walk into



岑羅(しんら)っ。私は事務やりに来てるんじゃないんだよっ」
「わかった。給料にイロつける。だから留守は頼んだっ」
 コートをひっかけ、ばたばたと事務所を出て行く雇用主の背中をにらむ。
「そういう問題じゃないって」
 事務仕事が嫌なわけではない。ただ、これでは探偵社という名のつくところにいる意味がない。入って三年も経つのだから、それなりに仕事を任せて欲しいところだ。
「あれ? 透亜(とうあ)しかいないのか?」
 入ってきた同僚に、透亜は溜息を返す。
「そ。いつものごとく、出てっちゃった」
「って、また事務しとけって? いい加減やる仕事もないんじゃないか?」
 最近、一番の散らかし屋である雇用主が事務所を空けることが多いので、片付けるものがそれほどない。もともと全体の仕事量を考えたら、事務仕事に二人も要らない。
「まったくっ、岑羅ってば」
「とりあえず、着替えてくれば?」
 その言葉に、制服のままだったことに気付く。
「そうする。ミルクティー希望」
 連絡板を見て、お茶係の名前を確認してからリクエストする。
「今日の茶坊主はおれか。了解した」


「うわ。お茶の選択まずったなぁ」
 テーブルの上の羊羹をみて透亜が呟く。
「そう思って、勝手に緑茶に変更した」
 たっぷり緑茶が入ったマグカップを透亜の前に置く。
諷永(ふうえい)、気が利くのは良いんだけどさ。一応普通の湯のみあるんだから」
「何回もお茶いれに立つの、めんどくさい。ちゃんと適度に冷ましたお湯使ったし、問題ないだろ」
 マグカップに緑茶というのがどうも納得いかないらしいが、こちらのほうが合理的だろう。
 文句を言いながらも、透亜はお茶に口をつける。
「うん。ちゃんと美味しい……それにしても、仕事ないよねぇ」
 甘さ控えめの栗羊羹を食べて、少し和んだ顔をしながら透亜はぼやく。
「んー、まぁな。しかし、岑羅も謎の人だよな。どこからあやしい仕事とって来ているんだか」
 ごく普通の探偵社がやるような浮気調査などは稀で、いわゆる超常現象的なものを含んだものがほとんどだ。
 おおっぴらに宣伝してるわけでもなさそうなここを『客』も、知るんだろうか。
「だいたい、『術力』持ってること自体がすでに普通じゃないでしょ」
 超能力めいた特殊な力。それを駆使して人外のものを祓ったりしている。
「まぁね。でも、おこぼれもらってるおれらが言える立場か?」
 ここで働くようになって、多少その手の力を使えるようにしてもらった。
「そうなんだけどさ。もう少し、任せてくれても良いのにとか」
「岑羅、透亜に甘いからなぁ」
 ふくれる透亜に、諷永はそぐわないことを言う。
「何それ」
「言葉通り。……おかえり」
 戻ってきた岑羅に声をかけると、諷永はすぐに給湯室に向かう。
「ただいま」
「おかえり。岑羅。今日は、早かったね」
「トゲがある」
 わざとらしいくらいににこやかな透亜に岑羅は苦く呟く。その言葉に何の反応も返さずに、諷永は湯飲みを置く。
「ありがと。あー疲れた疲れた」
「疲れるほど仕事があるって、うらやましい、な?」
「だよねー。私たち、ここでくすぶってるだけだし? 不完全燃焼だよ」
 恨みがましい二組の目に見つめられ、岑羅は目を逸らす。そこへタイミングよく鳴りだした電話へ手をのばす。
「はい。WALKです……はい」
 視線が真剣なものに変わった岑羅に、諷永と透亜は無駄話を止める。
 相手の声は聞こえず、ただ岑羅の相槌だけが事務所内にひびく。
「では、またご連絡いたします」
 丁寧に電話を切ると、岑羅はふり返る。
「喜べ。仕事だ」


「おはようっ」
「はよ」
 はずむような声に反射的に挨拶を返し、諷永はふり返る。
「……透亜か。元気だねぇ」
 のろのろと呟く諷永の隣に透亜は並ぶ。
「朝からくたびれてるねぇ。おそくまで受験勉強してたの?」
「いや。単純に朝は弱いんだよ……ところで透亜、学校休んで平気なのか?」
 諷永の通う儀章高校での調査。透亜も転入生として入り込むということは、一日二日で終わるとは限らない。
「大丈夫。私、品行方正だし。割と病弱だし。成績も問題ないから出席日数融通きくし」
 透亜はしゃあしゃあと言ってのける。
「それはすごいな」
「褒めてないな?」
 透亜がワザとらしくむっとした顔を作ると、諷永はかるく笑う。
「しかし、何が問題なのかな。毎日通っていても、とりたてて変なことない気がするんだけど」
「諷永のこと、避けてるとか? じゃ、職員室行くねっ」
 校門をくぐると透亜は管理棟に向かう。その元気な背中を見送って、諷永も自分の教室に向かった。


