「よ、久しぶり」
軽く手を上げる友人に笑みを向ける。
「お久しぶりです。元気そうですね。ヨウ」
「そっちこそ。っていうか、もっとマメに連絡よこせよ」
苦言を呈するヨウに、
「お言葉ですが、無精をあなたに言われたくないですね。だいたい僕はあなたの研究の邪魔しないように控えてるだけですよ?」
「はぁ? そりゃこっちの科白だ。『宮』の内部にいるヤツにそうそう気軽に連絡できるわけないだろうが」
ヨウはもっともらしい理由を付けるが、言い訳になっていない。
普通では『宮』に住んでいる相手に連絡を取るのは難しいのは確かだ。だが、空の直通連絡先をヨウは知っているし、今回もそれを通して約束している。
ちなみに空の言い分も、それならメールしておけよ、と一蹴される程度のものだ。
二人は顔を見合わせて笑う。
「ま、便りのないのは元気な証拠ってな。とりあえず、飯にしようか」
「おススメは?」
「今は第三食堂かなぁ。僻地なのが難点だが」
今いる場所からだと二十分ほど歩くことになる。
「丁度いいですよ。僕は一応部外者ですし、変な勘繰り受けるのも面倒ですしね」
お昼の混雑から少しずれれば、それだけ人は少なくなる。構内中央から離れていればなおさらだ。
許可を受けて入っているので、空がこそこそする必要はないが、あえて目立つ行動をする必要もない。
「じゃ、裏抜けてくかー」
「別にそこまでしなくてもいいんですけど」
気を使っているのか面白がっているのか判別つきかねながら、ヨウの後に続き人通りの少ない建物裏を歩く。
近況をだらだらと話している途中、不自然なタイミングでヨウが口をつぐむ。
向こうから歩いてくる少女に気付いてのことだと推測できたが、聞かれて困る内容を話していたわけでもないので訝しくは思った。
少女の顔が判別できる程度まで近づくと、ヨウとは別の意味で空は息をのむ。
見た目は十三・四。やわらかに波打つ長い髪、整った顔立ちに大人びた表情。
すれ違う直前、二人ににこりと可憐な笑みを向けた。
「……ヨウ、知り合いですか?」
通り過ぎた少女に聞こえないよう尋ねる。
「いや。……あれは『魔女』だ」
「?」
どちらかと言えば良い意味合いの呼称ではない。
薬術に精通するが、悧巧でしたたか、人を惑わす印象がある。
「サザナ師の秘蔵っ子って触れ込みでここ最近出入りしてるが、胡散臭い。見た目は幼いが、知識量がべらぼうで、弁も立つらしい。あの可愛らしい容貌に眩んでちょっかい掛けた奴らが口でも腕でも敵わず、こぞって撤退したっていうんだから」
ヨウは軽く肩をすくめて見せる。
「術力もかなりのものらしいし、外見通りの年齢ではないんじゃないかって噂もあいまって、ついたあだ名が魔女」
その話を聞く限り、確かに魔女という呼び名はぴったりだ。
「サザナ師って、術具の?」
専門が違うので記憶があやふやではあるが、何とか記憶の隅から引っ張り出して空が尋ねるとヨウはわずかに顔をしかめる。
「そ。それであそこ、今きな臭いんだよ。『魔女』以前に」
「キナ臭い?」
「盗難とか流出とか不穏な噂がなー」
「それはどのレベルの話ですか?」
ヨウは表立たない情報を得るのが上手い。ヨウだから手に入れられた話か否かで状況も変わってくる。
空の問いにヨウは小さく笑む。
「まだごくごく一部しか知らないはず。でもこのままだと広まるのも時間の問題。ってレベル」
「ヨウの考えは?」
「早々に内々で処理してほしいね。こっちの研究室にまで飛び火して痛くなくもない腹を探られるのは勘弁」
「でしょうね」
確認するまでもないことだ。
数多ある研究室すべてが清廉であるはずもなく、たとえ後ろ暗いことがなかったとしてもその性質上、外部の干渉は避けたいはずだ。
「ヨウ、戻りましょう」
「は?」
状況を把握していないヨウの手を引き、少女の立ち去った方に向かう。
さほど離れていない場所の大きな木にもたれていた少女は空の姿を見てひらりと手を上げた。
「こんなところで会うとは思わなかったね」
いつも以上にかわいらしい口調と表情のラキに空は渋面を作ってみせる。
「それはこちらの科白ですよ。あなた、何をやろうとしてるんですか」
「空、知り合いなのか?」
「ええ、まぁ」
気安い口調で声をかけた空に驚いた様子のヨウに答えながら少女の方をうかがう。
すれ違いざま、無視をしなかったということは関わってもいいという合図であったはずだ。
しかし、どこまでヨウに話していいかの判断はつきかねた。
