Dimple



 疲れた。
 毎日、毎日。
 目新しいことなどなく、
 ダイレクトメールしか食べさせてもらえないサミシイ郵便受けの中身を取り出し部屋の鍵をかばんから探る。
 クセになってる動作。
 ドアを開け、手探りで灯りをつける。
 玄関においた姿見に映った自分に溜息をつく。
「くたびれてる、なぁ」
 今日もよく働いた証拠だよねぇ、と自分を慰めつつ靴を脱ぐ。
 ワンルームの狭い部屋。
 かばんをベッドに放り、やかんをコンロにかける。
 カップにインスタントコーヒーを適当に入れて湯が沸くのを待つ間、とってきたダイレクトメールを眺める。
 セールのはがき。
 ピザ屋のチラシ。
「めずらし」
 ダイレクトメール以外のモノが混ざっている。
 往復はがき。
 ≪西中 三年七組クラス会のお知らせ
 卒業式から早十年。
 皆さま、どんな道に進んでいるでしょうか。
 何はともあれ、懐かしい想い出も語りつつ、楽しい時を過ごしませんか?≫……云々。
 懐かしいが、十年って言う響きはあまりうれしくない。
「幹事、誰よ」
 返信の宛先を見る。
―― 伊澤 克司
「……誰よ?」
 全く覚えのない名前。
 ぴーぴー文句を言うやかんを火から外し、勢いよく飛び出す湯をカップに注ぎながらも考える。
 が、思い当たらない。
 若年性健忘症に拍車がかかってるな。
 沸きすぎたコーヒーを口に運ぶ。
 裏返して往信の宛先を確認してみる。
――三沢市坂居三丁目5 スカイハイツ202号
―― 佐藤久美子 様
 間違いハガキだったら、バカみたいだ。と思ったのだが、住所も名前も確かにうちだ。
 ま、思い出せない名前の一つや二つくらいあってもおかしくないか。
 会いたい友達も何人かいる。
 出席に○をうって、カレンダーにも予定を書き込んで久しぶりに楽しいキモチになった。


