仰見(おうみ)



 先触れ。


「決めたのね?」
 これは夢だと自覚しながらも、泣き出したくなるほど嬉しい。
 ずっと大好きな人の、在りし日の姿。
 その傍らに、見た目は今とは変わらないけれど、ずっと若かった自分がいる。
 当時見た、未来を覆すために、時を止める呪いを自身にかけた。
 永遠に続く咎を、それでも彼女は苦笑いしつつ容認してくれた。
 ……夢。
 覚めてなお、懐かしい思いは残る。
 そして現在の意味を思う。


 出会う。


 一瞬、精氏族かと思った。
 人間の立ち入らないこの森に住まう、人によく似た、人ではない者だと。
 それほどに森にとけ込んでいた。
 ここに住むことを許された人間である自分以上に。
「なにを、しているんだ?」
 ただそこに立つ少女の背に、そっと声をかける。
「はじめまして、キヌート殿」
 少女は驚くことなく振り返り、静かに目を伏せる。
 なぜ、名前を知っているのだろう。
 そんな疑問は少女の素性に思い当たり霧散する。
 血に連なる者。
「……お目にかかれ光栄です。銀女君」
 近づき、丁寧に深く頭を下げる。
 この世界にあっては、至上の存在。
 返答のないまま顔をあげると、淡黒色の瞳が哀しげに揺れていた。
 ごく一瞬。見逃せそうなほど、僅かに。
 しかし、すぐに隙のない微笑を浮かべる。
流希(りゅうき)と呼んでいただけると嬉しいのですが」
 その言葉の意味は、考えるまでもない。
 改変を、選んだということだ。
 これから先の、不自由を知らないはずはない。
 それを知らぬふりをしてかるく言う。
「おれも『殿』は要らない。了解?」
「はい。キヌート」
 困ったように、かすかに笑う。
 根本的なところは、人見知りで、感情表現がうまくないようだ。
 それでも、すすむのか。
「会えてうれしいよ、流希」
 本心から言う。
 こんな風に、会うことが出来るとは思っていなかった孫娘。
 最悪の予想も、覚悟もしていた。
「きっと、後悔することになります。私は」
 静かな声は自嘲に、自虐に満ちている。
 これほど自責が強いようでは、これから先、必要以上の重荷を背負うことになるだろう。
 だからといって、どうすることも出来ない。本人が折り合いをつけることだ。
 本当は、ただ幸せでいてほしいのだけれど。
「それでも、おれは流希が好きだよ」
 孫だから、というだけでなく。その不器用なまっすぐさが愛おしい。
 小さな子どもをあやすように、流希のあたまに触れる。
 流希は応えることなく、うつむいた。


 再会。


「こんちは」
 態度を決めかねたような挨拶と同時に庵のドアが開く。
 そこに立つのは別れた頃と同じ姿のままの少年。
 もう、五年以上経つのに。
 自分の咎を、背負わせてしまったことに愕然とする。
「なに、へこんだ顔してんの? 会えてうれしくないんだ?」
 こちらの考えなど見透かしたように不敵に笑う。
 その表情に重ねられた歳月を思う。
 未だ十歳ほどの姿とは不似合いな、大人びた視線。
「ごめん、ラキ」
 再び会えたのは、もちろん嬉しい。
 それとは全く別の問題だ。
 ラキは手近な椅子に座り、苦笑する。
「知ってるけどねぇ。キヌートが結構マジメでかわいい性格だって。……でも、気にしすぎ。おれは、この姿も結構気に入ってるよ?」
 綺麗に笑う、やさしい眼。
 血のつながりというのは、すごい。
 ずっと昔になくしてしまった人を想い出す。
 後にも先にも、たった一人の。
「何。複雑な表情して」
「ちょっとね。内緒」
 照れくささも手伝って、はぐらかすように笑う。
 それに関してつっこんでくることなく、ラキはぼんやりと頬杖をつく。
「ところで、先刻まで、」
 なにか気がかりがあるように黙ってしまったラキに、いつか会えると良いと密かに思っていた半身のことを切り出す。
「知ってる。もう会ってる。一緒に住んでる。……宮で」
 こちらが本題に入る前に、ラキがテーブルを見つめ一息にまくしたてる。
 言いにくそうにしていた理由がわかった。
「あぁ。なるほど」
 流希が帰った直後を、まるで見計らったように顔を見せたわけ。
 別れた後、一度も来る様子もなかったのに。
「ムカつく。なんで、それだけで悟るかな」
 ラキは子どもの姿に似合ったむくれ方をする。
「わからないこともあるよ。何故、姉弟だということを口にしない? 流希だって気付いているだろう?」
 お互いがそれだけ傍にいて、半身だと気づかないはずがない。
 それにも関わらず、そのことを口にしないよう、念押しに来たのだ。
 ラキは天井を仰ぐ。
「……そんなの、自分でもよくわかってない。お互い、暗黙の了解になってるっていうか……言葉にしたら、」
 ラキはそこで口をつぐむ。
 言葉にすることによって起こりうる弊害は、確かにある。
 力の強い術者であればあるほど。
 祈りも、呪いも、声の力に比例して強くなる。
「まぁ、良いよ。とりあえず。会えて良かったな」
 どんな未来を紡ぐにしても、きっと一緒にいるほうが良いだろう。
 元来、一つだったのだから。
「そうだね」
 見た目に不似合いな、淡い微笑。
 しあわせそうにも見えるその笑みに、安堵の笑みをもらした。


 まだ、ここにいる。
 その時まで。
 祈りに似た想い。
 大切なこどもたちが、しあわせであれるように。
 ただ……。

【終】




Nov. 2000
【トキノカサネ】