星に願いを。



 なんというか。
 結果はまだ出ていないけれど、本命他、ほとんどの大学受験は終わっていて、残すは滑り止めの一校という微妙な解放感と、不安と、はっきりとしない曖昧な感情がない交ぜになって、落ち着かない気持ちを持て余していた。
 当然勉強に気が入るはずもなく、夜食を買いにコンビニまでを口実に夜中に家を抜け出すのが日課になっていた。
 いつものように、少し離れたコンビニまで、のんびり歩き、雑誌コーナーで少し立ち読みして、缶コーヒーを買って外に出る。
 鼻にツンと来る冷気に顔をしかめつつ、普段は通らない、細い路地に入る。
 街灯もなく、周囲の家も寝静まっているのだろう。明かりがついているところはほとんどなかった。
 そんな状態で、足元もおぼつかないほど暗く、ちょっと後悔しながら、ゆっくり足を進める。
 どうにか目が慣れてきて、ようやく顔を上げると、動く影が目に入り、思わず息をのむ。
 悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。
 目を凝らしてよく見れば、女性っぽい後姿。
 地面に近い辺りでスカートの裾らしきものが歩幅に合わせて揺れている。
 いつから、前にいたのか。
 っていうか、この状況、傍から見たらストーカーしてるっぽく見えないか?
 今はまだ気づかれていないから良いけれど、振り返られでもして、叫び声の一つでも上げられたら……。民家ひしめく住宅街だし、声に気付いて起き出す住民もいるだろう。
 そうじゃなくても当人が携帯で110番する可能性もある。
 そんなことになったら、合格不合格とかいう話じゃなくなる。
 明るいはずの未来は消え去る。終わった。
 やっぱり受験生らしく、おとなしく自宅で勉強しておくべきだった。
 気付かれないよう距離を取るべく、より一層、歩幅を狭め、足音を殺す。
 こちらの気も知らずに、前を行く女はきょろきょろとしながら、のんびりと歩いている。
 危機感ないのかね。
 普通、女一人でこんな時間に、こんなうす暗い路地を歩くんだったら足早になりそうなものだけれど。それ以前に、こんな路地は避けそうなものなのに。
「あっ」
 しんとした中に唐突に発せられた声に、思わず心臓が跳ねた。


「ここにもあった」
 独り言にしては声がでかい。が、さすがに住民を起こすレベルの大声ではなく、周囲は静かなままだ。
 女がしゃがみ込んだので、距離を保つべく足を止める。傍から見たら完全に不審者だ。そのまま足早に立ち去る方が良かったかもしれない。
「っうぎゃ。……っもう。スカートの裾、何でこんなに長いんだかっ」
 大きな独り言からするとスカートの裾を踏んづけでもしたのだろう。黒い影がつんのめっている。
 どうでもいいから早く行ってくれないかね。立ち止まってるのはさすがに寒い。
 寒さを自覚した途端、我慢する余裕もなくくしゃみが飛び出す。
 口を抑えてみたものの、音が完全に防げるはずもなく振り返った女とばっちり目があう。
「うそでしょ。なんでこんなとこ、人が歩いてるのぉ?」
「ごめん」
 叫び声をあげられないのは助かったけれど、どこか非難するような声を向けられ、思わず謝罪が口をつく。
「いや。ちがう。ごめんなさいは私です。見られてたっていうか聞かれてたっていうのが恥ずかしくって」
 自分の顔をあおぐように女はぱたぱたと手を動かす。
 暗がりで見える顔は同年代くらいだろうか。大きな丸い眼鏡が特徴的だった。
「ほんとにゴメンね。不審者だよね、怪しかったよね。でも、ちょっと探し物してただけなんだよ……」
「こんな夜に?」
 それも懐中電灯も持たず、真っ暗と言っても差し支えないところで?
 不審者だとは思っていなかったけれど、おかしくないか?
「あぁ、信じてない顔だ。そうだよねぇ。でも夜だから見つかるんだよ」
「何が?」
「星」
「ほし?」
 女が指差した空を見上げると、雲のない空には確かに多くの星が瞬いている。
「でも、下を見てなかったか?」
 背後からだからはっきりとは分からなかったけれど、しゃがみこんで拾っていたように見えた。
「うん。星って言っても星屑。細かいカケラが落ちて来るんだよね。それを拾い集めるのが仕事なの」
 ああ。アレだ。ちょっとアレな子だ。関わっちゃいけないヤツ。
 立ち去ろう。なるべく刺激しないように、しかし速やかに。
「そっか。タイヘンだね。がんばってね」
 視線を合わせないようにして踵を返す。
「ぐぇ」
 コートのフードを思いっきり引っ張られのどが絞まる。
「信じてないな」
 振り返ると、大きな眼鏡の奥で睨みつけるように目が細くなっている。
「とんでもない。大変なお仕事のお邪魔をしては申し訳ないと思ってそうそうに立ち去ろうとしてるだけですよ」
 逃げるが勝ち。素晴らしい言葉だ。
「絶対信じてない! ここじゃアレだから、ちょっと来て」
 フードを掴んだまま、先に歩き出す。
「わかったから、引っ張らないでくれない?」
 首が絞まるし、歩きにくいし。
「あ、ごめん」
 存外、あっさりと手を放してくれたので、隙をみて逃げようかと思ったけれど、それを読んだのかどうなのか、直ぐに手をつながれた。


