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「何、ため息ついてんだよ。うっとーしい」
 テーブルにあごをかけて暗い顔をしている諷永(ふうえい)の後頭部を岑羅(しんら)は軽くはたく。
 諷永はたたかれたことには文句を言わず、ひとり言のようにぼそぼそ呟く。
「年末だし。年が明けるし」
 妙に深刻な声に岑羅は眉をひそめる。
「なに?」
「帰宅命令が出た」
 またひとつため息。
 岑羅もつられてため息をこぼす。
「実家に、か」
 中二の頃からひとり暮らしをしているとは聞いていた。
 『感覚』の力が強すぎる諷永には、実家は確かに暮らしやすい場所ではなかっただろう。家を出たのはそれだけが理由ではないかもしれないが。
「他にどこがあるの」
 珍しくやさぐれた口調。わからないでもないが。
「何でまた」
 今、この時期なのだろう。
「年末年始だし。誕生日も来るし。いいかげん跡継ぎらしい姿を見せろということだろ」
 前髪をぐしゃとかきあげ、諷永は冷えた口調で吐き出す。
 その様子を複雑そうに見つめる岑羅を安心させるように、諷永は表情をゆるませる。
「ってことで、年末は休む。拉致監禁されないように祈っておいてよ」
 冗談めかしたその言葉が、実のところ洒落にならないことを知っている岑羅は黙って諷永を見送る。
 行かせずに済むなら、それに越したことはない。が、今の状態で岑羅がそこまで干渉するのも問題がある。
「覚悟、決めるべきかねぇ」
 独白する。なかなか、思い切るには難しい問題なのだけれど。
「ただいまー。今、下で諷永に会ったよ」
 声に、現実に引き戻される。
「おかえり。しばらく休むっていって、帰った」
「なんで? 風邪?」
 コートを脱ぎながら透亜(とうあ)は不思議そうに尋ねる。
「いや。今度来たとき、本人から聞きな」
 諷永の家の事情を勝手に口にするのははばかられる。岑羅自身も本人から直接聞いたわけでなく、仕事柄知っているというだけだから余計に。
「そうする。諷永って謎だよね。岑羅はその上をいくけど」
 イマイチ納得のいかない表情で、でもこれ以上岑羅から情報を引き出せないだろうと諦めた透亜はため息をつく。
「そーか? じゃ、類は友を呼ぶんだろ。透亜も」
 隠し事はお互いさまだろうと岑羅は暗に言う。
「別に私のは隠し事じゃないし。岑羅だって知ってるでしょ」
 むくれる透亜の頭を岑羅は撫でる。
「それは透亜の主観だし。ほら、飯食いにいくか?」
「ん」
 子ども扱いが腹立たしいような、うれしいような複雑な気分で透亜はうなずいた。


 陽あたりがけして悪いわけではない。
 手入れのされた広い庭には大きな樹々も多い。それにも関わらず、暗く、澱んだ空気。
 諷永は顔をしかめる。
 久しぶりに帰ってきた家は、以前と変わらず気分が悪くなる。
 自分だけが異端で、ここでは息がつけなかった。
 今なら自分の『感覚』が強かったせいだったとわかる。
「問題は、判ってるだけじゃどうしようもないってことだよな」
 ため息をつく。
 ここが肌に合わないのは、それだけが理由ではない。
 やはり帰ろうかと、この期に及んで後ろむきな考えで諷永は足を止める。
 しゃがみこみたいほどに気分が悪い。
「おかえりなさい、諷永さま」
 帰ろう。と、かなり本気で考えていたところに声をかけられ諷永は顔をあげる。
「……竹居さん。お久しぶりです」
 五十代後半の女性に微笑みを返す。
 この家の家事一切を取り仕切るベテランで、諷永にとっては育ての親も同然だ。この家の唯一のいこい。
「父さんたち、母屋?」
 竹居と顔を合わせて、そのまま帰るというわけにもいかないだろう。覚悟を決める。
「ええ、お待ちですよ」
 静かに目を伏せる竹居の言葉に、諷永は頭をひとつふり、気分を切り替えた。
「じゃ、行ってきます」
 