「あーっ、佐藤さんでしょっ。佐藤久美子ちゃんっ」
 居酒屋に足を踏み入れて早々、入ってすぐの座敷に陣取っているグループの一人が指をさして叫んでくださる。
 既にけっこう呑んでるようだ。
 テーブルにはいくつかの空いたグラスや、皿がのっている。
 どーこの酔っぱらいだ?
 表情がしっかり出てたのだろう、その青年――と言っていいのか? 同年代のオトコって――は苦笑いする。
「げ。そんなに印象薄い~? 伊澤だけどぉ」
 イザワ、イザワ。どこかできいた覚えが……。
「あ」
 ぁ、幹事の。……しかし顔見ても思い出せない。
「思いだしてもらえたようで。なによりっ」
 とりあえず相手の勘違いを良いことに空いてる席に座り飲み物をオーダーする。
 が、周囲にいる人の顔が誰一人判らないのって重症だ。
 間もなく運ばれてきたジョッキに手をのばす。
 居心地の悪さをごまかすように半分ほどを呑みほす。
 どっかに知った顔はないかぁ。
「……がせネタだったんじゃん?」
 斜め向かいに座ったオンナノコ――って言って良いのか? 二十も半ばのオンナを――が隣のオンナノコに小声で非難がましく言う。
 とりあえず目線だけで何のことか伊澤氏に促してみる。
「いや、鳥羽がね、久美子ちゃん、亡くなったって聞いてるなんてさっき言い出してさぁ」
「本人目の前にして言うかなぁ、伊澤」
 眉をひそめて伊澤氏を睨んでから鳥羽嬢はこちらに手を合わせる。
「ごめんね、悪気があったわけじゃないの。又聞きだったからどっかで変な話になっちゃってたみたい。……でもさ、佐藤さんキレイになっちゃっててびっくり。昔はさぁ、大人しくて目立たない感じだったじゃない?」
 いや、そうでもないかと。
 いろいろ、やらかしたし……。
 話題を変えよう。
「ミサキとかって今日来ることになってる?」
 仲の良かったコの名前を挙げる。
 伊澤氏と鳥羽嬢は顔を見合わせる。
「誰って?」
「三谷美咲とか、高野かおりとか……え?」
 不審気な二人の顔にコトバを止める。
 いやぁな、空気。
「あなた佐藤久美子さん、よね?」
「免許証でも見る?」
 大体そっちの伊澤氏が一目見て、名前と顔を一致させたんじゃないか。
「西中?」
 うなずいて付け足す。
「北崎西中」
「……あのさぁ、言いにくいけど私たち細山西中なの」
 申し訳なさそうな顔をして言われる。
 細山というと同県の別市だ。
「すっごい偶然よねぇ?」
 確かに。
 同姓同名の同年生まれのところにたまたまクラス会の葉書が届くのはどのくらいの確率なのだろう。
「伊澤さぁ、どーやって佐藤さんの住所調べたの?」
 私もそれは知りたい。
「電話帳。三沢で一人暮らししてるって言うのは以前に聞いたことあったからさぁ」
 偶然に呆然としているのか、脱力したように伊澤氏は言う。
「でも私、電話帳に名前載せたことないですよ?」
 勧誘電話とかうっとうしいし、物騒だしで一人暮らしを始めてから一度も載せたことない。
「え、でも。おれが調べたのは確かに昔の電話帳だったけど、ちゃんと載ってたよ?」
「……ってことは、つまり私たちの知ってる『佐藤さん』のあとにたまたま佐藤さんが入ったってコト?」
 ますます、すごい偶然だ。
「不思議なんですけど。伊澤さん、私のこと見て『佐藤さん』ってすぐに言ったじゃないですか。似てたんですか、私と」
 クラス会とは無関係の客も入ってるのだ。
 にもかかわらず、関係者だと決めつけて名前も言い当ててしまうほど。
「雰囲気はねぇ、そうでもないって言うか。佐藤さん、大人しかったし。でも、ほら。えくぼがね」
 えくぼ?
 生まれてこの方、えくぼなどとは縁がないですが。
「ちょっと笑みが浮かんだときとかね。表情がゆるんだ時の表情がそっくりなの。えくぼが印象的だったから、佐藤さん」
 鳥羽嬢がそれこそ印象的な笑みを浮かべる。
 混乱。
「でもさぁ、ってことは鳥羽が言ってたコトってホントだったんじゃない?」
 亡くなったって言うヤツですか?
「けっこう具体的に聞いてたのよね。風邪こじらせてひとりで亡くなってたって」
 聞きたくなかったなぁ、そういうことは。
 その家に帰らなきゃならないんだから。
「……ごめんなさい、ちょっとお手洗い」
 断って、席を立つ。


 誰もいない化粧室の鏡の前。
 疲れた顔を動かし笑ってみる。
 が、やはりいつものようにえくぼなんかできない。
 伊澤氏たちは何かを見間違えたのか。
 肩をぐるぐる回して気を取り直す。
 鏡の前を離れたとき、誰もいない化粧室で人影が動いた気がした。
 えくぼのオンナノコ。
 振り返っても、ちょっとびくついた自分の顔が鏡の中から見ているだけだったのだけれど。


