帰想辿(きそうてん)



 刃が触れる感触。
 耳元にかかる吐息。
 冷える思考。


 まず目に入ったのは天井。
 それが、見慣れたものだとわかるまでしばらく時間がかかった。
 嫌な動悸がおさまらない。
 もう一度目を閉じて、呼吸を整える。
 ずいぶんと生々しい夢だった。
 ただの未来視ではない。それよりもずっと深い同調。
 いつもなら、だらだら長居をするベッドからさっさと抜け出し、手早く身支度を整えると流希(りゅうき)は食堂へ向かった。
(りょう)にぃ。ラキは?」
 

「よぉ、賞金首」
 顔見知りの同業者の軽口にラキはかるく手を上げて受け流す。
 それなりに名前が売れてくれば、多かれ少なかれ恨みも買う。
 中には賞金をかけてでも、報復を与えようとする者もいて、おかげで万年賞金首だ。
 それは自分同様、犯罪特区(ヤミク)の最奥に住まう人間ならある程度当然なので今更気にすることでもない。
 問題はわざわざそれを今、口に出されたことだ。
「どこか大手がスポンサーについたかな」
 それにしてはこのタイミングというのが解せない。
 ここのところ仕事らしい仕事をせず、『宮』にこもっていたので、新たな恨みを買った覚えがない。
「謎だ」
 まぁ、ある程度広まっている話なら調べるのは容易だろう。
 どちらにしろ、この辺りで襲撃される可能性は低い。
 ラキを『ラキ』だと知っている人間自体が少ない上、その力を知っているものは反撃をおそれて手をだせないはずだ。
「っ」
 ぼんやりと歩いているところにわいた、唐突な殺気にラキは反射的に懐剣を後ろ手に突きつける。
「さっすが」
 聞き覚えのあるのんびりとした声に、ラキは相手の腹部に当てていた刃先を下げる。
「総長、あのさぁ、やめてくれないかなぁ。寸止め出来なかったらどうするんだよ」
 文句を言いながら振り返ると、背の高い男が人懐こい笑みを浮かべている。
「腕がなまってないようで何より。ボケっとしてると、獲られるぞ。首」
 笑みを消した総長にラキは眉を寄せる。
「いくらついてるの?」
「三億」
「……三億リィン?」
 ただ殺すだけで、そんなお金を吐き出していては割に合わないだろう。
 思わず聞き返したラキに総長は苦笑いを浮かべる。
「そりゃまぁ、円じゃないだろ、普通。おまえ、最近向こうにかぶれすぎ」
「いや、ちょっと桁がさぁ。……どこの富豪だよ、馬鹿だろ」
 総長の言葉通り、通常こちらで円が流通することはほとんどないない。特別に移入を許された際に必要最低限行われている程度だ。
 そうわかってはいても、確認してしまったのは、あまりにも破格過ぎるからだ。
 三億円ならぎりぎり理解の範疇に入れても良い。危険手当込みでそのくらい出さねば引き受け手が見つからない可能性はある。
「ま、妥当なトコだろ。なにせ生け捕りが条件だからなぁ」
「……あぁ、そーいう」
 それなら、許容範囲だ。
 初期費用はかかるものの、ラキを手駒にできれば、それ以上の儲けを見込める。
「それにしても誰だよ、酔狂な遊び思いつく馬鹿は」
 ラキはため息をこぼす。
「大本はまだわかっていない。代行屋を立ててきている」
「聞きたくないけど、誰?」
 総長の口調に良い感じを受けず、しかし知らずにいるわけにもいかずに、ラキは訊ねる。
「南のイノスって知ってたか?」
 三億出す依頼主だ。ある程度名の知れた代理屋がついていることは想像していたが、よりによってだ。
「知ってるよ。南の総纏め役だろ。イロイロ、大変、お世話になりましたよ」
 現在は北に居を置いているが、ヤミクに入った当初はヤミクの南側を拠点にしていた。
 その頃、名も知れなかったラキの面倒を見てくれたのが当時、纏め役の片腕をしていたイノスだ。
「いろいろ」
「良くも悪くも、ね。ほら。おれはかわいらしいオコサマだからさ」
 適当にかわしてはいたが、不愉快なことがなかったわけでもない。
「なんで叩きのめしておかなかったんだよ。その頃だって、おまえなら余裕で出来ただろ」
「物騒だなぁ、総長は。……おれみたいに何の後ろ盾もないガキが、ヤミクで生きていくには、まぁ、仕方ない部分もあったよね」
 曖昧に微笑って見せると総長は視線を厳しいものにかえる。
「おまえ、自分がその頃から変わらない見た目をしていることわかってるのか?」
 十歳頃からずっと変わらない外見。成長しない肉体。
 ごく一部の親しい人間以外は、それが術によるものだと疑わないが、当初のことを知るイノスがそれを信じるか。
「もちろん。おれが今でもかわいいことは自覚してるよ」
 殊更かるく混ぜ返すが、総長は表情を和らげることなく続ける。
「代理屋に顔を知られている危険性を考えろ。向こうは既に腕の立つ人間を何人か放っているという話だ」
「それは厄介だね」
 言葉とは裏腹に気のない返事をするラキの頭を総長ははたく。
「おまえはしばらく『宮』に引っ込んどけ。出てくるな」
「は? 何言ってるの? 『総長』だからっておれに命令する権利はないはずだよね?」
 総長と言う呼び名は伊達ではなく、実際、北ヤミクを統括していると言っても過言ではない。が、絶対君主ではなく、強制権もない。結局犯罪特区なのだ。どうしても従わせたければ何事も力ずくが基本だ。
「ほんっとにカワイクナイな、おまえ。言わなきゃわかんないのか? 友人として心配してる。頼むから、ほとぼり冷めるまで出歩くな。いくらラキが強いからといっても複数人で来られたら、ただじゃすまないだろ」
 まじめに気遣う声にラキは笑む。
「うん。ありがと。気をつける」
「気をつける、じゃなくてさ」
 意を汲む気がないらしいラキに総長は情けなく肩を落とす。
「わかってる。でも、おれにも仕事があるし、都合もある」
「あんまり無茶するなよ。手助けがいるようなら声をかけろ」
 諦めたようで、それでも心配げな総長を安心させるように、ラキは微笑って見せた。



