snowed in fairytale



「あのさぁ、おれはランプの精じゃないんだけど」
 ドアを開け、事務所の主にラキは苦く言う。
「三つといわず何度でも。かなえて欲しいな、願い事」
 明かりのついていない事務所の奥からおどけた声が返る。
「……」
 手探りで蛍光灯のスイッチを押し、明るく照らされた部屋の中、外を眺めていた岑羅の姿が窓に映し出される。
「人を呼びつけておいて、いい態度だな?」
「せっかく雰囲気出してたのに、台無し」
 岑羅(しんら)は振り返り、片眉を上げる。
「悪役のボスを気取るには、ちょっと貫禄が足りないかな」
「なんで悪役限定だよ」
「暗い部屋にいるのは後ろ暗いことかかえている証拠だろ」
「仕事を頼みたい」
 否定せずに、静かに告げる岑羅の声。
「言っておくけど、おれはシンラのとこの社員じゃないんだからね」
 呼び出されたからには予測はしていたが、ここ最近、まわされる仕事が多すぎる。
「わかってるけど、さ。ラキ、有能だし」
「で?」
 世辞などで無駄に時間を費やしている暇はない。
「お茶、いれる」
 よほど切り出しにくいことなのか、岑羅は本題に入らず立ち上がる。
 ラキはいすに座り、頬杖をついてぼんやりとする。
 ゆっくりとコーヒーの香りが流れてくる。
 いったい、どんな面倒ごとを押し付けられるのだろう。
「疲れてるな」
 目の前にカップが置かれる。
「ありがと。……別に、ぼーっとしてただけだよ」
 コーヒーが胃にしみわたる。
 岑羅はあまり信じてない風にうなずいて、向かいに座る。
「食人鬼が出た」
 射抜くような厳しい目。
「……安直な、ネーミングだな」
 思ってもない方向から話が始まったので、ラキはとりあえずそれだけコメントする。
「名付けに凝ってる余裕なんかない。わかっているだけで十人」
 それだけの人間が食われているということか。既に。
 感情を押し殺した岑羅の説明に、ラキは深々とため息をつく。
「何でそういう仕事を回すわけ?」
 事態は急を要し、適任者は数少ない。
 非常に厄介な状況だ。
「この間の貸し、帳消しにするから」
 ぱんっ、と手を合わせ岑羅は拝む。
 何を借りたかとラキは記憶を辿り、眉をひそめる。
「あの程度の情報と食人鬼退治が同列か?」
「あれがなかったら、詰められなかっただろ?」
 拝み顔から一転、平然と岑羅は言う。
 確かに事実だが、利子のつき具合が半端ない。
「他に、条件は?」
 仕方なく諦め、ラキはこめかみを揉みほぐす。
「……捕獲」
 言いにくそうに呟かれた言葉。
「は? 堕ちてるんだろ、もう」
 鬼、と名付けたのはそういう意味のはずだ。
 器がどうあれ、それはもう人ではない。捕獲する意味などないはずだ。
「落としてくれ」
「正気か?」
 憑いた鬼を落とす? 意味がない。
 眉間のしわを深くするラキに岑羅は続ける。
「殺すのはまずい。法の裁きにかけるのが最終目的だ」
「……落とせたとしても、心神喪失状態で罪には問えないだろ」
 身体は生きていても、中身はずたずたで、意識などあるはずもない。
 口に含んだコーヒーがまずい。
「とっくに進言済み。そのくらいのことはどうにかクリアさせる気だろ。おかげで俺は証拠集めに東奔西走」
 岑羅は疲れた笑みをこぼす。
 ずいぶん大物顧客が絡んでいるようだ。
「絶対の成功は約束できない」
 ラキは仕方なく応える。
 毎回、このパターンにで仕事を引き受けている気がする。
 己の人の好さに拍手だ。
「悪い」
「……言っておくけど、プラスアルファの分は貸しだから」
 静かに礼をする岑羅にラキはわざと軽く返す。
「努力するよ」
 報酬について言質を取らせない岑羅にラキは軽くこぶしを突き出し、立ち上がった。


