闢鬲(へきれき)



 見かけ通りの子どもではないことはわかっていた。さすがに。
 ただ、自分に向ける表情はいつだって笑顔だったので、これほどだとは思わなかったのだ。
 一切の感情を消した顔は、冷然というよりは傲然にさえ見えた。
 鋭利な長刀を、伏した男につきつける子ども。
 二言三言、倒れている男になにごとか呟いた子どもは、振り返り、片手で目を覆う。
 作る表情に迷うようにすこし間をあけ、あげた顔には困ったような笑みが浮かんでいた。
 その笑い方が、大事な幼なじみが泣くのをこらえている時の表情に酷似していて息を飲む。
「こういうのも、自業自得って言うのかな」
 声変わり前のボーイソプラノは、すごくくたびれて聞こえた。
 どちらかと言えば、自分が恩をアダで返したのが正しいだろう。
 (せい)はただ静かにラキを見返した。


 発端は一月ほど前。
「あ、そうだ。青、これあげるよ」
 食事を終えたラキが、テーブルの上に手の平大のリングを滑らせる。
 銀青色の輪。
「ラキ」
 自分が受け取るよりも先に兄が咎めるようにラキの名を呼ぶ。
「なぁに?」
 無邪気な笑顔をかえす、その神経の太さにちょっと感心する。
 (りょう)は一見温和に見えるし、許容した相手に対してはかなりの甘い顔を見せるが、だからと言って甘やかしっぱなしではない。
 必要であれば厳しい対応もするし、そういう時の口調はかなり威圧感がある。
 今、ラキに向けた声も結構な強いものだったにも関わらず、意に介さないあたり、かなりの強心臓だ。
「余計なことをするな」
「おれは良にぃに命令される覚えはないよ?」
 より強くなる口調に、平然と大人びた笑みで切り返す。
 見た目が幼く、かわいらしいせいで、いや、それだからこそ、寒々しい怖さがある。
「青。それつけてれば、ある程度『力』を抑制できるから、外出も出来るよ。使って?」
 裏のなさそうに見える笑みを浮かべて、ラキは言う。
 そう言われても、不機嫌な良の手前、微妙に手を出しづらい。
「おれが持っていても仕方ないものだし、要らないなら処分するけど?」
「くれる物はもらっておくけど、さ。良いのか?」
 この手の術具は結構値が張ると聞く。
 見るからに装飾も細かいし、材質も高価そうだ。
「良いよ。借金の形に手に入れたようなものだし。でも、物の素性は確かだから、大丈夫」
 やさしい声。
 とりあえず、良の姿を視界に入れないようにして受け取る。
「ありがとう」
「どういたしまして。じゃ、おさきー」
 ラキは食べ終えた食器を持ち、平然と立ち上がる。
 流希と空は既に席を外しているので、必然的に残されるのは良と二人になる。
 気まずい。
「ろくなことしないな、あいつは」
 良は深々とため息をつく。
「出かけないほうがいいようなら、大人しくこもってるよ?」
 自分の厄介な体質については理解しているし、出られないことは覚悟してついてきている。
 気遣ってくれたラキの行為はありがたいけれど。
 良は苦笑いする。
「いや。くれぐれも流希(りゅうき)にバレないように出かけろよ。二人で出かけるのは絶対却下」
「了解ー。っていうか、さすがにそれはない。あんな……うん。ムリだろ。普通に」
 本人に責任があるわけではないけれど、件の幼馴染に付随した価値は魅力的過ぎるらしく、様々なトラブルに巻き込まれがちだ。
 慣れない外出で何かあった場合、自分一人ならともかく、流希のことまで守りきれる自信はない。それどころか、逆に自分が足手まといになる可能性だってある。
「……おまえさ、仮にも好きな子を『あんな』呼ばわりはないと思うぞ」
 深々と良がため息をつく。
「感情と事実認識は別物だし」
 かるく笑って返す。
 流希に対してもつ気持ちについて、そう突っ込んでくるとは思わなかった。
 良は表情をより呆れの深いものにするが、それ以上なにも言わず立ち上がった。
 

