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「はい」
「機嫌悪いな?」
 十五コール目でやっと電話に出た相手に岑羅(しんら)は確認するように尋ねる。
「別に。聞くまでもないだろ」
 コールをしつこく無視していたことで察しろ言わんばかりの不機嫌な声。
「悪かったって」
 岑羅のかるい謝罪に諦めたような溜息が返る。
「で、何の用? どうせろくでもない用件だろうけど」
「明日から、うちの従業員がそっちの学校行くからよろしく」
 散々な言いようを無視して岑羅は本題を伝える。
「……それって確か女の子じゃなかったっけ? うちじゃなくて隣の女子高か?」
 少々機嫌が直ってきたらしく、返ってきたのは訝しげな声。
 岑羅は得意げに言う。
「二人目獲得。(いずみ)諷永(ふうえい)。高校一年」
「いずみ……って、もしかしてあの泉か?」
「あぁ。じゃ、そういうことで」
 名前だけで余計なことまで察した相手から抗議をうける前に岑羅はすばやく通話を終了させた。


「高等部、生徒会長の藍方(あいかた)(にん)です」
 やせた、背の高い生徒がやわらかい笑みを浮かべる。
 しばらく通うことになった皐怜学園は生徒会の力が非常に強いことを思い出す。転入時に生徒会長にわざわざ引き会わされるあたり、相当だ。
 考えを表情に出さないようにして、諷永は頭を下げる。
「泉諷永です。よろしくおねがいします」
「こちらこそ」
 笑みを絶やさない藍方に、諷永は既視感を覚え、不躾にならない程度に顔を見る。
 右眼をかくすように伸ばされた長い前髪。優しげな顔立ち。肌は白く、髪は淡い茶色で全体的に色素が薄く、そのせいか余計にやわらかな印象を受ける。
「じゃあ、泉くん。なにか困ったことがあったらいつでも生徒会室へどうぞ。……溝内先生、失礼します」
 諷永の担任に一礼して職員室を出て行く藍方のうしろ姿をぼんやりと見送った。


「つかれた」
 なれない雰囲気の教室で、午前中の授業をみっちりとうけた諷永はクラスメイトの誘いを適当にかわし、屋上へ向かう。
 ダメもとで屋上へのドアをあけようとノブを回すが、がちゃがちゃと音をたてるだけで開かない。
「うーん。他校で悪さするのも、なぁ」
 この程度の鍵であれば開けようと思えば、開けられる。が、どうしようかと諷永はポケットに入ったピンを弄ぶ。
「でも、息抜きする場所は欲しいよな」
 よし、やろう。ばれなければ問題ない。
 ピンを鍵穴に差し込もうとしたところでノブが勝手に回る。
「ここは、立ち入り禁止だよ」
 笑みまじりの声に諷永は慌ててピンを隠し顔をあげる。
 屋上側から開いたドアの前に立つその人を見て諷永は目をまるくする。
「なんで、こんなトコに」
 言いかけて、諷永は生徒会長の手にあるものに目をとめる。
「そ。煙草を吸いに、ね」
 携帯灰皿に吸殻をいれて藍方は笑む。
「会長職、ストレスたまりそうですしね」
 屋上にもどる藍方のあとに続いて諷永も外に出る。
「別に? どっちかっていうと成長抑制?」
 確かに背は高い。一八〇は越えているだろう。痩身のせいか、実際の身長よりひょろ長く見えるし、それ以上の背丈はいらないだろうけれど、その言い訳はどうかと思う。
 諷永の複雑そうな表情に、藍方は本音を見せないおだやかな笑顔のまま言う。
「せっかくの憩いを邪魔するのも悪いから、おれは戻るよ。かぎ、かけて出てね」
 ひょい、と無造作に放り投げられたものを諷永は慌てて受け止める。
 その間に藍方の姿はドアの向こうにきえている。
 手のひらの中には屋上のものであろう鍵。
「……あの人、術者なのか?」
 ふと声に出た思いつきが、言葉にしたことで妙な確信になった。


「調査、っていってもなぁ」
 雇用主の指示は簡潔明快に「皐怜学園の調査をして来い」だけで、具体的な方向性など何もない。漠然としすぎで何に手をつけていいものなのかさっぱりわからず、諷永は校舎内を廻りながらため息をこぼす。
 今のところおかしな気配は何もない。
「とりあえず、生徒会長は微妙に怪しい感じ出てたけどなぁ」
 だからといって、なにか探り出せそうな気がしない。
「まぁ、初日から何か出たらかえっておかしいだろ。帰ろ」
 自分を納得させて、諷永は人気の少なくなった校舎を後にした。


