夜天光(やてんこう)



(りょう)。桜見にいこー」
 一年ほど前から共同で借りている部屋に帰ってきた藍方(あいかた)は、靴をぬぎながら奥に声をかける。
「わざわざ『むこう』に戻ってか?」
 ソファで雑誌をめくっていた良は酔狂な、と顔に描いて尋ねる。
 だいたい、今来たところではないか。
 花見がしたければ、向こうにいるときに連絡とってくればいいものを。
「いや、『こっち』で。まだ『むこう』だって大して咲いてないだろ?」
 よく考えてみればそのとおりだ。二分咲きがせいぜいといったところだった気がする。
 キッチンから灰皿を持ってきてカーペットの上に座る藍方に良はため息をつく。
「『むこう』がほとんど咲いてないような状態なのに『こっち』でどうやって花見する気だよ。枯れ木でも見るのか?」
 むこうより一月ほど季節の移ろいが遅いこちらでは、蕾がほころぶところまでもいっていないだろう。
「一本だけ満開の桜を見つけた。これ見逃したら、一緒に花見できないし」
 学校の長期休暇中のみ同居している今の状況では、藍方のいうとおり、こちらで桜が咲く時季には普段の生活にもどっている。
 そして、むこうで顔を合わせることはほとんどない。
 確かにめったにない、いい機会かもしれないが、良は渋ってみせる。
 季節先取りで満開に咲いているなんて。
「思いきり、うさんくさい」
「だから面白いんじゃないか」
 紫煙を吐き出し、無邪気に笑う藍方に、良はつられて笑った。
「ま。極上のお酒も手に入ったことだしな」


「良、こっち」
 一升瓶をかかえ、スキップでもしそうな足どりで先に行く藍方に、良は苦笑を浮かべてついていく。
 路地裏から路地裏を抜け、ふと建物がなくなり開けた場所に出る。
 またぎ越せそうなくらいの小川が流れ、短い草の生えた川原にぽつんと一本、樹齢の高そうな満開の桜。
「すごいわ、これは」
 ごつごつとした樹の幹に触れ、良は感嘆の声をもらす。
 すでに桜の下に座り、瓶の蓋をこじ開けている藍方は、良の声に満足げな顔で応える。
「だろー。……良、グラス」
 一升瓶を少し持ち上げ、藍方はうながす。
 これでは桜が目当てというより、酒目的だ。しかし、良に否やはなく、ガラスのぐい飲みを取り出し地面に置く。
「わたしにも、わたしにもっ。おさけ、ちょーだいっ」
 変声期前の藍方より、まだ高い声。
 突然割り込んできた声に、二人がふり返ると、十歳くらいの少女がいつのまにかちょこんと座っている。
「おさけ、ちょーだいっ」
 期待に満ちた眼で少女は二人を見あげる。
「そういう時は、自分のグラスくらい用意してくるべきじゃないか?」
「そんなこと言ったって、ココから離れられないんだから、しょうがないじゃない」
 半ば透けた身体をもつ少女は頬をふくらませる。
「何をやってるんだ? いつまでも居座るのが危険だということくらい知っているだろ、術者なら」
 死した者がそこに留まると、澱みや歪みができ、質の悪いものがたまる。
 術者であれば、それを理屈でなく知っているはずだ。
 お酒で満たした自分のグラスを少女に渡し、良は草の上に寝転がる。
 本来の身体は、この地の下にあるのだろう。
「うん。まってたんだ」
 わかっていても立ち去れなかった。
 その理由を告げず、両手でグラスをつつみ、少女は細い笑みを浮かべる。
「何が、あったんだ?」
 グラスを良にまわして、藍方は静かに尋ねる。
「後継者問題。……由緒正しい嫡出のお兄さんか、庶出だけど『未来視(さきみ)』できるわたしか」
 少女は大人の都合、と大人びた笑みを浮かべる。
 術者のなかでも持ち得る者は数少ない『未来視』の力。見たいものが見える、というわけではないにも関わらず、それでも貴重なのだ。
 家柄を重んじるこの世界で、正当な後継者のかわりに擁立される程度には。
「ずいぶん達観してるな。見えていたのか?」
 自分たちより年下の少女が、それを見て、諦め、覚悟していたというのはひどく痛々しい。
 少女は立てた膝の上で頬杖をつく。
「んー。一応、抵抗はしてたんだよ。おかげで、予定より二年近く長生きできたし」
 それは二人にとって、探していた答え。
 もともと、見えた未来に甘んじるつもりはなくとも、その言葉は心強い。
 少女は冷酒を少し口にしながら続ける。
「でもね。これ以上は……お兄さんが死んじゃうことになりそうで……さすがに二人分の『先』を曲げる力はないし、なら、わたしはいいやって」
「お兄さんのこと、好きだったんだ?」
 藍方のやさしい笑顔に、少女は大きくうなずく。
「うん。疎まれて当然のわたしに、すっごく優しくしてくれた。いろんなこと、いっぱい教えてもらった。後を継ぎたければ、譲るって言ってくれた。そんな気ないって言ったら、二人で頑張ろうって……約束、やぶっちゃったけど」
 うれしそうに、少し寂しそうに話す。
「お兄さんには、会えたのか?」
 待っていたのは、危険を承知で留まっていたのはそのためだろう。
 良の言葉に少女は首を横に振る。
「ダメだったけど、あきらめる。たぶん、もう限界だろうし。同じ力をもつおにーさんたちには会えたし。還るよ」
 未来視能力のことを見抜かれていたことに二人は顔を見合わせ苦笑いする。
「おれたちは、大したもの見えないよ」
 少女の力のほうが安定していて強いのだとうことは、話を聞いただけでわかった。少女のものに比べたら自分たちの力など未来視と言えるほどのものでもない。
「時期がまだ来ていないだけだよ。……伝言、頼んでいいかな?」
 あっさりと現実を受け入れている少女の言葉に二人はうなずく。
 たった一つの未練だろう。
「いつかで、いいから。お兄さんに会うときに。わたしが、お兄さんのこと、大好きだったってことと、約束を破ってごめんなさいって」
 出会うことは、おそらく確定事項なのだろうと少女の口ぶりから察せられる。
「了解。約束な」
 その言葉を聞いて少女は安心したように微笑む。
 二人が静かに見送るなか、少女の身体の透明度が高くなり、やがて大気に溶けるように見えなくなる。
「花見どころじゃ、なかったな」
 一升瓶をとり、藍方は桜の樹の下にお酒をまく。
 良は少しはなれたところに座し、抑揚のなく言を唱える。
 浄化の儀式。
 そこに穢れがあったからではなく、残されたからだが清浄であれるように。
「…………行こうか」
 桜の花を見あげ、良は目を細める。
「あぁ。勝たなきゃ、な」
 まだ見えない先に、守りたい相手の標となれるように。
 泣かないために。泣かせないために。
「とりあえず、対抗できることはわかったし」
 言うほど簡単でないことはわかっていても、そのすべがあるということ教えてくれた少女に感謝するように、二人は天を仰いだ。


――一年後。
「はじめまして、シトウ」
 小柄な、かわいらしい雰囲気をもつ少年に良は声をかける。
 足もとには、シトウにけんかを吹っかけて返り討ちにされた男が三人のびている。
 見た目に反してずいぶん強い。
 ぶっきらぼうに振り返ったシトウに藍方は微笑を返した。
「伝言を、届けにきた」

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】