「いーずみっ」
「なに。数学の課題ならもう提出したぞ」
 朝一でわざわざ隣のクラスにまでやってきた友人に、溜息をつく。
「それは俺も提出した。そうではなくて、朝から仲良く登校していた美人は誰ですか? ってことだよ」
 あいている前の席の椅子に座り、声を落として片山は尋ねる。
「おまえ、情報早いね」
 荷物を机の中につっこみながら、諷永はあわせて小声で返す。
「受験生の癖に、カノジョ作るなんて、なんて余裕でイヤミなやつなのっ。フケツだわ」
「片山、それ何キャラ?」
 指を組んで、かるく身体をくねらせる片山にげんなりと返す。
「イヤ別に。とりたてて意味はない」
「そうだろーよ」
「で、ホントのとこ、なに?」
 再度内緒話の態勢になる。
「トモダチ。なんで、朝っぱらからそんなこと聞きに来るわけ?」
 わざわざ聞き出しに来るほど、物見高い性格ではないにも関わらず。
「下駄箱のとこで会ったクラスの女子に、『泉くんが女と歩いてたっ。真相を確かめてきてっ』って、詰め寄られてさ。女子って、怖ぇわ」
 片山はより一層声をひそめる。
「それはオツカレ。ってことは、おまえは見てないんだな?」
「あ? おう」
「じゃ、何で一緒にいたのが美人だと断定してるんだよ?」
 あっさりうなずいた片山に諷永は尋ねる。
 確かに透亜は美人の部類に入るとは思うけれど。
「女子の騒ぎ方からの推測。当たってるだろ?」
 にんまりと笑う片山に、肯定も否定もせずに溜息をつく。
「予鈴鳴る。さっさと教室帰れ」
「冷たいこと言うな。報告を待ち構えているのがいると思うと……戻りたくねぇなぁ」
「友達、って言ってるんだから問題ないだろ」
 席を立ちながらもぼやく片山に諷永はあきれる。
「それで納得するかねぇ」
 鳴りだした予鈴に渋々と片山は自分の教室に帰っていった。


 何等いつもと変わりなくすぎ、すでに五限目。
「ま、初日から出たりはしないか」
 自習の教室を抜け出した諷永は、屋上で寝転がり溜息をつく。
 目を閉じ、呼気を整える。
 わからないなりに、なにか掴む努力をするべく神経を研ぎ澄ます。
 集中しているにも関わらず、意識が拡散していくような奇妙な感覚。目を閉じているのに、周囲の様子が手にとるようにわかる気がする。
「っ」
 なんとなく嫌な風が通り過ぎた気がして、諷永は起き上がる。
 さきほどまでと変わりなく、あたたかな陽射しがそそぐ昼下がり。
 諷永はゆっくりと周囲を見渡す。何気なく運動場を見下ろした瞬間、天を突くような火柱が上がった。


「何、いきなり」
 授業をうわの空でうけつつ、窓の外を眺めていた透亜は目を丸くする。
 人気のないグラウンドに、火柱が音もなくあがっている。
 気付く生徒が増え、ざわめきがクラス中に広がっていく。
「教室から出ないように」
 言い残し、教師が教室を出て行く。隣のクラスの教師と廊下で短い会話を交わしたあと、足早に遠ざかっていく。
「早々に動きがあるなぁ」
 透亜はぽつりと呟く。
 グラウンドには、ジャージ姿の教師が火柱を遠巻きに観察している。
 ふと、火柱が消える。
 はじめから何事もなかったかのように。
「なんだったんだろ」
 教室のざわめきは収まらないまま、透亜は火柱のあった辺りを眺めた。