「ただいま戻りました」
 襖をあけ、頭を下げる。
 視線をはしらせ、部屋内の人間を確認する。
 父母と、弟。三人だけなのは幸いなのか、最悪なのか。
 家を出て以来会っていなかった家族だというのに、懐かしいという感情より先に寒気がわく。
「お帰りなさい、兄さん」
 屈託なくみえる弟の言葉に微笑んで見せながら、自分の異端性をより強く感じる。
 違和感ひとつなく、この場を家として過ごせる家族。
 諷永は気取られないようにため息をひとつつき、顔をあげる。
「ご無沙汰しておりました」
「元気そうで何よりです。もう少し、頻繁に戻ってくるようになさい。諷永さんは跡継ぎなのですから」
 念を押すような母親の言葉に、諷永は内心を隠しきって笑む。
 旧時代的な慣習がまかり通るこの家では、より適性のある弟がいるにもかかわらず、長男である諷永に跡を継ぐ義務がある。
 家を出る際もそのことで散々もめ、とりあえず大学卒業後には家に戻るということを条件にひとり暮らしをゆるされたのだ。
「ええ。わかっています」
 逆らうだけの力はない。
 早々にこの場を辞すためだけに、ひたすらおとなしく頷く。
 それを見透かしたかのような父親の視線が寒い。
 わきあがる嫌悪感をのみこみながら、必死で気を散らさないよう落ち着ける。
銀女(ぎんじょ)は手に入りそうか?」
 当たり障りない会話の中、唐突に投げられた父の言葉に、たがが外れそうになる。
 平静を何とか保ち、諷永は顔をあげる。
「……何でしょうか、それは」
 相手に通じるかどうかはわからないが、素知らぬふりをとおす。
 別に嘘ではない。ただ、推測は簡単にできる。『銀女』という初めて聞く言葉に当てはまる人物を。それが権力に固執する人間にとって、どれほど価値があるか、も。
「あのくだらないアルバイトを黙認しているのも、お前が銀女を手に入れるためだからこそ」
 口元だけに笑みを浮かべる父の目をまっすぐに見て諷永は言い切る。
「何のことをおっしゃって見えるか、わかりませんが」
 目を逸らせば、嘘はすぐに看破される。
 父親の顔に薄い笑みが広がる。
詠菜(えいな)の姫を手に入れるつもりではないのか、と言っているんだ」
 明らかに反応を楽しむための言葉に、諷永は唇をかむ。
「……すべてお見通しですか。では、きっとここからも予想通りなんでしょうね」
 感情を押し殺して諷永は続ける。
「二度と戻りません。私のことは初めからいなかったものとしてください」
 『銀女』とよばれる大事な友人を利用するような親のそばに戻ることなどは出来ない。
「重大な違約ではないか? 跡継ぎだからこそ、許したわがままだ。それを今になって反故にするなど」
 相変わらず笑みをたたえたまま、試すような言葉を吐かれる。
「初めからいなかった、のであれば望務(のぞむ)が長男です。何等問題ないでしょう。……それに、約束はやぶられるためにあると教えたのはあなたのはずです」
 諷永は立ち上がり、一礼すると部屋をあとにする。
 背中に感じた父の愉しげな視線がいつまでもまとわりついた。


「なに寝てんの、こんなところで」
 岑羅の声に顔をあげた諷永は、座ったまま伸びをする。
「だって、ねむいんだよー」
「早かったな」
 給湯室でやかんを火にかけながら岑羅は尋ねる。
 帰る、と言ったのは昨日のことだ。そして、まだ昼前のこの時間に事務所にいるというのはいくらなんでもおかしい。
「もう、やめた。……二度と、行かない」
 固い声に岑羅はため息をつく。
「そっか」
 追求はせずにカップを諷永に差し出し、岑羅は座る。
「……流希を、手に入れようとしてるやつに肩入れできない。黙認も無理だ」
 諷永はなにも入っていない胃にコーヒーを流し込む。
 諷永の言葉に岑羅は目を細める。
 当にわかっていたことだった。岑羅にとっては。
「泉代議士はやっぱり知ってたか。……それで後悔しないか?」
 岑羅は素知らぬふりをして確認する。
「しない。……それに、あの人はわかっていて言ったんだろうし」
 諷永がどういう行動をとる予測して、あの言葉を放ったはずだ。
 試すために。
「腹がたつ」
 すべて詰め込んだかのような短い言葉に、岑羅は苦笑いする。
「まぁ、百戦錬磨の政治家さんだしねぇ」
「おれには適性ないから、向こうにとったら渡りに船かもな」
 あきらめてくれて良かったと諷永は微笑む。
 とてもそうとは思えなかったが、それを口には出さず岑羅はため息をつく。
「なんだよ」
「いーや。せっかく帰ってきてくれたんだし、年末大掃除をやってもらおうかなと」
 今考えても、どうにもならないことだと割り切り、岑羅はほうきを諷永に手渡した。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】