樹雨(きさめ)



 一目で気がついていた。
「どうぞ?」
 良は顔をあげ、軽いノックにみじかく応える。
 真夜中の訪問者は、細くドアを開ける。
 その隙間から覗く姿が、大切な少女とダブる。
「お邪魔してもいいですか?」
 十歳程度の子どもとは思えない年齢不相応な口調。
 実際。
「どうぞ。アルコールで構わないかな? ラキ・キヌート」
「何でも構いませんよ」
 軽く疲れた顔をした子どもに、冷蔵庫から取り出した缶ビールを放り、座るよう促す。
 向かいに座り、ビールを一口飲む。
「で、何の用だったかな」
 予測はついていても、あえて聞く。
「思惑を、聞かせていただこうと思いまして。吟樹(ぎんき)次期宗主殿?」
 まっすぐこちらを見つめる目は、淡々と表情を読ませない。
「可愛くないな、ソレ。逆襲のつもりか?」
 お互い、素性が割れるような名乗りあいはしなかった。もちろん、気付かないほど抜けた人物だとも思ってはいなかったが。
「そんな低レベルなやり返し、しないですよ」
 一旦、息をついて続けられる。
「あなたが、気紛れだとか、単なる感情論で闇に染まった僕のような人間、引きいれるとは思えないんですよ」
 その言葉に、思わず目を細める。
「買いかぶってもらってるね。ヤミク、陰の元締めに」
 犯罪者による独自の統制が取られている場所で、その名を知らぬものは居ないほどの実力者。
 顔を見ると、かわいらしい顔に不似合いな、うすい笑みを浮かべていた。


 食えない。
 犯罪特区(ヤミク)に、身分を隠し平気で出入していたことも、相応の実力の持ち主だということも伝わってきていた。
 面と向かって話をして、それがデマでも誇張でもないことはすぐにわかった。
 吟樹次期宗主の表立った評判など大嘘だ。
 明らかに、こちら側の人間。
「お眼鏡にかなったかな?」
 あからさまに検分したつもりはなかったが、それを見抜いた相手は別段気分を害した風もなくいう。
「思惑を伺ってから、判断することにしますよ」
 煙に巻かれかねないので、もう一度意思表示をする。
「思惑、ね。……ないよ?」
 さらり、とやわらかな笑みを浮かべていう。
 軽く頭を振り、その言葉をふり払う。呑まれる。
「人を見る目、あるつもりだし」
 何の裏もなさそうな、誠実な微笑を伴って滑り出ている言葉。
「うそ、だな」
 こうして騙しているのだろう。
 家に。大人しい、扱いやすい次代だと。
「本当に、人を見る目はあるんだけどな」
 心外、の仮面をつけて返してくる。
「それを疑ってはいませんよ。その笑顔のことです」
 この相手に、半端な会話をするのは無駄だ。時間が無為に過ごされるだけ。
 相手も同様に思ったのかどうか、笑みを崩す。
「これで充分騙されてくれるのもいるから。もちろん、ラキ・キヌートが騙されてくれるとは思っていなかったけど?」
 いちいち、引っかかる言い方をする。取り合っていたらキリがないとラキは聞き流す。
「だから、思惑。なぜ、おれを……宮に、銀女のそばに置く」
 当然、強固な反対にあい、放り出されると思っていた。
 銀女に連れられて来られたときには。
 しかし予想に反して、あっさりと頷いた。驚くほどに。
「じゃあ、ラキ・キヌートは何故、契約違反をした?」
 静かに、本当にやさしげな声が尋ねる。
 返す言葉に詰まる。
「だから、ラキ・キヌートは危険因子に成り得ない」
 淡々とした口調。
 どこまで見透かしているのか、読めない微笑。
 全部……?
「まぁ、流希(りゅうき)が連れてきたからっていうのが一番なんだけどね、実は」
 いとおしむような、微苦笑。
「甘々だね」
 絶対これは、間違いなく本気で、本音だ。
「当然」
 照れた様子も見せず、堂々と言い切る。
 そしてこちらに顔を近づけ、ささやく。
「だから流希の前で『銀女』なんて呼んだら、……覚悟しておけよ?」
 別人のような、冷徹な声。
 反射的に距離をとる。
「っ」
「これだけは命令だ。他のところで何をしようと構わないが」
 厳しい目。気圧される。
「理由」
 引き下がるわけにはいかない。
「流希を偶像にするつもりはない」
 一瞬の、痛々しい表情はすぐに隠される。
 まったく。
「ま、銀女って柄でもないしね、流希は」
 名前を呼ぶ。片割れの。
 くすぐったい気持ちになる。
「上出来」
 こちらを見て笑った青年の目は、やさしい色に戻っていた。