「ただいまー」
「おかえり。早かったな」
 事務所に戻ってきた諷永と透亜に、岑羅は読んでいた書類から顔をあげる。
「帰宅命令がでてねー。ドーナツ買って来たよ」
「じゃ、お茶いれるか。何が良い?」
 今日のお茶汲み係の岑羅は立ち上がる。
「私、ミルクティー」
「コーヒー」
 給湯室に向かう岑羅に、二人は口々に注文する。
「了解。で、帰宅命令って何があったんだ?」
「火柱が上がった」
 三人分のお茶を入れて戻ってきた岑羅に諷永はみじかく答える。
「火柱?」
「すごかったよね。校舎より高く上がってたんじゃないかな。教室にいたからはっきりしたことわからないけど、音もなく出て、音もなくきれいさっぱり消えた」
 岑羅はだまって話を聞きながらコーヒーを飲む。
「ちょっと距離があったから定かじゃないけど、熱もない感じだった。幻影みたいな雰囲気。現場は立ち入り禁止にされちゃってて、ちゃんと確認は出来てないけど、とくに変な感じは受けなかった」
 透亜の説明に諷永は付け足す。
 黙って聞いていた岑羅はしぶい顔をする。
「んー。なんか、変なもの呼び出したなぁ」
「変なもの?」
 透亜は食べかけのドーナツを飲み込んで、尋ねる。
「魔物とか、それに類するもの」
 曖昧な回答に諷永は苦笑いする。
「ということは術使が関わってる?」
「そうとは限らないかな。召喚紋さえ描ければ呼び出すことはそれほど難しくないんじゃないか?」
「ことは、って」
 言い回しのこまかいところに諷永がつっこむと、岑羅は苦い溜息をこぼす。
「制御は無理だろうな。召喚は、けっこう難しいんだよ。だから、かえって術使はやらないんだが、巷にはあやしげな呪書があふれてるから、手出しはしやすいんだよ」
「じゃ、あの火柱は暴走か」
「ってことは、やっぱりシロートだねー」
 岑羅の説明に諷永と透亜は顔を見合わせる。
「犯人はうちの生徒か」
「とは限らないんじゃない? 教職員の可能性もあるし」
「とりあえず、まずは召喚紋を見つけ出さなきゃな」
 諷永はそう言って岑羅をうかがう。
「そうだな。でも、ふたりとも無茶なことはしないように」
 決まり文句のようないつもの言葉に二人はうなずいた。


「泉、はよー」
 駆け寄っての挨拶に諷永は苦笑いする。
「元気だな、片山」
「低血の泉とは違うのだよ」
「ほっとけよ。おれは繊細なんだよ」
 諷永の言葉には反応せず、片山は表情を静かなものに変え、声をひそめる。
「変な話、して良いか?」
「なに?」
「昨日の五限、おれ旧クラブハウスにいたんだけど」
 今は使われていない部室棟は、格好のサボりの場と化している。片山がそこを愛用していることは知っていたので諷永は続きを促す。
「床に……なんていうか魔法陣みたいなものが描いてあって。まぁ、それだけなら暇人がいるなぁだけで済んでたんだけど」
 だんだんと片山の歯切れが悪くなってくる。
 言葉をはさまないようにしながら続きを待つ。
「……あの火柱があがったのと、ほぼ同時だと思う。魔法陣の真ん中に蝋燭が一本たってたんだけど、それに火がついた。唐突に」
 話し終わると片山は大きく息を吐き出す。
「ということがあって、だ。話すなら泉にだなぁと」
「それは喜んで良いのか?」
 諷永は言葉の真意を量りかねる。
 自分のやっていることを片山には話していない。しかし、妙に聡いところのある友人が、ある程度のことを察していてもおかしくはない。
「もちろん。信用してるってことだろ。よし、話して気が楽になった」
 晴れ晴れと片山は笑う。
「なんだ、それ。王様の耳はロバの耳の穴か、おれは」
 信用してる、などと言ったほうも言われたほうも、おたがいにきまり悪く、茶化しあう。
「しかし、次なる憩いの場はどこにするかなぁ」
「屋上のスペアキーならあるぞ」
「あそこは寒いからイヤだ。しょうがないからおとなしく受験勉強に励むか」
 心底めんどくさそうに片山は呟いた。


「諷永、どうしたの?」
 廊下から手招きして呼ぶと、気付いた透亜がぱたぱたと出てくる。
「召喚紋の場所がわかった。どうする?」
「行くよ。そのためにここに来てるんだから」
 休み時間の喧騒にまぎれて伝えた諷永の言葉に透亜は即答する。
「どこにあったの?」
「旧クラブハウス」
 足を速める諷永に追いつきながら尋ねる透亜にみじかく答えた。


