「海が見たい」
助手席からの声。
相手の顔を見ることもせずに返事をする。
「一人で行け」
「つめたいなぁ」
やかましい。
隣に座ってるのが、かわいい女の子なら勇んで行くが、十年以上も悪友やってる男の言葉などに耳を貸すか。
ってゆーか、一緒に行って何が楽しいんだ?
シーズンオフの海辺で男が二人。
想像するだけでもウツクシクない光景だ。
まだ水着があふれている真夏の砂浜だったら理解できるし、当然、目の保養のために喜んで付き合うが。
「で、何で海よ? 突然」
拗ねたフリをしてそっぽを向いている相手に尋ねる。
男がやっても、全くほだされないぞ。そんな姿。
信号が黄色から赤に変わりブレーキを踏み助手席に顔を向ける。
愛嬌のある大きな目が真剣にこちらを見つめている。
「察しろよ。すこしは」
そ、れは。どぉいう……?
妙にしっとりと太ももに手を乗せられる。
ぞわぞわぞわ。
へんな寒さが背中をはい上がる。
ブゥゥ。
後続車のクラクションの音で我に返り、信号を見るととっくに青に変わっている。
慌てて発進させる。
つまり何か。そういうことか? 知らなかったぞ。友達だろ。そうだろ。今までそんな素振りなかっただろ。いや別に、良い奴だとは思ってるけども、それとこれとは違うというか、何それ、聞いてないし、そんな急に、どうしたら良いんだよ。あれか。気付かなかったことにしてスルーするのが正しいのか。
とりあえず、ハンドルを堅く握り、運転に集中する。
「く、っく」
隣からのどが鳴る音。
いぃやぁー。
なんですかっ。こえぇぇ。
得体の知れない生き物を乗せてしまったのか。
音はだんだん、げらげらという笑い声に変わる。
……?
「なんて、顔してんだよぅぅ」
笑いが混じりっぱなしの声。
……ぁあん?
くーそったれ。
からかいやがったな。
「おりろ。今すぐ、おりやがれ」
車を歩道に寄せ停車する。
「いやーん。そんなご無体な」
こりてねぇ。
お世辞にも良いとは言えない目つきをさらに険しくして睨み付ける。
神妙な顔で指を組み、小首をかしげる。
可愛くないぞ、ぜんぜん。
「傷心のおれの話を聞いてくださいな」
「海でか?」
とりあえず発進させることにして、まだ声に棘を含ませたまま応える。
こんなヤツ、無視すればいいのにつき合いが良いな、オレも。
「ほら。やっぱり青春の象徴といえば海でしょ」
夕日に向かって『ばかやろー』か?
いったい何十年前の青春映画だ。
蹴りおろすべきだったな、やはり。
さっきから話がちっともすすまない。
なんで、こんなんと十年も付き合ってるかね。オレ。
「一人でやってろ」
「海でなくていいから、聞いてくんなさいよ」
誰も言うななんて言ってない。さっさと言え。
いちいちつっこみを入れる気も失せる。
「大切なものをなくしたのです」
しょんぼりと肩を落とす。
「そら、ごしゅーしょサマで。なにを?」
いまいち、心がこもらなかったが気にはしてないらしい。
悄然と答えが返ってくる。
「ノートパソコンのアダプター」
どうして、そんなモノをなくす。
「それも極めつけに言って良いでしょうか」
どーぞ?
「悪いことにそれが、先日貴方様から借りたモノだなんて……どーして言えましょう」
ワケのわからん言い回しで煙に巻こうとしてるのか?
が、コトは単純明快。
「オレのパソコンのアダプターをなくした、だぁ?」
「実はより正確に言うなら壊した?」
きーさーまーはー。
反省という言葉を脳に刻みつけろっ。
そして申し訳なさという態度を身につけやがれ。
「どーやって、あんなもん壊すんだっ」
首でも締めたいが、あいにく運転中だ。
ち。
「今日返そうと思ってさぁ、昨日、会社に行く前に車に載せておいたんよ、忘れないように。さぁ、で、アダプターを落としたらしいのよ。車に乗せる時に」
こっちの焦りをよそに淡々蕩々と話し続ける。
なんとなく、先の予想がついてきたが黙って続きを待つ。
「気づかなくてさぁ。タイヤ、がくんってしたんだけど。朝は忙しいし~。気にせず出社。そして一日真面目に仕事。パソのことなどすっかり忘れて夜帰宅」
口調がだんだん楽しそうになってきている。
あぁ、縁切りたい。心底。
「駐車場、バックで入れて、またがくん。おりて見たらひしゃげたアダプター様がお亡くなりになっておりました。不幸な事故でした。合掌」
手を合わせる。
「おれってば、小心者だからなかなか言い出せなくて。高遠? 叫びたくなったでしょ? やっぱり、海行く?」
……行かねぇ。
May. 2002