吟遊詩人



「まさか、桜前線とともに北上する羽目になるとは」
 活気あふれる新学期といっても差し支えない四月下旬、不景気な表情で校門をくぐる。
 舞い散る桜の花びらをひとしきり眺めると、詰襟のホックをかけると校舎に向かった。


「転入生、(いずみ)諷永(ふうえい)君だ」
 担任の紹介に隣に立った男子は、ぺこりと頭を下げると担任の指示した窓際、前から三番目の席、つまり私の隣の席に座る。
「すみません。教科書見せてもらえますか? えぇと、平野奈子(なこ)、さん?」
 机の端に貼られたネームを見たらしい。周囲に聞こえない程度のやわらかな声でささやかれコクコクとうなずく。
「つくえ、くっつけて良いよ」
「ありがとう」
 良い声だなぁ。かっこいいし。
 教科書をお互いの机のあいだに開いて置きながら、横顔を盗み見る。
「平野さん、なんでこんな半端な位置の席が空いてるんです?」
 突然こちらを向かれ、焦った拍子にペンケースを落とす。
 担任の一瞥を受けながら、そそくさと散らばった筆記具を拾う。
「ごめんね? 驚かせて」
 うわぁ。ちょっと、やばくない? 心臓がばくばくする。
 泉君が拾ってくれたペンを受け取りながら、質問に答える。
 ちょっと言いにくいんだけど、どうせ誰かから聞くんだろうし。なら、ここで言っておいたほうがいいよね。
「四月初めに、その席の子、亡くなったんだ」
 原因不明で、というのは伏せる。前日まで、普通に登校していたのに。
「……そう」
 泉くんは静かに呟き、視線をつくえに落とす。
 その後、授業が終わるまで、会話はゼロ。
 ちょっと、結構、かなり、がっかり。


 休み時間、泉くんはすぐ教室を出ていってしまった。もっといろいろ話したかったのに。構内の案内だってしたかった。
 そのかわりに、クラスメイト三人がつくえを取り囲む。
「なに? なんか、イジメのような態勢だけど」
 逃げ場ナシ。
「あったりまえでしょ」
「ずるいよね、一人であんなかっこいい人と仲良くなっちゃって」
「授業中、コソコソ話してたでしょ。どんな感じなのっ?」
 口々に、間断なく、攻撃を食らう。
「ちょっとしか話せてないって。……あ。でも、良い声してたなぁ」
 うん。ささやかれたのは役得だな。
「ずーるーいー、奈子ばっかり」
 ぐいぐいと首をしめてくる。おい、死ぬって。
「何がずるいんです?」
 件の良い声が降ってくる。うわ。不意打ち。
 見上げると口元に笑みを湛えている。極上。
「なんでもないでーす」
 その笑みに見惚れたように、三人はにこにこ笑みを浮かべて声をそろえる。
 それより、首から手を放してよ。
「そうですか? 他の方、皆さんいなくなってますけど、次、移動教室か何かですか?」
 忘れてた。次、音楽室だ。
 焦りだす私たちを横目に泉くんはどこかのんびりという。
「ぼくもご一緒させてくださいね」


 歌のテストって、意味がわからない。
 皆の前で歌わせるとか、サドか? 音痴な人間の気持ちを考えてみろ、などと言うわけにもいかず、目立たないように小声でもごもご歌ってテストを何とかやり過ごす。
 ちゃんと声出さないと評点下がるのはわかってるんだけどね。恥をとるか、点数を取るか。
 まぁ、今更。終わってしまったことを考えても仕方ない。
 あ。
 へこみのループに陥っていたところに飛び込んできた声。反射的に顔をあげる。
 すごい。うまい。
 さすが。話し言葉も良い声だったけど、歌声もまた良い。
 ほぼぶっつけ本番のはずなのに。みんな聞きほれてるし。
 これはより一層、競争率が上がるなぁ。


 全日授業なら、泉くんともう少し話できたかもしれないのに。お弁当とか一緒に食べられたかもしれないのに。
 何で今日に限って半日授業かなぁ。
 土日のあいだで、教科書そろっちゃうだろうし、そしたらつくえくっつけて話すこともなくなるだろう。
 おまけに今日、掃除当番だし。もしかしたら一緒に帰るとか、出来たかもしれないのに。
 実際は、そううまくはいかないだろうけど、夢くらいは見たい。
「ざんねんー」
「奈子っ。何ぶつぶつ言ってんの。暇ならゴミ捨て行ってきて」
 苛立った友人の声が飛んでくる。
「げ。わかりました。ごめんなさい」
 冷たい目で反論を封じられる。確かにこっちが全面的に悪い。ほうき持って、突っ立っているだけじゃあね。
 半日分のゴミが入ったゴミ箱を持ってゴミ置き場に向かった。


