闇皓路(やみこうろ)



 いつまでもこびりついたように残る、命の感触。
 自分で決めたこと。
 自分の選んだ道。
 何度も言い聞かせる。
 そして尚、重ねていく。


 倦怠感。
 このまま倒れこみ、眠ってしまいたいほどに。
 が、それが出来ないことも承知している。
 仕事の後処理があるという以前に、血のにおいがまとわりついた今の状態では眠ることなの不可能だろう。
 幾度となく繰り返しても慣れることはない。
 だからといって止めることも止まることもできない。
「まずは風呂。で、報告書。依頼の始末。……あとは……も、どーでもいぃか」
 散漫する思考。いちいち声に出して確かめ、ようやく最低限の段取りを決める。
 お風呂の給湯ボタンを押してラキはそのままうずくまる。
 自業自得だ。赦されないことをしている。覚悟もしている。それにもかかわらず震えは収まらない。まるで己が被害者だといわんばかりに。くだらない欺瞞。
 湯張り完了を知らせる合成音に、沈む思考を振り払うよう勢いよく立ち上がる。
 ぴんぽーん。
 来客を告げる、少々間の抜けた電子音がタイミングを見計らったかのように鳴り、再度しゃがみ込みそうになる。
 過敏になっている自分に少々あきれながら、ラキは一応確認のためにモニターに目をやる。
 そこに映された姿を見て通話ボタンを押す。
「あがって」
 仕事明けの自分が、普段絶対言わないことを迷わず口にしてモニターからはなれ、ソファに埋もれる。束の間に、すこしでも安定させるため呼気を整える。
 エレベーターの静かな上昇音。そして微かな気配。
 ラキは身体を起こし、最後に大きく息をついてチャイムが鳴る前にドアを開ける。
「いらっしゃい」
 平然を装って声をかける。
 日頃から、隙のない雰囲気の青年。今日は輪をかけて張り詰めた空気をまとっている。それにも関わらず、途方にくれているようにも見えた。
「よぉ」
 零れ落ちた吐息のような挨拶。
 イヤになる。まったく。何を、何から言うべきか。髪をぐしゃぐしゃとかき回し言葉をさがす。
「……出掛けるところだったか? カワイイかっこしてるし」
 ラキの着ている、レースとフリルがふんだんに使われたワンピースに目をやり小さく笑みをつくる。あまり成功しているとは思えない。
 纏わりついている血の気配。嗅覚がとらえるものでない。ただそれに関わることに手を染めたものがもつ、独特のすさみに感覚をつよく刺激され、息をのむ。
「帰ってきたトコ。……あのさぁ、(りょう)にぃ。仕事明けのおれより血のにおいがするっていうのはどういうことだよ」
 責める口調にならないように気をつけながら言うと、どこか自嘲的な笑みだけが返る。
 ラキはため息をつく。
「とりあえず、まずは風呂だね。ちょうど沸いてるから……こっち」
 良の大きな手をとり導く。凍ったように冷たい。痛々しいほどに。
 バスルームまで案内すると手を離す。
「ゆっくりあったまって。着替え、この辺使って」
 来客用に用意してあるタオル等を揃える。
「……悪い。自分が入るつもりだったんだろ。おれは後で」
 やっと頭が働きだしてきたらしい。いつもならとっくにそのことに思い当たっていたはずだ。
「いいよ。先に片付けておきたいことあるし」
 良を残し脱衣所を出て小さく笑う。
「余裕あるな。我ながら」
 小さな自嘲は耳に届く前に消えた。


