Others



「明日から修学旅行、行って来るね」
 職場で聞くのは少々不似合いな言葉に岑羅(しんら)は顔をあげる。
 とはいえ、言った当人は中学生だから、おかしいことなど何もない。
「修学旅行って、どこに?」
 二人しかいな従業員のうちの一人である(みなと)透亜(とうあ)は頬杖をついて不満げな顔で申告する。
「京都。二泊三日」
「……京都、ねぇ」
 眉をひそめた岑羅につられたように透亜も眉根を寄せる。
「たっかい授業料納めさせてるんだから、もっと良いとこにつれていってくれればいいのにね」
 透亜の言葉に、岑羅は苦笑いする。
「俺はそういう意味で言ったわけじゃないんだけどな?」
 訝しげな表情を浮かべる透亜に、岑羅は続ける。
「あそこって、溜まり場だから」
「何の?」
 あまり聞きたくないとは思いつつ、透亜は一応確認する。
「仕事の種、で、透亜の敵な感じのヤツ」
 予想通りの回答に透亜はテーブルに突っ伏す。
「サボりたくなってきた」
 しょぼいとは思いつつ、少しは楽しみにしていたのに、その気持ちは綺麗さっぱりなくなる。大体、無事に帰ってこられるかも不安だ。
「透亜、これ持っていきな」
 突っ伏した透亜に、岑羅はカード上のものを差し出す。
「これ、って」
 のそのそと顔をあげた透亜は、手のひらの中の銀色のプレートを見て複雑な声をもらす。
 軽く非難の目を向けられた岑羅は、それでも安心させるように笑みをうかべる。
「大丈夫。以前より役に立つはずだから。前に渡したのとあわせて持てば効果二倍」
 だんだんあやしくなる口上に、増した不安を隠しもせずに透亜は深々と溜息をついてみせた。


「……だるい」
 寺社参詣中、一緒に自由行動していたグループからはずれて、透亜は境内の端に座り込む。
 少し休んでから宿にもどるからと伝えると、クラスメイトは、辛いなら先生呼んで迎えに来てもらうようにとしつこく念を押したあと、なんども心配そうに振り返ってくれていた。
 その心遣いがうれしくて透亜は小さく笑みまじりの吐息をこぼす。
 でも、先に行ってもらって良かった。しばらく動けそうもない。せっかくの自由時間を無駄にさせたら申し訳ない。
 立てた自分の膝に突っ伏し、ゆっくりと息をする。
 京都に入ってから、なんとなく嫌な感じはしていたが、ここにきてはっきりと体調に問題を来たしている。
 息苦しい。
「だいじょうぶ?」
 視界に影がかかり、やわらかな声がふりかかる。
 眩まないようゆっくりと透亜は頭を持ち上げ、声の主を確認する。
 長い髪の小学生が、首を傾げてこちらを見つめている。
「……大丈夫」
 通りすがりの小さな子どもに心配させたくなく、透亜は何とか笑みをつくる。
「人の念が集まってる場所は、コントロールが出来ないとつらいよね」
 可憐、という言葉が似合いそうな少女は謎の言葉をささやく。
 怪訝そうな透亜に、小さく微笑みかける。
「じゃあ、おだいじに」
 のばした手を透亜の額に軽く触れさせたあと、それだけ言い残して少女は立ち去ってしまう。
「待っ……、あれ?」
 呼び止めようと立ち上がり、透亜は倦怠感がなくなっていることに気付く。
「なんだったんだろ、あの子」
 謎だらけだ。
 それでも身体が楽になったことは確かで、透亜はとりあえず一人散策することに決め、ガイドブックを開いた。


 修学旅行二日目。
 昨日の一人行動が思った以上に気楽で楽しく、今日も適当なことを言ってグループ行動を外れた透亜は、静かな公園のベンチで群がるはとを眺める。
「ぅわっ。っぶないっ、どいてっ」
 静寂をやぶる声と同時に、わさばさばさっ、と枝と葉の揺さぶられる音。