「たしかに、おれは可愛いけど。囮になるのも仕方ないけど……ここまでやる必要がどこにあるよ」
 用意された服に着替えたラキは雇用主に苦言を呈す。
「思ったとおり、お似合いですよ、お嬢さん」
 岑羅は満足そうに言う。
 シンプルなニットのワンピースに真っ赤なコート。
「ロリ趣味?」
 これで藤のかごでも持てば立派に赤ずきんの劇に出られる。
「いーや。俺は違うけどね」
 ゆるい笑みを岑羅は浮かべる。
「しょーがないなぁ。オオカミさんに食べられに行ってきますか」
 ラキは肩をぐるぐる回す。
「言葉は正しく使えよ。オオカミを食い殺す赤ずきん?」
 岑羅が口の端だけで笑う。
「今回は殺したらダメなんだろ? じゃ、いってくる」
 ラキは冷ややかな笑みを返して、事務所を後にした。


 雪が降ってきた。
 そろそろ冬も終わりか、と思っていたところへの不意打ち。
 夜に舞う白いものに、帰途を急いでいた人たちも一瞬歩をゆるめて空を見上げる。
 なんとなく、周囲が静かになった気がする。
 息をひそめたように。
「もしもし? おれ、だけどー」
 突然耳に届いた、どこか違和感のある声。
 声の主を探すと、少し離れたところで小学生が携帯電話を使っている。
 赤いフードつきのコートは赤ずきんを彷彿されるかわいらしさ。
 大声で話しているわけではないのに、どこか耳に残る。
「雪、降ってきたし。おれだって、内勤のが良いよっ」
 違和感の正体がわかった気がした。
 ふつう、女の子が「おれ」とは言わないだろう。
 言わないで欲しいという願望かもしれないが。
 せっかく成長すれば美人さん間違いナシのかわいらしい子なのに。
 すれ違った赤ずきんは大きくため息をついて終話ボタンを押していた。


「さむい。……これじゃ、マッチ売りになっちゃうよ」
 恨めしく空を眺め、ラキはぼやく。
 何も雪まで降り出さなくて良いのに。
 フードを被り、手をポケットに突っ込む。
 こんな天気のせいか、誰もいない閑静な公園。
 ラキは外灯の一つにもたれる。
 待つ、という戦法はあまり好きではない。
 特に自分が囮となっているときは、それなりの隙も見せるという余計な仕事までついてくるので尚更。
 気配を絶つ方が、美味しそうに見せるより断然楽なのだ。
「オオカミさん、オオカミさん、早く引っかかってくださいな」
 ラキは歌うように呟く。
 公園の真ん中にある時計棟に目をやる。
 日付が変わって、六分が過ぎた。
「十二時に魔法がとけるのがシンデレラだっけ?」
 残念ながらラキは当分家に帰れそうもない
 ポケットの中で手に触れる金属を握って、その時が出来るだけ早く来ることを願った。


