はつこい



「おとうさん。あれ、だあれ?」
 祖父母の家へ行く度、父は仏壇の前に長い間、静かに座っていた。
 その時も、いつものように仏壇と向き合っていた父に尋ねた。
 暗い色調の中、そこだけがまるで別次元のように鮮やかな写真には女の人が楽しそうに笑って写っていた。
 父はなんだか困ったような顔を浮かべた。
「あれは、お父さんの妹だよ」
「いもーと?」
「そう。おまえにとっては叔母さんだな」
 叔母さん、という言葉には似合わない若い人。
「どこにいるの?」
「ずっと、遠くに」
 溜息のような声とともに、その写真の笑顔は焼きつくように残った。


「まだ間にあうっ」
 力説してみる。
「手遅れだって。今日何日だと思ってんの? 二十三日だよ? クリスマスイブイブ。にもかかわらず、いまから男見つけて楽しいクリスマスを過ごそうなんて、どんな裏技?」
 隣を歩く友人の冷ややかな視線に溜息をつきかけて、それを飲み込む。シアワセが逃げるじゃないか。
「わっかんないよぉ? その角を曲がったら落ちてるかもしれないし?」
「ないわぁ」
 顔を見合わせて同時に声を立てて笑う。
「じゃあね。良いクリスマスを」
 分かれ道で立ち止まり、手を上げる。
「そっちもね。自棄になってホストにはまったりするんじゃないよ?」
 するか。一生懸命稼いだ給料、他人に貢ぐくらいなら自分に贅沢させるわ。


 女の人、というよりはまだ女の子と言っても良いくらいのにぎやかで元気な声。
 馬鹿馬鹿しい内容だけれど、思わず笑みがこぼれる。楽しそうで良い。
 別れの挨拶をして、角を曲がってきた声の主の片方とぶつかる。
 びっくりしたようにこちらを見上げる、見開いた目。
 あたま、真っ白になる。
「あ、ごめんなさい」
 軽くあたまを下げて行ってしまうコートの袖をつかむ。
「なに?」
「え、と。……アナタの幸せのために祈らせてください」
 何言ってんだ。我に返り、とりあえずコートから手を放して慌てて違う言葉を探す。
「じゃなくて、あの」
「宗教? 祈ってもらわなくても、私、幸せだから」
 不信感たっぷりに、それでもきっぱり言う。場から離れる口実ではなく、結構本気で思ってるようだ。
「カレシもいないのに?」
「聞いてたのっ?」
 思わず口にした瞬間、相手の頬が紅潮する。
 表情、くるくるかわる。かわいい。
「別に、カレシがいたら幸せだとは限らないでしょ。いたらいたで、幸せじゃない気持ちになることもあるし」
 生真面目な顔でそんな風に言う。
 良いな。好きだな。そういうの。
「あのさ、ここであったのも何かの縁ということで、おれと付き合ってみない?」
 話し運び、シュミレーションしてたのに、ぜんぜん違うほうに進んでる。
 やばい。せっかくの奇跡をこんなとこでつぶす訳にはいかないのに。
 でも、もう、いっぱいいっぱいだ。
「アナタ、高校生でしょ? 大人をからかわないで」
 やっぱり、そうとられるよな。
 さて、どうする。


 なんか、誰かに似てるような気がして引っかかるんだけど思い出せない。
 っていうか、雰囲気、比較的まともそうなのに話の展開が意味不明。ちょっとヤバイ子なのか?
「大人っていってもそんなに歳かわんないでしょ」
 むくれたような表情。こどもみたい。
「私は成人してるもの。それに、社会人だし」
「そんなこと言って、おば……」
「いま、おばさんって言おうとしたでしょ?」
 なにやら反論しかけた相手の言葉をさえぎる。
 いっておくけど、まだ二十歳だ。充分若い!
 文句を続けようと見上げると、しまった。と顔に描いて慌てて自分の口元を押さえている姿が目に入り、苦笑を漏らす。
「変な子」
 なんかね。憎めないっていうか。弟いたら、こんな感じだろうか。
「じゃあね。風邪ひくといけないから早く帰りなさいよ」
 いつまでも付き合ってたらこっちも風邪ひいてしまう。いくら暖冬とはいっても年末のこの時季、外で立ち話するには適さない。
「ごめんなさい。ホントのこと言いますから、話し聞いてください。助けてください」
 再度、コートの袖口をつかみながら深くあたまを下げる。
 その様子が妙に切羽詰ってみえて、とりあえず頷いてしまった。