 澄んだ想い。
 しずかに、しずかに。
 ただ一心に希うこころ


 目を瞬かせる。
 視界に入ったのは高級そうな革靴。
 夢を見ていた。
 つかの間の、深い同調。まるで自分が案じているかと勘違いするほどに。
「何を笑っている」
 知らず微笑っていたようだ。
 端正な男の手がラキのあごを持ち上げる。
 視線があう。
 三十代半ばほどの、身なりに金のかかった男。
 依頼主候補としてチェックしていたうちの一人。三家のひとつ、詩当(しとう)の中堅どころの家の道楽息子だ。
「状況がつかめないですか? それとも怖くて声も出ない?」
 揶揄すような声。
 椅子に縛り付けられて身動きできないラキに顔を近づける。
「まさか、こんなかわいらしいお子が『ラキ』だとは。驚きました」
 ラキは無言のまま視線をそらす。
 いくつかある別邸のひとつだろう。
 一目で高級とわかる調度が揃った落ち着いた部屋。
 そなえられた暖炉は飾りではなく、あかあかと燃え、部屋を暖めている。
「思ったより簡単に捕らえられてしまったことにも拍子抜けしましたが」
 人気のない路地で、それなりの技量をもつ八人もの手練れに囲まれれば、どれだけ腕が立つ者であっても易々と逃げることなど出来ないだろう。普通は。
 黙ったままでいるラキの顎に手を掛け、男は目をあわせる。
「それでも、あれだけ何重にも目眩ましをかけることが出来るのは、さすがにラキの名は伊達ではないと感心しました」
 確かに襲撃に備えて、自身に幾重にも姿替えの術をかけておいた。大人の姿や、こどもの姿、男だったり、女だったり。素に近づくほど、より強固に、剥がし難くしておいた。それにも関わらず、完全にもとの形姿に戻されている。
「……この姿が、本当に本来のものだと思っているのか?」
「いくら『ラキ』を継いだといっても、やはり子どもですね。そんなハッタリが通じるとでも?」
 幼い子どもをなだめるかのような笑み。
 ラキが小さく舌打ちをすると、男はより一層笑みを深くする。
「あなたではまだ『ラキ』の名に相応しくないのではないですか? 先代のラキはどうして早々にあなたに名を譲ったのでしょう」
 ラキはしずかに笑う。
 代替わりをしている。そう解釈したということは、イノスから詳しい情報は流れていないのだろう。
 イノスの思惑がどうあれ、都合が良い。
 そのまま男の話にのっておく。
「殺したんだよ。そうして、ラキは受け継がれている。耄碌したラキなど不要だ。今はおれがラキだ。さっさと放してもらおうか」
「そこまで言うなら自力で抜けてみたらどうですか?」
 出来るはずないと信じて疑わない男の表情にラキは目を細める。
「いい結界使を雇っているみたいだな」
 比較的本音で呟く。
 幾重にも丁寧に張り巡らされた結界は、ラキを閉じ込めるだけでなく、術の履行を封じるように組まれていた。
 ラキの言葉に男はうれしそうに笑う。
「これは二人の結界師によるものですが、あなたなら、この程度一人でできるようになりますよ」
 褒めているつもりなのだろうが、ラキからすれば馬鹿にしているようにしか聞こえない。
「ただ、経験不足は否めません。そのように子どもの姿では仕事もろくにとれない。私のもとなら、交渉はすべてこちらが請け負います。あなたは、ただことを実行すれば良いだけで、経験が積める。もちろん報酬も払いますよ」
 これ以上すばらしい案はないといわんばかりに滔滔と語る男を、ラキは上目遣いに見つめる。
