十二月も近くなり、なんとなく町全体が慌ただしい雰囲気をかもし始める晩秋。
そんな世間とは裏腹に、電話は一つ鳴ることなく、落ち着いた事務所内。
「暇、だなぁ」
「別に、資料の片付け手伝ってくれても良いんだけど」
思わずこぼれた呟きに、非難がましい声が返る。
振り返ると、唯一の従業員である少女が手を休めることなく分厚いファイルを整頓している姿が目に入る。
「そういうの、苦手なんだよなぁ。ほら、新入社員が入ったらやらせれば良いから」
「あんな特殊な募集ポスター、見られる人なんてほとんどいないと思う」
期待できないなぁ、と続ける少女に軽く肩をすくめてみせた。
「うちで仕事するからには、あれくらい見えてもらわないと」
《従業員募集。年齢経験不問。勤務時間相談に応ず。お暇なら今すぐこのビル五階、探偵社WALKまで》
微妙にゆるい文面の募集ポスター。
白い紙に、パソコンで打った文字だけが乗っかっているだけというシンプルさが却って目をひいたのかもしれない。
「妙、だけど……ま、面白そうだし」
ちょうど、アルバイトでもしようかと考えたいたところだし。
好奇心に駆られて、軽い気持ちでビルの階段を登った。
とんとん。
電話のかわりに鳴ったノックに顔をあげると、ファイル整理を中断しドアを開ける少女の姿が目に入る。働き者だ。
「はい。どのようなご用件でしょうか」
「下のポスター見て、来たんですけど」
ためらいがちな、まだ若そうな声。
少々お待ちくださいと伝え、戻ってきた少女は訪問者に聞こえない声でささやく。
「
その嬉しそうな顔にお茶を入れてくるように頼む。
「どうぞ。入って?」
かるく礼をして入って来た青年に休憩スペースの椅子を勧める。
「高校生だよね? 名前は?」
岑羅も向かいに座り、正対する。
「
どことなく見覚えのある顔だと思っていたが、名乗られてようやく合点がいく。
必要最低限に仕入れていた情報の中にあった名前の一つ。小さな写真もついていたからそれで記憶に引っかかったのだろう。
偶然か、意図的なものか。
「今すぐ、なんて書いたのはこっちだから、全然かまわないよ。俺は一応ここの社長、
もちろん、そんなことはおくびにも出さず、にこやかに対応をする。
生真面目そうな表情で小さくうなずく。
表情には現れていないが、普通であれば、当然胡散臭い、と思うだろう。対応に出た従業員は中学生だし、自分の風貌も社長というには貫禄がなさすぎる。
ただ、それさえ承知の上の可能性もゼロではない。
どちらにしろ、最低限の確認はしなければならない。
「では、テストを始めます」
岑羅は用意したトランプを適当に切り、テーブルの真ん中に重ねて裏返す。
「何の……」
声に不審げなものが混ざる。
手品師の採用面接ならまだしも、探偵社の採用テストでトランプが出てくるのはおかしすぎる。まっとうな反応だ。
演技か、素か。
「上から順番にダイヤ・ハート。クローバー・スペード、どのマークが出るか、当ててみて。直感で構わないから」
訝しげにしながらも諷永は、じっと裏返されたトランプに視線を注ぐ。
「……ダイヤ」
岑羅は一番上のトランプをめくる。
諷永の言葉通り、八つダイヤが並んでいる。
「お見事。さて、さくさくいこうか。先は長い」
岑羅のかるい言葉にも諷永の集中は途切れない。集中力だけみてもいい人材ではある。
「クローバー……スペード、……ダイヤ……」
捲られた絵札を見ているのか見ていないのか、間違いがあってもそれにとらわれることなく次々に答えていく。
「ハート……あ、違ったか」
答えた後、最後のトランプを見て諷永は大きく溜息をつきながら背もたれへ身体を預ける。
使ったトランプをケースにもどしながら、岑羅は感嘆の溜息をつく。
随分良い正答率だ。ざっくり九割近く当ててきている。
ちょっと異常なくらいだが、そこに不正が入る余地がないことは岑羅自身が一番良くわかっていた。
問題はシロかクロかということだが、どちらにしろ、これだけの力の主を放置するのは問題がある。
たとえクロだとしても、手近にいたほうが監視出来て都合が良い。
「合格」
岑羅の短い言葉に諷永はほっと息を吐く。
「おつかれさま。どうぞ」
キリが付くのを見計らっていたのだろう。コーヒーをもってきた少女を紹介する。
「泉くん。こっちはうちの唯一の従業員」
「
岑羅の隣に座る透亜に諷永は小さくあたまを下げる。
「ところで、今のテスト、なんだったんですか?」
疲れた口調で尋ねる諷永に、透亜が楽しそうに笑う。
「うち、ちょっと変わってるんだよ」
答えになっていない透亜の言葉に岑羅は付け足す。
「ちょっと特殊でね。常識的ではないものも相手になる。たとえば、幽霊とか化け物とか?」
岑羅の言葉に諷永は目を見張る。
信じられない、という想いとは種類が違うように感じられた。
「それは、すごい縁だなぁ」