 少し遅れて、少年が目の前に降ってくる。
 木登りして、落ちたようだ。
「平気?」
 半ば呆然としつつ、透亜は声をかける。
「……消えたか」
 どこか大人びた口調で、少年は中空をにらみ、呟く。
 しかし透亜の方を振り返ったときには無邪気な笑顔に変わっている。
 うしろでひとつに縛った長い髪がぱさんと揺れる。
「今日は大丈夫そうですね?」
「今日は?」
 透亜はまじまじと少年を見つめる。見覚えがない顔だ。髪の長い男の子なんてめずらしいから一度見たら見忘れない。だいたい、京都に知り合いはいないし。
「あれ? 覚えてない? 昨日会ったよ?」
 言いながら、そっと透亜の額に手を触れる。
「……あ。え? あ、男の子だったの?」
 昨日、境内でへたりこんでいた透亜に声をかけてきた小学生。
 女の子だと思っていたのだが、ぼんやりしていたせいで見間違えたのだろうか。
 少年はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「そっか。昨日は女装してたっけ。ほんとは男でした」
 女装? 小学生が? なんかそれも自ら好んでしてるっぽい?
 疑問が増えていくばっかりのなか、透亜は一番気になったことを口にする。
「術を使える人なの?」
「術者だよ」
 透亜の問いに、少年は大人びた笑みを浮かべる。
 術者というのは、ただ術を使えるという以上の存在のはずだ。それを、こんな子どもが名乗ることはすごく不思議な気がする。反面、だからこそ、落ち着いた雰囲気を持っていることに納得もできた。
「そうだ。昨日はありがとう。『治癒』してくれたんだよね?」
 額に手が触れたあと、不快な気分が治ったのは、そのおかげだろう。今もその効果が続いているのか、体調は良い。
「どういたしまして。おねえさんは、今日もサボり?」
 少年は人聞きの悪いことを言う。
「修学旅行中」
 否定は出来ないが、肯定するのもくやしいのでそんな風に言い逃れる。
「でも、修学旅行って史跡とか見るものじゃないの? 公園で一人のんびりしてるなら、やっぱりサボりじゃない?」
「キミはどうなのよ」
 正論を吐く少年に、透亜はむっとして言い返す。
 今日は平日で、小学生が学校以外の場所にいるのはおかしい時間帯だ。
 少年はくすくす笑う。
「たしかに、おねえさんのこと、言える立場じゃないよね」
 術者っていうのは、こういう曖昧な物言いをするのが基本なのだろうか。本音を読ませないところが術者である雇用主の岑羅にそっくりで、透亜は溜息をつく。考えたくない。
「おねえさん、っていうの止めない? 透亜、で良いからさ」
 呼ばれ慣れないせいか、なんとなくしっくり来ない。
「おれはラキ、だよ」
 まっすぐに目を見て、少年は名乗る。変わった名前。
「ラキくん、ね。なんで女装してたの?」
 ずいぶん慣れていた気がする。よくよく思い返せば、髪もくるくるに巻いていた気がするし、服もレースをふんだんに使ったひらひらしたもので、普段着にするには大仰なものだった。
「似合ってたでしょ?」
 ラキはどこか自慢げに言う。
 透亜は反射的にうなずく。確かに良く似合っていた。
「うん。……じゃなくて」
 話をそらされていることに気がついて、透亜は少し語調を強める。
「おねえさん、素直だね」
 結局呼び方を変えないラキは素直とはかけ離れた性格のようだ。
「それ、褒めてる?」
 貶されているような気もして、透亜は眉間にしわを寄せる。
「え? もちろん」
 本気らしい返事に透亜は苦笑して、別の質問をする。
「術者っていうのは、ひねくれてるのが基本なの?」
 ラキが困ったように押し黙る。
「…………そんなことは、ない。と思う」
