blind night



「何してるの?」
 申し訳程度につけられた外灯のおかげで、かろうじて暗闇でないといえた屋上に、白い光が差し込む。それと同時に発せられたやわらかな声にふり返る。
 逆光のおかげでシルエットしか確認できないけれど、医者のようだ。白衣らしき上衣のすそが風にひらひらゆれている。
 小うるさい看護師ではなかったことに少々ほっとし、屋上の外をまた眺める。
 こんな小さな町だけど、明かりが灯った家々の夜景は結構きれいだ。病院自体は消灯時間も過ぎているのできっともう夜に埋没しているだろうけれど。
「風邪、引きますよ」
 足音もなく、いつのまにやら傍らに人の気配。ふわりと肩にあたたかな重みがかかる。
 覚えのある手触り。いつもベッドの横に掛けてあるブランケットだ。
 そのあたたかさに、思っていた以上に体が冷えていたことに気づき、ぐるぐると巻きつけながら声の主を見る。
 見たことのない顔。医師にしてはかなり若い。あたまには赤いサンタの帽子をかぶってる。
 白衣には似合わないな。
 胸元の名札を見れば【研修医】の文字。納得。その下の所属の【小児科】の文字に再度納得。
 見たことないはずだ。関わりなくなってずいぶん経つし。サンタ帽は小児科でやったクリスマス会の名残だろう。
「早く寝ないとサンタクロースが困っちゃうよ?」
 にこにこと人なつっこい笑みは、子ども相手には受けがよさそうだ。
「小さな子どもじゃないんですけど」
 親からプレゼントをもらえる程度には子どもだけれど。サンタクロースを信じてるのなんて、せいぜい小学校低学年くらいまでじゃないだろうか。
「そう? じゃあ奇跡が起きるのでも待ってるの? こんな寒い中、立ちつくして」
 フェンス越しの夜景を研修医は眺める。
「それこそ。そんなこと信じられるほど子どもじゃないです」
 幾度も入退院を繰り返し、その度に長くなっていく病院生活。すぐに死に至ることはなくとも、治る見込みのない病。
 願わなかったことはない。でも、それもいつしか無駄だと気付き、ため息ばかりの生活にも慣れてきてしまった。
「ねぇ、クリスマスに奇跡が起きるって言われてるの、何故だか知ってる?」
 研修医はフェンスにもたれてこちらを見る。
「さぁ」
 興味ない。どうでも良い。どうせ起きない。奇跡なんて。
 例え起きたとしても、それは自分以外の誰かに、だ。
 研修医は意味ありげに小さく笑う。
「クリスマスには新たなる御子候補が生まれる。そのおかげでイヴの夜は神の目が行き届かない」
「神の目が行き届かないのに奇跡が起きる?」
 研修医の語る言葉に引っかかり、思わず口を挟む。
「あぁ。神は奇跡を起こさない。神は公平であり、秩序を好むから。……だから奇跡を起こすのは、御子候補として生まれ、御子たれなかった天使。父たる神の目をぬすみ、密かに奇跡を起こす」
 研修医は目を伏せて微笑う。
「それ、先生が考えたの? 医者じゃなくて小説家でも目指してるの? それとも宗教家?」
 ばかばかしい。
 思わず信じてしまいたくなる自身が。
「まだ誰かいるのっ? 消灯時間はとっくに過ぎてますよっ」
 静かな空間を壊す大声。
 あの声は看護師長だ。小うるさいどころか多いにやかましい。
 このまま息苦しいベッドに押し込まれて、明日は朝から説教か。最悪だ。
 とりあえずしおらしく返事をしようとすると、研修医は人差し指を口元に当ててみせてから、師長に大声を返す。
「すみませーん。今戻ります」
「先生ですか。……ちゃんと施錠してきてくださいよ」
 白衣の陰になり、こちらの姿は見えなかったらしい。
 呆れた口調にドアが閉まる音が重なる。
「じゃ、見つからないように部屋に戻ってね」
「…………ありがとう」
 看護師長のお説教を食らわずに済んだし。
 くだらない夢物語も、まぁ、暇つぶしにはなったし。
 先に戻ろうと歩き出すと手を引っ張られる。
「?」
 ふり返ると、研修医が静かな笑みを浮かべてまっすぐに見つめている。
 なに?
「キミに愚息の祝福を」
 研修医の指が額に触れる。ほのかな温もり。
「……なんて?」
「おやすみなさい」
 研修医はただ微笑ってそれだけ言うと、つかんでいた手を離し、その手を振る。
「おやすみなさい」
 ほんの少し楽になった気がする呼吸と一緒に、小さく呟やいた。
 

「アナタ、そのうち粛清されるわよ」
 ひらり。
 自分の背から舞い落ちた一片の白いものを拾う姿に声をかける。
「オマエが言わなきゃばれないよ」
 唐突な言葉に、驚いた様子ひとつ見せず淡々と返す。
「そういう問題じゃないと思うのだけど」
 フェンスの上から飛び降り、研修医の格好をした相手の傍らに立つ。
「そういう問題だよ。神は新たなる御子の誕生に目を向けておられる。この機会を逃すわけにはいかない」
 こちらの落とした白い羽根をくるくる回し、遠くを見つめる。
 この男は。厳罰を受けたのも一度や二度ではないはずなのに。
「なぜそんなにも奇跡にこだわるの?」
 それも些細な。そう、たった今のように、病気の子どもから病を取り除くといったような。
 たとえば、戦争を終結させるとかそういったものならまだ、百歩譲れば理解できなくもないのだけれど。
「子どもが親に反抗するのは必定じゃないか」
 小さく笑う。本気じゃない言葉。
「いつまで反抗期でいる気よ」
 大体、反抗期の天使なんて聞いたこともない。
「おれたちは神の目であり、耳であり、ただそれだけで、決して言葉たりえない。……飽きるんだよね」
 本音を語っていたかと思えば、結局肝心な部分で誤魔化す。
「それは、『言葉』になりたかったということ?」
 毎年生まれる『言葉』候補。それはあくまで候補でしかなく、未だにそれは現れない。
「まさか。神は全能であり、間違わない。だとすれば、その神のつくりたもうた『僕』のすることにも間違いはないんじゃないか?」
「詭弁だわ」
 眉をひそめて言ってやると、肯かれる。
「そうだね。でも、神の作られたものに無駄なものはないのだから、おれが奇跡を起こすということにも何らかの意味があるというのは?」
「微妙ね。結局自分を正当化したいだけ?」
 先の意見よりは多少はマシなのかもしれないけれど。それでも、理由にはなっていない。
 人に関わること自体、禁忌なのだ。我々はあくまでも傍観者でなければならない。
「正当化するつもりはないよ。バレて粛清されることになってもそれはそれできちんと受ける」
 今までのように、と悪びれずに続ける。
「それは滅消を望んでいるということ?」
 人間のように自らの命を絶つということは出来ない。今のように奇跡を起こし続ければいつか粛清という名の滅消という罰を受けることが出来るかもしれないから。
「まさか。だったら口止めなんかしない」
 苦笑いする。
「ただ、自己満足なんだよ。きっと」
 その言葉が素直に本音に聞こえたので笑みを返す。
「じゃあ、貸しね」
「何で返せって?」
 面白がったような返事に少し考える。
「そうね。……いつか。私が奇跡を起こしたいと想ったときには、力を貸して」
「もちろん。何度でも」
 思いつきで言った言葉に、ひどくやわらかな微笑が返ってきた。


 夜空に消える白い翼を見送って、踵を返す。

【終】




Dec. 2008
関連→past night
   lost night