「今はサザナ師のもとで便宜上シエラと名乗ってますが、本名はラキと言って、何でも屋をやってます。よろしくお願いします」
ヨウに向かって挨拶すると少女はぺこりと頭を下げる。
嘘ではないが微妙な自己紹介だ。
ヨウは笑顔のラキと無言の空を見比べながらこめかみを押さえる。
「……その名前、聞き覚えがあるんだが。で、何でも屋?」
「そう」
にこにこと愛らしい笑みを絶やさずラキはうなずく。
「まさか、なぁ」
ラキの名はヤミクと呼ばれる犯罪特区内限定ではあるが非常に有名だ。都市伝説のように尾ひれがつきすぎていて、実際はそんな人物はいないのではないかという噂もあるくらいに。
「あなたが思っているの、たぶん当たりですよ」
ラキが自ら言う気配がないので、空は仕方なく助け舟を出す。
「あの『ラキ』?」
「ワタシってば有名人ねぇ」
頬に手を当ててラキははにかむ。
「悪名高いっていうんですよ」
「空ってば辛辣なんだから。ま、そういうことで、よろしくね。ガラント家の若様」
まだ認識が追い付いていないヨウは自分の家名をあっさりと口にされ顔色を変える。
「な、んで」
これだから怖いのだ。
かわいらしい容姿に反して、的確に要所をついてくる。
いったいいつから、どこまで調べられているのか。
「そこまで驚かれると逆にこっちがびっくり。普通に目立つでしょ。見るからに良いとこの坊ちゃん二人がヤミクに平気で出入りしてたら。当然監視はつくし」
心底驚いたようにラキは目を丸くする。
これも本気なのか演技なのか判別は出来ない。
「あなたに言われたくないですけどね」
二人以上に、若いというよりは幼く、かわいらしい外見のラキがヤミク内を歩いていたら目立つどころではないだろう。
ラキは否定せずに肩をすくめる。
「まぁ、監視はある意味自衛手段だし、素性知ったからってどうにかしようとは思っていないから、気にすることないよ。こっちだって藪をつついて蛇を出す羽目になりたくないしね」
まだ微妙にショックを引きずっているヨウにラキは苦笑いで告げる。
多少安心したのか、ヨウは深いため息をこぼす。
その様子を横目で見ながら空は話を戻した。
「で、もう一度聞きますよ。何をしていて、何をさせたいんですか?」
「何でも屋の仕事に守秘義務はつきものだけど?」
「巻き込むつもり満々で何を言ってるんです」
挑戦的なラキに空はあきれて言い返す。
話せない部分は当然あるだろうが、その辺を伏せて説明するくらいわけないだろう。
「端的に言えば盗難かな。ただ、単純な物品ではなく開発途中の未発表のアレコレだから、面倒なことになってる現状。依頼はその解決」
あっさりと返された言葉は、先ほどヨウが話した内容と被る。
「あなたが受けるほどの仕事ではない気がしますが」
『ラキ』への依頼は金銭面だけでなく、随分敷居が高いと聞く。
解決がどの辺りを落としどころにしているかはわからないが、見合った仕事でないことだけは確実だ。
「付き合いとかねー、義理とかねー、いろいろとあるんだよ。しがない何でも屋にもねぇ」
指でくるくると自分の毛先を弄りながらラキは嘆息する。
「気が進まないところに丁度いいカモを発見したので使っておこうということですね」
「やだなぁ。空ってば。ワタシはちょっと助けてほしいなぁって思ってるだけよ?」
小首を傾げる様は本性を知っていてもかわいらしい。
「仲良いのな」
どこか面白がってるようにヨウはぽつりと口をはさむ。
「だって一緒に住んでるもんねっ」
空の左腕に抱きついてラキは可憐な笑みを向ける。
「マジか。カノジョ?」
「勘弁してください」
肯定も否定もせず、にこにこしているラキを引きはがす。
「つれないなぁ、空」
「ヨウも簡単に騙されないでください。だいたい、この人、男ですよ」
「は?」
空とラキを見比べるヨウに、ラキは声を立てて笑う。
実際、間違えるのも無理はない。
普通の格好をしていても男には見えないのに、今は完全に女装をしている上、仕草もそう見えるように徹底している。
「まぁ、そういうことで。手伝ってもらえるかな? もちろん報酬は出るよ。一応、師の物置部屋を見せてもらって、いくつか譲り受ける許可を得ているんだ」
物置部屋とはいうものの、実際は研究成果の宝庫だ。入れるのは所属の研究員の一部だけだという機密部屋であり、外部の人間を入れるというのは異例のはずだ。
「どっちにしろ噂の事実が明るみにでれば査察が入るんだし、それに比べたらどうってことないでしょ」
