地鏡(ちかがみ)



「出会えたよ?」
 懐かしい夢から覚め、やわらかいソファの上で寝返りをうって呟く。
 自分を育ててくれた大切な人たちが、夢の中では鮮やかなまま。
 懐かしくやさしい記憶。
「世の中、ままならないことが多くてイヤになるけどね」
 時を止めた自分の身体を見て、独白する
 それでも、たどり着けたことに感謝をする。
 決して、安住でないことがわかっていても、傍にいられる。それだけで。


 ■ ■ ■


 すべてを失った。失わされた。
 両親が、死んだ。殺された。
 なによりも、大事な人たちだった。大好きだったのに。
 質素に執り行われた葬儀に駆けつけた弔問客に深く礼をする。
 こういう時でも泣きわめかない自分の冷静さに、内心あきれる。
 天涯孤独となった自分の行く先が、施設であろうことに少々気が滅入りはしても。
 粗方の客が帰り、息をつく。
 がらんどうの家。
 きつく縛っていた髪をほどく。広がった髪が陰をつくる。
「こんにちは」
 突然の声に、慌ててふり返る。
 ありえないとわかっていても、わずかに期待した自分がいた。
 声が、父に似ていた気がした。
 気配が、母のものと似ていた。
 しかし、全くの初対面の青年が立っていた。
「……こんにちは。……父の、友人の方ですか?」
 きちんと喪服を着た青年は目を伏せる。
「いや。……メグルの、キミの母君の血縁」
 深い、哀しい色をした瞳を見て、会ったこともない青年の言葉を信用し、家に招き入れた。


 おそらく、思った以上に混乱していたのだ。
 知らない人についていかない、など基本中の基本。幼児でも知っていることなのに。
 促されるまま、青年の家まで来ていた。
 深い『森』のなかにある庵でお茶を出され、少し落ち着くと青年が口にした言葉をおうむ返しにする。
「お母さんの、お父さん?」
 誰が、誰の。
 話の流れからすれば、青年が母の父ということだ。つまり自分の祖父。
 突飛すぎる。
 青年はどう見ても二十歳ほどで、母より数段若い。ありえない。
 こちらの表情を読んだのだろう。青年は困ったような笑みを浮かべる。
「不老の薬を飲んだんだ。だからメグル達を手元で育てられなかった。……普通の場所では暮らせないからね、いつまでも年をとらない人間は」
 後悔と、それ以上に強い決意が読み取れる。
 不老など、本来なら信じられない。だけど、この青年の言葉は信じられた。
 大体、人間の立ち入れぬ精氏の森に居を構えている時点でありえないのだ。それに比べれば、不老くらい、まだありだと思える。
「一年だけ。一緒に暮らさないか? ほんとうならずっとと言いたいところなんだが、この森は生を進めるものにとって不適だから、それがギリギリの線だろう」
 応える間も与えず、青年は続ける。
「とりあえず、今日はもう休みな。疲れただろ」
 労わるような声と、やさしく髪を撫でる手にが心地よくて、素直に頷く。
 案内されて隣室の簡素な、それでも居心地の良いベッドに入り目を閉じる。
 ゆっくりと眠りに落ちる途中、名前を聞いてないことに気がついた。


「あー、相当舞い上がってるな、おれ。サイス・キヌート。好きに呼んでくれればいい。じじい、でも良いよ?」
 起きぬけ早々、名前を尋ねると苦笑い混じりの応えが返る。
 じじいはちょっと。見た目にもそぐわなすぎる。
 それより、キヌートというのは、それが本当ならずいぶんな大物だ。
「さて、朝ごはんにしよう」
「いただきます」
 出されたハーブティに口をつけ、顔をあげる。
「メリットを、教えてください。おれを引き取って、キヌートさんに何の利益がありますか?」
 今まで一度も接触せずにいて、期間限定とはいえ、突然引き取るというのは裏がなければおかしい。
 だいたい、縁者とは関係を断ち切っていた風なのだ。両親ともに。
 青年は微笑う。
「そうだね。おれは、出来ればラキを施設に入れたくないんだ」
「何故ですか?」
 確かに好んで行きたい場所ではないが、青年の言葉にはそれ以上の意味があるように思えた。
 青年はテーブルにひじをつき、指を組む。
「メグルの実家のことを知っているか? 家を出た理由も」
「……三家のひとつ、エイナ。出た理由も、なんとなく」
 深くため息をついて答える。
 母の口からはっきりと語られることはなかったけれど、それでも漠然と察しがついた。
「エイナはラキを欲しがっている。施設に入れば、すぐ引き抜きに来るだろう。……ラキが行きたいなら止めることはしない」
 感情なしにつむがれる言葉に即答する。
「行く気は、ないです」
 母が家を出ていたという事実だけで、充分だ。そこは決して自分の好む場所ではない。
 一瞬見えた、青年のほっとしたような表情に引っかかる。
「キヌートさん、犯人をご存知ですね」
 根拠があったわけではない問いに、返ってきたのはやはり予想に沿うものだった。
「黒幕ならね。実行犯までは、さすがにわからないけど」
「……それは、おれを手に入れるためですか? エイナが」
 そんな、それだけのことで。
 問いではなく、確認の言葉に青年はうなずく。
「そう。……それがなくても、行かせたくない場所だよ、あそこは。縛り付けられて、自我を押し殺して生きるしか出来ない。手加減を教えることもしないしね」
 冷ややかな色が青年の瞳に浮かぶ。
「護身術と銘打った殺人術だから。叩き込まれるのは。……おれも加減を覚えるのに苦労したし」
 青年は自嘲的な笑みを引っ込める。
「だから、ラキが望むなら、ひとりで暮らせるように、おれの持っているもの、すべてを教えてやる」
 真剣なその目を、まっすぐ見つめ返す。
 決断する。
「よろしくお願いします」
 その言葉に、青年のつよい瞳がゆるんだ。


