「死ぬな、……許さない、
失われていく。その感触がなまなましく感じとれる。
元来白い肌は、今はそれを通りこして生が欠けている。作り物めいた人形のように。
それが目的だったのだ。傀儡とし、その強大な力をほしいままにするために。そんなくだらない私欲の為に。亡くせないのに。
「流希っ」
重ねた呼びかけに、瞳がうっすらとひらかれる。くちびるが音にならない言葉をつむぐ。
「いいから、流希……」
無駄な体力を、わずかでも使わせないためにそれを止める。
「も……いぃ、よ」
目を伏せて、そして淡く微笑んだ。その足りない言葉の意味はすぐにわかった。自分の命を諦めた。かるく。ひどく。
「よくない……死ぬ権利なんてないと言っただろ」
全てが意味をなくす。例え、それが自分勝手な想いであっても。
「流希……、おまえが死んだら、あとを追うよ」
すべてを受け入れたような、妙におだやかな表情につたえる。
最大の枷。
「…………だ、めだよ」
かすれた声。表情がわずかにゆがむ。
「反論は聞かない。おれは勝手にする。イヤなら流希があきらめるな、自分を」
畳み掛けるように吐き出す。今後、この言葉がどれほどの重圧になるか、杭になるか承知の上で。
「……りょ、にぃ」
「
かすれた視界にうつる心配げな顔。それは一瞬で、いたずらっぽいものにかわる。
「なに寝てるときまで、むずかしー顔してるの?」
変声期前のやわらかな声は、どこか流希のそれと似ている。
頬杖をついていた手首の凝りをほぐすように軽くふる。
「あぁ」
何か寝言をいっていたかと尋ねようとしてやめる。例え漏らしていたとしても、こちらを気遣って本当のことなど言わないだろう。
「あのさ、中途半端に机でうたた寝なんかしてても疲れとれないよ? 忙しいのもわかるけど、短い時間でもベッドに入って寝たほうが確実に効率上がる」
落ち着いた、大人びた口調。声は子どものものなのがひどくアンバランスだ。いいかげん、慣れてきてはいるけれど。
「寝るつもりはなかったんだよ」
背もたれに体重をかけて、座ったまま伸びをする。
「
からかうような笑みがうかぶ。
「
うけながしてみせると小さな手に手首をつかまれる。問うように視線を向けるといたずらっぽい挑戦的な目がきらめく。
「子守唄でも歌ってやろうか?」
「ああ、じゃあ頼もうか」
あっさりと応じると、目を丸くする。思ってもない言葉を聞いたというように。
「……え?」
「二言はないよな」
つかまれた手をそのままに、立ち上がりベッドに向かう。必然的にあとをくっついてくるはめになっているラキをそのままに布団にもぐりこむ。
諦めたようにベッドの縁に浅く座るラキの手をつかむ。
「一時間で起こしてくれ」
「……了解」
何か言いたげに、しかしそれを口にせずにやわからかな声が知らない音を紡ぎ始める。心地よい歌声に身をゆだねるようまぶたを閉じた。
手首をつつむ冷たい手のひら。
「困った人だな」
十五分ほど続けていた歌を止め、つぶやいた言葉は思いのほか苦いものになる。
大体「歌え」などという答えが返るとは思わなかった。はじめは単なる意趣返しかと思ったが、この様子を見ると結構ホンキだったらしい。
先ほどよりはおだやかな寝息をたてている様子をながめる。
悲痛な叫びが聞こえたのだ。声ならぬものではあったけれど、だからこそより切迫して届いた。
あわてて部屋に飛び込んだにもかかわらず、その気配に気づきもせず悪夢にとらわれていた。
あいた手で良の額に触れる。
微熱があるようだ。冷たい手とは逆にぬるい温度が掌に伝わってくる。
このまま、一言の術言を唱えれば悪夢の内容が拾える。
「まぁ、それやったらココにはいられないけどな」
ちいさく笑う。
自分がやられて嫌なことは、他人にもしない。相手のことを気にいっているなら尚更だ。
「熱があるならもう少し寝て欲しいところだなぁ」
しかし一時間で起こせとの言葉を承諾したにも関わらず起こさなかったら何を言われるかわからない。
浅い寝息と、微かな胸の動きをラキはぼんやりと眺める。
「寝よ」
手をつかまれたままなので、身動きはほとんどとれない。
手の届く範囲に本でもあれば時間つぶしも出来るが、それもない。
寝顔を見ていたらほどよく眠気も降りてきたことだし。
一緒に寝てしまえば、起こせないのも不可抗力だ。言い訳には適当だろうと、ラキはベッドの縁に突っ伏した。
妙にすっきりとした目覚め。
傍らに身体半分ベッドに突っ伏して寝息を立てている子ども。
なるべく動かないようにしながら、壁の時計に目をやれば、眠ってから三時間が経過していることを指し示している。
「ぉはよ」
見目に似合った、子どもっぽい仕草で目をこすりながら顔をあげた少年にため息を返す。
たしかに、腕を掴んだまま眠ってしまったのはこちらの落ち度だけれど、なにも一緒になって三時間も寝なくてもよくないか?