 たぶんに希望が入った言葉をラキはしぼりだす。知っている術者を考えると、実は否定しきれないことに気がついたのだ。
「そんな、難しい顔しなくても」
「世の中、深く追及しないほうが良いこともあるんだねぇ」
 しみじみと肩を落とすラキを見て透亜は笑う。してやったり、気分だ。
「透亜っ」
 鋭い声を発すると同時にラキが飛びつくように透亜を押し倒す。
 突風が走り、樹が大きくたわみ、音をたてる。
「ラキ、くん?」
 風が止み、もとの静かな公園の気配にもどる。
 透亜の小さな呼びかけに、ラキは透亜の上からどき、起き上がる。
「やられた……おねえさん、怪我はない?」
 差し伸べられた手をとり、透亜は身体を起こす。
「大丈夫……でも、ラキくんが」
 頬に朱線。良く見れば手にも細かな傷があるのが見て取れる。
「こんなのかすり傷だし、平気。ごめんね、あぶないめにあわせて」
「全然。だって、ラキくんのおかげで、なんともなかったんだし」
 その言葉にラキは静かに微笑む。
「宿まで送るよ。またあんなのが出てくるとまずい。……ここは溜まり場だから」
 岑羅と同じようなことをラキは呟く。
「でも……ラキくん、怪我してるし。いいよ、一人で大丈夫」
 本当のところ、一緒に行ってもらえるなら心強い。だけど、小学生を巻き込むのは心苦しい。
 ラキは透亜の考えを見透かしたように笑う。
「おれに送られるのが、どうしても嫌だっていうなら止めるけど?」


「はーい、はいはい」
 電子音をはきだす携帯電話を岑羅はひっぱりだす。
「返事は一回でいいよ」
 聞きなれたこどもの呆れたような呟きが耳に届く。
「せめて名乗れよ」
「携帯からなんだから、表示でてただろ? 今、京都駅。透亜は新幹線の発車待ち」
 変声期前の声が、淡々と状況を伝える。
「一匹、張り付くように狙ってたのがいて、他にもいろいろ。……だいたい、あんな中途半端な力持たせておくなよ。鴨がネギしょって歩いてるようなものだぞ」
 ラキは真面目に忠告する。いつまでも護符で防げる程度で済むとは限らない。
「そう思うなら、オマエが透亜に教えてやれば良かったのに」
 岑羅のあつかましい言葉に、ラキは溜息を盛大に吐きかける。
「おれがそういうのに向いてないの知ってるだろ。だいたい、それは岑羅の仕事」
「冷たいなぁ」
 しみじみと岑羅は零す。ラキは相手のペースに巻き込まれないよう、かるく頭を振る。
「透亜には簡易守護をつけておいた。そっちで解除して。新幹線にも『紋』描いたからよっぽど大丈夫だと思う」
「その辺は信頼してる」
 淡々と報告するラキに岑羅は真面目に返す。
 それだけの実績がある。
「報告書はどうする? 送ろうか?」
 からかうようなラキの言葉に岑羅は笑う。
「やめろよ? せっかく内緒の護衛なのに。人知れず善行を積む、俺。どうよ?」
「ばかだ。透亜に同情するね、こんな上司持って」
 そろそろ出発するはずの新幹線に目をやり、ラキは苦笑いを返す。
「失礼な。……発車か?」
 電話越しに発車ベルが聞こえ、岑羅はほっとしたような声を漏らす。
 ラキは声に耳を傾けながら、新幹線の扉が閉まるのを確認する。
「今、出発した」
 ゆっくりとホームを出て行く車体が見えなくなってから、ラキは息をつく。
「仕事終了。依頼料の振込みよろしく」
「値切り交渉、OK?」
「ダメ」
 岑羅は往生際の悪いことを口にした岑羅に、ラキは一言で否を唱え、通話を終わらせる。
「さて。おみやげ買って帰ろうかな」
 定番の八つ橋だろうかと考えながら、ラキは人込みの中に紛れた。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】