芥皎(かいこう)



「……その、ちっこいの何? 社長の隠し子?」
 いつもなら店先に居るはずの店主が、奥の給湯室にいることにまず少し驚いた。そして、その足下ある小さな子どもの姿に、対応に迷い、とりあえず軽口をたたく。
 一般人が出入するような店ではない。後ろ暗い人間しか来ないとまでは言わないが、少なくとも子連れで来られる場所ではないはずだ。当然、子どもが一人で来られる場所でもない。
 一見お断り、予約必須、要紹介。仕事の内容柄、敷居は非常に高い。
 見た目を偽って子どもの姿をしているだけかとも一瞬考えたが、それだけの力の介在も感じられなかった。
「言葉を慎みなさい、シンラギーニ。……愚息が失礼しました」
 店主である父親があっさりと自分の名前と関係を明かし、子どもに礼をとる。
 子どもの年頃、その扱いから推測される答えにシンラギは思わず眉をひそめる。
「ごめんなさい」
 か細い声にはっとして視線を子どもに向ける。
 まっすぐにこちらを見上げる目が、うっすら潤んでいる。
 シンラギはしゃがみこみ、子どもと目を合わせ、あえて必要な礼はとらずに話しかける。
「謝らなくていいよ。別にちっさいお嬢に怒ってるわけじゃないし」
 方便のつもりはなかった。それは決してその子どもに対して向けた感情ではない。
 だが、子どもはそうはとらなかったようで、再び謝る。
「ごめんなさい」
 これほど幼いうちから、他人の感情を察知し、自分を責める。
 当り前にそういう生活をしているということだ。
「じゃあ、俺もごめんなさい。で、おあいこ」
 目を合わせて笑って見せると、子どもは少し困ったように首を傾げる。
「この齢にもなって感情の制御もできないような息子で困ります。ほんとうに申し訳ありません、少々失礼いたします。……シンラギ、裏口は閉じておきなさい」
 予約の客でもあるのだろう。店先に戻る父親の言葉にシンラギはかるく頷くと子どもに声をかける。
「お茶でも入れよっかー」
 返事を待たずにやかんを火にかけ、シンラギは裏口のドアに触れると、閉遮の術をかける。
 父親には倣わず、あえてただの子どものように対する。
 万が一、見咎められたとしても知らなかった、気付かなかったとシンラギならぎりぎり言い訳がたつ。
「ぼろい椅子だけど我慢してね」
 置いてあるのは、店主が自身の休憩用においてあるくたびれたテーブルと椅子が一組のみだ。
 その椅子に子どもを座らせて、ティーポットに湯を注ぎながら気取られないよう観察する。
 肩上で切りそろえられた黒髪。幼いながら整った容貌の子どもは膝を揃え、姿勢よく座っている。
 出来すぎている。
 このくらいの年齢の子どもと接する機会がほとんどないが、これほどきちんと大人しくしているということは、あまりない気がする。
 感情がみえない表情は、その面立ちもあいまって。まるで人形のようだ。
 決して良い意味ではなく。
「はい。どうぞ。熱いから気をつけて」
「ありがとうございます」
 カップを差し出すと、きちんとお礼を言う。
 躾はしっかりされている。
 壁にもたれて、自分もお茶を飲みながらその姿をみつめる。
「……お嬢はさ、両親以外に、お嬢を大事にしてくれる人はいる?」
 名前を呼ぶわけにもいかず、中途半端に呼び掛けると、子どもは不思議そうにシンラギを見上げて、しかし頷く。
 ほんの少し、はにかんだように見えて、その年相応に見える表情にほっとする。
「いつも近くにいる? お嬢はその人のこと好き?」
「はい」
 重ねた問いに、子どもは静かに応える。
 シンラギはカップをテーブルに置き、子どもの前に膝をつく。
 視線が同じ高さで交わる。
「お嬢。お願いがあるんだ。俺が困ってるときには、力を貸して? お嬢が嫌がることを無理強いしたりはしないから」
 何もかも見透されているような気になる、まっすぐな眼。
「その代わり、俺はお嬢の味方になりにいくよ。時が来たら」
 たぶん、そういう場所が必要になる。この子どもには。
「だめ、です」
 子どもは目を逸らさずに、くちびるをかむ。
「なんで? 俺なんかが関わるのは許されない?」
「違います。お手伝いは、できます。……でも、迷惑をかけます」
 立場を考えれば、もっと傲慢であってもいいのに、先に相手を思いやる。
「契約は対等じゃなければいけない。俺は迷惑じゃないし、お嬢が俺を迷惑と思わないなら問題ないよ。どう? 迷惑?」
 この問いかけに頷いたりしないことは、考えなくてもわかっていた。
 案の定、子どもは首を横にふる。
「じゃあ、約束。お嬢は俺をたすける。俺はお嬢の味方になる。どんな道を選ぼうと」
 小さな手を取り、小指を絡める。
「これは二人の秘密ね」
 不思議そうに指を見つめる子どもに勝手な約束を取り付けて指をほどいた。