 ラキからもらったリングを腕にとおし、何度か、ふらりと出かけた。
 とりあえず、近場から。
 だんだん足を伸ばすようになって、犯罪特区(ヤミク)に足を踏み入れたのは、その日が初めてだった。
 雑多な雰囲気は、整備されすぎている中央区よりは、決して安全とはいえない場所にも関わらずかえって気楽なくらいだった。
 なるべく目立たないように、面倒ごとに巻き込まれないように気をつけながら、ふと入りこんでしまった路地。
 そこにあったのは小競り合いとはレベルの違う剣呑な空気。
 息をひそめ、出来るかぎり気配を消す。
 一歩でも動けば、全てが瓦解しそうなほど緊迫したその中にいる人物を見て、反射的に出そうになった声を無理やり押さえ込む。
 こんなところで知った顔に会うとは思わなかった。
 まだ幼いと言っても良い少年が、壮年の男と堂々と渡り合う……否、圧倒的強者として対峙していた。
 見なかったふりをして立ち去るのが親切だろうとは思う。
 が、そうできないほどに空気は張り詰めていたせいで、そのまま立ち尽くすしかなかった。
 ことが済んだあとに向けられた、困ったような笑顔を見た時、心底後悔した。
 例え気付かれたとしても、すぐその場を去っておけば良かった。
 返す言葉もなくただ見つめるだけの青に、ラキは今度は穏やかな笑みを浮かべる。
「とりあえず、場所を移そうか」
「ごめん。無理しなくて良い。帰るし」
「警戒しなくてもいいよ? 見られたからって消したりしないし?」
 気を使ってくれていることはわかったが、内容が物騒すぎる。
「そんなこと思ってない」
「なら問題ないでしょ。……んー。どうせなら、奥まで行こうか」
 しばらく迷うように考えてから、ラキは勝手に結論付けると青の手を引く。
「ラキ」
「中途半端なとこが一番危険なんだよ。中の方がかえって安全だから。とりあえず、昼ごはん何がいいかなぁ」
 そんなことが言いたいのではない。それを聡いラキがわかっていないはずもないから、わざと話を逸らしているのだろう。
 何を言っても無駄そうなのでだまっているとラキがかるく笑う。
「良いんだよ。言ったでしょ。自業自得。種をまいたのはおれだから」
 切り替えが早いと言うべきなのだろうか。
 変なところ、真面目だ。
「青はやさしいよね」
 振り返った顔に浮かぶ微笑が、やっぱり、すごく、流希に似ていた。
 

 もの問いたげにしていることに気付いていないはずはない。
 背丈にして二十センチ以上差のある子どもに手を引かれるまま歩くにつれ、雑多な小競り合いはへってきた。
 ただ、周囲の空気はより負の強いものになっていて、気を抜けば悪意に巻き込まれることが容易に想像できた。
 そんな中にも関わらず、ラキは平然と闊歩する。
「慣れてるな」
 思わず出た声にラキはかるく振り返り、肩をすくめる。
「だって、おれは住人だし」
 意外、ではないはずだ。
 普段にこにこはしていても、奥底を読ませない雰囲気はあったし、先ほどの状況を見たあとなら尚更。
 ただ、ラキにはヤミクに漂う荒んだ雰囲気が一切ないので、住人となると違和感は拭えない。
 それに、外見はどこから見ても子どもなのだ。
「この顔は、おれにとって武器の一つだからねぇ」
 どこか自嘲的に呟いて、ラキは先に進む。
 それに意味することはわからなかったが、ふと思ったことが口をつく。
「ラキって、本当は何歳(いくつ)だ?」
 出会って、かれこれ一年が経つ。
 そんな中、ラキの姿は少しも変わっていないように見えた。
 毎日見ていると気付きにくいものだといえ、この年頃での変化がそんな緩やかなものとは考えづらい。
 外見を変える術や薬はいくらでもあるし、言動をあわせると、自分より年長であってもおかしくない。
 それを表立って口にされることがなく、青も今まで聞けずにいた。
 ラキは薄くため息をつく。
「おれの外見はたぶん一生このままだよ。もちろん、術で変えることは出来るけどね」
 ほんの少しずれた答えが、青だけに届くような小さな声でかえる。
 つまり、今の姿が本来の姿で、そのまま成長しないということか?
 それは、すごく、
「ま、これも必要だったんでしょ」
 達観なのか諦観なのか、ラキは至極あっさりと言い放つ。
「強いな、ラキは」
 簡単なことではないはずだ。武器の一つだとはいう反面、不利益はそれを上回るのは想像に難くない。
「青ほどじゃないよ」
 ラキが小さく笑う。
 揶揄している雰囲気はなかった。
「?」
 真意がわからないでいる青に、ラキは説明することなく、どこか愉しそうに笑った。


