permeable voice



 繁殖する。
 人の口を介して。
 それは、誰も禁ずることのできない危険な罠。


「あっつー」
 改札から出た途端、突き刺さる強い光に顔をしかめる。
 足をもう一歩踏み出すと、熱されたアスファルトからも焦がされる。
 冷房の効いた事務所までは徒歩五分。
 走れば……。
 そこまで算段して、ばかばかしくなる。
「余計に汗かくだけかぁ」
 太陽を恨めしげにひとにらみして透亜は歩き出した。
 少しだけ足早に。


「良いよねぇ、大学生は夏休み長くって」
 見た目ほど涼しくない制服から着替えた 透亜(とうあ)諷永(ふうえい)の淹れたアイスティを味わいながら呟く。
「透亜だって、あと二週間もすれば夏休みだろ」
「そーだけど、補講あるもん。宿題もあるし」
 テーブルにあごをかけて拗ねる。
「受験生は大変だな。ま、ムリしない程度にがんばれ」
 諷永はどこか気楽そうに言う。
「勉強するのは良いんだけどさぁ。今年、暑すぎない?」
「じゃ、これをあげよう」
 前置きもなくレポート用紙を渡され透亜は眉をひそめる。
「……何、これ」
 ―― 七月二日 晴 ××線○○駅 二時十五分pm T高 女子
 某公園を整地のため、桜の大木を切ったらその公園関係者が次々事故に遭う。
 ―― 七月三日 曇 △△線××駅 11時pm 会社員
 いつまでも買い手のつかないコンビニ跡地。
 購入予定者が次々に病に倒れる。
 昔、社が建っていて、それを壊して建てたからその祟り。
 ―― 七月三日 ……
 延々と続く、怪現象レポート。
「なに、これぇ」
 目はレポート用紙からはなさず、透亜は呆れ声を出す。
「暇つぶし。最近、電車で怪談話してるコ、よく見かけるから聞き耳たててね」
「私もいくつか聞いたけど。……でも、これじゃ涼しくならないって」
「やっぱり?」
 もともと、それが目的で作成したモノではないので諷永は肩をすくめるだけに留める。
「怪談って言ったら、やっぱりそれなりのセッティングしないと。暗闇にして、ロウソクたてて、おどろおどろしくBGMかけて、……草木もねむぅる、丑三つ時~、眠っていると窓をたたく音が。風で揺れる木が窓に当たっているのかと無視しているがそれは鳴りやまない。コツ。コツ。コツ。コツ。……規則正しく窓をたたく音はするが風の音などは全くしない。恐る恐る窓に近づきカーテンに手をかけると……っきゃぁ」
 雰囲気を込めていた透亜の突然の叫び声に諷永はびっくりする。
「……透亜?」
 涙目で固まっている透亜にそっと声をかける。
 その背後から、ひょっこり子供が顔を出す。
「ごめーん。そんなに驚くとは思わなかった」
 出会った時から、変わらない姿と声。
「ラキ」
 背後から忍び寄り透亜を驚かせた当人はそれほど反省していない様子でちろと舌を出す。
「おひさ」
「らーきーくんー?」
 硬直が溶けた透亜はラキの肩をつかみ揺さぶる。
「ゴメンってば。……トーア、さぁ。怪談話なんかしちゃダメだよ?」
 空いている椅子に座り、ラキはどこかまじめな顔をして言う。
 目に込めた非難を解いて透亜は首を傾げる。
「何で?」
「怪語れば、怪いたるってね。言霊ってあるじゃない? 術使ならなおさらね」
 コトバは、力になる。良くも、悪くも。
「気をつけます」
 素直に透亜は返事する。
「ま、今更一つや二つ『オバケ』が増えても、どぉってコトないけどねぇ」
「怪談が多いってことはやっぱり、怪現象も多いんだ?」
 椅子の背に体をあずけて苦笑するラキにコーヒーを渡して諷永は尋ねる。
「ありがと。……多いみたいだねぇ。シンラがおれに泣きつくくらいだし」
「しつもーん。怪談話、怪現象、どっちが先なの?」
 生徒のように手を挙げて尋ねる透亜に、ラキは先生だったらあり得ない返事をする。
「しらなーい。相乗効果になってるのは確かだけど。……ってことで、今日は二人とも帰っていーよ。おれ、シンラ待ちしてるから」
「ラキくん、何か悪巧みしてる?」
 脈絡のない言葉とともに両手をひらひら振るラキの目を見据えて透亜が疑問と言うよりは確認の声を挙げる。
「もちろん」
「……ほどほどにな」
 悪びれないラキに、あまり役にたちそうもない一言を諷永は口にする。
「明日から働いてもらうことになると思うから、今日はゆっくり休んでね」
 可憐、と見本展示できそうな笑顔でラキは二人を見送った。