「折角来たんだし。一緒に呑もーよう」
 と言う伊澤氏の社交辞令を辞退して家に帰る。
「つっかれた」
 ベッドにどすんと倒れ込んで天井を眺める。
 この部屋に住んでいた誰か。
 ここで亡くなった、誰か。
 同じ名前の、顔は知らない誰か。
 寝返りをうつ。
 丁度正面にあるドレッサーに何故か目がいく。
 一瞬気のせいかとも思ったのだけれど。
 鏡の中に小さく手を振って存在を誇示している少女が見える。
 幽霊?
 それとも疲れすぎてみる幻影?
 ……見なかった振りをしてふとんを被ってしまうのもかえってコワイ。
 ドレッサーに近づく。
 やはりイヤににこやかな少女が鏡の中にいる。
 口元にはえくぼ。
「佐藤、久美子さん?」
 おそるおそる尋ねる。
 笑みを深くして少女はうなずく。
『はじめましてぇ』
 それに幽霊にあるべきだと思われる恨み辛みというか暗さは欠片ほどもない。
 そのことを有難く思う反面、ちょっと間違ってるように思うのは勝手な言い分だろうけど。
『ちっとも驚かなくってちょっとつまらないー』
 それも勝手な言い分だな。
 あまりにも明るい様子にこっちの警戒心も吹き飛ぶ。
「で? この世になんか未練でもあるの? 私に何かしろって?」
 幽霊と同居って言うのはあまり有難くない。
 いくら存在が見えないにしても。
 さっさと出来ることはしてやって、成仏願うのが一番だ。
『何で幽霊って言うと未練があるって思うのかしら。成仏できないのなんてさぁ、私のせいじゃないのに』
 呆れたように少女は言う。
「じゃあ、成仏せずにいるのは何故よ?」
 かわいげのない妹を相手にしているような気分になる。
『知らない。どうやって成仏したらいいかなんてわかんないもん』
 ほほをふくらませてぷいと横を向く。
「ホントにあなた、細山西中の佐藤久美子さん?」
 確か、伊澤氏たちは大人しいと評していたような?
 とてもそういうタイプには見えない。
 それならたまたま、これも同姓同名の別人と言った方がしっくりくる気がする。
 偶然の大安売り。
『こう見えても中学までは大人しかったのよ。伊澤くんだって私のこと見てすぐ私だって判ったじゃない』
 思考が読めるのか、表情から読みとってるのか判らないがずいぶんこちらの考えなど見通してくれる。
 ……むぅ。
「ってことは、伊澤氏たちには私の顔じゃなくてあなたの顔が見えていたってコトぉ?」
 乗り移られていたみたいであまり気分は良くない。
 いくら悪気がなさ気だとは言っても。
『っていうより、二重写しで見えてた感じだと思うよ。ベースはあなたなんだけど、えくぼが見えちゃったりとか』
 なるほどねぇ。
 ……いや、そんなことはどうでも良い。
 話が逸れてきてる。
「で、何の用だったの?」
 おそらく今までずっとこの部屋に棲み付いていたにも関わらずコンタクトを取ろうとしたこともなかったようなのに。
『そうそ。お礼を言おうと思って』
 少女はぱん、と手を打つ。
 お詫びなら判る気もするけど、お礼?
 こちらの不審気な顔を見て困ったような笑みを浮かべる。
『だからね、懐かしい顔に会えたから。ここに住んでるのがあなたじゃなかったら会えなかったから』
 あ、かわいい。
 なんとなく、伝わってくるモノ。
「伊澤氏のこと、スキだったの?」
 で、今でもスキなの?
 ことばにしない声はきっちり通じたらしい。
 少女は満面の笑みを浮かべる。
『ちがうよぉ。確かに中学の時はスキだったけどね』
 会えたってコトでお礼を言うほどうれしかったのに?
『だからさぁ、あの時のそういうキモチを持ってたっていう可愛らしい自分を思い出せてうれしかったの』
 そんなものでしょうか。
 でも。
 確かに、あの当時のような純粋にスキというキモチは持ちにくくなってる気はするから。
 私は再会した時、何を想うだろう。
『顔を見たらね、やっぱりスキだと思った。なぁんて、ステキな展開にはならないモノね、やっぱり』
 そんなキモチになるのを期待してたのか?
「そんなキモチになっちゃったら未練残っちゃうじゃない」
 苦笑を浮かべてしまう。
『どうせ成仏できないなら未練を持つのも良いかと思ったんだけどぉ』
 少女もどこかホンキじゃない口調で言って苦笑する。
『だからね、ありがとうなの。……じゃ、ばいばい』
 唐突に話を打ち切って少女は手をあげる
「って、どこにいくの?」
 成仏もできないクセに。
『さぁ? なるようになるんじゃない? 今までどーり。変わらない毎日を過ごすよ。そのうち成仏できるかもしれないし、もしかしたらずーっとこっそりココにいるかもねぇ』
 こっそりじゃなくて。
 ここにいても良いのに、と思う。
 結構、気に入っていた。
 悲壮感の欠片もない幽霊のことを。
『ありがとぉ』
 えくぼ付きの笑みを残して少女は鏡の中から消える。
 あっさりと。
 そんなところも、らしいのかもしれない。
「こっちこそ、ありがと」
 見えない同居人に呟く。


 朝。
 通勤前。
 玄関の姿見の前で笑みを浮かべる。
 あの幽霊にあやかって笑みを絶やさずにいくことにしよう。
「行ってきます」

【終】




Nov. 2001