「なに、難しい顔してるの、良にぃ。おれの子守唄で眠っておいて夢見が悪かったとか言わないよね?」
わざとらしくラキはふくれっ面を作ってみせる。
「確かによく眠れたよ」
悪夢どころか夢のカケラもない、ひどく穏やかな眠りなど、いったいどれくらいぶりだったか。
「じゃあ、なに? おれのカワイイ寝顔に文句でも?」
「ある意味な。めざましが一緒に寝るっていうのはどうなんだ?」
一時間で起こすように言ったのは、それなりに理由があってのことだったのに。
ぐちぐち言ってる間に、仕事を進めるほうが建設的かと、身体を起こす。
「夜は眠るものだよ、良にぃ」
ため息混じりに呟いたラキの手が額に触れる。
「なに?」
「熱は下がったみたいだね。……良にぃって
「ないよ」
全くないとは言わないが、あるとも言えない程度だ。
ラキがそのことを知らないはずもない。それをいまさら、わざわざ聞く意味。
「ふぅん」
興味なさげでいて、どこか意味ありげに聞こえる相槌に嘆息する。
夢視、
つまり、それでないなら話してしまえ、ということだろう。
強制するでもなく、それをゆるすだけの余地を作った話し運び。
気付かないふりをすれば、そのままなかったことにしてくれるのだろう。
「後悔はしていないつもりなんだけどね」
そのやさしさに甘えてみる。
しかし、そのこぼした言葉にラキはニガワライを返してくる。
「良にぃ、弱み見せるのキライだよねぇ」
おまえに言われたくない、と返すべきだろうか、ここは。
言っても、のらくらかわされるだけだろうけれど。見た目とは違い、ラキは百戦錬磨だ。
「ほんとにね、後悔はしていない。ただ、正しいことをしたとも思いきれないんだよ」
立ち上がり部屋の隅にあるコーヒーメーカーをセットする。
「それを後悔って言うんじゃないの?」
遠い目をする良に少々呆れをまぶして口を挟む。
おそらく、こちらの思惑をきちんと把握した上で話すかどうか迷っている。
「手厳しいな」
本当にそう思っているのかどうか、かるく肩をすくめて、マグカップに淹れたコーヒーを手渡してくれる。
「ありがと」
「……おれは、流希に枷をつけた」
ソファに埋もれるように座り、苦く吐き出された言葉は唐突で、意味を考える前に反問する。
「枷?」
ずいぶんとそぐわない言葉だ。
良が流希のことを大事にしていることは、一緒に暮らしはじめてすぐにわかった。
甘すぎるといっても過言でないほどに。
「……こちらに『移動』してきてすぐ、流希は囚われた」
殊更に感情を消した声の続きを黙って待つ。
「ごく当たり前に、流希を傀儡にするために、流希を傷つけた」
自我を消す為に、肉体が死ぬぎりぎり一歩手前まで壊す。その腐った手法が未だ活きていることを知らないわけではない。
ただ。
「たぶん、限界ラインだった。……あきらめる流希をおれはゆるさなかった」
手元のコーヒーに少しも口をつけず、訥々と語る。
話すことで楽になるかと勧めたが、逆効果だったかもしれない。より、思いつめているような感じがする。
が、今更止めることも出来ない。
「流希が死んだら、おれも後を追うと脅して、踏みとどまらせた」
そういうことか。
ため息をついて口を挟もうとしたのを遮るように良は続ける。
「流希が生きていなければ、意味がない。だから、後悔はしていない」
口元に笑みが浮かぶのを見て、ラキはコーヒーを飲み干し大きなため息をついてみせる。
これを伝えれば、少しは気楽になるだろうか。逆に、暗然とする気もするが。
「その枷、あんまり成功してない」
静かに、表情を変えずに聞いていた。
言葉にした以上に状況を正確に汲み取ったはずだ。
話を最後まで聞くと深々とため息を吐き出し、どこか困ったような顔をした。