空の考えを読んだようにラキはあっさりと言う。
隣を見ると、好奇心に目を輝かせているヨウがいて、空はため息をつく。
もともと断るつもりはなかったとはいえ、的確な餌を撒いてくれたものだ。
「じゃ、契約成立。とりあえず、ご飯食べておいでよ。食堂行く途中だったんでしょ?」
「あなたは?」
「今食べてきたよ。工科棟地階二〇三に部屋をもらってる。二人分、認証入れておくから勝手に入ってきて。作業中だと返事できないかもしれないから」
二人の認識票を確認するとラキはあっさりと工科棟に向かう。
その姿が見えなくなると、空とヨウは同時に大きく息をつき、顔を見合わせる。
「とりあえず、ごはん行きましょうか」
「で、結局あれはどういう人間なんだ?」
食堂の隅の空いた席につき、苦い声を漏らすヨウに空はあいまいに微笑う。
「装うのが上手い人ですから、本音がどこにあるかわかりづらいんですよね」
「おまえと同類か」
「一緒にしないでください。レベルが違います」
空の猫かぶりなど、ラキの徹底した言動と比べ物にならない。
「まぁ、でもまともだと思いますよ。日常見ていると、びっくりするくらい」
かわいらしい子どもの見た目と、大人びた口調との差異は大きいけれど、そうと知らなければとてもヤミクの住人とは思えない。
不思議なほど荒んだ雰囲気がなく、まっとうだ。
「良家のお嬢さんって風情だよな、どっちかといえば」
「普段はもう少し奔放ですけど」
それも人を不快にさせないというか、ある意味微笑ましい程度なので、天真爛漫なお嬢様風かもしれない。
「っていうか、男だったか……」
ヨウが不意に口をつぐみ、音を立てずに人差し指でテーブルと一つたたく。
気がかりがあって、そちらに集中するときのサインだ。
二人で唐突に黙り込むのは不自然なので、空はかばんから端末を取り出す。
「ちょっとメール確認させてください」
「ぁあ」
おざなりな返事を聞き流し、空もメールをチェックするふりをしながら様子をうかがう。
「……監査が入……あるって」
二つ向こうのテーブルを通り過ぎる二人組の話し声がうっすらと届く。
二人組が食堂から出て行ってしまうと、ヨウは大きく息を吐く。
「認識票の色は?」
「二人とも青でした。話していた方は工科。もう一人はわかりませんでした。どちらも三十代半ばくらいに見えました」
認識票に標された色でどの程度の階級の人間か判別できる。青ということは中堅程度だ。
「見覚えは?」
「残念ながら。ただ知らない人だとは言い切れませんけど」
空が人の顔に関する記憶力に自信がないことを知っているのでヨウは軽くうなずく。
「時間の問題だとは思っていたが、広がり始めてるな」
「やっぱり、あのことですか?」
「あぁ。詳しいところまではわかってないみたいだったけどな。ホントに猶予がなさそうだな」
心底めんどくさそうにヨウは零す。
その重大性をあまりわかっていないような中堅クラスが、はばかることなく話していれば、直ぐに飛び火してたちまち炎上する。
そうなれば火消しは簡単ではない。
「一応保険かけとくかなぁ」
冷めてしまったスープをすくってため息をつく。
「最低限の安全策は取ったほうが良いかもしれないですね。あの人がどの部分まで片を付けるかわからないですし」
ラキは依頼以上に踏み込むことはないはずだ。
そして巻き込んだとはいえ、ヨウの便宜を図るところまではしないだろうから、ある程度の自衛は必要だ。
「見た目じゃないっていうのはオマエでわかってるつもりだったけどなぁ。アレが、なぁ……確信してるか?」
曖昧な問いに空は苦笑いする。
「あなたが言ってたんでしょう、魔女だって。言い得て妙ですよ。あの人は自分の見た目さえ利用してます」
かわいらしい外見は相手を油断させるのに適している。未だに半信半疑でいるヨウがいい例だ。
空も仕事ぶりを目にしたことはないが、平素の生活でも隙のない人間だというのは分かっている。
その上、ラキという名をあれだけ知らしめているのだ。無能であるはずがない。
「お手並み拝見ってとこか」
「それより何をさせる気なのかが問題ですよ」
無理難題を振ってくるとは思わないが、意図が読めない。
『ラキ』にとっては手助けが必要な事案ではないはずだ。
「ま、行ってみるか」
食事を片付け、ヨウは半ば楽しそうに立ち上がった。
人気のないフロアにある目当ての部屋のドアをノックする。
先に言われていた通り返事はなく、そのまま認証を通し開錠する。