「おかえり」
 疲れた顔をして戻った岑羅(しんら)をねぎらうためお茶を淹れに立ち上がる。
「悪いな、待たせて」
「珍しい、殊勝じゃん」
 湯気の上がるカップを岑羅に手渡すとラキは冷房をオフにする。
「さすがにこれだけ数こなすと如実にカラダに出るわ」
「年寄りはこれだから」
 自分はアイスコーヒーを飲みながら茶化す。
「しかし、今年は大当たりだ」
 ニガイ呟き。
「何年か毎に、あるけどね。当たり年って言うのは」
 ラキは姿に合わない大人びた表情を浮かべる。
「まぁねぇ。……しっぽと戯れるのは諷永たちに任せて、そろそろアタマを押さえに入りましょうか」
 岑羅はいつものお気楽顔とは違う、皮肉気な笑みをはく。
「いつまでも付き合ってやる義理はないし」
 冷え冷えとした声がその上に続いた。


「久しぶりの仕事だからって張り切り過ぎないように」
 いわゆる『キケン』な仕事の時の岑羅の常套句。
 逃げるのも勇気。
 自分を大切にできないヤツは信用しない。
 コトバは変われども何度も何度もくりかえされているので二人は大人しく頷く。
「了解」
「じゃ、いってきまーす」
「フーエイ。トーア」
 出かけようとする透亜と諷永をラキは呼び止める。
「ん?」
「今ならもれなく、お助けアイテムをさしあげます」
 扇状に広げた短冊を二人に差し出す。
「お札?」
 紋章めいたものと、読めないが文字らしきものが描かれている。
 ラキはいたずらっ子の眼をしてうたうように言う。
「使い方は自分次第。願い事は声にしてねっ……では、使用例」
 一枚だけお札を指に挟み、その指で岑羅を差す。
 感情のいっさいが消えた顔。
「『動くな』」
 ラキの平坦な声と同時にお札が煙を吐いて消える。
 中途半端な格好で岑羅が固まっている。
「おまえ、サイアク。感じ悪ー。やるか、フツー」
 そのままの体勢で岑羅は文句を言う。
「って言うかさ、フツー、かかるか?」
 呆れたようにラキは呟き、諷永と透亜に向き直る。
「ってことで、こんな感じに使えるから。気がむいたら使ってみると良いよ。じゃ、気をつけて行ってらっしゃい」
 優しげな笑みに送られて、今度こそ二人は事務所をあとにした。
 それを見送ったラキは深々と溜息をつく。
「あのさ、こんな簡易呪にかかるほど疲れてるヒトは足手まといにしかならないんだけど」
「厳しいな」
 言葉通り、大した拘束力のない術から自力で抜け出した岑羅は曖昧な表情で応える。
「己を大事にできないヤツは信用しないって言うのは誰サマのコトバでしたっけ?」
「他人は他人。自分は自分ってね」
 椅子に座り込みながら岑羅は目を伏せる。
「ったく。手間のかかるおぢさんだな」
 ラキはもう一度深い溜息をつき岑羅の額に手をかざす。
「おじさんはひどいな……」
「黙ってろ」
 一瞬で岑羅を黙らせるとラキは目を閉じる。
 その口から抑揚のない、声ならぬ声が漏れる。
 ゆたり、と時間が流れる。
「寝るなよ」
 岑羅の額を指ではじきラキは大きく息をつく。
 岑羅は肩をまわしながら爽快な顔をする。
「ゴチソウサマデシタ。おまえの治癒呪、いー感じに眠くなるワ」
「おれって、働き者。ま、今回の実入りは期待通りだと信じているので。では、こっちもそろそろ行きましょーか」
「前半はともかく……働きましょーかね」
 ラキの蹴りを避けて岑羅は不敵な笑みを漏らした。