「おまえが契約に持ち込むとは思わなかったんだが。それも、よりによって」
 子どもの迎えと顔を合わせないように、しかしわずかばかりでも様子を探る為、階段の半ばほどで座っているところを、戻ってきた父親に苦い声をかけられる。
 さすがに隙がない。仕事中であっても、裏の様子は聞いていたようだ。
「俺だって契約なんて一生しないと思ってたよ」
 誰かに縛られるような性格じゃないことは自覚していた。おかげで学院内でも持て余されていることもわかっていた。
 それに問題も感じずにいる自分が、人生捧げると同等の契約を結ぶなど。
「でも、ほっといたらダメな気がしたんだよねー。あの小さなお姫様には逃げ場が必要だと思ったんだよな」
 それは未来視とかそういうものではなく、ただの根拠のない直感。
「あの姫君が逃げると?」
 真意をはかるような父にシンラギは肩をすくめる。
「逃げないだろうね。ただ、場所があることで折れずにすむこともあるし」
「折れると?」
「折れるでしょ。あんな小さいのに、真っ当じゃない親の下にいながら、真っ直ぐなままで。危なっかしい」
「真っ当じゃないって、会ってもないのに言い切るね」
 苦笑いする父にシンラギは眉をひそめる。
「こんな店に子ども連れて、それも一人預けて行く親がまともなはずないだろ」
「そうなると私も真っ当じゃないに当てはまることになるね。自分の息子がこんな場所に出入りするのを止めもしない」
 揶揄すような、それでいてどこか本気な言葉に。小さく反論する。
「自分の家に出入りして、何の問題があるんだよ」
「ここは家じゃなくて店」
「わかってる。でも、俺だって学院で平和に暮らしたいしさ。そうなるとある程度情報が欲しいじゃない?」
 嘘ではない。情報はあるに越したことはない。
 が、ここにある大層な情報などなくても、平穏な生活は送れるので、実際は単純に趣味だ。
 案の定信じていない風な父の表情にシンラギは舌を出す。
「それに、一応、跡を継ぐつもりもあったしさ」
「過去形?」
 面白がったような声に岑羅は笑みを零す。
「契約しちゃったしね。本音を言えば、契約はしたものの、その時が来るまであのお姫様が生きてるかどうかは、ちょっとあやしいと思ってるけど」
「それを助けることは契約に入らないのか?」
「過分な契約でしょ、それは。俺の力量からいって逃げ場を作るのが精一杯。それも、今じゃなく、先の話だ」
 自分が使える方だという自負はあるが、それもこの年齢にしては、という注釈がつくこともわかっている。
「自己評価が正当なのは良いことだけど、それなら関わらない道を選んだほうが良かったね。姫君が死ぬより先におまえが死ぬよ?」
「その時まで、大人しく身を潜めておくよ」
 学院にいる間ならそれほど派手に手出しはされないはずだ。学院は学生を育てると同時に濫用から保護する目的をもっている。
 まぁ、出資元が出資元なのでどこまで当てにできるか微妙なところではあるけれど。
「一旦契約してしまったことだ。生き延びる努力をしなさい」
 突き放した言い方をしているが、心配してくれているのは伝わる。
「それにしても、血って怖いねぇ」
 シンラギはそれを冗談めかした言葉で逸らす。
「誰の血が」
 あきれたように眉をひそめる父親にシンラギは笑ってみせる。
「エイナの血、俺にも流れてたんだなぁ、と再認識。こんな末端にもきっちり忠誠心って刷り込まれてるものだねぇ」
「……どちらかと言えば、エイナに惹かれるギンキの血じゃないか?」
 シンラギが本気で言っていないことなどお見通しなのだろう。どうでも良さそうに返される。
「一応、主筋はエイナだから、敬意を払っておこうかなと」
「感心しないよ」
 軽口に対する父の短い非難にシンラギは肩をすくめる。
「外では言わないから、大目に見てよ。……じゃ、行くよ。迷惑、かけるな」
 いても無駄口で父親を辟易させるだけなので、キリをつける。
「慣れているよ。健闘を祈る」
 静かな声。
「ありがと。でも俺より、あの小さいお姫様が健闘してくれないと始まらないんだけどね」
 まともではない親のもとで、呑まれずにどこまでもつか。
 今はまだわからないまま、そのときを待つ。



