春神



「春一番かねぇ」
 モップの柄にあごをかけて昊(こう)は外を眺める。
 激しく打ち付ける雨風に、扉がゆらゆらとわずかながら開閉している。
「帰るまでに、すこしは収まるといいけどな」
 カウンターで頬杖を着いて章(あや)は眉をひそめる。
 確かに。
 せめて雨は小降りになって欲しいところだ。
 この調子では傘など役に立ちそうもなく、ずぶぬれで帰る羽目になる。
「章ー、ドア鍵かけちゃまずいかねー。こんな天気だし、どうせ客なんか来ないだろ」
 ぱたぱた動くドアがかるく鬱陶しい。
「天気が良くても客なんか来ないけどな」
 良く言えば閑静な住宅街のコンビニ。昼中ならまだしも日付が変わってしまったような夜間に客が来ることは稀だ。
「いくらホントのことでも、『浄声』が言うなよ」
 言葉を具現化するという章のもつ能力。とはいっても形式に則っていなければ、基本的には発動することはない。ただ、マイナス要因の言葉は避けるべきだ。
「でも、さすがに鍵かけるのはまずいんじゃないか」
 昊の苦言をさらっと聞き流して章は欠伸をする。
「コーヒーでも入れるかぁ」
 伝染った欠伸をかみ殺しながら、昊はモップを手近な棚に立てかける。
 ばたん。
 大きな音をたてて扉が開く。
 慌ててふり返る。
「ひっどい天気だねぇ」
 風にあおられてばたんとドアが閉まる。
「……なんだ、鷹間(たかま)か」
 客対応をしようとして姿勢を正した章がつまらなそうに呟く。
「暇だろうなーと思って遊びに来てあげたんだから、もう少しうれしそうにしろよー」
 髪についたしずくをはらうように鷹間はぶるぶると頭を振る。
「おまえは犬かっ」
 きれいにしたばかりのフロアが水滴と鷹間の足跡で汚れる。
「犬はおれじゃなくて昊の方でしょ」
 無邪気な笑顔で鷹間は言う。
 モップに手をかけた昊は一瞬固まる。
「……鷹間」
 どこまでわかって口にした言葉なのか。
 わざわざ確認するのもヤブヘビな気がして、昊は汚れたフロアにモップを滑らせる。
「鷹間、さっさと拭け。で、わざと歩き回るな」
 あきれたような顔をした章が奥からタオルを持ってきて鷹間に放りわたす。
「ごっめーん。足跡つけるのが面白くて、思わず童心にかえった」
 あまり反省してない風に鷹間は言うと、頭にタオルをかぶったまま、出入り口の足ふきで靴裏を拭う。
「わざとやってるだろ、オマエ」
 移動した分、また増えた足跡にモップをかけながら昊は苦々しく呟く。
「ワザトジャナイヨー……っぅわ」
 一際強い風にあおられて大きく開いたドアにぶつかりそうになり、鷹間は慌てて一歩退く。
「天罰だな」
 焦った様子が面白くて、昊は鼻先で笑う。
「やめろよー。昊が言うとホントにそれっぽいじゃないか。章ー、おまえ、使鬼のしつけはちゃんとしとけよ」
 子どものようにむくれる鷹間に何も言わず、章は微妙に視線を違うほうに向けている。
「章?」
 少々困ったような表情の章は、何故か諦めたように口を開く。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。ひどい天気ね」
 唐突にわいた、かわいらしい女の声に昊はふり返る。
 さっきまで鷹間が足を拭いていたマットの上に十六、七歳くらいにみえる少女が笑みを浮かべて立っていた。
 いつの間に。
 と、思いかけて昊は章の表情を思い出し得心する。
 本人も言ったとおり、ひどい天気にも関わらず、少女はひとつも濡れていない。
 つまり、そういうことだ。
「鷹間はホントにトラブルメイカーだねぇ」
 本人に自覚がないのが逆に性質が悪い。
 案の定、鷹間は怪訝そうに昊を見返す。
「人聞きが悪い。っていうか、何?」
「トラブルって私のこと? 失礼ねー」
