Garrulous flowers



「あなたのことが、好きです」


 カノジョが目の前で告白されていた場合、カレシとしては、どういう態度をとるのが正しいのだろうか。
 当のカノジョは満更でもなさそうな笑みを浮かべ、相手と目線を合わせている。
「ありがとう。うれしいな」
 やわらかな声が、自分のところまで届く。
 社交辞令だとしても、この返事はどうかと思う。
 どうかと思いつつ、わりこみもせず、ものかげで様子をうかがっている理由のひとつは告白してるのが小学生だからだ。
 カノジョはおれのだ、なんて小学生相手に大人げないったら。いや、自分の性格的に、大人相手でもそんなこといえないか……なにより、自分の『もの』なんて言ったら、カノジョは不機嫌になるくらいではすまない。それが一番怖い。
「本気です」
 軽くいなされたと感じたのか、小学生は少々むっとしている。
「うん。冗談だとは思ってないよ。でも、残念ながら私も女なんだよね」
 ショートカットにスレンダーな体型、格好も女らしさとは真逆なので、一見男のように見えなくもない。
 対して、小学生はひらひらフリルたっぷりの、お人形のような服装で、一目で女の子とわかるかわいらしさだ。
「そんなこと、わかってます!」
 少女は意外なことをきっぱりと言い放つ。
「三隅夏葉さん。西山大学 英文科 二年。笠間町のアパートで一人暮らし」
 小学生でストーカーかよ。
 カノジョこと、夏葉は目を丸くしている。
 いくらなんでもこれは間に入るべきか。
 動こうとしたところを、少女が鋭い視線をこちらにぶつけてくる。
「残念なことに、男の趣味があまりよくないと思います。あんなヘタレのぞき男より、私のが将来有望、お買い得です!」
 ずいぶんな言い種じゃないか? いくら小学生でも、初対面の相手に言って良いことと悪いことの区別ぐらいつく年齢だろう。
 しかし夏葉はそれを聞いてくすくすと声をたてて笑う。
「そこまできっぱりはっきり言われるとそうなのかなぁ、ってちょっと思っちゃうね。そっか、私は趣味が悪かったのか」
 おーい。フォローをしてくれ、フォローを。
「そういうところもひっくるめて夏葉さんのことが好きです!」
 夏葉はひとしきり笑ったあと、少女に向き直る。
「えぇと、お名前は?」
「美緒乃です。橘美緒乃」
「じゃ、美緒乃ちゃん。将来有望で、あなたみたいなかわいらしい子に好きって言われたのは本当にうれしいんだけどね。自分の好きな人を悪く言われるのって、気分良くないな。いくらそれが事実でも」
 フォローになってない。全然。これっぽっちも。
 少女はすこし視線をおとし、しかしすぐに顔をあげる。
「わかりました。もう言いません。だから、また声をかけてもいいですか?」
「もちろん」
 その言葉にほっとしたような顔をすると、ぺこりと頭を下げてから踵を返し、立ち去る。
「そこのヘタレのおにーさんは、いつになったら出てくるんですか?」
 少女の姿が見えなくなってようやく振り返った、夏葉のからかうような声に、眉をひそめる。
「営業妨害だよね。店先でさぁ」
 抱えたままだった紫陽花の鉢植えをおろす。
 まじめに働いてる人間つかまえてヘタレとか、どうなんだ。
「小学生と一緒になって人のことこき下ろすしさー。だいたい、小学生の告白を邪魔しちゃ悪いかなぁっていう大人の配慮だったのに、覗き呼ばわりされるし」
「配慮だったんだ?」
 びっくりしたように聞くなよ。
「他に何があるんだよ。小学生女子に怯えて出て来れないとか思ってたわけ?」
 だいたいあなたもバイト中なんだから、働いてくださいよ。
「それにしても今時の小学生ってすごいねぇ。どこで情報仕入れてくるのかな」
 夏葉はさらりと話をかえる。
 さては、そう思ってたな? そこまでヘタレじゃないぞ、いくらなんでも。
「夏葉が気付かないうちにストーカーされてたんじゃないのか? で、どうすんの」
「どうするも、何も。……そのうち飽きるでしょ」
 かるく言うと、夏葉はにんまりと笑う。
「大丈夫。陽介からあの子に乗り換えたりはしないから」
 夏葉は言い逃げする。
 掃除をしに外に出て行く背中に何か言い返したかったけれど、結局ため息だけがこぼれた。