「あれ? 泉くん?」
 ゴミ置き場の裏手、人のあまり立ち入らない雑木林の中に入っていく後姿。
 授業終わったらすぐ教室を出て行ったはずなのに、何してるんだろう。
 ゴミ箱を邪魔にならない位置に置いて、林の中に消えたその背中を追いかける。
 陽の光をさえぎる薄暗い雑木林。
 下に積もった濡れた落ち葉で滑らないようすり足でゆっくりすすみながら泉くんの姿を探す。
 こつん。
 なにか固い弾力のあるものにつま先が当たり、下を見る。
 それ、を認識すると同時に背後から口を塞がれる。
「――っ!」
「……大きな声を出さないで。いい?」
 耳元で呟かれた声だけで、誰かはわかった。
 がくがくと首を縦に振ると、大きな手が口からはなされる。
「っど、どうして、こんなとこにっ……し、死体、が」
 背後の泉くんを見上げて尋ねる。
 足下にはうちの制服を着ている女の子。血が出ているとか、そんなことはなく、寝ているように見えなくもないけれど。
 顔には生気がなく、呼吸もない。
「おれが殺したわけじゃないのは確かだけど……忘れる気はない? 平野さん」
 にこりと笑みを貼り付ける泉くんに食って掛かる。その笑顔は胡散臭い。
「冗談っ。説明してよっ。ちゃんと」
 なんで、こんなに平然としてるんだろう。泉君も、自分も。
 すぐそこに死体があるのに。
「声、大きい。一緒に犯人にされたいのか?」
 厳しい声と視線。
 教室で見ていた丁寧で穏やかな雰囲気とは、ぜんぜん違う。
 でも、やっぱりかっこいいとか思う自分はバカだ。
 じっと視線を逸らさずにいると、根負けしたように泉くんは深々と溜息をついた。


 はたから見ればデートに見えるかな?
 ファストフード店でおごってもらってジュースを飲みつつ泉くんを眺める。
「で、なんだっけ?」
 さっきまでのような厳しさはないけれど、教室のときよりくだけた口調。
「説明して。ぜんぶ」
 頬杖をつきながらポテトをつまむ泉くんを見据える。ごまかされないように。
「仕事。学校で原因不明で亡くなっている人、いるだろ。その調査」
「うそっ」
 が学校に潜入調査なんて、漫画の設定にありがちで、現実にはありえない。
 かっこいいけど、ちょっと妄想癖がある人なのか?
「そう。うそ。夢でも見たんですよ、平野さん」
 やわらかでにこやかな表情。
 教室で見せていたのと同じような表情は、改めてみると胡散臭い。
「うそつき」
 こんな風に誤魔化したってことは調査っていうのはやっぱり本当なのかもしれない。
「ほんとのこと言って、嘘って言われても困るんだよね、おれも。大体、これって守秘義務違反だよなぁ」
 ぼやく姿がなんかかわいい。
「泉くんの席だった子が原因不明でなくなったっていうのが噂にはなってるよ。たしかに。……でも、泉くんの話し、突拍子もないし」
「正常な反応だよ、それが。あれは夢だと思っておいたほうが良い」
 静かに言い終わると泉くんは立ち上がる。
「やだっ」
 学ランのすそをつかみ引き止める。
「やだ、って……平野さん」
「夢でもいいから。とりあえず、説明して。このままじゃ気になって」
「しかたない、か」
 泉くんはもう一度席に着く。
「平野さんの学校で、次々、人が亡くなってるでしょ。あれは人間以外のものが関わっている」
「……宇宙人とか?」
 インプラントとか、良くあるよね。
 泉くんがまじめな顔だから、こっちもまじめに答えてるんだけど、昼下がりのファストフードにそぐわない言葉だ、宇宙人て。
「……ま、同じようなものか。『魔物』だよ」
「ま、魔物ぉお?」
 思わず叫ぶ。
「平野さん、もう少し声、落として」
「ごめん。でも、あまりにも、現実離れしてて」
「宇宙人も大して変わらないと思う」
 小さく声を立てて笑う。
 こんな時だけど、不謹慎だとは思うけど、ちょっとうれしい。
「で、その『魔物』が、殺したの? さっきの人も」
 ボリュームを小さくして尋ねると、頷きがかえる。
「魂を食べて、ね。じゃ、説明終了。帰ろう」
 泉くんは、ぱんとひとつ手をたたいて話を打ち切る。
「私も手伝う」
 こんな中途半端はイヤだ。最後まで見届けてやる。
「だめ。おれは責任取れないから」
 もう、こちらとは視線も合わせない。
「バラしちゃうよ。あること、ないこと、いろいろ、全部」
「冗談。誰も信じないよ」
「でも、動きにくくなるよね。確実に。私、本気だよ?」
 泉くんの目を凝視しつづけると、根負けしたように頭をかるく降る。
「わかった。……ケガしても責任取れないからな」
 苦々しく呟かれた言葉にうなずく。
「うん」
「なんでおれの周りってこんな女ばっかりだよ」
 ぼそりと呟かれた言葉に、喜びが半減した。
 なんだよ。