「おじゃまします」
人の気配のないしんと部屋。乱立した本棚の間を抜け部屋の奥にすすむ。
雑然とした周囲とはうってかわって整然としたデスクの前にラキが座っていた。
空とヨウが入って来たことに気付かないはずもないのにピクリとも動かない。
読み取ることなど不可能なスピードで文字が明滅するコンピュータのディスプレイに掌をあて、ラキはただ目を閉じている。
その様は表情も生気もなく、ひどく作り物めいて見えた。
声をかけることも音を立てることもはばかられる雰囲気に、ヨウと二人、自然と息をひそめてそれを見つめる。
「……おはよ。じゃなくて、いらっしゃい」
まるでスイッチを入れられたように唐突に目を開けたラキは、二人に顔を向ける。
「大丈夫ですか?」
顔色がいつもより悪いように見えて空は思わず尋ねる。
「平気だよ。お茶入れるね」
危なげなく立ち上がると、ラキは部屋の隅でお茶の用意を始める。
が、全般に雑然としていてポットの置場にも不自由している。
不安定なトレイを支える手助けをしながら空は顔をしかめる。
「もう少し片付けたらどうですか」
『宮』ではそれほど散らかしていることがないので、この状況はすごく意外だ。
「これ、ワタシのじゃないもの。もともとサザナ師の資料部屋だったのを借りてるだけだから、あまり弄りたくないの。さすがに机の上だけはスペース確保させてもらったけど」
カップを余分なものが置かれていない机に三人分おいて、ラキは嘆息する。
「片付けたくなって困るから、なるべく視界に入れないようにしてる。どうぞ」
引っ張り出してきた折りたたみ椅子をひろげ、ラキの入れたお茶に手を伸ばす。
「そういえば『素潜り』までできるのか?」
ヨウが思い出したように尋ねる。
コンピュータに直接干渉する能力は、適性が大きくかかわり、いくら力が強い術者であってもできるとは限らない。
できたとしても補助具を使ってが当然で、ラキのように身一つで同調できるというのは異例中の異例のはずだ。
「ううん。安全装置、制御装置はつけてるよ」
当たり前だ。それらなくして潜る人間なんかいない。
ヨウも同じ気持ちだったのだろう。顔を思い切りしかめる。
「それは最低限で当たり前。導入補助も安定機も使ってなけりゃ、完全に『素潜り』だろ」
「深いところまでは潜れるわけじゃないよ。ヨウは潜るの?」
「オレはダメ。全く適性なし」
「ふぅん。そうなんだ。ま、いいや。……じゃ、本題ね。二人には情報の拡散をお願いしたいんだ。ヨウはそういうの得意でしょ?」
ラキはかわいらしく首をかしげて手を合わせる。
他の誰かがいるわけでもないのに、徹底して『シエラ』でいるつもりのようだ。
「拡散、ですか。隠蔽ではなく」
「今の状況だと、隠蔽は難しそうだしね。下手に工作すると却って真実味を増しかねない。実際事実だし。それなら拡散して成分薄めた方がマシよね」
訝しげに確認した空にラキはあっさり答える。
「それって死なばもろともって言わないか? サザナ師のとこだけじゃなく、他の研究室の噂もあることないこと広めろってことだろ?」
ヨウの指摘に頬杖をついていたラキは満面の笑みを浮かべる。
「察しが良くて助かるなぁ。大丈夫。それだけわけのわからない噂だらけになれば、監査なんか入れてられないって」
「でも、ひとつふたつ抜き出して監査が入る可能性はありますよね?」
「運が悪いよね、その研究室。かわいそう。まぁ、サザナ師のところに入らなければワタシ的には問題ないし。大体、後ろ暗いことなんてそんなにないでしょう?」
思ってもないことを口にするラキに空はあきれる。
「うちに入ったら最悪だ」
「身綺麗にしておくことをおススメ。まぁ、十中八九入らないし、入ることになっても多少の融通はきかせられるから、ヨウのところに迷惑はかけないように善処するよ」
何でもないように言っているが、それが出来るなら、端から介入させないという手は打てないのか。
「あのね。そこまで万能じゃないから。リスクは分散したいんだってば」
ラキは立ち上がり、ふらりと出入り口に近い側に移動する。
「どうし……」
ラキは人差し指を口元にあて、何も話さないよう示す。
その背後に棚の陰から手が伸びる。
「きゃ」
短い悲鳴が上がった時にはラキはいつの間にか現れた男の腕の中にとらわれていた。
「ラキっ」
思わず名前をそのまま呼んでしまい、空は焦るが、男の方はもっと焦ったようにあわてて周囲を見回す。
