written in water



「何やってんの、更衣室で」
 畳の上で寝転がって本を読んでいる(にん)に呆れ声を向ける。
「だって、お客さんいたし、事務所にいるわけにもいかないでしょ」
 確かに、どう見ても中学生、下手すると小学生に見える少年が、探偵社と名のついたところに我が物顔でいるのはどう考えてもおかしいだろう。
「お客さん帰ったんだ?」
「今ねー」
 岑羅(しんら)のだるそうな応えに、忍は眉をひそめる。
「引き受けるの?」
「まー、いろいろしがらみがあってねぇ」
「また政治屋?」
「金払いが良くてねぇ」
 畳に腰を下ろして岑羅は笑う。
「それ、しがらみでもなんでもないし。おれも行った方がいいの?」
「出来れば。俺とはちょっと相性が悪い感じ。もちろん、一緒には行くが」
 軽いため息をついて答えると、忍の表情が真面目なものに変わる。
「内容は?」
「現状。子どもの失踪。依頼を信じるなら三人。一月以上、雨が続く村の中で。依頼としては原因追求、再発防止。当然子どもの発見」
「村の人口は?」
「一〇〇〇人弱。年少人口一〇%以下」
 忍の発する、手慣れた短い問いに岑羅は簡潔に答える。
「洪水とか土砂崩れとかの災害に巻きこまれた可能性は?」
「目に見える範囲でそういうことは起こっていない。雨続きとはいっても量的には大したことないらしいし。当然失踪後に捜索もされているが発見されていない」
 だからこそ、岑羅のところに依頼が来たのだ。
「シン。その状況でホンキで……」
 濁される言葉。言いたいことはわかりすぎるくらいわかる。
「最善を尽くします、としか言えないだろう」
「最後に不明になった子は、いつから?」
 深々としたため息がかえる。
「本日未明」
「……それは依頼主の?」
「孫娘。じゃなかったら内々で処理してただろうな」
 口にすると苦いものが広がる。それはしっかり忍にも伝わったようだ。
「シン、支度してすぐに出よう」
 

「大丈夫か?」
 車は山中に似つかわしくない整えられた道路を快調にすすむ。それとは裏腹に忍はだるそうに助手席のシートに沈んでいる。
「平気。ちょっと変な空気だけど……そろそろ?」
 見わたす限り山ばかりの風景を眺める。今のところ人家は見えない。
「そのはず……あぁ、降ってきたな」
 細かな水滴がフロントガラスに付き始めたのを確認して岑羅はゆっくりと車を端に寄せ停める。
 ドアを開けると夏とは思えない冷気が流れ込む。
「寒……山だからってだけでもなさそうだな」
「完全にテリトリー内だね」
 厳しい目でとおくを見つめ忍は呟く。雨による結界。
「こういうところでの仕事はできれば避けたかったなぁ」
 岑羅はぼやく。
 相手の結界のなかではいろいろ制限をされかねない。その分、危険性も高まる。
「同感。言っても仕方ないけどね。罠だとわかってて入るほうがまだマシかな、知らずに嵌るよりは」
「ほんの少しだけ、な……行こう」
 髪についた水滴を、頭をふってとばし岑羅は車に戻った。


