銀涕(ぎんてい)



「たーだいま」
「……おかえり」
 入ってきた諷永(ふうえい)流希(りゅうき)は振り返らずに声だけで迎える。
「もう少し、おとなしく入って来いよ。授業中なんだから……って、聞けよ」
「聞いてる、聞いてる」
 諷永は買いこんできたコンビニデザートとお菓子を机に並べながら(せい)の声にうなずく。
「サボってる自覚持てよ。ったく、また大量に買い込んできて。これ、朝飯?」
「朝昼兼用飯。沢山買ってきたから、食っても良いよ」
 言いながら諷永はたっぷり生クリームの載ったプリンを口に運ぶ。
「もうちょっとマトモな食生活しろよ」
 青はあきれたように溜息をつく。
「別に毎日こんなの食ってるわけじゃないって。たまにはいいだろ」
「諷永のたまには、頻度が高いと思うけど……ちょ、っと……それ、諷永……な、に?」
 振り返った流希が焦った様子で立ち上がる。
「どうした?」
 流希の指差す先は諷永の胸の辺り。そこに視線を移した青は微妙な苦笑いを浮かべる。
「諷永ー、それ、わざと?」
「あ? あぁ。見つけたからつれてきた。珍しくないか、カマキリ」
 胸にくっつけていた黄緑色の細い昆虫を諷永はつまみ、見せる。
 流希は顔をそむけ、そのまま壁伝いに後ずさる。顔から血の気が引いている。
「青ー、あれ、どうしたんだ?」
「なんていうかさぁ。それ以上流希に近づくなよ、諷永」
 青は溜息をつく。
「ごめ、ん。……それ、外に、出して?」
 途切れ途切れに、搾り出すようにして流希は諷永に伝える。決してそちらを直視しないように目を逸らしたまま。
 カマキリをちょっと見たあと、諷永は目だけで問う。
「流希って虫の類、ものすごく苦手なんだ。……おい、だから止めてやれって」
 ためしに、と言わんばかりに流希に近づこうとする諷永を青はつかまえる。
「意外。ほんとにダメなんだ」
「わか、ったら、それ。どうにか、してよぉ」
 以前、銃口にも臆せず、冷静に対峙していた流希が涙声なことに諷永はおどろき、言われたとおり、窓の外にカマキリを放る。
 その気配を察して流希はそのまま床にへたり込む。大きなため息。
「なぁ、カマキリはともかく蝶とかもダメなわけ?」
 窓を閉め、諷永は尋ねる。カマキリは嫌いなのはわからないでもないが。
「……大嫌い」
 名前を聞くのも嫌そうに流希は顔をしかめる。
「意外だなぁ。流希にこんな弱点があるなんて」
「……幼児体験の賜物」
 溜息に紛らせたように呟く。
「それはオレも初耳」
 青は驚いたように顔をあげる。嫌がるというよりは怖がっているとは思っていたが、触れるのも憚られるほどだったので、なんとなく聞けずにいたのだ。
 自分で口にしたのはちょうどいい機会だと、青は目線で詳細をうながすが、流希は目を逸らす。
「内緒」
「流希、眠いのか?」
 欠伸をかみころしている流希に、諷永は尋ねる。
「んー。天気が良いからさ」
 微妙な否定をしながらも、しばらくすると壁にもたれて小さな寝息をたて始める。
「結局寝てるし。全く、どれだけ無理してるんだか」
 諷永の買ってきたゼリーをもらい、青は憮然と呟く。
「よくやるよな。呉越同舟なんて」
 両親を亡きものとし、そして流希の命と力を狙っている伯父の家に自ら引き取られたという話を思い出して諷永は呆れ半分のため息を漏らす。
 おまけに相手はけっこうな会社の社長で、金も地位もあるというのだから、余計にたちが悪い。
「ほんとになぁ。毒盛られたのだって、一度や二度じゃないはずなのに」
「でも、なんで流希ばっかりが狙われるんだ? 青だって強い術者なんだろ?」
 心配を隠さず顔に出す青に、諷永は尋ねる。
 伯父だけではなく、他にも流希を欲しがっている人間がいると聞いている。女だから扱いやすそうだ、という以上に狙いが流希に集中している気がする。
 青は束の間、言葉を捜すように遠くを見つめる。
「単純に言えば、オレより流希のほうが有名だから。……それに、オレの場合、ちょっと力の質が違うしな」
 苦い声の青に、諷永はシュークリームを放って渡した。