「っ! いないじゃないか。くそ。こいつが死んでもいいのか?」
その腕の中にいるのがラキだとは思わなかったようだ。
男はラキに該当する者がいないことにあからさまにほっとした様子で空にすごむ。
捕えられているラキはごく平然としているが、その首にはナイフが突きつけられている。
「余計なこと、しやがって。オマエなんかのせいで。オマエさえいなければ」
ぶつぶつと不明瞭な言葉を繰り返す男にラキが苦笑いを漏らす。
「自業自得じゃない。盗んだあなたが悪いんだし、盗るにしてもバレないようにやればよかったのに、それさえ出来なかったんだもの」
「あれは俺のものだ。俺のものを俺がどうしようと俺の自由だ」
「そうなの? それなら、正当性を主張して堂々と持ち出せばよかったんじゃない? こそこそしてたってことは後ろ暗いんじゃないのぉ?」
正論だが、挑発しているとしか思えないラキの言葉に空とヨウは顔をしかめる。
この状態で煽るなど、危険すぎる。
案の定、男は激昂する。
「痛い目見ないとわかんないようだな、クソガキが」
男が手に力を込め、より強く刃をラキの首に押し付ける。
「そっくりそのまま返してあげる」
あでやかに笑ったラキの顔が見えなかったのは男には幸いだったかもしれない。
自分に向けられたものでもないのに、ひやりとしたものが背筋を流れ落ちる。
口の中で何か一言つぶやいたラキの手元にいつの間にか銀に光る刃が握られている。
それをためらいなく男の太ももに突き刺す。
男がうめき声をあげ、捕えていた手が緩むとラキはその腕から抜け出す。
そして難なくナイフを取り上げ、逆に男に突きつける。
無駄というものが一切ない動きは、見ていたにもかかわらず、把握が追い付かない。
「形勢逆転だねぇ。どんな気分?」
太ももを抱えるように蹲った男をラキは無邪気に見下ろす。
「……あれは、俺の、だ」
痛みをこらえながら途切れ途切れに主張する男にラキは少し目を瞠って、笑う。
「あら、えらい。まだ言うんだ? でもね、たとえ成果があなたによるものであっても、ここに所属している以上、その主張は通らないよね。ここはそういう場所だもの」
男が研究室から黙って持ち出したのも、それをわかっていたからのはずだ。
「事実はどうでもいいけどね、関係ないし。とりあえず、邪魔だから『おやすみなさい』」
ラキの小さな手が男の額に伸び、指先がふれると糸が切れたように男は床にくずれる。
そこまで見届けて空はようやく大きく息をつく。
「あまり無茶しないでくださいよ」
「このくらい無茶でもなんでもないよ」
ラキは肩をすくめて男に突き刺していたものを引き抜く。
「血が」
刃が引き抜かれた大腿から血が流れることはなく、傷の痕もない。
「部屋の中、汚れるのイヤだしね。やらないよ、刃傷沙汰は。ただの『幻痛』」
どこか詰まらなさそうに男を一瞥してラキは振り返る。
「犯人捕まえたから、手伝いの話は結局ナシか?」
「なんで? 捕まえることはあくまでも副産物だよ。犯人突き出したら盗難の事実がばれてやっぱり監査が入るし。それを避けないと意味がない。ってことで、続行」
ヨウの問いに答えるラキは『シエラ』っぽさが少し抜けて本来のラキの話し方に近くなっている。
「了解」
ヨウは残っていたお茶を飲み干す。
「わかってると思うけど、足がつかないようにね。優先順位は二人の安全が一番だから。ヨウは興が乗って深追いしそうで心配」
ラキの指摘に空は思わず笑う。ヨウの性格をよく把握している。
「大丈夫です。僕が適当に止めますから」
「はいはい。よろしくたのみますねー」
わざと拗ねた口調をしたヨウは先に歩き出した。
「どこまで読んでたんだろうな」
「……はい?」
作業の手を止めて顔を上げると、ヨウが眼鏡を外して眉間をもみほぐしている。
「予定調和のようにきれいに進みすぎだろ。すべて『視えて』たって言われたほうが納得できそうだ」
「いくらなんでもそれはないでしょう。『
『未来視』は未来を垣間見られる力ではあるが、自在に何でも見られるのものではない。
ヨウはわかっているというように頷く。
「ただ、考えてみると校舎裏で会った時にラキと名乗ったのも、犯人に聞かせるためだったんじゃないかと思えてくるんだよな」
ヨウの言わんとすることと同様のことを空も思わなかったわけではない。
部屋の中では頑なに『シエラ』であり続けたというのに、あの時は簡単に名乗ったことが腑に落ちないのは確かなのだ。