「シン、学校がある」
「行ってみるか?」
 小ぢんまりとした、まだ新しい校舎を見つけ、車を向ける。
 夏休み中のためか、一台も車のない職員駐車場に車を停める。
「普通、夏休み中でも、交代で誰かいるはずなんだけどね」
 忍は正面入口に手をかけるが、鍵がかかっている。やはり、誰もいないようだ。
「誰もいないほうが都合がいいけどな。……開けられるか」
 鍵穴に触れて静かにしている忍に、声をかける。
「開いた」
 今度は何の抵抗もなくドアは滑らかに動く。
「お邪魔します」
 入ると、空気のよどんだ独特のにおいが鼻をつく。
「けっこう長い間、風が通ってない感じだな」
「夏休み始まって約二週間、下手するとそれ以上? 雨続きだからプールはないにしても登校日はあるはずなのに」
「ここ自体に変な気配はないが」
 先に行く忍の後に岑羅は続く。
 本来、たくさんの人がいるはずの建物に人の気配がないというのは非常に居心地が悪い。
「シン、雨が始まったの、いつからだっけ?」
 職員室に入り込んだ忍は、尋ねながら並んでいるファイルの一冊を開く。
「梅雨とかぶってるから、実際どの雨から異常なのかははっきりしていない。今年のこの辺りの入梅は六月十六日」
「出席簿を見ると最後の記録が七月十二日。夏休みスタートが二十一日からだから約十日程度のブランク。……これ、一年生の出席簿だけど六月二十三日から一名、七月九日から一名、学校に来ていない」
 忍は次の出席簿をとる。
「二年生、六月二十七日より一名、七月一日より一名」
 忍の見ているファイルの逆端から岑羅も出席簿を引き出す。
「中三。閉鎖は同様。連続欠席者ゼロ」
「小三。七月五日より一名」
「中二。ゼロ」
「小四。六月十九日より一名」
「中一。ゼロ」
「小五。欠席者なし」
 岑羅は最後の出席簿を見る。
「六年生も……ナシだな。計六名……いや、今朝いなくなった孫を合わせて七名」
「小学校に入る前の子がいなくなっているとしたら、もっと増える……逆に失踪者多発が不安で学校休んでるだけの子がいる可能性もあるし」
 忍はもとのようにファイルを並べなおしながら呟く。
「学校閉鎖したあとに不明になってる者がいる可能性だってある。……気づいてるか? 四日ペースだ」
「今日は三十日か……依頼主の孫が日付ぎりぎり変わる直前にいなくなったとしたら計算どおり、か」
 お互いにだんだん声に苦いものが増えてくる。
「だとすると十一人。……今までよく表ざたにならなかったな」
「何で、もっと早く」
 忍は唇をかむ。
「俺は役場に行って、そのあと聞き込みにまわる。忍はどうする?」
「おれが一緒に行ったら不審がられるだろ。その辺、見てまわってるよ」
 来た廊下を戻りながら忍は静かに言う。
「あぶないことするなよ」
 いつもどおりの言葉に忍はうなずく。外に出ると相変わらずの霧雨。
 夏にも関わらず、寒さで腕が粟立つ。
「じゃ、あとで」
 雨の中、そのままで出て行こうとする忍を、岑羅は引きとめる。
「傘と上着もっていけ。風邪ひく」
 車の中から出されたジャケットに袖を通し、忍は空をながめる。
「あんまり役にたたなそう、傘」
 細かすぎる雨は、傘を避けてあちこちから入り込む。
「でも、一応な。……じゃ、お先」
 素直にうなずいて忍は傘をさし、走り出した車を見送った。


 ゆっくりと車を走らせる。辺りはひっそりとして、人影もない。
 ぽつぽつとある民家はどれも雨戸できっちり閉ざされている。聞き込みに行ったとしても開けてくれるかどうか。その上、話を聞くなど問題外だろう。
「やな感じだねぇ」
 今更言っても仕方ないことを岑羅は呟き、役場に車を停める。
 他に停まっている車はない。
「ここも誰もいないのか? 勘弁してほしーなぁ」
 詳細は役場で聞くように言われてわざわざやってきたのに、無人ではどうしようもない。
 ため息をついて一応車から降りると、明かりがもれる窓が目に入り少々ほっとする。
 薄暗い建物内に入る。湿気たにおい。
 岑羅は扉をきっちりと閉め、明かりのついていた、すぐ左隣にある部屋のドアをノックする。
「はい」
 薄暗い建物に似合った、覇気のない返事。
「飯田幸三氏の依頼で参りました。(あくた)と申します」
「伺ってます。どうぞ」
 引かれたドアの内側で、立っていたのは四十代後半に見える疲れた表情の男。いかにもくたびれた中間管理職といった風貌。
 便宜を図らせるは早々にあきらめ、最低限の情報を手にすべく岑羅は口を開く。
「時間がないので単刀直入に。行方不明者は十一人で良いですね?」
 男は虚をつかれたように固まる。
「……あ、の……三人と……飯田先生は」
「わかりました。では、もう一つ。何か心当たりはないですか?」
 何とか否定をしようとしているが逆効果だ。それ以上追求する必要を感じず、岑羅は別の質問を投げかける。
「…………」
「はい?」
 小声で呟かれた言葉が聞き取れず岑羅は聞き返す。
「……祟り、だと……。いえ、私どもは信じていませんが村の年寄りが……」
「何の?」
 鋭く尋ねる。
「いえ、……その」
「早く」
 煮え切らない男を岑羅は睨みつけた。