「いらっしゃいま、せ」
 いつも元気で感じが良いと評判の挨拶が尻すぼみになった。
「なに、お客に対してその態度。プロ意識が足りないんじゃないの?」
 昨日とはまた違う、しかしやっぱりフリルたっぷりの服を着た少女が小ばかにしたように指摘してくださる。
 口ばっかり達者なコムスメめ!
「失礼しました。お客様。何かご入用ですか?」
「夏葉さんは?」
 今日は休み、と言いたいところだが、この少女のことだ。夏葉のシフトをつかんでいるのかもしれない。
 実際、本来であれば今の時間は夏葉が入っている時間だ。
 仕方なく本当のことを口にする。
「あと三十分くらいで来ますよ。……よければ、使ってください」
 邪魔にならない位置に、折りたたみの椅子を広げてやる。
 少女はすこし驚いたようにこちらを見上げる。
「……あなた、お人よしね」
「それはどうもアリガトウゴザイマス」
「褒めてないわよ」
 少女は、椅子に座りながら呟く。
 知ってる、それくらい。が、他に答えようがないだろーが。
「良い人、なんて物足りない、の代名詞みたいなものなのに。夏葉さんの趣味ってホントにわかんない」
「本人目の前に悪口言わないで頂けませんかね」
 花がらをつみながら、一応、少女の相手をする。
「正面きって言わなきゃ、ただの陰口じゃない。それに、事実だし」
 正論なのか?
「あ!」
「おそくなりましたっ」
 エプロンをかけながら店に出てきた夏葉を目ざとく見つけて、少女はあわてて立ち上がる。
「夏葉さんっ、こんにちは。お仕事中に来ちゃってゴメンナサイ」
 さっきと打って変わってしおらしい。
 夏葉も先手をとって謝られてしまい、苦笑いをうかべている。
「どうしたの、美緒乃ちゃん」
「お父さんの仕事の都合で、急に海外に行くことになったの。それで、夏葉さんにこれを渡したくて」
 肩から提げていたかばんから、小さな包みを少女は取り出し、夏葉の手の上で広げる。
「種?」
 隣からのぞくと、確かに種だ。
 大きさは、ひまわりの種くらい。でも、しましま模様ではなく、水玉模様だ。
「これ、シアワセの種なんです。枕元に置くと良い夢が見られるって。私だと思って、夏葉さんのそばにおいて育てて欲しいですっ」
「うん。わかった。ありがとう。大事にするね……んーと。じゃ、これ。お礼代わりにもならないけど」
 携帯から小さなクマのついたストラップを外し、少女の手に乗せる。
 少女ははにかみながらお礼を言うと、大事そうにかばんにしまいこみ、今度はこっちを見る。
 なんだ。最後の文句か?
 少女は握ったこぶしをぐいと差し出す。
「あなたにも、あげる。仕方ないから」
 手のひらに落とされる種。
「ありがとう」
 残念ながらお礼にあげられるものはないし、第一、残るようなものをもらってもうれしくないだろう。一応、恋敵でもあるわけだし。
 売り物の花を一本抜き出し、茎を短めに切ってセロファンで包む。
「お礼。気をつけてな」
 サーモンピンクの薔薇を受け取った少女はぷいと横を向く。
「夏葉さんを譲ったわけじゃないんだからねっ」
 ぱたぱたと少女は店を出ていってしまう。
「陽介はずるいよね?」
 夏葉の冷やかな視線から目をそらす。
「ちゃんと花代は払うって……種、植える?」
 まだ文句を言いたげな様子を察して話をかえると諦めたようなため息がかえる。
「……裏にある鉢、使って良い?」
「おれの分も適当に持ってきて」
 そして鉢に種を蒔く。
 どんな花が咲くのか、ちょっと楽しみだった。


「んん。ぅるさ……」
 無視しきれない、耳元でささやくような声に起き上がる。
『わかれろー。わかれろー』
 灯りをつけて、声の元を探す。
 開けっ放しの窓から聞こえる外の声かと思ったらもっと近い。
 サイドテーブルの上。
 置いてあるのはペットボトルの水。
 そしてこの間、まいた種から咲いた花の鉢植え。
 ひまわりとガーベラを足して二で割ったようなかわいらしいオレンジの花が風にそよそよ揺れる度にきれいな音で物騒な言葉を奏でる。
 花がしゃべるなんて、なんてファンタジーな。
『わかれろー。わかれろー』
 しかし内容が至極そぐわない。これはダメだ。がっかりだ。
「どんな仕組みだよ」
 生長過程は普通の花と何等変わりなかったのに。
「睡眠学習か?」
 枕元に置けとか言っていたから、あの少女はこのことを知っていたはずだ。
 とりあえず窓を閉め、適当な箱をかぶせて、風を遮断してやると花は大人しくなる。
「……寝よ」
 

「おはよーございますー」
 くたびれた声で夏葉が入ってくる。手には、鉢植えの花。夏葉の動きに合わせて揺れる花は『だいすきー。だいすきー』と囁いている。
 『別れろ』と呪いの言葉を吐かれるよりはマシな気もしなくもないが、鬱陶しいことにはかわりない。
 げんなりとため息をついたところに、元気な声が割り込んでくる。
「夏葉さんっ! ただいまっ!」
 小さな体が夏葉に抱きつく。
「海外行ったんじゃないのかよっ?」
 諸悪の根源め。
「行って来たわよっ。……夏葉さんに会えなくてさみしかったぁ」
 呆然としている夏葉に抱きついたまま少女は言う。
 あの様子で海外行くって、少なくとも年単位だと思ってたんだが。十日くらいか? 居なかったの。
「夏葉さん、夏葉さん。花、持ち歩くほど大事にしててくれたなんて嬉しい。これ、お土産ですっ」
 カウンター上の花を見つけて、一方的にうきうきとまくしたてた少女は夏葉からようやく離れる。
 差し出した、その手のひらにのるのは球根ひとつ。
 

 球根から咲いた花も、よくしゃべった。
 外国土産の花なのに日本語をしゃべるのはどうも解せない。
 もう一つ解せないのはそれらが何故かうちのベランダに定住していることだ。
 しぶとく咲きつづけるガーベラひまわり二輪と、新入りの百合似のチューリップ一輪は、今日もそよそよと好き勝手に囁き続けている。

【終】




May. 2012