「縁?」
うれしそうな声音に、岑羅は意味を問う。
「いえ。こっちの事情です」
あっさりとした答えにそれ以上の追及をやめることにした。
「すごい数値。感覚だけならお嬢並か?」
その後行った追加の能力テストの結果を見て、岑羅は溜息をつく。
逸材だ。
しかし透亜は違うことに引っかかったらしく、ワザとらしく眉をひそめる。
「『お嬢』って誰?」
「……俺、そんなこと、言った?」
とぼける岑羅に透亜はますます眉根を寄せる。
「言った。ね、諷永も聞いたでしょ?」
「聞いた。確かに」
遠慮なく断言され、曖昧に笑ってごまかすことにする。
「ねぇ、岑羅、もしかしてロリコンなの?」
「あー。じゃあ、透亜あぶなくないか?」
「えぇ? 私ってロリの範疇? あ、でも岑羅の歳から考えれば、そうなるかなぁ」
ひそひそと聞こえるように言い合う二人に、岑羅は脱力する。仲良くなるの、早すぎだろう。
「勝手に、決め付けるなよ……はい」
ノックの音に、岑羅は立ち上がる。
「逃げた」
くすくす笑いあう二人の声を背中に聞きながらドアを細く開ける。
「ひさしぶり」
ひっそりと気配をけして立っていた少女に、岑羅は笑みを向ける。噂の当人が来るとは思わなかった。
「お嬢」
これもまた偶然なのか。
「偶然だよ。そんなに便利に見えるものじゃない。知ってるでしょう?」
思考をまるっと読まれて岑羅は、ただ苦笑をこぼすしかなくなる。
「俺はそこまで見えるわけじゃないし。入って。従業員、紹介するよ」
ドアを大きく開き、中へ招く。
「流、希」
その姿を見た諷永が呆然と立ち上がる。
これが縁起なら大したものだ。
「久しぶり、諷永」
「諷永とはどういう知り合いなんですか?」
透亜がお茶を出しながら、興味深そうに尋ねる。
「ありがとうございます。……高校の同級生。私は今、行ってないんだけど。そうだ、湊さんこれ、良かったら食べて?」
流希は小さな白い箱を渡す。近くのケーキ屋の名前が印字されている。
「いただきます。岑羅、今開けても良い?」
「どーぞ。お嬢、ありがとな。でも、気、使わなくていいのに」
うれしげに給湯室に戻っていく透亜の背中を見ながら言う。
「ん。もっと買ってくれば良かったな。ほかに人がいるとは思わなくて」
「はい。お待たせー」
菓子皿に焼き菓子を盛って透亜が戻ってくる。
「流希、充分じゃないか? っていうか、これ岑羅一人だったら、多すぎだろ」
「焼き菓子なら日持ちするし」
諷永の指摘に流希は苦笑いする。
「いただきまーす」
透亜がお菓子を食べ始めたのを見て、諷永もマドレーヌを取る。
「ところでお嬢、今日はどうしたんだ?」
偶然だと言っていたからには、諷永に会うためというわけではないだろう。
岑羅の問いかけに、流希は少し視線を逸らす。
「別に。暇だったから」
いつでも来て良い。そう伝えてはあるし、そのための場所でもあるから問題はない。が。
「行先は言って出てきましたかー?」
目を逸らしたということは、多少の後ろめたいことがあるということだ。あからさまだから、まぁ逆に大したことではないはずだ。
知られたくなければ、もっと本気で隠す。
「大丈夫」
何の根拠もない返答に岑羅は諦めてお菓子に手を伸ばした。
「見事に対照的だね。透亜と諷永」
二人の能力診断テストの結果表を眺めて流希は呟く。
「でも、二人とも『攻撃』にはむかなそうだけどな」
安堵の色がにじまないように気をつけながら岑羅は笑う。
「そうだね。ちょっと、ごめん」
鳴りだした電子音に、流希はかばんから携帯電話を取り出す。
「うゎ……はい?」
内容まではわからないが、受話器から漏れてくる声が怒っているのは伝わる。
案の定。大丈夫なはずがなかった。
「えぇと。はい……ごめんなさい。帰ります。……うん。わかってる。わかってるってば。帰ってから聞く。うん。ごめん」
相手の声の隙間をぬって何とか謝罪を挟み込む姿を諷永は楽しそうに眺める。
「バレた?」
「わかりきってること、聞かないでよ」
諷詠に八つ当たりめいた言葉を返す姿に思わず笑う。
「笑い事じゃないよ。……お茶、ごちそうさまでした。おじゃましました」
透亜に向かって声をかけ、流希はあっという間に事務所を出ていく。
「あわただしいなぁ」
「……ねぇ、諷永のカノジョなの?」
透亜の問いかけに、諷永はびっくりしたように顔を向ける。
「ないなぁ。流希がカノジョだったら、命がいくつあっても足りない」
かなり本気に聞こえる言葉に、透亜は大げさだと笑うが、その正しさに岑羅は苦笑する。
これはシロだろう。少なくとも流希に対しての害意がないなら問題ない。
「さて、とりあえず歓迎会ということで、ゴハンにでもいきましょうか」
「わーい。諷永、なに食べたい?」
無邪気によろこぶ二人を岑羅は微笑ましく眺めた。
Jan. 2000
【トキノカサネ】