「諷永、今来たの?」
 一時間目も間もなく終わるという頃合に入ってきた諷永に流希は尋ねる。
「寝坊。今日の一限は出ておきたかったのに」
 サンドイッチの外装をはがしながらへこんだ様子で諷永は呟く。
「何の授業だったの?」
「現社。レポートを出したかった。レポート出しておけば、欠席見逃してくれるんだよ、村山さんって。職員室まで持っていくのかぁ。やだなぁ」
 もそもそとサンドイッチを口に運びながら諷永はぼやく。
「まぁ、しょうがないよね」
「ところで青は?」
「今日の一限はもう落とせないって。休み時間には来るんじゃないかな」
 流希の言葉に丁度チャイムの音がかぶる。
 しばらくすると、静かに視聴覚室のドアが開き、青が顔をのぞかせる。
「あ、諷永いるし」
「いるよ。何」
「片山から預かりもの」
 かるくヤサグレ気味の返事をした諷永にせいは苦笑いして茶封筒をわたす。
 諷永は不審そうに封筒の中身を引っ張り出す。
「【請求書 一五〇〇円也 但し、レポート提出代 片山義琅(ぎろう)】……何、これ」
「オレは預かっただけだから。ちなみに利子はトイチだと伝言」
 青の付け足しに諷永は机に突っ伏す。
「悪徳だね、片山」
「おもしろがってるだろ、流希」
 笑みまじりの声に諷永はむくれた声を上げる。
「それは、だって……っ」
 流希の笑っていた声が凍りつくようにかたまる。
 異常を察した二人が同時に流希の視線の先を追う。
 窓の外にはひらひらと舞う妖しいほどに優美な色彩の蝶。
 流希はそれらを視界からはずすように蒼白な顔を教室内に向ける。
「綺麗、って良いものなのか?」
 手のひらほどの大きさがありそうな蝶から目を離せないまま呟く諷永に、青はどこかのほほんと応える。
「綺麗なものには毒があるとも言うしなぁ」
 決して顔を外に向けずにいる流希に諷永は努めてかるく声をかける。
「これ放っておいて、二限目出るって手もあるぞ?」
「いいな、それ」
 青も同調してみせる。
 無関係を決め込んで。それができないことはわかっていても。
 流希が小さく笑う。
「そうだね、っていうわけにもいかないしね。毒を持っている可能性、高いし。だとしたら、絶対このままにしておけない」
 流希は目を伏せ、しかし強く言う。
「オレが出るよ」
 青に静かに見つめられ、流希は微笑って首をふる。
「だめ。毒の可能性を考えると、私のが適任でしょ」
 毒物には慣れていると暗に伝える。
「あれのそばに行って、正気でいられるのか?」
「しばらくは、もたせるよ。補佐、おねがい」
 流希は気持ちを落ち着かせるように何度か大きく呼吸を繰り返し、外に出るため窓を開けた。


 誘蛾灯に群がるように、蝶が流希に近寄る。
 しかし一定距離まで近づくと流希の術により炎につつまれ、はらはらと宙を舞う。
 術を使うことにより髪色が銀にかわった流希は、平静な表情のまま微動だにしない。
「なんとか、大丈夫そうだな」
 次々と蝶が炎に変わっていく様子を眺めながら諷永は呟く。
「良かった」
 青は大きく息を吐く。その言葉が意味深に聞こえて諷永は青に顔を向けるが、流希が教室に戻ってきたので、別のことを口にする。
「大丈夫か?」
 倒れこむように床に座り込んだ流希は小さくうなずく。
「本当に?」
 うつむいた流希は術を使ったためか、それとも単に嫌いな蝶のそばにいたせいか、ひどい顔色をしている。
 いつもの黒髪にもどった流希は顔をあげる。
「本当に大丈夫。……なんの、意味があったんだろ。あっけなさすぎる」
「ま、無事で何より。良く我慢できたよな」
「自己暗示。長くは保たないけど……なんか、気味が悪い」
 蝶の姿のない外を眺めて、流希は納得のいかない顔で呟いた。