 ハタから見ると妙だろう。かなり。
 白昼のカフェで、親子には見えない大人と子どもが向かい合っていて。
 子どもの方はコーヒーにも手をつけず、やけに真剣な顔で目を伏せている。
 間をはかって岑羅は口を開く。
「見えたか?」
 ラキは目を開けて、まだ視点の定まりきらない顔を上げる。
「……今、部屋に戻った。結界、張ってる。……けど、アマイ」
 軽くアタマをふって現実にひき戻るとラキは口の端に笑みを浮かべる。
「黒幕は?」
「多分、いない。愉快犯か、ガキの鬱憤ばらしって感じだろ?」
 つまらなそうにラキは呟く。
「ガキって、おれより年長だろーが」
「精神年齢がガキ過ぎ。くっだらない」
 冷え冷えとした声が正真正銘子どもの姿のラキから吐き出される。
「ま、大物が絡んでないだけ御の字」
 もう少し、裏があるとは思っていたのだがごく単純な話で済みそうだ。
「ま、ね」
 含みのある口調。
 ラキの『目的』からしたら、これはこれで問題なのだろう。
「じゃ、あとは臨機応変ってことで」
「打ち合わせどーりに、だって」
 がっくりとラキが肩を落としたのを視界に入れつつ岑羅は伝票をもって先に店を出た。


「うにょ~」
「擬音?」
 顔をしかめている透亜に諷永はのんきに尋ねる。
「ちゃうっ」
 微妙な涙声。
「ちゃうのか。そーかぁ。ぴったりな気がするんだけどなぁ」
 状況に反してのんびりした声。
 元公園。
 出たのは桜の幽霊だと思っていたら、それは口からゲル状の緑のものを垂れ流すという気色悪いオプション付きだった。
「にゃんとか、してよぅぅ」
 かなりげるげる系がキライらしい。
 涙目になって訴える透亜のアタマを安心させるように軽くたたく。
「りょーかい」
 諷永はやっと扱い慣れてきた札を指に挟む。
「何の恨みもないけど『消えて』くださいなっ」
 緊張感のない言葉に幽霊の姿がぶれる。
 ……が、完全に消えずすぐに元の姿をむすぶ。
「消えないじゃんっ」
 透亜がもうほとんど泣き声のような叫び声をあげる。
 先刻以上にゲルは土を侵蝕する。
「あー、くそっ。『我、炎の力を借りしもの。請うっ、消せっ』」
 諷永は新たな札を握りつぶし幽霊に向かって投げつける。
 丸められた札は途中火の玉に変わり幽霊に点火する。
 じわりじわりと……そして炎がたつ。
 幽霊を丸のみし、地に浸みたゲルをも蒸発させる。
「……成功、かな?」
 火が消え、跡形もなくなった地を見て諷永は大きく息をつく。
 札だけでとは違い、自分の力を使うとなると疲れは倍増する。
 もちろん札なしで術を使うよりは断然ラクなのだけれど。
「うぅ。ありがとぉ。げるげる、ニガテ」
 目をこすって透亜は心から感謝の言葉を伝える。
「いや。おれも好きではないけどね」
 手近な木にもたれ苦笑いする。
 あれだけ取り乱す透亜はなかなか新鮮だ。
「大丈夫? ごめんね?」
 心配そうにのぞき込まれ諷永は笑う。
「平気だよ」
「まぁったく、シュミの悪いの作る人っているんだからっ」
 ぷっくりふくれて言う。
 その言葉に諷永は同意の溜息をつく。
「次、行こうか」
「……いったい、何日かかるんだろうねぇ」
 『現場』リストをのぞき込み、しみじみ言う透亜に諷永はナサケナイ笑顔を見せる。
「……聞くな、そういうことを」