「ほんとうに?」
 笑いが含まれないように気をつけながらラキは口にする。
 必要であればいくらでも見た目など変えられる。あれだけ姿替えをしていたのをもう忘れてしまったのか。
 ずいぶん残念な記憶力だ。
「もちろんです。どちらにしろ、あなたに選択肢はありません。いくらラキとはいえ、身体の自由だけでなく術も奪われればなにも出来ないでしょう? 大人しく私に額づきなさい」
 どこまでも上からの発言もさすがに聞き飽きてくる。
「馬鹿に使われるなら鈍らのままで居た方がマシだね」
 虚をつかれ、男は固まる。
 それを見てラキは鮮やかに笑う。
「ラキが誰かの下に降るはずないだろう。少なくとも、お前のような馬鹿には、たとえ振りでも頭を下げたりしないよ」
 ようやく言葉が脳に達したのか、男の顔が激昂で赤く染まる。
「いきがるのも程ほどにしなさい」
 男が見せ付けるようにナイフをラキの頬に突きつける。
 挑発するように笑みを深くしたラキの頬に刃先がより強く押し当てられる。
 ラキは笑みをくずさずそのまま横を向く。
 わずかな痛みとともに皮膚が切れる感覚。
 脅す以上のことをするつもりはなかったのだろう。男はあわてたように刃先を引きかけ、手を滑らせナイフを落とす。
「『炎精よ、我が血をもって命ず。枷を解け』」
 ラキの声と同時に暖炉の火が大きくふくらみ、はじける。
 ぱちぱちと不可視の炎が結界を焼く音を確認してラキは立ち上がる。
 ずっと縛られていたせいで凝り固まった手腕をまわしほぐす。
「結界が……術は、使えないはず……」
 小柄なラキに気圧されたように、男は後ずさる。
「疑わなきゃ。捕まえるの、簡単すぎるなって思ったならさ」
 未だ状況がつかめていないのか、男は助けを呼ぶでもなく、ただ呆然とラキを見つめる。
 結界が崩壊してなお、人の気配を感じられないということは、人払いをしているのかもしれない。
 子ども一人、言いくるめるだけだとタカをくくっていたのか。
 どちらにしろ、結界が解かれたことは術者に伝わったはずだ。
 それなりの逆術が返ったはずだから、すぐ動けるとは思えないが、早めに片をつけるに越したことはない。
「『顕』」
 ラキは男に見せるように空でゆっくりこぶしを握る。
 その手の内に現れた細い銀の刃に男はあわてて口を開く。
「お金ならいくらでも出す。欲しいものなら何でも用意するっ」
「そう?」
 ラキは薄く笑う。
「本当だ。家でも、身分でも……だから、命だけは」
「その程度の覚悟でラキに手を出さないで欲しいなぁ」
 しみじみと呆れながらラキは男のあごに刃先を触れさせる。
「あんたが用意できるようなものは、おれは自分で手に入れられるんだよ。だから報いを受けてもらう」
 しずかに、微笑みさえ浮かべているラキに見つめられ、男はひきつけたように硬直する。
「『炎精、記憶を焼け。ラキに関わる全て、余さず、与した者全て、余さず、命ず』」
 暖炉から火球が方々に飛び出す。
 そのひとつは、男の足下に落ち、全身を包む火柱となる。
 炎は命じられたとおり、記憶だけを焼き消し、けして肉体を傷つけたりはしない。
 しかし男は炎にまかれているという状況自体が恐怖なのだろう。
 言葉にならない叫び声をあげ、炎から逃れようともがくが、火は弱まることなく、男にまとわりつき続ける。
「……」
 ラキはただ一瞥を残し、部屋を後にした。