 空気が変わる。
 雑多に荒んだ雰囲気はなくなり、落ち着き整ったものに。
 ラキはヤミクの奥へ行くと言って、そしてたしかに深いところに入ってきたにもかかわらず、中央だと言われても信じてしまえそうな程度に整然としている。
「ここがヤミクの最奥。ヤミクにも階層があって、ここには実力者が揃う反面、内部での揉め事はほとんどない。ある程度の安全は確保できるけど」
「厳しく監視される」
 悪意あるものではないが、そこかしこから視線を感じる。
 ラキは微笑する。
「客なのか、厄介ごとなのか、見極める為にね。自衛だよ。結局、皆、後ろ暗いこと抱えてる身だから。一人で入るのはお勧めしない」
「ラキは?」
「おれは監視する側だから」
 見上げる表情がどこか挑戦的で、そのくせさみしそうにも見えて、……困る。
「なんで? って聞いたらダメか?」
 曖昧に問いかけた青を、ラキは静かに見つめる。
 沈黙が痛くて、思わず頭を下げる。
「ごめん」
「別に、謝ることじゃないよ。単純に、おれが後ろ暗くて、卑怯なだけ。知られていないままでいられるわけないのにねぇ?」
「ラキ」
 もう言わなくていいと止めるつもりで名を呼ぶ。
「ここに入ろっか」
 返事をまたずにラキは通り沿いにあった、明るい雰囲気のカフェのドアを開ける。
 話が中断したことにほっとしながら、案内されたあたたかな陽ざしの差し込む窓際の席に座る。
「あ、オレお金持ってないや」
 注文を聞きにきた店員が下がってから気がつく。
「払いはおれが持つからいいけど。何、忘れたの?」
「お金が要るような生活してないからなぁ」
 あまり長い時間、外出するつもりもなかったので、お金の必要性をに思い至らなかった。
「浮世離れしすぎ」
 ラキの苦笑いにつられて笑う。
「オレは普通だよ」
「んー。そういうコトにしておいてもいいよ……食べよ」
 食事が運ばれてきて、他愛のない会話がふと止まる。
 食事をすすめながら話の糸口をさがすが、取っ掛かりを見つけられずにいた。
 気まずい沈黙。
 ラキはどう思っているのかと、そっと顔を向けると、おもいきり目があう。
「おれは復讐のためにヤミクに入ったんだよ。『エイナ』全てに制裁を加えるために。ここが一番、すべてに近い」
 唐突に話が元にもどる。
 店に入る前にしていたものを有耶無耶で終わらせる気はなかったらしい。
「流希にも、そのつもりで近づいた」
 子どもの顔に似合わない自嘲的な笑みが深くなる。
「過去形だろーがっ」
 青は身を乗り出し、ラキの頭に、かるくげんこつをぶつける。
 そばで見ていればわかる。
 良とはまた別の形で、大事にしている。寄り添うように、おなじように。
「そういう問題じゃないんだよ」
 ラキは少し驚いたように青を見上げてから、静かに笑む。
「そういうとこ、流希と似てるな」
 顔かたちも似ているが、たまに垣間見える表情がそっくりだとは思っていた。
 けれど、こんな風に、妙に律儀で、頑なに自分に厳しい辺りまで似てるとは知らなかった。
「青はさ、前から思っていたけど、すごくお人好しだよね」
 あきれたようなため息をこぼして、ラキは止めていた食事を再開する。
 お人好しというよりは、そこまで真面目じゃないだけだと思いながらも、一応は褒め言葉のようなので青は反論はせずに受けておく。
「まぁ、似てるのは仕方ないよね。おれも『エイナ』だから」
「は?」
 とんでもないことを聞いた気がする。
「そんな驚くほどのこと? エイナって言ってもピンきりだよ?」
 確かに分家の分家のさらに分家のその先でもエイナとは言えるが、ラキが口にしたのはそういうニュアンスではなかった気がする。