「おまえ、何者だ」
 主人以外は入れないようにされたマンションの一部屋。
 その玄関から堂々と入り込んだ岑羅に部屋の主らしい男は堅く声を出す。
 三十代前半。
 目つきの鋭い、頬がげっそりこけた男に岑羅は訪問販売のような営業スマイルを浮かべる。
「人に名前を尋ねるときは、ご自分から名乗られるべきでは?」
「不法侵入者に言う必要ない」
 結界を破ってまで入ってきた岑羅のあまりに緊張感のない様子に男は眉をひそめる。
「正論、だね」
 突然わいた子供の声に男はその姿を視界に入れようと振り返ろうとする。
「動かないで、ね?」
 男の背後に立ったラキの手にはナイフが握られている。
 その切っ先は男のあごに突き立てられている。
 身長差のせいでどうもギリギリいっぱいなのが妙に滑稽だ。
 が、男はそんなことにまで意識がいっていないようで中途半端な体勢で固まる。
 自分は絶対安全だ、と高をくっていたところへ闖入者が出現しては平静ではいられないだろう。
 大体、ちまちまとした愉快犯みたいなことをやっているあたり、小心者の証拠だ。
「こういう事態になりましたので、自己紹介は省きましょう」
「必要ないし。ね」
 淡々とした、ラキのボーイソプラノはどこか残酷に響く。
 名前、どころかその他諸々すべて調査済みだ。
「……何が。望みだ? カネか?」
 ノドに突きつけられた刃物を気にした抑えた声。
 いらない、とは言わずに岑羅はただ微笑む。
「お、前ら『あちら』側のモノだろう。私は『エイナ』の一員だ。好きなモノを用意させよう。金でも、地位でも」
 だから刃物を引っ込めてくれ。
 底が透けて見える声。
 何人がその言葉を信じるだろう。
「つまんないな」
 ラキが大きな息とともに呟く。
「残念です。あなたは間違えました」
 笑顔で岑羅は宣告する。
 同時に、ラキはナイフを強く握りしめた。
――――
「お見事」
「……くたびれ損」
 ラキはふくれっ面をしてみせる。
 『力』をあてられ昏倒した男に目をやり、首を振る。
「所詮、こんなもんだろ」
 『名』を出す危険性も知らないと言うことは、根本的に何にも知らないと同じだ。
「『こっち』に来れるような奴だったから、もぉ少し期待してたんだけど」
 ラキは男に突きつけていたナイフをかざす。
「とれたか?」
「ゼロじゃないだけマシ、ってくらいは」
 ナイフを媒体に男のアタマの中を読んでいたラキは淡々と呟く。
「で、どうする。これ」
 とった内容については触れず岑羅は尋ねる。
 つま先で男のわきをこづく。
「最低限の責任はとってもらはないと、な」
 面倒くさそうにラキは男の傍らにしゃがみ込みナイフで床を傷つけていく。
 傷は文字を形作り、文字は紋章を描く。
「まいた種は刈れ、ね」
「失敗した術は術使に返るって決まってる」
 着々とラキは描いていく。
「そして働き者には相応の成果が……今回は大入りー」
 機嫌よさげな岑羅は部屋中を探索している。
「期待してる」
 証拠隠滅の作業にうつりながら、それだけ応える。
「まーかせてっ」
「手早くな。欲張りすぎてると、オバケがくるぞ?」
 出来上がった紋を見てラキは満足げな顔をする。
 これでムダに氾濫させられた怪談の元がこの部屋に集結する。
「了解。では、撤収。ゴチソウサマデシタ」
 岑羅は意識のないままの男に合掌する。
「『施』」
 ラキは紋章の力を発動させるためのコトバを残した。
 
 
「……あ、っれ?」
 札をかざした透亜は素っ頓狂な声を出す。
「?」
「消えちゃったよ? 何にもしてないのに」
 下ろした手を見て不思議そうに呟く。
「何だぁ?」
 先ほどまで奇怪な生き物がいた場所が何事もなかったように静けさに満ちている。
 忽然と。画面を切り替えたように。
「おっつかれさまっ」
 その怪物がいた場所に今度は子供が前触れもなく現れる。
「……ラキくん」
「ラキの仕業か?」
 二人の困惑声にラキは晴れやかな笑みを浮かべる。
「仕業? 語弊があるねぇ。……もう、終わったから良いよ。打ち上げいこ。岑羅が用意してるし」
「終わった、ね?」
 含みをもたせて諷永は言うがラキは気にもとめずに頷くだけだ。
 結局、肝心なことはすべて伏せられたままだ。
「終わりよければすべて良しっ、だよ。帰ろっ」
 透亜が割って入り無邪気に言う。
 なにやら、あまり的確な表現に歯思えないが、諷永は諦めて伸びをする。
 いつか、自分で突き止められるときまではごまかされておく。
 ラキは諷永を見てにっこり笑って促した。


 紡がれる。
 真実も、虚構も。
 それは、何より身近な武器になる。

【終】




Aug. 2002
【トキノカサネ】