「こんにちは」
 夕暮れ。
 人気のない裏道で制服姿の少女に声をかける。
 少女は表情を変えず、ただまっすぐにこちらを見つめた。
 長い髪がぬるい風にわずかに揺れる。
 かわらない、見透かすような眼。
「覚えてる?」
 小さな頃、わずかな時間、少し話しただけの自分のことなど、普通なら忘れている可能性が高い。
 それでも確信があった。
「覚えています。……律儀にまもる必要はないと思います。もう、必要ないでしょう?」
 少女は静かに微笑んだ。
 言葉の理由に、思い当たることはあった。
 少女がそれを知った理由は解せないが、だからこそ気付かないふりをする。
「なんで?」
「私の助けが必要だとは思えません」
 拒絶の色はないが、きっぱりとした声。
 これは完全にわかっている。シンラギに、頼りになる片腕がいることを。
「俺は欲張りなんだよ」
「デメリットが多すぎます」
「それでも俺には必要だよ。お嬢は? お嬢が要らない、俺の顔なんか見たくもないって言うなら仕方ないから契約は破棄するけど?」
 ずるい言い方だと自覚はあるし、少女も腑に落ちない顔をしていた。
 しかし結局諦めたように小さく苦笑いする。
(あくた)さんが良いのなら、私に異存はありません」
 まだ名乗っていないこちらでの通り名をさらりと呼ぶ辺り、あなどれない。
岑羅(しんら)で良いよ、お嬢」
「岑羅さん?」
 意図を掴みかねるように少女は名前を呼びかえる。
「呼び捨てで良い。契約は対等なものだから」
「……それなら私のことも流希(りゅうき)と呼ぶのが筋じゃないですか?」
 お嬢と呼ばれるのはやはり抵抗があるらしく、かるく眉をひそめている。
「俺がその名を呼ぶわけにはいかない事情を汲んでもらえると嬉しいな」
 自分の立場はもちろん、シンラギ自身がその名の意味を知っているからこそ、決して口には出来ない。
 少女にそれがわからないはずはない。
「それなら、私が芥さんって呼ぶのは問題ないはずです」
 年長の人間を呼び捨てにすることに抵抗があるのか、それとも単に意地なのか少女は呼び方を元に戻す。
「べつに俺の呼ぶ『お嬢』には小さなお子様以上の他意はないんだけど。どうしてもお嬢が名前呼び捨てがイヤだって言うなら、俺も改めなきゃいけないな」
 どこかほっとした表情の少女ににっこり笑って膝をつく。
「姫」
 少女は目を丸くし、固まる。
「…………なんで、そうなるんです」
「芥さんと姫に呼んでいただけるのなら、相応の礼が必要だからです」
 膝をつき、頭をたれたままのシンラギに少女の不満そうな声が降りかかる。
「それは脅しだと思う」
「私のとれる選択肢は他にありません。あとは姫次第です」
「それ、人前でできないでしょう?」
「私は必要とあれば、衆人環視の中でも平気でできますよ?」
 いま、躊躇なくこんな態勢が取れたのは人気のない路地だからだということもあるが、それほど人目を気にする性質でもない。
 そうと決めたら、どこでも同じことができる。
「岑羅は、ずるい」
 ものすごく不本意そうに名前を呼ばれ、シンラギは顔をあげて笑う。
「それはまぁ、俺のが大人だし。その分は仕方ないでしょ」
 何か言いたげに、しかし何も言わずにただ見つめる少女の手をそっと取る。
「お嬢、うちに来るか?」
 保護者が変わり、少女の居場所はより一層安寧から遠い場所となった。
 本来ならそうなる前に手を差し伸べるべきだったかもしれない。
 今更だと誹られても仕方ないタイミングだ。
 それでも、あえて今を選んだ。
「ありがとう。でも、逃げたくない」
「変わらないね、お嬢」
 まっすぐに、歪まずに、ここまで来たことをよろこぶべきなのだろう。
「十年も前と?」
 訝しげな声。
 背も髪も伸びたけれど、本質はそのまま。
「いつでも、遊びにおいで。俺は一人で退屈しているから」
 そのために、作った場所。
「岑羅も。私にできることがあれば、いつでも呼んで」
 あのときと同様に、小指を絡ませる。
「味方でいるよ。ずっと。お嬢がお嬢であれるように」

【終】




Aug. 2012
【トキノカサネ】