 わざとらしいふくれっ面をした少女はきょろきょろしている鷹間を指差す。
「この子、ものすごく鈍いの? 声は聞こえてるみたいだけど」
「それ、『天承(てんしょう)』だから。佳き者を見ないようにしてるんだよ」
 神の声を聞くとされる天承はその姿を見る能力に欠ける。拝するのは不遜である、ということらしい。
「人間じゃない気配がすると思って覗いてみたら……ねぇ、使鬼と天承の組み合わせってちょっと妙じゃない?」
 昊と鷹間をそれぞれ指差して少女は不思議そうに訊ねる。
 さすがに詳しく知っているようだ。
 昊はため息をつき、章に顔を向ける。
「俺の主人はあっち。章、鷹間が鬱陶しいから見えるようにしてやれよ」
 ここで乗らないと、完全置いてきぼりにされるといわんばかりに鷹間が口を挟む。
「章! のけ者にするな! おれも仲間にいれろー」
 我関せずとカウンター内でいつの間にか本を読んでいた章はめんどくさそうに眉をひそめる。
「《みおやの許しのまま、閉ざしはらえ》」
 一拍の後、ささやくような章の声がとおる。
 目を瞬かせた鷹間が少女を見つけてにこりと笑う。
「こんばんは」
「かわった天承ね。で、そちらは『浄声』? 居るところには居るもんなのねぇ。こういう人間はもう絶滅したのかと思ってたけど」
 鷹間と章を物珍しげに見る。
「割と人間はしぶといよ」
 昊は苦笑いする。
「うん。それは知ってる。でも、天承や浄声のような人間が生きていくのには難しいご時世じゃない?」
 少女のしみじみとした言葉に鷹間は笑う。
「確かに。浄声はともかく、天承の必要性は薄いよね。人は、要求を通すことに必死で、聞く耳なんか持ってないし。ま、おれはもう俗世にまみれてるから天承とは言い難いんだけど。ということで、聞いてもいいかな? あなたは『何』ですか?」
「ほんと変な子ねぇ。浄声の子は一目でわかったみたいなのに」
「章みたいにきちんとしたのと一緒にしないでよ。さっきも言ったとおり、おれはあくまでも一般人だよ」
 あっけらかんとした鷹間に少女は笑みをこぼす。
「私はウグイスよ」
 遠まわしな答えに鷹間は首を傾げる。
「鶯? うぐいす……うぐいす嬢じゃないよね。たしかに可愛い声だけど。……あぁ、春告げってことかぁ。春の神様……うん。良いね。春は女の子って感じだよね」
 無邪気に鷹間は言う。
 間違ってはいない。
 たしかに、少女は春を連れてくるものであり、神と言っても過言ではない。
 だからこそ、いくら見た目が少女でも、ずっと長い刻を巡っている相手に対して、もう少し口の利き方があると思うのだが。
 幸い、少女は気を悪くしては居ないようだが、唖然としている。
 章、何とか言ってやれ。
「ずいぶん乱暴な初鳴きだよな」
 春一番のことを言っているんだろうが……それもちょっと違うし、失礼極まりない。
 このところ睡眠時間が最低だったから、いつも以上に頭がはたらいてないにしても、ちょっとひどい。
 さすがに申し訳なくなって、少女にかるく頭を下げる。
「冬将軍を吹き飛ばすにはあれくらいじゃないとねー。天承だけじゃなくて浄声もちょっとおかしな子ね」
 けらけらと笑いながら、少女はおもしろそうに二人を眺める。
 否定出来ない。
「申し訳ない」
「いいじゃない。天然な天承と浄声に苦労性の使鬼。おもしろいから『冬』と『夏』にも伝えておくわ」
 春の少女は愉しそうに言う。
 それはめんどくさいので止めて欲しい。
「じゃ、そろそろ行くわ。またね?」
 来た時と同じくらい唐突に少女は消える。
「行っちゃったねぇ」
 いつの間にか風は止み、雨も弱くなっている。
「これで暖かくなりそうだな」
 のんびりという二人に昊は深々とため息をついた。
 できれば人間のお客様に来て欲しいものだ。

【終】




Mar. 2012
関連→連作【神鬼】