない。
「……はじめの時、歌ってたやつ」
「了解」
軽く笑むと青年はむこうを向いてしまう。背中を見ていても仕方がないので体勢を戻すと腕が触れる。
小さく音がもれる。ちょっとかすれた声。この間聴いたものと同じなんだろうけれど、別物に聴こえる。懐かしい、やさしい感じ。歌詞、日本語じゃないから意味はわからないけれど、それでも。
目を閉じると触れた腕からも音が伝わる。
「……なんて、歌?」
歌が終わっても響く。余韻がある程度おさまったところで尋ねる。
「あ、起きてた?」
寝ないよ。もったいない。
「あれはねぇ、タイトルはないかな。……イルカの歌……生まれた海に戻ってきたけれど、そこはもう帰りたかった海じゃなくなってたみたいな……」
ぽつんぽつんとさっきよりもかすれた声で呟く。遠くを見ながら。自分のほうが帰る場所を探してるみたいに。
視線を感じたのか青年はふりかえり目を細める。
「暗くなっちゃったねぇ」
立ち上がり伸びをする。
「帰ろうか」
遠くを見たままで言う。後姿に尋ねる。
「明日も、いる?」
「声、こんなだから歌えないと思うけどね、いるよ」
座ったままの私のあたまをくしゃりと撫でられた。
「海ちゃんは?」
「ばいばい」
親とはぐれたこどもみたいな顔。おとなのくせに。
だから、付け足す。
「また、明日」
Apr. 2005
関連→連作【thas】