「何してるんだ?」
 突然かけた声に、驚いた様子もなく赤ずきん少女はふり返る。
 訝しげな表情。
 外灯の下、吸い込まれそうな綺麗な目。
 無防備な姿はやはり「おれ」などという一人称は似合わない。
「人を待ってるの」
 にこっと人懐こく笑う。
 これが、晴天の日中であれば似つかわしいが、今は雪降る真夜中。
 そんな中、小学生の子どもが一人でいるのは妙すぎる。
「こんな時間まで?」
 駅前ですれ違ってからずいぶん経っている。
 そして、自分の部屋から少女の姿を見つけてからも。
 少女のフードに積もった雪からも、長い間ここにいたことがわかる。
 雪をはらってやると、少女はくすぐったそうに笑う。
「うん。夜行性なの」
「だからって、何もこんな寒い人気のない場所で待たなくても」
 いくら子どもは風の子といっても、寒くないはずないだろうし、風邪をひきかねない。
 それ以前に、子どもが出歩く時間ではない。
「シャイだから、人がいるところに出てこないんだよ」
 くすくす。いたずらっ子みたいな笑顔。
「まだ、来るまで時間かかりそうなのか?」
 いったい、どんな相手と待ち合わせているのか気になる。非常識すぎる。
「ん。たぶん」
 少女は空を眺めて考えている。
「おれの部屋、来るか? 窓からここ見えるし、雪はしのげるし」
「アリガト」
 小学生に悪さするつもりはない。が、こうも簡単に返事をされると心配になってしまう。
「あの、さ」
「でも、やめとく。餌がなくなったら魚は釣れないし」
 どういう意味だ?
「待ち人、来たる」
 赤ずきんの視線の先を追う。
 薄暗い人影がゆっくり近づく。
 ……あれが?
「おにーさんは動かないでね。すぐ、終わらせるから」
 強い目がこちらを見て、きれいに笑う。
 その視線ははすぐに待ち人の方に向けられた。
 男だ。二十代半ばといったところだろうか。
 どう見てもやばそうな雰囲気。
 クスリでもやっていそうな感じも受ける。言葉が通じない酩酊者。
「遅かったな」
 少女は準備運動のように伸びをする。
「やっト見つケた」
 やはり、イントネーションもおかしい。
 少女は構わず男を見つめているが、平気なのだろうか。
 いざというときは少女をかかえて逃げられるよう、態勢を整えておく。
 妙な緊張感。
「おれ、待たされるのってキライなんだよ。おまけにこんな寒いところでさぁ。いくら仕事だからってちょっとひどいよな、この仕打ち。ってことで、八つ当たり込み」
 一歩一歩。
 少女の声も、こちらの姿も無視して男は少女に近寄る。
 不安になり、赤いフードを軽く引くと、少女はこちらを見て平気そうに笑い、すぐに男に向き直る。
 少女はずっとポケットにつっこんでいた手を出す。
 その小さな手の中には子どもの手には少し大きい銀のライター。
 手慣れた風にふたを開け、火が着くやわらかな音が届く。
 魅入られたように男の足が止まる。
「そレハ」
「華炎、許す」
 ぞっとする。
 寒さのせいではなく、少女の声に。なぜか。
 ただ、少女はささやいただけなのに。
「オまエ」
 男の怒気をはらんだ声と同時に蒼い炎がその足下に咲く。
「ついでだ。雪もおまえにやる」
 少女の大人びた声に、降る雪が炎に変わる。
 その炎が自分の手に触れ、慌てて引っ込める……熱くない。そして、雪のように冷たくもなく、熱のない光のようだ。
 それにも関わらず男は不快そうにそれを避けようとする。しかし、その甲斐なく降る炎は男に積もっていく。
 少女は状況をまっすぐ見据えている。
 感情のない、透徹とした表情は声をかけるのも憚られる。一種、神々しいと言っても良いほどに。
「おまえは、一線を踏み越えた。そして殺しすぎた。……人の味を覚えたな?」
「……うマそうダ……おまエ、チガう」
 炎に包まれても狼狽えもせず男は少女の首に手を伸ばす。
 舌なめずりの音。
「おれは美味いよ。アタリマエだろ」
 妙な会話だ。気持ち悪い。
「喰ワセろ……かテと、ナれ」
 少女は笑みをはく。
 蒼い炎雪に映えてひどく凄絶だ。
 男は倒れるように少女に襲いかかる。
 その口に牙がひらめいた。
 動けなかった。……足が凍り付いたように。