「あ、れ?」
 二又に道が分かれていることに気づき、忍は立ち止まる。車の中で記憶した地図には載っていなかったはずだ。
 役に立っていない傘をたたみ、ポケットから地図を出す。
「……わざわざ新道作ったのか? こんな田舎なのにインフラ整備が盛んすぎ」
 曲がりくねっている旧道とは違い、新道は隣村方面にまっすぐ伸びている。それによって時間短縮にはなってはいるのだろうが、過疎化している村では使用する人はさほど多くないはずだ。
 忍が歩いてきた間にも、車一台見かけなかった。どう考えても無駄と評するしかない。
「大物がいる土地は違うな」
 どうせ利権が絡んでの工事だったのだろう。
 忍は無感動に呟き、地図の、新道が通っているであろう場所を指でなぞる。
「……池? 埋め立てたのか?」
 巴池と書かれた、さほど大きくはない水場を地図に見つけ、眉をひそめる。旧道がそれを避けて作られているのに対して、新道は確実にその上を通っている。
「あー、もう。面倒なことしてくれるな」
 長い前髪をぐしゃとかきあげる。何の根拠もなくとも、当たりの予感がして忍は傘を閉じたまま走り出した。


「忍っ」
 つながった電話に岑羅は呼びかける。
「どしたの、焦って」
 対して忍は比較的のんびりした口調で応える。
「池神だ。馬鹿が池をつぶした上、祠も破壊しやがった」
 口早に伝えながら車に乗り込みエンジンをかける。
「うん。今現場にいる。瓦礫も残ってる。……壊すぐらいならはじめっから奉らないで欲しい」
 ため息まじりの忍の言葉に岑羅は同意する。
「まったくだ。で、様子は?」
「不気味に静か。雨も変化なし。池の名残もない」
 落ち着いた声音に岑羅は安心する。
「とりあえず今からそっちに行くから……忍?」
 反応のなくなった相手を呼ぶ。
「忍っ」
 かなり間をおいて小さな声が耳に届く。
「……泣き声」
「忍? すぐ行くから、そのまま待ってろ」
 返事はなく、戻ってくるのは通話が切られたことを知らせる電子音のみ。
「っとに」
 携帯電話を助手席に放り、岑羅はアクセルを踏み込んだ。


 携帯の向こうから届く苦い声を聞きながら、もとは祠だったと思われる残骸のそばに忍はしゃがみこむ。そして手近に転がっていた細い枝をペン代わりに地面に紋様を描きこむ。
 紋を完成させ顔を上げると電話からではない音に気がつき、携帯を耳から遠ざける。
 風鳴りのようにも聞こえるそれはだんだんと明確になりはじめる。
「泣き声?」
 まだ小さな子どもの。
 忍は携帯をポケットにつっこむと、声の主を探す。道を挟んで反対側にある雑木林に目をとめ、そちらから泣き声がすることを確認すると忍は駆け出した。


「……やっぱりいないし」
 岑羅はがっくりと肩を落とす。
 もとは池があったはずの場所はきれいに整地され、アスファルトの直線が貫いている。
「こういうものはさぁ、せめて新しく奉りなおして欲しいよなぁ。これだけの道路作るお金があるなら、そのくらいけちけちせずに」
 以前は祠だった瓦礫を足で小さくつつく。
 災いを避けるために奉った物が、その場所をなくしたらどうなるかなんて簡単にわかりそうなものだ。
「さすがに、ちゃんと手は打っていったか」
 地面に描かれた魔を封じるための紋章を見つけ、ほっと息をつく。
「で、泣き声だっけ?」
 最後に忍が残した言葉を思い返し、岑羅は目を伏せ集中する。
 微かに、それでも確かに泣き声が耳に届き、その方向に岑羅は踏み出した。


 だんだんと近づく泣き声に歩を早める。
「大丈夫か?」
 大きな木の下、見覚えのある傘をさし、うずくまっている少女に岑羅は声をかける。
 涙をためた目がこちらを見上げる。
「名前を教えてくれる?」
 できるだけ怯えさせないよう視線を合わせ、ゆっくりと尋ねる。
「……いーだあゆか」
 飯田あゆか。依頼主の孫娘だ。岑羅は大きく息をつく。
 顔色は多少悪いが、命に別状はなさそうだ。
「あゆかちゃん、ここで何をしてたの?」
 岑羅の言葉に、少女は再び目に涙をためはじめる。
「おばけ……こわいの。あゆかのこと、……食べるって」
「……逃げてきたんだ? えらかったね」
 そっと頭をなでてやると、あゆかは首を横にふる。
「おにーちゃん、が。……たすけに、……先にいっててって。かさ、くれたの」
 こんな予測が当たっても何もうれしくない。一応確認のために尋ねる。
「お兄ちゃんって?」
「しらない、おにーちゃん。あっちに行ったの」
 あゆかが指した方向に目をやり、岑羅は肩を落とす。
 どうして一人で危険にむかって突っ走るのだろうか。こちらの気も知らないで。
 一つため息をつき、あゆかに向き直る。
「あゆかちゃん。これ、見て」
 岑羅は取り出したライターに火をつけ、それにふと小さく息をかける。小さな火球が宙に浮く。
「すごーい。コレ、なに?」
 あゆかはふわふわ漂う炎を好奇心いっぱいの目で見つめる。
「これがあゆかちゃんのおうちまで連れていってくれるから、一緒に帰って。でも、雨にぬれると消えちゃうから一緒に傘に入れてやってね?」
 岑羅にじっと見つめられ、あゆかはうなずく。
「良い子だ……気をつけて帰ってな」
 あゆかが炎に導かれて歩き出したのを見送ると、岑羅は逆方向に足を向けた。


