confession



 いないだろうとは思いつつ、どうせ通り道なので一応職員室を覗く。
 何人かの講師がコーヒー片手に休憩しているが、やっぱり目当ての人の姿はない。
 そのまま廊下を進み、突き当りの非常口のドアを開け、外階段に出て半階分降りる。
 そっと降りてきたつもりだけれど、足音で気が付いたのだろう。
 二階と三階の間の狭い踊り場にいた先生は顔を上げてこちらを見た。
「どうかしましたか?」
 授業中と変わらないやさしい声音。
 踊り場より一段上の段で立ち止まる。
 そうすると身長差がちょうどなくなるくらいで、目線がまっすぐ合う。
「授業で何かわからないところがあった?」
 手にしていたテキストに目を留めた先生に首を横に振って否定する。
 これはカモフラージュでもってきただけだ。
 塾講師とは言っても暗がりに生徒と二人でいたら問題にされかねない。
 テキストを持っていれば不明点を聞いていたという最低限の言い訳は効くだろう。
「先生。結婚してください」
 鳩が豆鉄砲くらった、っていう表現はこういう時に使うんだろうなっていう表情を先生はした。
 しばらく呆然と固まって、そして何度か目をしばたかせた後、苦笑いをする。
「告白は何度かされたことあるけど、プロポーズされたのは初めてだな」
「私、本気です」
 はぐらかされそうなので、念押しをする。
「わかってるよ。別に冗談だとは思ってないよ。でもね、津川あかねさん。なんで僕なんでしょう。僕はただの代理講師で、ここに来てまだ四日で、直接話したのは今が初めて。ちがいますか?」
 名前フルネームで覚えてくれてる。
 別に自分に限ったことじゃないんだろうけれど、短期間の代理講師にしては真面目だ。
「一目ぼれです」
 先生にまっすぐに目を見つめられ、思わずそらす。
「そこからプロポーズへ行くには飛躍がありすぎじゃないですか?」
「……先生、かっこいいから。のんびりやってたら他の人にとられちゃう、と思ったから。……私、結構条件良いと思いますよ。お父さんは社長だし、一人娘だし、お買い得です」
 大会社、とはいはないまでもほどほどの大きさで、それなりに景気は良いと聞いている。
「そう」
 先生はうっすらと笑う。
「ダメですか? もちろん、今すぐどうこうじゃなくて、結婚を前提にお付き合いってことで」
「僕、好きな人がいるので」
 付き合っている彼女ではなく、好きな人って言い方が態のいい断り文句にみえた。
「どんな人ですか!」
「自分のこと、お買い得とか言わない人。次の授業があるので行きますね」
 時計にいったん目を落とし時間を確認すると、先生はもうこちらを見ずに立ち去った。


「先生」
「津川さん、またあなたですか」
 あきれたような表情だけれど、そこに拒絶の色がなかったので昨日と同じように先生とちょうど目線の合う段に立つ。
「先生は何歳ですか?」
「歳も知らない相手にプロポーズするのはどうかと思いますよ? 二十三歳です」
 思ったより若い。
 別に見た目が老けているわけではないけれど、物腰というか雰囲気が落ち着いていて、もっと年長だと思ってた。
 そういえば、『先生』が後輩だって言っていた気がするから、そんなものか。
「うちの塾に来る前は何をやってたんですか?」
「高校の教師です。津川さん、なにを焦っているのか聞いてもいいですか?」
 今更な問いに真面目に答えた後、先生は静かな声を向ける。
「焦ってる?」
「僕にはそう見えますけど、違いましたか? あなたの年齢なら結婚を急ぐ必要もないですよね」
 確かに高校生の今、結婚しようとする子はそれほど多くはないだろう。
 別に私だって今すぐに結婚したいとまでは思っていなかった。
「それは、だから。先生が誰かほかの人と付き合っちゃうのを防ぐために」
 言い訳なんて、考えてなかった。突っ込まれるとは思ってなかった。
「まぁ、インパクトはありましたけどね。普通、あんなこと言われたら逆効果ですよ」
「先生は、好きな人には言わないんですか?」
 話の逸らし方があからさまなことは気づいているはずなのに、先生はそれには触れずにいてくれる。
 めんどくさい生徒相手に、やさしいな。
「言いません。困らせることはわかってますから」
 遠くを見つめる表情が、すごく優しい。
 好きな人がいるっていうのは方便じゃなくて、事実だったのかもしれない。
 大事にしているのが、伝わってきた。
「好きなのに?」
「僕は一週間限定の代理講師ですから、後腐れなく愚痴るのには最適な相手だと思いますよ」
 質問には答えず、どこか見透かしたような笑みを浮かべて、先生は階段を上っていった。