 賭けだ。
 どこまで信じてもらえるか。
「ええと、とりあえず自己紹介。充貴といいます。東山高校の三年です」
 適度に席の埋まっているファミレスで注文を済ませたあと、とりあえずそんな風に話をはじめる。
「東山は制服学ランのはずだけど?」
「……変わったんです」
 不審そうだった目が、より険悪なものになる。
「私、東山の卒業生なの。そんなバレバレのウソ、つかないでもらえる?」
 やっぱり、そうなるよな。
「制服が変わるのは『今』から十年後くらい。おれは『今』から十七年後の未来から来たって言ったら、信じる?」
 とりあえずブレザーの襟元の校章バッジをはずしてテーブルの上を滑らせて渡す。校章のデザインは変更してないはずだ。
「校章なんか、誰かから借りて付けれるし?」
「そんなことしておれに何のメリットが。お……タカコさんに声かけたいだけなら、もっと別の手でうまくやるよ」
 無愛想なウエイターの持ってきたハンバーグをつつきながらぼやく。
「……なんで、私の名前知ってるの?」
 げ。
 キツイ視線から、そろりと目を離す。
「ほら、友達? が呼んでたよ」
「ふぅん?」
 信じきってはいないような微妙な返事に気付かない振りして曖昧に笑みを浮かべる。
 笑ってごまかせ。良い言葉だ。
「それが本当だとして、なんで過去に来たの?」
 半信半疑どころか九割がた信じてはいないのだろうけれど、とりあえず話を聞いてくれるつもりはあるらしい。
「それがまた、良くわかんないんだよね。気がついたらここにいた」
 自分でもびっくりだ。何が起こったかわからない。ただ、いつのまにか違う場所にいた。その時が『今』だとわかった時は運命だとは思ったけど。
「何で私に声をかけたわけ?」
 平坦な声。怒ってる?
「……だって、『未来』に帰る方法、わかんないし。この寒空で野宿するのやだし。お金もあんまり持ってないし。ちょうど、タカコさんにぶつかったし、さぁ」
 ぼそぼそと伝える。
「ねぇ、それって私に面倒見ろってこと? その時まで」
「だめ?」
 出来るだけ、哀れっぽく、短くたずねる。比較的人畜無害そうにみえる顔も、こんな時にはプラスになるだろう。
 しばらくの無言。そして長い溜息。
「拾った生き物は最後まで面倒見ろってことかぁ」


 ほだされた。捨て犬拾ったみたいなキモチになった。
 年頃の女一人暮らしの部屋に、初対面の高校生の男の子を招き入れるって、常識的に考えてナシだろう。わかっては、いるんだけど。
 明日からは長い年末休み。とりあえず予定はないし、突飛なこと言ってるけど、そんな悪い子でもなさそうだし……ああ、でも、やっぱり早まったかも。
「タカコさーん。卒アル見ても良い?」
 部屋の隅で本棚を見ていた充貴が顔だけふりかえる。馴染んでるし。
「良いけど。もうちょっと危機感持ったら?」
 帰れなかったらどうしよう、とか不安はないのか? 気楽すぎ。
「えぇ? だってタカコさんが面倒見てくれるんでしょ?」
 引っ張り出した卒業アルバムを開いて懐っこく笑う。
 えぇ? は、こっちのセリフだ。
「高校生の男の子、養うほど稼ぎないんだけど」
 本気で言ったのに、充貴はふきだす。
「タカコさん、いいなぁ。やっぱり」
「なにが」
 コーヒーを入れたマグカップをちょっと乱暴に充貴の前に置く。
「んー。あ、タカコさん見っけ。うわ、嵯峨センが若いっ」
「嵯峨先生、まだいるの?」
 授業もわかりやすく、比較的人気のあった担任の名前。なつかしい。
「いるいる。残念な感じに後退しちゃってるけどね」
 意味がわからず充貴をまじまじ見つめると、充貴は自分のひたいを指差す。
 その様子があまりに楽しそうでつられて笑う。
「そーなんだ。うわ、ちょっと今後同窓会とか楽しみだ」
 一緒になってアルバムを覗き込む。誰か企画しないかなぁ。
「そうだよね。うん」
 充貴は妙に生真面目にうなずく。
「なにが?」
「……あー。うん。帰った先で、おれもタカコさんに会うのが楽しみだよ」
 まっすぐに言われて、年取った自分を見られるのはちょっとイヤかもと思ったりした。