ただそうすると、空がラキの名を思わず口にしてしまうところまでが織込み済みだと考えなければならなくなる。
そこまで細かく視えていたとは考えにくい。
「まぁ、それだけ腕がいいってことだろうけどな」
ヨウは伸びを一つして作業に戻る。
「考えても仕方ないことですしね」
事実がどうあれ、確認することもできない。
深く考えるだけ時間の無駄だ。
空もパソコンの画面に向き直り、作業を再開した。
ラキの使っている部屋に戻ると、ラキの私物が載っていた机は、書類や本が乱雑に積み上げられていた。おそらく、元の状態に戻したのだろう。
「片付けたままにしておいてあげるのが親切だったんじゃないですか?」
空が指摘するとラキは子供っぽいふくれっ面をしてみせる。
「この状態で、何があるか把握してるって言いきられたら元に戻すしかないでしょ。……終わった?」
「一応。下地は敷けた。順次広まるだろ」
いくつもの噂話を嘘真織り交ぜて、適当にばらまいた。不審を抱かせない程度になるよう細工もしてあるので、あとは人の口を介して拡散するはずだ。
「おつかれさま。ありがとう。こっちも何とか片付いたよ」
そういえば、転がっていたはずの犯人の姿がみえなくなっている。
「ここにいてもらっても邪魔だしね。引き渡した。……さて、それでは報酬受け取りに行こうか」
促されてラキの後をついていく。
部屋の中の本棚に囲まれた一角の壁にラキは左手をあて、右手でいくつかの紋を描く。
紋は淡く光り、壁に溶け込むと空間が広がる。
「通路?」
「っていうか、隠し扉になってただけ。無断侵入じゃないから心配しなくていいよ」
ラキの後に続いて入った隠し部屋は物置部屋という呼称がふさわしく雑然としていた。
研究成果の宝庫なのだから、さすがにもう少し整然と片付いているかと思っていたが甘かったようだ。
それでもラキが借りていた部屋のように書物や書類の散乱がないだけ、幾分ましな状況に見えた。
「得体のしれないものや、半端モノも混ざってるけど、何でも好きなもの一つ選んで」
「何でもって、大丈夫なのか?」
不審感たっぷりにヨウが尋ねる。
部外者立ち入り禁止になっているような場所の品物を持ち出すなど、通常であれば考えられない。
「転売禁止の条件は付けさせてもらうけど。最悪、何かあればおれが動けば済む話だしね」
ラキは笑ってあっさり答えるが、その笑顔が逆に怖い。
「……その格好で『おれ』って言われるとすごく違和感」
ヨウも同様なのだろうが、あえて触れず、全く関係ないことを口にしている。
「あぁ、内輪しかいないから気が抜けたな」
無造作に前髪をかき上げたラキは大人びた苦笑いを漏らす。
「初めて男に見えたわ」
仕草から『シエラ』が抜け、素になると、見目はかわいらしいながらもやはり少年に見える。恰好は元のままなので、ちぐはぐではあるけれど。
「そ? ともかく、好きなの選んでよ」
ヨウの零した言葉を軽く受け流し、ラキ自身も所狭しと並んだ術具を物色し始める。
見た目だけなら術具とは思えない繊細で女性向の装飾品が多い。
「サザナは細工師なんですね」
「そうだね。でも、見た目じゃなくてきっちり実用に耐えるよ。上等」
「これだけ繊細なものが作れるのに、どうして部屋は片付けられないんでしょう」
先の部屋よりましとはいえ、ここにある術具も、それぞれが重なりあったりしていて、傷がついてもおかしくない状態だ。
「それとこれは別なんじゃない?」
「自分がこの研究室じゃなくて良かったですよ」
毎日出入りする場所がこの状態だったら、空は耐えられないだろう。
片付けと、注意してとの繰り返しで研究どころでなくなるのは想像に難くない。
棚を物色していたヨウがそれを聞いて吹き出す。
「オレも良く怒られたもんな。散らかすな。使ったものは元の場所へって。おかげで、散らかし魔だったのに、今じゃ、後輩におんなじこと言うように」
「想像つく」
ラキの苦笑いに空は反論する。
「僕はあなたに細かく言った覚えはないですが?」
「えぇ? 窓から出るなとかよく怒られてるよ、おれ」
「それは片付けより大問題です。行儀悪い」
「効率が良いって言ってよ」
子供っぽく唇を尖らせるラキにため息を返す。
『宮』は広い建物なので正規の出入り口を使うのが手間だというのはわからないでもない。
それ以上反論を続けても言いくるめられるだけなので、空は術具の方に意識を戻す。
「うまくやってるようで安心したよ」
「おかげさまで」