「おつかれ」
 ラキはいじっていたノートパソコンを閉じる。
「お先に。……風呂、入ったのか?」
 服装が変わっていることと、ぬれている髪に気がついたらしい。
「あぁ、シャワーだけ浴びた。何か飲む?」
 良にすわるように勧め、その向かいのソファに転がるとラキはわきに置いてある小型の冷蔵庫を開ける
「悪い、水にしてくれ」
 その手にある缶ビールに目をとめ、良はたのむ。ラキはひとつ息をつきソファから起き上がる。
「……了解」
 キッチンにある冷蔵庫からボトルを取り出し、グラスに注ぐ。透明なもので満たされたグラスを二つ持って戻ると一つを良に渡す。
「ありがとう」
 言って、一口含む。
「……ラキ」
 苦い声。
 言いたいことはわかった。
 たとえ酔わないにしても、アルコールで誤魔化すようなことはしたくないのだろう。
 ラキ自身、仕事明けの今、一人であったら飲みはしなかった。
「清め水だよ、清め水」
 ラキは清酒を半分ほど流し込む。意外なほどすっきりとのどを通りぬける。
「さて、お話を伺いましょうか。吟樹(ぎんき)宗主殿?」
「……知ってたのか」
 深く、あきらめたような声。
 今までラキがからかい半分で口にしてきた称号には、必ず『次期』とついていた。それなしに呼んだ意図を良は正確にとらえる。
 ラキは静かに微笑う。
「こっちが長いとね、さすがにいろんな情報が入ってくるんだよ」
 一般的に公になっていないどころか、『吟樹』の中でもごく少数にしか知らされていない代替わりの事実。
「いつから?」
 急いた口調に、ラキは殊更おだやかに応える。
「それを聞く意味があるの? 良にぃは既に継いでしまったんだし」
 深々としたため息が返る。
「まったく。迷いが捨てられたらどんなに楽だろうかと思うんだけどな」
 一口触れただけのグラスをテーブルに置き、良はソファに深くもたれる。
「半分同感」
「半分?」
 良が促すように疑問符をつける。
「自分が行動するときにはね、いつだって迷わずいきたいよ。特に仕事だと迷いは生死に関わるし」
 行動を始めたら、迷うな。振り返るな。それは根幹に叩き込まれている以上に、実感としてある。それにも関わらず、迷いも後悔も必ず付きまとう。
「でもね、迷わない人間となんてこわくて一緒にいられないよ」
 苦笑まじりに言う。真意を問うような良の眼差しにラキはちいさくうなずく。
「自分に絶対間違いはないなんて思い込んでる人間、信用できる?」
「矛盾だな」
 呆れたような笑み。そのどこかやわらかい表情にラキはほっとする。
 少しはほぐれてきたようだ。例えそれが表面上、こちらに心配させない為に装われたものだとしても、その気遣いができるようになっただけで充分だ。
「わかってるよ、そんなの。だから足掻いてるんだよ。みっともなくね」
 弱音めいた言葉を軽く口にしてみせる。それは本心。
「かわいいこと言ってるな」
「おれはいつでもカワイイでしょ」
 ワザとらしく可憐な微笑を浮かべ、ラキはうそぶく。
「それを盾に人を油断させてるヤツを可愛いと言っていいものかどうか悩むところだな」
 見た目に反して、したたかな計算の上で仕事をこなしているのを知っている良は苦笑いして受け流す。
「うん。そう。それがおれのやり方だから。そうやってここまでのし上がって来たから」
 『ラキ』の名は犯罪特区(ヤミク)で、知らないものはいないといえるほど有名だ。その実態を知るものは少ないにもかかわらず、都市伝説のような噂が蔓延している。
 仕事は冷徹正確無比。依頼主は確実な安心を、標的には絶望を与える。
 それは一面から見れば確かに事実だ。
「だから、さ。良にぃ?」
 ぼんやりしていた良は呼び声に顔をあげる。
「……ぁあ?」
 静かな大人びた表情にぶつかる。
「なぜ自分の手を汚す? 以前にも言ったはずだ。おれを使えって」
 もちろん汚いことなどせずに済めば、それに越したことはない。
 しかし実際問題、きれいごとだけで済ませられるような状況ではない。
 が、そんな時でも上に立つ人間は、できるかぎり自らの手を下すべきではない。そういうコトには駒を使い、汚れなど全く関わりない風に高潔を装うのがトップには必要なのだ。
 逸らされない目に、良は吐息をつくように応える。
「おれに、それをしろって?」
 伏せた瞳、冷えた笑み。
 ラキはあきれたように小さく頭をふる。
「あのさー、割り切ろうよ。そのくらい」
 せっかく、この手のことを生業としている自分がいるのに。良が自分で動く必要は全くないのに。
「おれは大事な人間を護りたくて、すすんでるんだよ」
 頬杖をついて静かな声。もちろん、知っている。
「おれだってそうだよ」
「その中にはラキも入ってるんだよ、当然」
 やさしい笑顔。
「……良にぃ、性質わるい」
 ソファに転がる。そんな殺し文句。先に言われたらどうしようもできない。
「おれの性質が悪いなら、ラキも当然、性質悪いんだよ」
「どういう理屈だよ」
 ため息をつく。当然ってなんなんだ。
「似たもの同士だから、かな?」
 とぼけたようにそんな風に言う。
「あのさ、そこでひと括りにされたくないんだけど」
「うん。ウソ。ラキはやさしいからな」
 その声がかなしげに聞こえてラキは眉をひそめる。
「なに、それ」
「今だって平気なふりして、おれなんかも支えようとしてくれるし?」
 伏せられた視線。ひそやかなささやき。だからこその本音。
「……あのさ、そういうのは見てみぬフリをしてくれるのが大人というものじゃない?」
 脱力してラキは呟く。
「それをゆるしてくれるんだろう?」
 淡々とした言葉。すがっているように取れるのは気のせいだろうか。ラキは微苦笑する。
「だから、そういうのが卑怯だっていうの」
「今更?」
「ホントにね、そう思うならもう少し頼って欲しいんだけど。もっとわかりやすく」
 内心を表に出さず、全てを抱え込む。
「ラキに言われたくないよ」
 顔を見合わせ、どちらともなく笑みをもらす。
「おたがいさま、だね」
 同じものを大切にもつ、同志。
 ながく、かわらず一緒にあれるように。そのために。
「すすむしかないんだし?」
「そーいうこと。……で、良にぃ。玄関わきの部屋つかっていいから、さっさと寝てください。オヤスミナサイ」
 たたみかけるようにラキは言う。
「オマエな」
「そろそろ限界じゃない? ホントはもう少し飲んで欲しかったけど。ま、つよい薬だし」
 ラキの言葉に良はテーブルの上に目を落とす。一口分なかみが減っているグラスがひとつ。
「サイアク」
「気づかない良にぃがわるいの。どうせ眠れないだろうと思って」
 良の苦々しい声を意に介さずラキは淡々と返す。
「……余計なお世話」
「少しでも眠って。で、帰ろう?」
 やわらかな声音がさらなる眠気を誘う。
「ーん。ラキ、も……」
「寝ろよ、かな」
 それとも「帰ろう」、か。
 客室までもたず、ソファに沈みこみ、寝息をたてはじめた良に、ラキは毛布をとってきてかける。
「おやすみ」
 灯りを消す。
 暗闇にため息をひとつ残した。

【終】




Nov. 2006
【トキノカサネ】