 青があわてるのを見て面白がっていたラキが、急に食事の手を止める。
「おれ、最近目が悪くなったんじゃないかなぁとか思ってるんだけど、どう思う?」
 意味不明なことを、疲れた口調で呟かれ、ラキの視線を追った青は深々と同意する。
「うん。オレも視力が落ちた気がする。きっと、あれは幻覚なんじゃないかなぁ」
 そんなはずはないことはわかっているが、こんなところにいるはずがない、というかいてはダメな人間の姿を見つけたら、このくらいの現実逃避は許されるはずだ。
 宮から抜け出すに飽きたらず、ヤミクの最奥にまで出入りしているとは思わなかった。
 やりかねないヤツだと言うのは知っていたけれど。
 ラキが窓越しに相手を手招く。
「呼ぶんだ?」
 見なかったフリという選択肢もあるのに。
「あのさぁ、見逃したことが良にぃにバレたら、何言われるかわかんないでしょ」
 せいいっぱいの低い声でラキがささやく。
 あれだけ平気で良に対応していたのに、ここは弱気なのか?
「めずらしいね、ふたり一緒」
 店に入ってきた流希はラキの隣に座り、注文をとりに来た店員に紅茶を頼む。
 あまり感情のこもらない声が、かすかに非難しているようにも聞こえた。
「たまたま。ぐーぜん、会っただけ。流希こそ、なんでいるんだよ」
「暇だったし」
「流、良にぃには言って出てきたんだろうな」
 ラキの言葉に流希は少し考えた風に間をあける。
「大丈夫」
「なにがっ」
 青とラキの声が揃う。
 あの返答は無断で出てきたにちがいない。
 流希はまるで聞こえなかったように、出された紅茶を静かに飲んでいる。
 その様子を少し眺めて、青は席を立つ。
「……うん。オレ、先に帰るわ。ラキにも流希にも会わずにオレは一人で外出を満喫した。良い一日だった」
「ちょっと、青。うらぎりものっ」
 さっさと踵を返す青の服のすそをラキがあわててつかむ。
 先刻、男に冷然と対峙していた人間とはまるで別人のようで、すこし面白い。
「大丈夫だって」
「なにが」
「兄貴は流希にはもちろん、ラキにも甘い。そしてオレには厳しい。つまり関わって一番危ないのはオレだ……行かせてくれ」
 まじめに本気で言うと、ラキはふくれっつらをする。
 こういう、子どもの姿に似合った表情は、なんだかほっとするが、ほだされるわけにはいかない。
 事前に流希と出かけるなとまで言われている状況で、一緒だったことがバレたらひどい目にあうのは想像するまでもない。
 我が身が可愛い。
「ずるいっ」
「私、一人で帰れるけど」
「却下!」
 ラキは流希が言い終わる前に短く口を挟む。
「……ここで無駄な時間使ってる間に、良にぃ帰ってきちゃうよ?」
 流希のせいでで揉めているのに、まったく意に介さず流希はさらりと言う。
「出かけてるんだ?」
「うん。だから大丈夫」
 そう言い切って良いものなのか。
「良かったな。ラキ。そういうコトで、お先に」
 とりあえず、リスクは小さいほうが良い。別行動が無難だろう。
 ラキの恨みがましい視線が少々痛い。
「っていうかさ、ここ一応ヤミクの最奥で、青のこと一人で行かせるのもすごく不安なんだけど」
 あまりにも、普通に食事できていたのですっかり忘れていた。
 青は諦めのため息をつく。
「一蓮托生、かぁ」
「一人より二人のほうが、叱られるのも分散されるしね」
「だね」
 くすくすと流希とラキが顔を見合わせて笑う。
 その様子が楽しげで、そっくりで、なんだかどうでも良くなった。
「帰ろっか」

【終】




Jan. 2013
【トキノカサネ】