「先生」
「どうしました?」
「好きな人を困らせるのって、やっぱりダメなのかな」
「あぁ、昨日の話ですか? 別にかまわないんじゃないですか。僕がそうしないのは、相手のことを慮ってというよりは僕自身に理由があるからであって、津川さんがそれに倣う必要はないと思いますよ」
 穏やかな声で答えてくれる。
 単なる塾の生徒相手、それも先生はただの代理だというのに真面目に対応する。良い人だ。
「先生って、なんか全部お見通しって感じ。エスパー?」
 冗談半分、半ば本気で言うと先生は声を立てて笑う。
「まさか。そうだったら良いと思ったことはあるけどね」
「……私、『先生』のことが好きだった」
 遠くを見つめる先生の隣に並んで、流れていく車のランプを眺める。
「うん」
 先生はそれが自分のことではないとわかっているみたいだった。ただ、続きを促すようにうなずいた。
「大人なのに、なんか無邪気なところもあって、でもちゃんと『先生』で。かっこよかった。いつか、……合格したら、告白しようかって思ってた。結婚するなんて。カノジョいるなんて知らなかった」
 ずるい。
 授業中、話が脱線して彼女募集中みたいなこと言ってたから。もしかしたらって思ってたのに。
 もう、告白もできない。
 だから、先生を代わりにした。
 『先生』とは違うけど、違うから良かった。先生じゃなくても良かった。ほんとは、誰でも。
 でも、先生はおんなじくらいやさしくて。
 ずるいのは、私だ。
 自分勝手で。
「津川さんは、人を見る目がある」
 静かに染み透る声。
 意味が分からず、先生を見上げると微笑みが返る。
「坂下先輩は基本困った人なんだけどね。突飛なことしでかすし。でも、面倒見がよくて。なんか憎めないというか、厄介ごと押しつけられても仕方ないか、って思える」
 『先生』のことを先輩と呼んで苦笑する先生にうなずく。
 そうなんだ。
「たまに、すごく子供っぽいの。いたずらっ子みたいに笑ってる」
 同級生の男子と変わんないんじゃないの、みたいな。でも、普段は大人で、よく見てくれて、気づいてくれた。学校の先生より、ずっと親身だった。
「好きになって、当たり前だよ。良い人だもん。大丈夫。津川さんが好きになった坂下先生は、津川さんが何を言っても困ったりしないで受け止めてくれるよ」
「言ってもいいのかな?」
「べつに、言わなくてもいいんだよ。それは津川さん次第。ただ津川さんの後悔のない方にすればいいと思う」
 告白しても断られることは確実だから、言わないつもりだった。絶対。気まずくなるのが嫌だった。でも。
「……考えて、みる」
 先生の声は穏やかで、やさしく背中を押す。
「そうだね。じゃあ、僕はこれで。一週間ありがとう」
 そうか。今日で最後なんだ。
 先生は足元に置いていたかばんを手にすると笑ってそのまま階段を下りて行った。


「坂下先生」
「津川? どうしたんだ?」
 一週間の休暇から戻ってきた『先生』を小さくて招くと職員室から出てきてくれる。
「これ、土産。他の奴らには内緒な」
 廊下にほかの生徒がいないことを確認してこっそり手渡される。
 たぶん同僚用に買ってきたであろうチョコレート一粒。
「ありがとうございます」
「どうした?」
 じっと見つめていると怪訝そうに坂下先生は首をかしげる。
「新婚旅行、どうでしたか?」
「くたびれた。式と旅行は間を開けるべきだと思った。津川も気をつけろよ」
 重要機密かのようにこそこそと教えてくれる。
 疲れたという割にはいい笑顔。
 いいな。坂下先生と、一緒だったらきっと楽しいだろうな。
 どこにいっても、何を見ても。
「先生、幸せですか?」
「おかげさまで」
 いつも楽しそうな坂下先生だけど、いつも以上にうれしそうな表情をする。
「そういえば樹山先生の授業はどうだった?」
「わかりやすかったです。進め方も先生と似ていて、違和感なくて」
 講師が変わると多少なり戸惑うことがあるけれど、そういうのも全くなく。
「あれは俺なんかより、全然優秀だからねぇ。安心して任せられたけど。そっか、なら良かった」
「先生」
 うれしそうに目を細めている先生を呼ぶ。
 授業が終わってしばらく経っているので廊下には人気がない。
 職員室には他の先生たちがいるけれど、普通に話している分には内容まではわからないだろう。
「先生のこと、好きでした」
 坂下先生を呼び出した時点では、まだ迷っていた。
 でも優しい表情で樹山先生のことを話すのを見たら、なんか言いたくなった。
「そうなの? ありがとう。うれしいな」
 びっくりしたような顔の後、くすぐったそうに笑う。
 過去形にしたけど、やっぱり、好きだな。
 良いな。言って良かったな。
「先生。樹山先生の連絡先ってわかりますか?」
 お礼を言いたい。
 話を聞いてもらえなかったら、きっとずっと鬱々としているままだった。
「あー、わかるけど。連絡つくかな。しばらく海外行くって話だから……」
 先生はそれでも胸ポケットから携帯電話を出して操作する。
「……あぁ、樹山? 悪いね、忙しいとこ。代理、ありがとな。たすかりました。お礼はいつかどこかで必ずできるといいなと思ってます」
 電話は無事つながったようで、先生はおどけたように感謝の言葉を伝える。
「明日出発? そっか。帰国は? あぁ、そう。で、ちょっと待ってな」
 送話口を押さえて先生はこちらを向く。
「話せるなら今だけだけど、どうする?」
 小声で確認してくれた先生に小さくうなずくと、携帯を貸してくれる。
「樹山先生? 津川です」
『こんばんは』
 当たり前みたいな声にうれしくなる。
「先生。ありがとうございました」
『僕は何もしていませんよ』
 電話越しのせいで、いつもより近い声。
「でも、先生のおかげだから。先生に会えてよかった」
 小さく笑った気配があった。
『ありがとう。でも、がんばったのは津川さんだよ』
 優しい声。
「うん。がんばって良かった。だから、先生も」
 ピーという短い電子音とともに通話が途切れる。
 思わず携帯を見つめると充電切れのようで、触っても何も反応しない。
「うゎ、ごめん。切れちゃったか。最近調子悪いんだよな」
 先生は携帯を受け取ると、何度も電源ボタンを押しているがやはり反応しないようだ。
「大丈夫です。ありがとうございました」
 ちゃんとお礼は言えたし、途切れてしまった言葉はたぶん余計なお世話だし、伝わらなくてよかったのだろう。
「そっか。じゃ、もう遅いから気を付けて帰ってな」
「はい。さようなら」
 先生に笑って伝えて、そしてその場を後にした。

【終】




Jun. 2014