「浄めを。華炎」
 男の牙が首筋に触る。
 それが肌を裂く前に済まさなければならない。
 自分の血が、どれだけの力を持つかはよくわかっている。それに触れたものが、どうなるかも。
 蒼い炎は決してラキ自身を傷つけることはない。そして男の器も。
 ただ、穢れを祓うだけ。
 男の大きな手が肩に食い込む。
「疾く」
 短い命令に蒼炎が広がり、男にはじめて狼狽の色が走る。
 ずるずると男が地面に滑り落ちるのを確認して、ラキは牙の感触を手の甲で拭った。


「まかせた」
 少女は炎を一瞥して呟き、ふり返る。
 その表情は、もう普通の子どもの顔だ。
「……何だ、今の」
 まるで映画の中に迷い込んだかのような非現実感。
「何だろうね。ホントのことは、おれもわかってないよ」
 曖昧な微笑は、それ以上を問い詰めるのを断念させた。
 だから、すごく真っ当なことを言う。
 現実逃避。
「おれ、は止めたほうが良いよ。女の子なんだし」
「そーかもね。でもね、おれ、オンナノコじゃないから」
 くすくす笑う少女の足下を見る。
 はいているのは間違いなくスカートだ。
「男の子?」
「このカッコ、似合うでしょ?」
 見せびらかすように少女はくるりとその場で回る。それに合わせてスカートもふわりと揺れる。
 確かに、似合う。
 聞いた後でも、女の子じゃないなんて信じられないけれど。
「そういう問題か?」
「やっぱりさぁ、オオカミさんと対峙するのは赤ずきんちゃんでしょ?」
 どこまで本気なのか。
「今から、どうするんだ?」
 炎はいつの間にか消え、倒れている男の上に白い雪が降り積もっている。
「帰るよ? おれの仕事は終わったし」
 さっきも言っていた。こんな子どもが仕事?
 夢だと言われたら信じられるくらい現実感がない。
 この寒さは夢ではないだろうけど。
「あ、この人はほっといても良いよ。そのうち身元引受人が来るだろうから」
 視線の意味を勘違いしたらしい少女……ではなく少年はにこりともせずに言う。
 その表情の意味は読めない。
「そうじゃなくてさ。もう電車ないし、泊まっていくか?」
 男の子だとわかったからには、余計に遠慮は要らない。
「おにーさん、良い人だねぇ。見ず知らずの子どもなんかのために」
 男の子だ、と聞いてもやはり可愛らしい。
「雪降ってるのに、ほっとけないだろ」
 あたりまえのことだ。
 頭を小突くと、少年は満面の笑みを浮かべた。
「アリガト」


 居心地のよい青年の部屋。
 ラキは勧められた椅子に座り、ベッドに腰かけた青年と無言で向かい合う。
 何から聞くべきか、口火を切るきっかけがつかめないらしい青年にラキが先に口を開く。
「魔法を見せてあげるよ」
 ラキは人の好い青年を見上げる。
 誘いに乗ったのはしなければならないことがあったから。
「?」
 手招きに合わせて目線を下げた青年の前で、ライターに火をつける。
「忘れて?」
 全てをなかったことに。
 覚えていて、良いことなど一つもない。
 炎に魅入り、青年の目が泳ぐ。
 そっと額を押すと、ベッドにゆっくり倒れる。
「オヤスミナサイ。よい夢を」
 ライターの蓋を閉じ、ポケットにしまう。
――
「終わった」
 アパートをあとにしてラキは報告の電話をかける。
「おつかれ。こっちも終了」
 お互い、どこか苦いものをはらんだ声になる。
 ラキは軽く頭を振り、とりあえず気分を帰る。
「っていうかさぁ、終わった途端に雪がやむってどういうことだよ」
 星がまたたく空を見上げる。
 イヤガラセとしか思えない。
「日頃の行い……ウソですー」
 電話越しに殺気を感じたらしい岑羅は即、前言撤回する。
「礼金、楽しみにしてまーす」
 ラキは返事を待たずに通話を終えた。

【終】




Feb. 2003
【トキノカサネ】