 楽しみだ、と言った。
 その言葉が、想いを強固にした。
「うわ。食料なんにもないわー。昨日充貴拾ったせいで買い物行き忘れたー」
 朝まで対戦ゲーム、とかイロケのかけらもない夜を過ごして。おなか空いたね、と顔を見合わせて。
「それ、おれのせい?」
「違うって?」
 まぁ、否定できないけどさぁ。
「コンビニ行ってくる。何が食べたい?」
 財布ひとつ手に、気楽な部屋着にコートを着込んで玄関に向かううしろ姿。
 二十四日、午前六時二十七分。
「おれも行くよ」
「別に、待ってて良いよ? 寒いし」
 お人よしっていうか、危機感ないのはどっちだよ。会ったばかりの男を部屋に招き入れた時点でもそう思ったけれど、その男を誰もいない部屋に残していくとか、びっくりする。
「行くって」
 ここで置いていかれたら、全てが無意味だ。
 コートをつかんであとを追う。


 固まる。
 車がつっこんでくる様子はスローモーションのように見えているのに、体はひとつも動かない。
 視界の端に充貴の驚く顔。そして突き飛ばされ、痛みとともに鈍い大きな音が響き渡る。
――
 一瞬、意識を飛ばしていたようだ。
 ちかちかする視界をまばたきを繰り返し、焦点を合わせる。
 散らばったおでんの具と出汁。
 そしてガラス片。コンビニに頭半分つっこんだ車。
「充貴っ?」
 姿が見えない。
 ……どこにも。


「ぅ、っー」
 どこが痛いかわからないが、痛い。……左足? 態勢を変えようとすると激痛が走り、つっぷす。やばい。地面にうつぶせたまま、とりあえず顔だけ動かし周囲を探る。
 散乱するガラスの破片と、視界の隅に思い切り良くコンビニにつっこんだ白いバン。
 肝心の突き飛ばしたはずのタカコの姿はない。
「戻ってきたのか?」
 痛みに顔をしかめながら、呟く。
 事故に遭って、その拍子に過去へ跳んで、そして同様にして帰ってきた、ということだろう。たぶん。
 叶ったのか……?
――――
「充貴っ」
 焦った表情。
 十七年分、年を重ねた。
「タカコさん。久しぶり」
 自分の感覚からすれば、まだ一日も経っていないけれど。
「カンベンしてよ。びっくりさせないで」
 病室に駆け込んできたタカコはぺたんと床に座り込む。
「事故が原因で過去に跳んじゃったみたいだねぇ。でも、まぁ、戻ってこられたし。クリスマスの奇跡?」
 生きていて良かった。奇跡は起こった。
 本当はこの場にはいなかったはずの人。
「なに?」
「んー。何ていうかさぁ。また会えてうれしい反面、ちょっと残念っていうかさぁ。昔のタカコさん、かわいかったし」
 軽くあたまをはたかれる。
「ゴメンナサイ。今でも充分ステキです」
「ばかね」
 笑う。あの写真に残されていたように。楽しそうに。左手の薬指にはめられたシンプルな指輪を見て、小さく息を吐く。
 これで書き換えできる。
 ずっと、たぶん好きだった。あの写真の人が、叔母になる。
 これで、きっと新しく誰かを好きになれる。

【終】




Dec. 2009