 扉を開けるのを少々躊躇う。
 どういう状況にあったかばれていないはずはないだろう。
 少なくとも自らもヤミクに出入している良なら、最低限の情報でもかなり正確に把握するはずだ。
 顔を合わせるのが気まずいが、ここで避ければ、後々よりひどい嫌味を聞くことになるのは想像に難くない。
 しかたなくドアを引く。
「お早いお帰りで?」
 一見にこやかな、しかし目はぜんぜん笑っていない笑顔で良が出迎える。
 わりと、本気で、コワイ。
「……えぇと、良にぃ」
 さて、何を言うべきか。
 後ろ手にドアを閉め、逡巡しているラキに良が近づく。
 ごつ。
 こぶしが脳天に落とされる。
「いっ……暴力反対!」
 ラキは頭を両手で押さえながら良を見上げる。
「おまえが言うな」
 不機嫌そうに、今度はラキの額を指ではじく。
「児童虐待反対!」
 頭と額をそれぞれ手で押さえてラキは抗議する。
 中身はどうあれ、外見はれっきとした十歳だ。児童と言っても問題はないはずだ。
「言い分と言い訳は後でゆっくりな。……さっさと行けよ」
 諦めたようなため息をついた良にラキはうなずいた。


 どこへ、とは聞く必要もなかった。
 中庭を抜け、敷地の奥に建つ堂の扉を開く。
 板張り部屋の真ん中で坐す後ろ姿。長い髪が開けた扉から入りこんだ風でゆれる。
 上体がふわりと傾ぎ、そのまま後ろに倒れる。
「流っ」
 あわてて駆け寄ると、まっすぐな瞳がラキを見つめる。
 体調が悪いわけではなく、自分の意思で倒れたようだ。
 完全に倒れこんだわけではなく、頭をぶつけないように受身を取るように腕で身体を支えている様子を見てラキは安堵の息をつく。
「何やってんの、危ないなぁ」
 流希は応えず、支えていた腕の力を抜き、完全に仰向けに寝転ぶ。
 ラキを見つめる、ガラスのような透明な双眸がうすく揺れる。
 言うべきことも、言いたいことも、あったはずだった。
 自分が流希の想いを感じたように、流希にも伝わっていたにちがいない。
 それなのに、それだからこそ、言葉が必要ないこともわかってしまった。
 ラキは流希の傍らに座りこむ。
 それでも、とりあえず、これだけは伝えたかった。
「ただいま」
 目を伏せた流希は、あわく微笑んだ。


【終】




Mar. 2012
【トキノカサネ】