「ただいまー……って、なんでいるんですか、こんなところに」
 《探偵社 WALK》と書かれた事務所のドアをあけた諷永は本日二度目の言葉を吐き出す。
 言われた方は我が物顔でパソコンに向き合ったまま、ワザとらしく眉をひそめる。
「自分の職場をこんなとこ呼ばわりはひどくないかな、岑羅」
「オマエの根性と同じくらいひどいな。自分の都合のいいときしか顔を出さないのはどうかと思うぞ?」
 藍方の言葉に応酬する岑羅をみて諷永はがっくりと肩を落とす。仲が良いのか、この二人。
透亜(とうあ)は修学旅行だっけ」
 この脱力感を分かち合うべき同僚がしばらく出勤しないことを思い出し諷永は溜息をつく。
「やっぱり、藍方さんは術者なんですね?」
「すごいな。断定できるんだ。わからないようにしてたのに」
 藍方は諷永の顔をまじまじと見つめる。
「『感覚』だけならお嬢並みだよ」
「あぁ、そうなんだ」
「藍方さん、流希(りゅうき)のこと知ってるんですか?」
 岑羅がお嬢と呼ぶ、諷永の友人。
 目を細めて自分を見つめた藍方に、諷永は尋ねる。
「術者で知らないやつはいないだろ。それより諷永、「さん」は邪魔くさいからいらない。忍で良い」
 藍方はするりと話を変える。
 これ以上、聞いてもはぐらかされるだけだろうと諷永は納得したことにしてうなずく。
「……ごめん。煙草一本吸わせて」
「いい加減、やめろよ。大して役に立たないだろーが」
 立ち上がった藍方に、岑羅は苦い表情を浮かべながらも灰皿を渡す。
「役に、って。成長抑制ってホントだったんだ」
 方便だと思っていた。
 藍方はライターの蓋を開け閉めしながら苦く笑う。
「じゃなくて。おれは、術力が強すぎて器が耐え切れないんだよ。だから煙草で力を鈍らせてるの」
「どうせ、気休め程度だろ。他の方法探せよ」
 バルコニーに出て煙草に火をつけた藍方は岑羅の忠告に溜息と一緒に煙を吐きだす。
「それを岑羅が言うかな。それより諷永、調査はどうだった?」
 煙を室内に入れないよう気遣いながら藍方は尋ねる。
「収穫ゼロ。唯一の不審人物がここでくつろいでるから」
 諷永は恨めしそうな声を投げかけた。


「まだ、動かないのか?」
 諷永が帰り、藍方と二人になると岑羅は切り出す。
 今度は事務所内で煙草に火をつけた藍方は煙の流れを眺めながら応える。
「時は至れり、とは言えない。まだ。……あいつが……言い訳だな」
 岑羅が何も言わずにいると藍方は静かに続ける。
「単に決心がつかないっていうのが本音かな。未だに発作起こしてるし」
 自嘲的な笑みを浮かべて、藍方は灰を落とす。
 その妙に頼りなげな表情を見ながら、岑羅は短く尋ねる。
「御せないのか?」
「できれば、うまくもない煙草なんかさっさとやめてるって」
 殊更にかるい言葉。
「諦めてるのか?」
 静かな問いに、伏せられていた色素の薄い瞳が岑羅にまっすぐ注がれる。
「まさか」
 その強い言葉に岑羅は安心したように微笑う。諦めるはずないことをわかってはいても、それでもつい確認したくなる。
「それはともかく、岑羅。依頼主は誰だ?」
「ルール違反だ、忍」
 話をかえてきた藍方に岑羅は当たり前の言葉を返す。
 依頼人に関して守秘義務が生じる。そのことを知らないはずないだろうと指摘すると藍方は笑みを浮かべる。
「なるほど」
 ひとり得心のいったようにうなずく藍方に岑羅は目で問う。
「岑羅が原則をきちんと守ってるってことを確認しただけだよ?」
 藍方は更に笑みを深くしてうそぶく。
 すべて見透かされた気がして岑羅は苦い息をもらす。かくしきれるなどとは思っていなかったとはいえ、少々しゃくにさわり反撃することにする。
「忍はさっきからなんのデータをコピーしてるわけ? 勝手に」
 来て早々からフラッシュメモリをさしこみ、いじっているのを黙認していたが。
 藍方はわざとらしくごまかしの笑みを浮かべる。
「なんのこと? あ、もうこんな時間だ。帰るね」
 抜き取ったメモリをポケットにつっこんで藍方は立ち上がる。
「おじゃましましたー」
「まったく。危ないことするなよ」
 岑羅の言葉に藍方は笑う。
「大丈夫。じゃ、また」
 全然信用できない言葉に岑羅は深々とため息をついて見送った。