「うわ。たばこくさい」
 片山が昨日サボっていたバスケ部の元部室のドアをあけると染み付いた煙のにおいが鼻につく。
「隠れて吸うには絶好の場所だからなぁ……少し淀んでるか?」
 諷永の言葉に透亜も辺りを見回す。
「淀んでる?」
 諷永ほど『感覚』がつよくない透亜は良くわからずに首をかしげる。
「あぁ。いかにもな魔法陣だなぁ」
 諷永はしゃがんで床に描かれた円陣を調べる。
 四重の同心円の間に細々とした模様が描かれている。中央には溶けて形をくずした蝋燭が一本。
「わかる?」
「いや。おれには読めない文字だし」
 諷永は紋章に手をついて息を整える。透亜は少しさがって静かにその様子を見つめる。
 ゆるりと時間が流れる。
「……女の子?」
 ぽつり、ともらした諷永の隣にしゃがみ透亜は尋ねる。
「何かわかった?」
「んー。これを描いたのは女の子だと思う。……歪み」
 目を閉じ、疲れたように言葉を漏らす。
「恨みとか?」
「うーん。……かなり、いらだってる感じ」
「だとしたら標的は、その相手?」
 透亜の問いに顔をあげた諷永は身軽に立ち上がる。
「だったら、良かったけどなっ」
 苦々しく諷永が吐き出すと同時に二人の周りに火の手が上がった。
「うそっ」
 諷永はポケットの中から結界紋を描いた紙を取り出し、床に広げる。
「『施』」
 短く呟き結界を発動させると透亜をふり返る。
「大丈夫か?」
「ん。結界?」
「そう。いつまでもつかわからないけど」
 諷永は集中をとぎらせないように気をつけながら、炎の輪を見つめる。
「不吉なこといわないでよ」
「こんなに早く、攻撃対象にされると思わなかったし……なにか良い案あるか?」
 じりじりと炎が近づいてきている気がする。熱さはさほど感じないが、圧迫感がつよくなる。
「ない。私たちって、ろくに攻撃力ないんだよねぇ……あえて言うなら強行突破?」
「無茶いうな」
 大雑把な案をだす透亜に諷永は脱力しそうになる。
「穏当な方法なら岑羅を待つ?」
「……そんな猶予はなさそうだ」
 保たれている結界内でも息苦しくなるほどの圧迫感。座り込んだ透亜の呼吸が荒くなってきている。
 諷永は唇をかむ。決断をしなければならない。
 ポケットに手をつっこむ。
 いつも持ち歩いている、小さな銀色の珠をとりだす。
「『銀玉よ、我に力を貸せ。ただ一度の契約を施行する。炎を消せ……魔を祓え』
 大きく深呼吸してビー玉大の珠を床にたたきつける。
 はじけるように砕けた珠から、銀色の光りがほとばしり結界もろとも炎を一掃する。
 それを確認すると諷永はへたり込む。
「諷、永?」
 諷永の横顔が蒼白なことに気付き透亜は息をのむ。
 その心配そうな顔に諷永は小さく笑みを浮かべる。
「だいじょーぶ。……ちょっと、貧血」
「良かっ……むりに、笑わないでよっ」
 泣き出しそうになる透亜の頭に大きな手がのせられる。
「ホントにねぇ。無茶するなぁ。ものの見事にきれいさっぱり片付いちゃったじゃないか」
 のんびりした声。
「岑羅ぁ」
「……いつから見てたんだよ」
 いつの間にか室内にいる岑羅の姿を見て、諷永は力尽きたように自分の膝に突っ伏す。
「介入しようとしたところに諷永が物騒なもの出すからさぁ。あんなもの、どこで手に入れたんだよ」
 岑羅は諷永の額に手を当てながら尋ねる。
「……前に、流希にもらった」
 強い力をもつ共通の友人の名前を出すと、岑羅はうなずく。
「納得。それ、まだ持ってるか?」
「いや。さっきの一つだけだけど……」
 岑羅のまじめな声に諷永は訝しげに答える。
「なら良い。あんなもの、ほいほい使われたら危なくて仕方ない」
「あぶないって」
 心底の言葉に聞こえて透亜は不思議そうに尋ねる。簡単に処理できて便利だと思うのだけれど。
「力が強すぎる。過ぎたるは及ばざるが如し。諸刃の剣だ……少しは楽になったか?」
 諷永の額から手を放し、岑羅は尋ねる。
「あぁ。ありがとう」
「それ、便利だよね。私にも教えてよ」
 手を当て、そこから相手の気を整える力。
「んー。これは教えるとか、そういうものでもないんだけど。ま、今度な」
 岑羅の「今度」は全く信用できないので透亜は小さく溜息をつく。それは聞こえないふりをして岑羅は立ち上がる。
「さて、帰ろうか」
「先、帰ってて。あとで事務所行く」
 座ったままの諷永の言葉に、岑羅は耳元でささやく。
「フェミニスト」
「違うし。だいたい、覗き見してたヤツに、言われたくないね」
 銀玉による被害が大きくならなかったのは、岑羅の介入があってこそだろう。
 そのことを暗に指摘すると、岑羅は否定をせずに人の悪い笑みを浮かべた。
「さ、透亜いこーか」