 池と呼ぶには貧弱すぎて、でも水たまりと呼ぶには大きすぎる窪。それを満たすのは濁った汚水。
 忍はその縁にしゃがみ、手を浸ける。まとわりつく気持ちの悪い感触を我慢しながらそのままひたしつづける。
『ヨクも……にガしたな……かワリにおまエ……うまソウだ……ズっと』
 池から響くかすれた声が嗤う。水の感触と同じく不快に。
「…………」
 その声を無視して忍は声にならない言葉を小さく呟く。
『ハやク……クっテヤる……』
 水がごぼごぼと音をたてる。舌なめずりするように。暗い水面にさらに濃い影がうかぶ。
 水に浸した両腕に長いものが巻きつき、つよく引かれる。
『じょうか、ナど……むダだ』
 忍のやろうとしていることに気づいたらしいモノは嘲るように喉をならす。
 その声など聞こえていないかのように忍は浄化の言葉を紡ぎ続ける。
「忍っ」
『こイ』
 声をひきがねに、忍が池に吸いこまれる。
 淀んだ水の中で鈍く光る目が忍の顔に近づく。長い舌が首筋をなでる。太い縄のような胴体がぎりぎりと忍の身体を締め付ける。
 忍は抗わず、しかし目をそらさず睨みつける。
 そして大蛇のようなそれの口が大きく開かれ、研ぎすまされた牙がひらめくと同時に忍は止めていた息と一緒に溜め込んでいた力を大きく吐き出した。


 水しぶき。噴水のように高く高く。
 そして水のなくなった窪の中で身体を丸めて倒れている忍を見つけ岑羅は駆け寄る。
「忍っ」
 呼ぶと返事のかわりか、小さくひらひらと手がふられる。ゆっくりと息が整っていくのを傍らで待ちながら岑羅はわざとらしくため息をつく。
「危ないことはするなって言ったと思うんですけどねぇ」
 忍は目をそらす。それを覗き込み再度口を開く。
「自らを餌にするなんて最悪の戦法のような気がするんですけどねぇ」
「イヤミ、ったらしー……勝算、なきゃやんないし。最善、つくす……って言ったの、シンだし」
 言い返す忍の額を軽く指で小突く。
「はいはい……もう歩けるか?」
 ずいぶん呼吸が整ってきたのを感じ、岑羅は声をかける。
「へーき。……蛇、封じるつもりが霧散させちゃったんだけど」
 ふらつきもせず立ち上がり忍はぽつりと呟く。
「忍は破壊魔だから」
 先に歩きながら岑羅は軽く応える。
「……たすけられなかった」
「大蛇を?」
 ふりかえらず声だけを返す。
「だけじゃなくて。いなくなった子たちも」
「……それは、おまえの責任じゃない。それを背負うべきは別にいる。忍が代わることはできない……それに一人は助けられた」
 諭すように、しかし厳しく言い切る。
「わかってる……でもたすけたかったんだよ。みんな」
 やわらかな声に岑羅もうなずく。
「あぁ……雨、あがってたんだな」
 雑木林を抜けると、微かな日ざしを感じ岑羅は空をあおぐ。
「ゴメンな」
 岑羅の呟きに忍は微笑う。泣き出しそうにも見える表情。
「大丈夫だよ、おれは……帰ろ」
 岑羅はうなずいて車のドアを開ける。
「ごめんね」
 ドアを閉める音にまぎれて届いた、ちいさな声に気づかないふりをして岑羅は車のエンジンをかけた。
 

【終】




Jul. 2006
【トキノカサネ】