the right way



「ラキ、帰ったんだ?」
 ドアが開く微かな音に、岑羅(しんら)はふり返る。
「お嬢」
 見るたびに、気配が淡くなっている気がする。
 それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、本人に自覚がないようなので、とりあえず触れずにいる。必要とあれば、誰かが指摘するだろう。それは自分の役回りではない。
「知ってた?」
 いつものように窓際の椅子にすわった流希(りゅうき)に尋ねる。
 簡潔すぎた問いの意味を正確に読み取った流希は軽く肩をすくめる。
「わざわざ確認はしなかったけど」
 ラキの行動くらい予測がつく、ということか。
「簡単な報告をして帰ったよ。次の仕事もあるみたいだし」
 ラキの使った方便を岑羅はそのまま伝える。
「ところで、諷永(ふうえい)は?」
 一緒に戻ってきたはずだ。
 岑羅の入れたお茶を受け取った流希はうなずく。
「ありがとう。……身体、負担かかってるみたいだから、帰って休むように伝えた」
 今まで使っていなかった力を引きずり出したのだから、それは仕方がない。
「どうだった?」
 焦点の曖昧な問いかけに、流希はカップをテーブルに置いてため息をつく。
「会わなければ、良かったのかと思う」
 質問とは、ずれた回答。
 続きを岑羅は目線で促す。
「出会わなければ、諷永が術を覚えるような状況に陥ることはなかっただろうから」
 感情がおもてに出ない、淡々とした口調と表情。
「そんなこと言ったら雇い入れている俺はどうなる? お嬢が負担に思うことじゃないよ」
 岑羅の言葉に流希はかるく笑う。
「私と会わなければ、WALKに来ることはなかったんじゃない? 諷永はもともと、感覚は強かったけど、ちょっといびつな伸び方、したよね?」
 確かに『感覚』だけが突出しすぎている。
 未来視(さきみ)能力の片鱗を見せる辺り、相当に。
「でも、それはお嬢がどうというより、どっちかと言えば(せい)と出会ったからじゃないのか?」
 術者としては決してレベルが高いとは言えない青は、しかし他に与える『影響』力が強い。
 もともと素地のあった諷永が、それに誘発され、より力を伸ばした可能性は高い。
「どうなのかな」
 流希は両手で包むようにして持ったカップの中を見つめる。
「どちらにしろ、家と決別するつもりなら力はあったほうが良いかもな」
 岑羅自身、そうとでも考えなければ、気持ちに折り合いがつけられない。
「力を持った諷永を、易々と手放すとは思えないけど?」
 顔を見合わせ、お互いに苦笑いめいたため息を吐き出す。
 堂々巡りだ。
「まぁ、それも含めて諷永の選択だしな」
 結局、流希の立場を知っても友人を続けているのは本人なのだ。そこから派生するリスクも覚悟しているだろう。
「……知ってたのに」
「お嬢?」
 微かな呟きの意味をたずねる。
「本当は、回避するべきだった。諷永が、泉代議士の息子だと、わかっていたんだから」
 懺悔のように、深いため息と一緒に流希は吐き出す。
「いつから?」
「はじめから」
 口元に浮かぶ、諦めたような笑みを見ながら岑羅は問いを重ねる。
「泉代議士に会ったことが?」
「何度か。……最初は伯父上に、引き合わされた」
 聞くべきではなかったと岑羅は悔やむ。
 少し考えればわかったはずだ。代議士と流希の伯父とのつながりなど。余計なことを思い出させたかもしれない。
「同じ高校になったからって、距離をとることは出来たはずなのに」
 それをしなかったのか、できなかったのか。
「良いんじゃないか? 諷永は後悔してないと思うぞ」
 一緒にいる様子を見ていれば、良い関係だというのは、すぐわかる。
「それでも、厄介ごとが関わるとわかっていれば……」
 なお言い募ろうとする流希の言葉を岑羅はさえぎる。
「お嬢。それでも、時は戻せない」
 どれだけ力の強い術者であっても、過去に戻ることも、それを変えることも不可能だ。
「わかってるよ」
 静かな笑みに似た表情が痛々しくて、岑羅は窓に目を向ける。
 既に夜になった外の景色に、うるさいほど電飾が瞬く。
「大丈夫だよ。出来るかぎり、手を貸す」
 流希にも、諷永にも。
 そして岑羅自身の望む方向へ進むように、手を尽くす。
 返事はないまま、しずかな気配が吐息をもらした。

【終】




Apr. 2010
【トキノカサネ】