「おとなり、良いですか?」
可愛らしい声が自分に向けられていることに気づいてのろのろと顔を上げた。
目の前に立っていたのは声と同様というか、それ以上にかわいらしい少女だった。
他のベンチがあるだろうにとそっと辺りを見渡す。
空いているベンチは確かにあるが、どこも直射日光が当たる状態で少々暑そうだ。
本来なら退いてあげるべきだろうけれど、その気力が今はなかった。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると躊躇なく隣に座る。
大学構内という、子供にとってはアウェーな場所で物おじせずに居られるのはすごい。
付属の小学校の生徒だろうか。
制服ではなく、涼しげな真っ白のワンピース姿なので確かなことはわからない。
少女は構内のカフェで買ってきたと思しき紙袋からアイスコーヒーとハンバーガーを取り出すと「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。
こぼしたら染み抜きが大変そうな服だなとぼんやりと様子を眺める。
視線を感じたのか少女は顔を上げ、首を傾げる。
「食べますか?」
食べかけのハンバーガーを少しこちらに向けて差し出す。
「いや。いらない」
「ですよね」
言い方がきつかったかと反省したが、少女は気にした風もなくにこりと笑って食事を再開する。
そもそも人の食事を見ていたこちらが悪いんだよ。
やっぱりさっさと立ち去るべきだった。
これ、はたから見ると事案を疑われる構図だよな。
冴えない大学生男子に小学生美少女の並び。
幸いこの辺りは人通りが少なく、今のところ見咎められていないけれど、絶対誰も通らないわけでもないし。
やっぱり、立ち去るべきだ。
気力を振り絞って足に力を入れる。
「ごちそうさまでした」
少女の声で力が抜ける。
食べ終わったなら、もう席を立つだろう。
なら自分が立ち去る必要もない。
本音を言えばまだ立ち上がる元気がわいてこないし、どこにも行きたくない。
「おにいさん、おとなりありがとうございました。お礼にひとつだけ話を聞いてあげます」
聞き間違えか?
「は? 願いをかなえるじゃなく?」
「そういうのは悪魔とか天使とかランプの魔人のお仕事ですから。しがない人間の子供には話を聞くのが精いっぱい。でも見ず知らずの子供相手くらいの方が吐き出しやすいこともあるんじゃないかな?」
いたずらっぽく笑う表情はかわいくて、でもどこか大人びたものにも見えた。
どことなく上から目線な物言いと、うっすらと透けて見えた気遣いにわずかに笑みがこぼれた。
そのことにほっとした。まだ大丈夫。
「そうかもね。簡単に言うと信じていた友達と彼女に裏切られたんだ」
子供相手にあまり込み入ったことを話すものではないだろうとざっくりと説明する。
「彼女と友達がこっそり付き合ってたとか?」
こてんと可愛らしく首を傾げながら少女はこちらを見上げる。
鋭い。
察しているならまぁ良いか。
「そう。その上、おれが用意した旅行の代金を使って友達と彼女とで旅行に行ってしまいましたとさ」
「……うわぁ、それは落ち込むはずだね。そして腹が立つね!」
心底嫌そうに顔をしかめながら同調してくれる。
「んー。腹が立つっていうか、うん。気づかなかった自分には少し腹が立つけど、なんていうか気が抜けたよね。その程度だったのかって」
その程度にしか思われていなかったのか、というのと、彼女と友人がその程度の人間だったのかという軽蔑に近いような感情。
そんなことを考える自分が何様なんだと自己嫌悪に陥る悪循環。
「復讐してやる! とか思わないんだ?」
「それよりもう関わりたくないかな」
使われたお金は痛いけれど人を見る目がなかった勉強代だと思えばいいし、それよりも顔を見るたびにマイナス感情に振り回されるだろうほうが辛い。
とはいえ同じ講義も受けているし、共通の友人もいる。
全く顔を合わさないのは不可能だ。
自分が大学をやめれば可能かもしれないが、そんなつもりはない。
「お兄さん、良い人だねぇ」
「そんなんじゃないよ、ただ面倒というか臆病なだけ」
他意なく、心底そう思ってそうな少女の言葉に首を緩く振る。
「私なら末代まで祟ってやるどころか末代にしてやるけどねっ」
弾むような声で、なかなかに物騒な少女の言葉に思わず吹き出す。
「それはそれでかっこいいな」
ひとしきり笑った後に返すと少女はにんまりと笑みを浮かべる。
「笑う門には福来るっていうから、きっとお兄さんに良いことあるよ、これから」
「ありがとう」
気休めの言葉に違いないけれど、とりあえず動き出す元気は出てきた気がする。
軽やかに立ち去る少女の背中を見送って立ち上がる。
少女ほどではないけれど、足取りはずいぶん軽かった。
「なにやってたか聞いても?」
待ち合わせ相手に、怒っているというよりはあきれている声で尋ねられ肩をすくめる。
「人助け、というか厄払い?」
黒いもやに覆われた青年を見つけて思わず声をかけた。
悪意や嘲り嫉妬などの負の感情により湧き出すもやは人の精神をじわじわと蝕みながら増殖していく。
放っておくには少々目に余った。
そして自分にはそれを祓う力があった。
「一部返しただろ」
「因果応報ってないとだめだと思うんだ」
咎める言葉に軽く返す。
すべては祓わず、残したわずかなもやを悪意の主たちへと返した。
数日、体調不良で寝込むくらいの障りは出るだろうし、あの人の良い青年がそのわずかな間だけでも気持ちが楽に過ごせたらいい。
「行こっか、おにいちゃん」
まだ苦い顔をしている相手の手を引くと深々と溜息が返ってきた。
「かわいく笑ってうやむやにしようとするな」
言葉とは裏腹な心配する瞳に気持ちがゆるむ。
「大丈夫だよ」
なにが、とは問い返されなかった。
そのやさしさに甘えて隣に並んだ。
Jun. 2024