「こんにちは」
 薄暗い部室に光が入り込む。ドアをあけた人影は無言で諷永を見つめる。
 背後でドアが閉まる音。
 そのまま動かずに立ちつくす少女に諷永は静かに話す。
「魔法陣は消えちゃったよ?」
「……」
「ねぇ。なんで、あんなもの描いたの? 取り返しのつかないことになるところだったって、わかってる?」
 人影は身動きせず、黙ったまま、ただ諷永を見つめる。
「ただのイタズラのつもりだった? でも、誰かが命を落とす可能性もあった。そうしたら、殺人犯だよ? 例え、直接手を下したわけでなくても」
 諷永の静かな口調に、少女が苛立った声をあげる。
「あんたなんかに、何がわかる。クズばっかり。死んでも、構わない」
 低い、怒りを含んだ言葉を諷永は黙ったまま受け取る。
「私のこと、バカにする奴。死んじゃえば良い。みんな」
 だんだんと声が大きくなっていく。それを見ながら諷永は語調を変えずに尋ねる。
「みんなって? それで、一人になるの?」
「あんたも、死んじゃえば、良い」
 怒鳴るような言葉を受けて諷永は目を伏せる。
 浴びせられる、感情の波。それにより垣間見える過去。
「ねぇ。誰が馬鹿にしてるの? 思い込んでるんじゃないの? 自分が馬鹿にされることしてるって。被害妄想だよ」
「……違う」
「違わない。周囲はわりと他人に無関心だ。それほど注意を払わない。気のせいだ。逃げるな。現実を見ろ」
 ゆっくりと諷永は言う。
「なに言ってるか、わかんないっ」
 駄々っ子のような少女に、諷永は近づく。
「わかる。大丈夫。わからないはず、ない」
「……どぉすれば」
 泣き出しそうな小さな声。
「それは自分で考えないと」
 諷永はすこし微笑って、小さな子にするように少女のあたまに触れる。
「大丈夫。がんばれ」
 そのまま、少女を残して部室を出る。
「……うん」
 ちいさな頷きが聞こえた気がして、諷永は小さく笑みを零した。


「ねぇ。それ、相手が逆上したらどうするつもりだったの?」
 話を一通り聞いた透亜が眉根を寄せる。
「……臨機応変」
「つまり何も考えてなかった、と」
 岑羅の言葉に応えず、諷永は昼食にとったピザを黙々と食べる。
「図星みたいだよ」
「そういうヤツだよなぁ。根本的なとこが大雑把というか。ある意味自信家なのか、単に人が良いだけなのか。何とかなるとか思ってるよな」
「楽天的なんだよ」
 透亜と岑羅は口々に言い合い、笑う。
「静かだと思ったら、寝てるし。こいつ、幼児か」
 テーブルに突っ伏している諷永を見て、岑羅はノドをふるわせる。
「シアワセそうな顔しちゃって」
 透亜は、ぶに、と諷永の頬を引っ張る。
 身動ぎするが、目は覚まさない。
「やめてやれよ」
 仮眠室から持ってきた毛布をかけてやりながら、岑羅は苦笑いする。
「透亜も疲れただろ。今日はもう帰っていいぞ」
「ありがと。そうする」
 最後にもう一度、諷永の頬をつねって透亜は立ち上がった。


「泉先輩、おはようございます」
「……はよー」
 反射的に応えて、諷永は隣にならんで歩く、声の主を見る。
 髪の短い女の子。
 誰だっけ、と記憶を探っている間に少女は笑う。
「とりあえず、考えました」
 その言葉で、ようやく気付く。
 髪の長さが違うし、雰囲気が変わっているからわからなかった。
 召喚紋を描いた少女。
 諷永の言葉を待たず、少女は笑う。
「決めました」
「ん?」
「好きです」
 言葉の意味がわかるまで、しばらくかかった。
「……え?」
「覚えておいてくださいねっ」
 校舎に向かって走っていく少女の背中が小さく他の生徒に紛れる。
「えぇと?」
 状況がつかめず、諷永は足を止める。
「よ。イロオトコー」
「……片山」
 からかうような言葉に振り返った諷永の呆然とした顔に、片山は声を立てて笑う。
「オマエ、実はこの手のこと、免疫ないのな。いいねぇ。春だねぇ」
「他人事だと思って……あー、びっくりした」
 大きく吐いた息が、白く空気にとけた。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】