「それ、当然おれが流希と会う前の話だよね?」
頷く。
すっかり冷め切ったコーヒーを口にふくむと半端な苦味がひろがり、眉根を寄せる。
「流希に最初に会ったとき……正しく言えば、おれが流希を殺すために近づこうとしていたとき、流希は、自分から殺していいと言って会いに来たよ?」
その言葉に眉間のしわが深くなる。
さすがに憐れに思ったのか、ラキがとりなすように続ける。
「まぁ、おれなら死体を悪用しないだろうから、とか言ってたから、さすがに傀儡にされるような状況は避けるつもりだったみたいだけど?」
それはフォローになっているのだろうか。
「…………ラキなら流希を殺さないと考えたんだと思っておくよ」
実際のところは。ラキを残すから大丈夫だと判断したのだろう。
代わりがきくものではないのだけれど、その辺りをもう一度、言い聞かせるべきだろうか。
それでも結局、したいように行動するのだろう。
無理やり意思を変えさせるつもりはない。
ただ、自分も我を通す。流希が自分の命を軽視することは許さない。
「良にぃも苦労するねぇ」
欺瞞的な言葉を聞き逃すことにしたらしいラキは半ば同情するように微笑う。
その苦労の原因の一部が自分自身にあることをわかっているのだろうか。
「流希が、一緒にいたいって、死にたくないって思えるくらいの執着を持ってくれるといいんだけどね。そういう枷になれるようにおれも頑張るけどさ」
自分の膝に頬杖をついてわざとらしいくらいにカワイイ表情をラキは浮かべる。
「良にぃは何で流希と結婚しちゃわないの?」
「は?」
唐突すぎる問いかけに間の抜けた声が漏れた。
どうしてそんな話になる?
意図なくそんなことを口にするラキではない。しかしあっさり奥底を読ませるはずもなく、仕方なく適当な言葉を探す。
「あのな。逆らおうとしている『家』の思惑にわざわざのる馬鹿がどこにいる」
「別に結婚しても思惑にのったことにはならないんじゃない?」
ラキは笑みを深くする。
この先は聞かないほうがいいと、本能が告げた気がした。
が、制する間もなく続けられる。
「結婚して、内部から瓦解させる手もあるし、大体、流希には子どもはできないんだから」
結婚によって次代を残すことが『家』の思惑に含まれていることは確かだ。
わかり易すぎる意向なので、ラキがそれに感づいていることに何等問題はない。
「ラキ」
諌めるように名を呼ぶが、頓着せずに再度口を開く。
「流希は子どもを作れない。だって、おれもそうだから。そしておれと流希は同じだから」
静かに言い切ると、後はただまっすぐにこちらを見つめる。
まったく。
知らず深いため息が漏れた。
「あのさ、その切り札を何故今出すわけ?」
もちろん、流希とラキが同じだということはわかっていた。だからこそ、
「割と有効な使い方だったと思うけど?」
思った以上に疲れがにじみでたこちらの声をあっさりとラキは受け流す。
そういう問題じゃない。
いままで、それを口にしてこなかったことに意味があったはずなのだ。ここで気軽に告げる理由がない。
ラキがちいさく笑う。
「やっぱり、預けられた相応のものは返さないと、と思って。良にぃは、おれを信用して話してくれたんだろうし、さ?」
「ずいぶんな過大評価だな」
悪夢の理由とラキの切り札とでは重要度が違いすぎる。
いっそ嫌がらせだと言われたほうが気が楽だったかもしれない。
「話してくれてありがとう、ってことだよ」
たぶん、これはかなり本音なのだろう。だからこそ、たちが悪い。
大人びた微笑を向けられ、言い返す気力が完全に萎えた。
結局、ラキのが上手ということか。
微妙な悔しさと安心感とで苦笑がこぼれた。
Nov. 2010
【トキノカサネ】