ヨウが真面目に案じてくれているのが分かったので空も混ぜ返さずに返すと、ヨウがぽんぽんと頭を軽くたたく。
出会った頃の空がまだ幼かったので、その頃の癖が抜け切れていないのだろう。どうも子ども扱いするきらいがある。
いつもであれば文句を言うところだが、ラキのいる前でそうするのも憚られたので、気にしないふりをする。
そのまま空は目についた花を模ったペンダントを手に取る。
花弁が桜色の薄石でつくられた細工がやわらかく、似合いそうだと思った。
完全に見た目だけでの選択だが、術具としての機能は別に必要ないので構わなかった。
「それ、良いね」
ラキがこちらを見てほのかに笑う。
この人は一体どこまで知っているのか。つついたら藪蛇になるだけの気がして聞けずにいるが、それさえも含め見通されている気がする。
「ねぇ、ヨウは決まった? ……って、また妙なもの引っ張り出してきたなぁ」
色とりどりのガラス球の入った瓶を掲げたヨウにラキは苦笑いを浮かべる。
おそらく細工に使う前の『原石』だろう。
「こういう未加工のものが良いんじゃないか。いろいろ入っててお得だし」
にんまりと笑うヨウに空はため息を返す。
「度が過ぎるとほんとに通報されますよ」
「っていうか、追放じゃないの? 解析魔ヨウ」
ヨウがやろうとしていることを正確に察したらしいラキはあきれた表情で零す。
「人聞き悪いなぁ。あくなき探究心は研究者の美徳だろ」
「単なる趣味でしょ、ヨウは」
薬科に籍を置くヨウにとって術具は完全に専門外だ。
「良いけどね、別に。暴発させて研究室木端微塵とかやめてね、さすがに寝覚め悪いしー」
「するか、そんなこと」
ラキの言葉に即座に反論するヨウに、空は冷ややかな視線を向ける。
前科持ちが何を言ってる。
ラキもきっと知っていて口にしたに違いない。
「そこまで言い切れるのって、ある意味尊敬するよ。さ、じゃあ決まったようだし出ようか」
「ラキは?」
聞くと軽く手を上げる。その手首に細い銀青色のリングが掛かっている。
ラキの細く頼りなげな手首なら両腕いっぺんに通せそうなほど大きな代物で、本人が使うとしたらもてあましそうだ。
「それは?」
「ナイショ」
何気なく尋ねただけだが、ラキはかわいらしく笑ってはぐらかす。
毒気を抜かれて空はため息をつく。
「そうですか」
「うん。……ヨウ、ありがとう。助かったよ」
部屋を出るとラキは改めてヨウに向き合い、何かあったらここへとメモを渡す。
ヨウはそのメモを手帳に挟み、胸ポケットにしまう。
「いや。ま、楽しかったし? これで、撤収なのか?」
「そうだね。報告は書面で済ませるし」
「すっごい不審じゃないか? 噂が出回るタイミングで『魔女』が姿を消すのは」
ヨウと空に疑いの目が掛からないのは助かるが、作為的なものだとばれて査察が入ったら元も子もない。
「大丈夫でしょ。『シエラ』は誰の記憶にも残らないし」
眉をひそめた二人にラキは苦笑いしながら続ける。
「誰もっていうのは言いすぎだね。空やヨウ、それにサザナの記憶には残るはずだよ。おれがラキだって知らない人間に記憶が残らないようにしてただけだから」
ずいぶん簡単に言っているが、とんでもないことだ。
術というのは万能ではない。特に他人の記憶に干渉するとなれば非常に難しく、神経を使う作業を伴う。
「別に先手を打って術を布いてただけだから、そんな顔をしかめるほど難しいことじゃないよ」
確かに事後操作より、事前に記憶に残らないような術を施しておく方が楽には違いない。
が、あくまで比較すればの話で、それでも容易いということにはならない。
「後学のために教えてもらっても?」
ヨウは半眼になりながらラキに尋ねる。
「術の手口を晒すのはちょっと。聞くのもマナー違反だよ?」
「まぁ、そうだよねー。でも残念だなぁ」
ラキの当然すぎる返答に、ヨウは納得しながらも、落胆を隠さない。
「ヨウ、あなたね。いい加減にしてください。いらぬ好奇心で身を滅ぼしますよ」
ラキが寛容なので助かっているが、下手につつけば冗談じゃなく消されかねない。
「研究者の性もわかるけどね、ほどほどにしないと」
「じゃ、ほどほどな話。なんで偽名が『シエラ』?」
偽名に使うならもう少し一般的な名前を使ったほうが良かったんじゃないかとヨウが続ける。
「ぁあ、それはサザナの遠縁の子の戸籍を借りたから。身分証明をゼロから作るのは手間でしょ。地方の子らしいよ」
「だからか。あんまり聞かない名前だなぁと思ったんだよな。そういや、サザナ師も地方出身だっけ」