 週明け、月曜日。
 四限目にもかかわらず、隣は空席のまま。
 いてもたってもいられず、昼休み、雑木林に走る。
「こんなとこで、サボってるし」
 死体のあった辺り、寝転がっている泉くんを覗き込む。
「人聞き、悪いなぁ」
 そのままの体勢で呟くように笑う。
「事実だし。……あの、さ。死体は?」
 夢だった、なんてことはないはずだ。
「しかるべきところに引き取られた」
 苦い声。
「でも、彼女が死んだなんて話、出てないよ?」
 噂にすらなってない。
「表向きは行方不明で片がつくはず」
 ごろり、とうつぶせに向きをかえた泉くんの言葉の意味を考える。
「なんでっ、そんなっ。彼女は、両親だって、……ひどい」
 泉くんは立ち上がり、一瞬だけ視線を向ける。
「踏み入れられない場所はある。しかたない」
 淡々と感情のない、冷ややかな声。
 自分がまるで正しいみたいに。
「彼女が、かわいそう」
「同情、だけでっ……ちょ、平野さん、こっち」
 怒ってるんだけど。
「何で指図受けな……」
 手首をつよくつかまれ、ひっぱられる。
「目の前で、死体は作りたくない」
 その声と同時に、林が影を増す。
 かばわれた泉くんの背中越しに見えるのは、大きな鎌に黒い服の死神。
「ジャマ スル モノ ハ コロス」
 背筋に冷たいものが流れるようなくらい声。
「『施』」
 凛と通るみじかい声。ほんの少し、林を包む影がゆるんだ気がする。
 死神の顔が不愉快そうにゆがみ、大鎌が振り下ろされる。
 距離感ゼロ。
 ぜんぜん届かない。
 そのはずなのに、泉くんの学ランが裂ける。
「っ痛……『縛』」
 息をのむようにもれた音。
 切られた?
「泉くんっ」
 思わずしがみつくと大丈夫だといわんばかりにひらりと手を上げる。
 泉くんは何度か大きく呼吸を繰り返す。
「『炎、発』」
 泉くんは小さな動きでお札のようなものを死神に投げつける。
 死神の足もとに落ちたそれは弾けるように割れ、火柱が立つ。
 その火柱が跡形もなく消えると、死神の姿もなくなっている。
 泉くんが大きく息を吐き出す。
「おしまい。ごめんね、ケガはない?」
「ないっ。私こそ、足手まといでっ……けが」
 切られた制服の下、朱線がはしっている。
「へいき。かすり傷だし」
 自分の傷を少し見たあと、かるく言う。
 その言葉にちょっとほっとして、死神がいた辺りに目を向ける。
 名残のように、地面に黒いすすが染み付いている。
「死神って、燃えるんだね」
「……妙な感想だね、平野さん」
 そう、かな。なんか、まだ現実味がないっていうか。変な感じで。
「じゃあ、おれ帰るから」
 踵を返す泉くんの手を捕まえる。
「ちょっと、待って」
 泉くんは立ち止まり、怪訝そうにふり返る。
「なんかっ、なんで、こんなに早く片付くなら、転校してくる必要、なかったんじゃないの?」
 いや。転入してきてくれたから、会えたんだけど。
 泉くんはイタズラっぽく笑う。
「うん。週末、がんばって罠はってた。準備万端だったんだよ、今日は」
「ずるいっ。手伝うって言ったよね、私」
 足手まといになっていたことは、この際、横においておく。
「充分手伝ってもらいましたよ。オトリ、になってもらったんだし」
 にこにこ。笑ってごまかそうとしてるの?
「あのさ、」
「予鈴、鳴ったよ」
 その声と、チャイムの音に急きたてられるように、仕方なく校舎へ戻った。


 やっぱり、来ない。
 隣は今日も一日空席のまま授業終了。
 まぁ、仕事だって言ってたし、昨日のあれで終了なら、もう学校に出てくる必要もないっていうのはわかる。
 けどなぁ。いいんだけどさ、別に。
「……かえろ」
 学校を出て、シャッターのしまった店が連なるすたれた商店街を歩く。人気がなく、いつも思うけどゴーストタウンみたいだ。
「平野さん」
 やばい。幻聴が聞こえる。あの、良い声が。
 そこまでハマったか、私。
「起きてる?」
 ひらり。目の前で手が振られる。
 うわっ。どこから出てきたの?
「寝ながら歩くの、危ないよ?」
 まだ振られてる手のひらを捕まえる。
 あ、
「本物だ」
「もう、行くから。平野さんにはお世話になったし、挨拶しておこうと思って」
 そう思ってもらえることはうれしい。
「帰るんだ」
 いなくなってしまうのは悲しい。わかっていたことだけど。
「また、どこかで会ったら声かけてよ」
 わきに停めてあったバイクに泉くんはまたがる。
「泉くん。好きだよっ」
 短い間だったけれど、初めはかっこいいと思ってただけだったけど。
 ヘルメットをかぶった泉くんの表情は見えないけれど、笑ったような気配。
「ありがとう」
 くぐもった声だけを残して、バイクは遠くなる。
 行っちゃった。
「だれか、良い人いないかなぁ」
 強がって、言ってみる。
 今すぐに、切り替えは出来ないけれど。
 いつか。
 空を仰ぎ見ると、桜の花びら一片。
 すこし気分がゆるんで、駅へ向かった。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】