 年不相応の冷静さ。呑みこみが早い、頭の良い子ども。
 両親の教育の賜物か、それとも操作による歪みなのか。
 その考えを振り切るように呟く。
「教えることなんか、すぐなくなりそうだな」
 半ば本気の言葉に、ラキが苦笑いする。
「何、言ってるの。稀代の術者ともあろう人が」
「そんなすごいものじゃないよ。言われてたほどね」
 隠居前の大仰な呼ばれ方を口にされ、今度は自分が苦笑する。
「ただ、わかりやすい英雄を欲しがる人が、言葉で縛る。この先、ラキがその立場になる可能性は、高いぞ?」
 まじめな顔で聞き入るラキに伝える。
 エイナに連なる以上。そしてラキがそれだけの実力を持つ以上、避けては通れないだろう。
 万が一、もう一人が命を落とすような事態になれば、エイナは手段を選ばないはずだ。
 今はまだ、それを告げるときではない。
「逃げ足は速いから大丈夫だよ。向こうだって、適当にあきらめるだろうし」
 ラキは明快に言い放つ。
 それは、自分の持つ力をすべて知らないから楽観的でいられるのだ。
 身に秘められた希少性。
 それに気付かれれば、傀儡にされる公算は大きい。
 そこまで考えて、思わず笑みをこぼす。
 大人しく、傀儡になるような子どもではない。これから、力をつけ、強くなる。きっと。
「何、キヌート。思い出し笑い?」
 呆れたようにラキは眉をひそめる。
「いや。そろそろ昼飯にしようか」
 もう一人を質に取られないことを祈る。それを盾にされれば、おそらく……。


 教え込まれた。
 キヌートの知り得る、多くのことを惜しげもなく与えてもらった。
 祖父であり、師匠であり、大切な友人。
「一年なんて、すぐだな」
「年寄りは悲観的だな、キヌート。別にいつでも会えるだろ。先は長い」
 暗い顔をしているキヌートに肩をすくめて応える。
 実際は、森から出てしまえば、しばらく会えないだろうけれど。
「他に、方法はあったはずなんだ。……ラキを連れてきたのは、ただのおれの身勝手なわがままだった」
 後悔の色が見える。
「キヌートのところに来なかったら、おれはエイナの中でおれじゃなくなってたよ?」
 精氏の森以上に安全な場所などないだろう。そこで、一年ゆっくりと色々なものを会得できたのは僥倖だ。
「でも、ごめん。キヌートに教えてもらったことを、正しく使えなくて」
 自分のやろうとしていることが間違っていることなんてわかっている。
 それでも、真実を知ってしまったからには赦せない。
「正しさ、なんて決めるのは自分だよ。……じゃ、修了証」
 キヌートの手が触れると、左耳に軽い痛みがはしる。
 守りの力を帯びる貴重な銀硝子のピアスが鏡に映る。
「『幸い』を」
 キヌートは額に触れ、小さく呟く。
 やさしい祈りの声。
「うん。また、ね」
 再会は、きっとずっと先になる。それが辛くないとは言えない。でも、今生の別れというわけではない。
「気をつけて」
 キヌートの見送る視線を背中に受けながら、振り返らないように前へ進んだ。


 成長しないことに気がついたのは、いつだっただろう。
 その年頃であれば伸びるはずである身長が、少しも変わらないまま時は移ろった。
 森を出たときからか、もしくは森にいたときから。変わらないままの外見。
 一箇所に留まることがかなわず、犯罪特区内を転々と移り住みながら、侮られがちな子どもの容姿も武器にしてさまざまな仕事をこなした。
 思いは薄れることなく、エイナに関することはどんなことでも引き受けた。
 だから、出会った。出会えた。


 ■ ■ ■


「いつか、会えるわ。『たった一人』に」
 微笑む母がもらした言葉。
「半身信仰、信じてるの?」
 人には必ず対となる人がいるなどという、お伽噺めいた伝説。
「私は知っているだけよ?」
 意味深げなことを平気でこちらに伝えた。
 母であり、一番の師でもあった。
「お母さんの『一人』は?」
「今は、ずっと遠くにいるわ。でも、近いの。わかるの」
 しあわせそうな、それでいて少し淋しそうな表情。
「お父さんとは、違うんだよね」
 以前、聞いたことがあった。
 ずっと遠くに、兄がいるというのを。そのことを話してくれていた時も同じような表情をしていた。だから、たぶんそうなのだろう。
「同じだけ、一番好きよ? ヨルヒくんも、メグミくんも、ラキのことも」
 夫と兄と息子をすべて同列に並べて、母は微笑っていた。


「夢か」
 懐かしく、優しい記憶に笑みがこぼれた。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】