一人得心したようにうなずくヨウにラキは伸びをして一つ息をつく。
「じゃ、もう帰るよ。空も帰るでしょ?」
本当はもう少しゆっくりとしていくつもりだったが、なんだかもう疲れた。
「えぇ、帰ります。ヨウ。くれぐれも爆破に注意してくださいね」
言わずもがなのことを、それでも心配で声に出して注意して別れた。
「お二人で仲良くお帰りで?」
『宮』に戻ると笑顔を張り付けているが目に非難の色をたたえた
「そう。出先で偶然会ってね。空のお友達にも紹介してもらっちゃった」
それに気付いていないはずもないラキが、空の腕に抱きついて無邪気に返す。
不毛な化かしあい。
付き合ってられないが、下手に割り込むととばっちりをうけかねないので空は黙って成り行きを見守る。
「ふぅん、空のオトモダチっていうと、ヤミクに仲良く出入りしてたガラントの?」
笑みを深くして空に視線を向ける。
ラキだけでなく、良まで。どうして、どこまで把握してるのか。
「ため息をつきたいのはおれの方なんだけどね、空。悪さもほどほどにしてくれよ。いくらラキがそそのかすのが上手いからってさぁ」
作った笑みを呆れ顔にして、良はぼやく。
「やだなぁ、唆すとか、人聞きの悪い」
「ラーキ」
「引き受けた仕事先に見知った顔があったら頼りたくなるのが人情ってものじゃない?」
相変わらずかわいらしい笑顔のまま、ラキはしゃあしゃあと言ってのける。
ごつ。
「いったぁ。ひどいなぁ、いたいけな子供に鉄拳制裁」
良にこぶしを落とされたラキはどこか楽しそうに文句を言う。
「お前がそんな殊勝な性格だったら、おれの苦労は半減するんだけどな」
「大丈夫。大丈夫」
何が大丈夫なのかさっぱりわからないが、ラキは微笑ってそのまま良の横をすり抜ける。
良もそれ以上何も言わずに黙って見送ると空を見る。
「おつかれ」
「知ってたんですね」
「なにを?」
先に歩きながら良は肩ごしに振り返る。
「いろいろですよ。全部と言い換えてもいいですけど?」
はぐらかすような返答に、少々むっとする。
「全部って、また大きく来たな。空の『友達』のことは、……うちは一応本家だしね」
「あぁ、そうですよね」
外界を隔絶した『宮』で、穏やかに暮らしているため忘れがちだが、良はれっきとした
その吟樹の比較的上位の分家にあたるガラント家の人間のことを良が把握していないはずもない。
「以前、調査書をとったことがあってね、二人が懇意なことは、その時知った」
どこか後ろめたそうな口調。
おそらく、自分と接触する際に事前に調査を入れたのだろう。
『宮』に、良にとってなにより大切な『姫君』の側に引き入れる人間を確認するのは当然だ。
それなのに。
「良は甘いですね」
小さく笑うと良は肩をすくめる。
「ここで強がっても仕方ないだろ。……で、一緒に悪さしてきたっていうのは、推測。ラキがああいう態度とってるってことは、怒られるのを分散しようと面白がってたっぽいし」
「まさか、そのためだけに巻き込んだんですかね」
ラキはアレコレ理由をつけていたが、どうしても空とヨウの手が必要だったとは思えない。
「ラキの真意はわからないけど、それはないだろ。あれ、怒られるの好きだし」
「……え?」
「好きっていうか楽しんでるっていうか。基本、構われるの好きなんだろうな」
「ラキが?」
思い当たることがないわけではない。
空も良くラキに小言を言うが、ラキはふくれっ面をしつつも、それほど嫌がるそぶりは見せなかった。
でもそれは、外見に合わせ、装っているだけだと思っていた。
「早くから一人、寄りかからずに生きてきた反動かもな。本気でラキを怒るなら無視する方が堪えるかもしれないぞ?」
面白がってるのはこの人も同じだろう。
結局似た者同士にいいように翻弄されているだけな気がする。
「いつか機会があればやってみますよ」
深々としたため息とともにそれだけを返した。
「ひさしぶり」
しんと冷たい空の下、さみしくたたずむ一本の樹。
枯木のようにも見えるが、固いつぼみがついている。開花は当分先だろう。
手を伸ばし、枝に戦利品のネックレスを掛ける。
目を閉じ、幹に額をつける。
すぐそばを流れる川のせせらぎと風のおとだけで、声は聞こえない。
あたりまえだ。
もう受け取ってほしい人はいない。
わかっている。
だから、これはただの自己満足だけど。
「また来るね」
薄い桜色の硝子が光を受けてきらきら反射した。
Jan. 2015
【トキノカサネ】