「ラキ」
「なに?」
 呼ぶ声にふり返ると良がにっこりと笑う。
「思惑を教えてやるよ」
「何をたくらんでるんだよ」
 非常に魅力的な笑顔だけれど、簡単に嵌ってなんかやらない。
 素直、従順と言われているのは、あくまで人を欺く仮の姿。
 猫かぶりで、性格悪くて、一筋縄じゃいかなくて、……挙げだしたらキリがない。
「人聞き悪いな」
 哀しそうに微苦笑を浮かべる。
 やめやめ。
「で。なにって?」
 この人を相手にまともに対抗しても無駄なことは、初対面の時で確認済みだ。
「だから、言ってるだろ。思惑を教えてやるって。知りたかったんだろ?」
 今更それを持ち出すか。悪党め。
 そんなの、気になったままだ。ずっと。
「どうしろって?」
 その様子では、この場で教える気などさらさらないのだろう。
 案の定、青年はメモを差し出す。
「この場所、わかるか?」
 書かれているのは、ヤミクにほど近い、治安のあまりよろしくない辺りの住所。
「わかる」
 わからないと答えたら、どうしたのだろうかと頭の片隅で考える。
「じゃ、そこに明日の夜」
「了解」
 逆らっても無駄だと悟り、ため息混じりに頷いた。


 開いてる?
 ノブに手をかけて、ラキは動きを止める。
 鍵はなくても、開けられる。だから鍵はかかっているものだと思っていた。
 これは罠のひとつかと、嫌な気分になる。
 回してしまったノブを、仕方ないのでそのまま引っ張る。
 さほど広くはない片付いた玄関に、靴をぬいで上がると、短い廊下の先にあるドアをひく。
 板張りの床のリビング。窓際においてあるソファに、長い身体を折り曲げて人が収まっている。
 招待主ではない。
「りょお、お水、とってー」
 吟樹次期宗主の名を親しげに呼ぶ、寝ぼけた声。
 手探りで、傍らにおいてあった煙草をくわえ、その人は起き上がる。
 色素のうすい……青年?
 火をつけ、ようやくこちらを察知する。
「…………」
 たっぷりと息をつめて、見つめられる。
 ……まさか。もう一人?
「生きて」
「……なんで」
 青年の声と自分のものが重なる。
 ちがうのに。同じ。
「固まってないで、座ればどうですか?」
 突然、背後に新たな声。
 かるく肩をたたかれ、一瞬に力が抜けへたり込む。
 口を開こうとして、言葉にならない。
 諸悪の根源の吟樹次期宗主。
「……(りょう)。寝起きのおれを殺す気か?」
 青年はろくに吸わないままの煙草を灰皿に押し付け、ソファにぐったりと埋もれる。
 心臓に悪いと呟く、かすれた声。
「人の親切心を。ほら、ラキ」
 いつの間にか、お茶を入れてきた吟樹次期宗主に湯のみを差し出される。
「ありがと」
 あたたかな緑茶をのみ、心を落ち着かせる。
「ラキ? ……あぁ、キヌートの名を騙る、大それたのがいると思ったら、本物だったのか」
 青年は湯のみを受け取りながら、一人ごちる。
「で、良。何が親切心なワケ?」
「いや、別によかったんだよ? 流希の目の前で、そこまで狼狽えたいんだったらね。十年以上ぶりの再会でね」
 わざとらしい嫌味な口調に、青年は苦々しく顔をしかめる。
「まだ理解してないな、ラキ」
 吟樹次期宗主が、へたり込んだままの自分を覗き込む。
 わかってはいる。
 この青年が、同じ血を引くものだと。
 ただ、繋がりが。
 惑う様子を見て、吟樹次期宗主は静かに口を開く。
藍方(あいかた)は、流希の兄だよ」
 その言葉に、欠けたピースがきっちりはまった気がした。
「よろしく。ラキ」
 やさしげな表情の青年は、懐かしむようにこちらを見て微笑った。


「あの、さ」
 面影。
 きっと、勝てないだろう。ずっと、とらわれて生きる。
「何?」
 子どもの顔の使い方を良く知る相手に、こちらもあえて年長の顔をして尋ねる。
「どこまで知ってるわけ?」
「さぁ、ね」
 実際、ラキが考えているほど、たくさんのことを知っているわけではない。
 その場が来ないとわからないことの方が、実際は多いのだ。
 しかし、それを知らせる必要もないだろう。
 期待をかけるに値する人間であると思わせておく。
「ほんっとに食えない人間だよな。『良にぃ』は」
 にっこりと、大切に思う少女と同じような表情、同じ呼び方をしてくる。
 どっちが、だ。
 それは口にせず、別の言をはきだす。
「よろしく、共犯者」
 応えは、大人びた不敵な笑みで戻ってきた。

【終】




Apr. 2000
【トキノカサネ】