「ここで良いか」
 住宅街を抜けて、しばらく歩いた先にあった、小さな小さな公園。
 暗がりでもわかる古ぼけた滑り台と鉄棒が一ずつ。ちかちかと今にも寿命の終わりそうな気配の外灯も一つ。周囲は木がこんもりしていて、何か出てきてもおかしくない雰囲気で、夜に一人だったら絶対来たくない場所だ。
 女は慣れているのか平然としている。
「はい。これ、かけてみて」
「?」
 女はかけていた眼鏡を外し、こちらに寄越す。
 ここまで来て、逆らうのもバカバカしい。
 受け取って、その大き目なメガネを装着する。
 度が入っていないのか、くらくらと視界がゆがむことなく、ガラス越しに先ほどまでと変わり映えのない薄暗い景色。
「見えるでしょ?」
 女はどこか勝ち誇ったように言うが、さっぱりだ。やっぱり妄想癖のある、残念な子だったか。
「おかしいなぁ。しょうがない、とっておきを見せてあげよう」
 肩からかけていた黒いかばんの中から手探りで手のひらサイズの、こちらも真っ黒な巾着袋を取り出す。
 袋の口を開けてこちらに向ける。
「覗いてみて」
 言葉に従い、首をかしげて見ると、ちかちかと光るいくつもの細かい粒。
「……LED?」
「何でよっ。星だって言ったでしょー」
 眼鏡を引っ張り取られる。
 すると袋の中の光はなくなり、空っぽの袋だけになる。
「手品」
「ちがう。この眼鏡は星屑が見えるの。袋の中は私が拾い集めたもの。ほら、もう一回公園の中、よく見てよ。滑り台の梯子の下とか、落ちてるでしょ」
 もう一度、顔につけられた眼鏡越しに見る滑り台の下に、確かに小さく瞬く光。
 眼鏡を外すと、何もない暗闇。
「……本当に?」
 再装着するとやはり、ちまちまと光っているかけらが見える。
「見ず知らずの人相手に、ワケのわからないイタズラ仕掛けたって仕方ないでしょ」
 まぁ、確かに。
「どうして、こんなことしてるんだ? っていうか、集めてどうするんだ?」
「普通に家業。で、集めた星屑は加工して空に返す」
 女が袋を振るとしゃりしゃりと軽い音がする。
 突拍子もないことを言われているんだけど、実際に星屑を見た後だと反論もできない。
「そういえばキミは? こんな夜中に徘徊?」
「受験勉強の息抜き」
「受験生なんだ? でも、そろそろ終わりじゃない?」
「まぁね。あと一校。だから微妙に落ち着かなくて」
「なるほど」
 言い訳めいた言葉に女はわかるわかるといった感じにうなずく。
「じゃ、せっかくだから合格しますように! って願ってみる?」
 返した眼鏡をつけると、滑り台の下でしゃがみ込み、つまんだ手を上げる。
 見えないけれど、たぶん先ほど瞬いていた星屑を拾ったんだろう。
「落ちてたものに願うって、何か縁起わるくないか?」
 受験生にとって落ちる滑るは禁句だ。
 それに本命の試験自体は終わってるから今更な気がする。
「それもそっか。じゃ、そろそろ帰るよ。キミも、受験生が風邪ひいたら台無しだよ」
 あげていた手でそのまま手を振られたので、つられて同じように返した。


 その後は、あの少しおかしな星拾いの女に会うことはなく、夢でも見てたんじゃないかと思いだしたころ、無事に第一志望の合格通知が届いた。


「隣、良いですか?」
「どうぞ?」
 履修ガイダンスが始まるまでに時間に余裕があるせいもあって、座席は六割程度しかうまっていない。
 あえて隣に座る必要もないのに、とは少し思った。
 春っぽい色合いの服を着たショートカットの女子は、にこにこと笑みを向けてくる。
 結構かわいい。
「あれ、全然覚えてない感じ? 割と薄情だね、キミ」
「あ。……なんで」
 星屑拾いの、あの女。
 薄暗い中で、黒い服着てたイメージと全然違う。
「同じ大学なんて偶然だよね。よろしくね」
 訊きたいことはいろいろあるけれど、この先時間はたっぷりあることだし。
「よろしく」

【終】




Feb. 2017