「にんー?」
 地道に足でかせぐべく、始業前から校内を調査していた諷永は思わず大声を出す。
 神出鬼没というか、なんというか。
 場所は生徒会室の裏手だからまぁいいとして、問題は体勢だ。
「はよー。いい天気だねぇ」
 芝生の上に寝転がっていた藍方は目を細めてのんびりと言う。
「何やってんの?」
 藍方に近づき、諷永は尋ねる。
「光合成。何かわかった?」
 欠伸をかみ殺しながら、藍方は起き上がる。
「さっぱり。ふつーすぎるんだよ、この学校。べつにゆがみも、荒みもないし。忍はどう? 『感覚』、強いんだよな?」
「なか、行こう」
 深々とため息を零す諷永を生徒会室に招く。
「その辺、適当に座ってて。……ぶどうジュースと、炭酸がある。お茶がよければいれるけど、何が良い?」
「じゃ、ぶどうジュースで」
 部屋の隅に置かれたソファにかけ、諷永は応える。
「了解ー。こんなグラスでごめんね」
 なみなみとあかい液体でみたされたタンブラーをテーブルに置き、藍方は諷永の向かいに座る。
「……忍。これ、ワインじゃないのか?」
 確かなアルコール臭が鼻に届く。
「そうとも言うかもね。キライだった?」
 藍方は平気な顔でそれを口にする。
「いや、そうじゃなくてさ。学校内に酒、持ち込むなよ」
 それ以前に、未成年を指摘するべきなのか。でも、煙草の件では何も言わずに済ませてしまったし、と諷永が頭を悩ませていると藍方が小さく声を立てて笑う。
「割と常識人だなぁ、諷永」
「普通だと思う」
 諷永はグラスに口をつける。好意を無にしてはいけない。
「そのうち朱に染まるよ。で、さっきの話だけど」
 不吉な予言をしてから藍方は本題にもどす。
「淀みはないと思う。少なくとも依頼があがってくるほどの変化があれば、気づかないはずがない。……諷永、依頼主について聞いてるか?」
 諷永は首を横に振る。
「知らない。調査してこい、だけで放り込まれたし」
「まぁ、いつものことだけどな」
 ぼやくような言い方に諷永は尋ねる。
「忍、WALKにいたのか?」
「以前ね。授業、どうする?」
 始業のチャイムの音に藍方は諷永をみる。
「いい。さぼる。……で、忍の見解は?」
「選択肢はわずかだと思うよ?」
 皆までいわず、藍方はグラスを傾ける。
「……岑羅の捏造?」
 おそるおそる口にした諷永に藍方は苦笑いを浮かべた。
「たぶんね」


「しんらぁ」
「はやいな、二人とも」
 まだ授業中のはずの時間に帰ってきた二人に岑羅はのんびりと言う。
 恨みがましい呼び掛けを無視された諷永をみて藍方は呆れたようにつぶやく。
「ちょっと諷永に同情するよ」
「けっこう早くわかったな?」
 あっけらかんと捏造を白状され、諷永は岑羅をにらむ。
「なんだよ、それ。無駄足か?」
「まさか。忍に会わせようと思ったんだよ」
 一人、コーヒーを飲みながら岑羅は悠然と言う。
「おれに会わせてなんのメリットがあるんだよ」
「言わなきゃわかんないのか?」
 岑羅は人の悪い笑みを浮かべる。
 諷永の意外そうな視線を感じながら藍方は視線を険しくする。
「狸」
「そりゃ、おたがいさま。さて、諷永は報告書、書いとけよ」
 愉しそうにいうと岑羅はコーヒーのおかわりをいれにいく。
「何を報告しろっていうんだよ」
「がんばれ。じゃ、岑羅。帰るからな」
 ぼやく諷永に応援の言葉をかけたあと、藍方は給湯室に声をかける。
「また連絡する」
「いらない」
 岑羅の言葉をばっさりとうちはらい、藍方は事務所を出て行った。
「で、メリット、教える気にはならないのか?」
 二人分のコーヒーをいれてもどってきた岑羅に、諷永は尋ねる。
「そのうちにわかるよ。ま、今回は練習とでも思ってくれれば」
「岑羅に相対する練習?」
 調査の練習というよりは、岑羅の人となりになれるための練習と考えたほうがしっくりくる気がする。
 諷永の確認のような問いかけに岑羅は苦笑いする。
「いいけどな、それでも。報告書は急がないから、今日はもう帰っていいぞ」
「そうする」
 何もやっていないのに、すごく疲れた気分で諷永は職場を後にした。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】