 ■ ■ ■


 自分の手をしっかり引く、自分と同じくらい小さな手。
 暗闇の中、うごめくいくつもの気配。
 それらから逃げ出すために、ひたすら走る。


「……ゆめ」
 がばりと起き上がり、流希は大きく息を吐き出す。鼓動が早いのがわかる。
「懐かしい夢、だったな」
 ひどく複雑な気分で呟く。
 恐怖の記憶。ただ、引っ張ってくれた手だけがあたたかかった。
「シャワー、浴びよ」
 悪夢のせいで、汗で濡れた背中がきもちわるい。
 ベッドから降り、顔をあげた流希は眉をひそめる。
「幻影?」
 部屋の中を舞う蝶。いつのまに現れたのか、二匹、四匹、八匹……と、どんどん増えていく。
 少しでもそれを視界に入れないように下を向いた流希は慌ててベッドにあがる。
 床をうごめくのは子どもの足ほどの大きさの蟻。
 まるで十二年前の再現。違うのは、今は一人だということ。そして。
「これは幻影だ」
 自分に言い聞かせるように流希は声に出し、そして呼気を整え始めた。


「……やっと」
 かすれた声を漏らし、流希はベッドに倒れこむ。
 相対すること約一時間。何とか昆虫の幻影を消すことに成功する。
 時間がかかりすぎだ。そして、それ以上に体力の消耗が激しい。そのことに懸念を抱く。
「まずい、な……っ、はい」
 鳴りだした携帯の表示を確かめずに電話に出る。
「もしもし、生きてるか?」
「諷永、かぁ」
 ほっと息をつく。
 心配気な諷永の声に緊張がほどける。
「誰だと思ってたんだよ。ちゃんと携帯に名前出てただろ」
「ごめん。見ずに出た。なんだった? こんな遅くに」
 時計の針は四時を指している。夜中というよりはすでに朝方だ。
「うん。なんとなく、嫌な予感がしてさ。何にもなかったなら良かった」
 流希の声を聞いて安心したらしい諷永は声を緩ませる。
「心配性?」
「流希の行動が無謀だからそうなるんだよ」
「……わざわざ、ありがとう」
 諷永の呆れ声に反論できず、流希はとりあえず例をいう。
「一応、自覚はあるんだ? ならもう少し自重しろよ……じゃ、おやすみ」
 笑い声を残し諷永が電話を切る。流希は苦笑を浮かべて携帯をもったまま布団にもぐりこんだ。


 耳元に羽音が聞こえ流希は身体を起こす。
「今度は、本物?」
 寝入り端、幻影ではない、たしかな存在による再襲撃に流希は軽く苛立ちの声を上げる。
 ひらり、ひらりと舞う鮮やかな蝶に全身が粟立つ。
 蝶が羽ばたくたび舞う金色の鱗粉が雪のように流希に降りかかる。
「『空裂』」
 ベッドの上に立ち、流希は何もないところを断ち切るように一薙ぎする。
 金粉を残したまま、術によりばらばらに切り裂かれた蝶が床に散らばる。
「……しっぱい。気持ち悪」
 鮮やかすぎる羽の残骸が床一面に広がった様子を見て流希は唇を噛む。
「……『炎滅』」
 炎に包まれ羽は灰さえ残さず消滅するのを確認して、流希は溜息をつく。
 身体についた鱗粉を洗い流すべく、先ほどは諦めたシャワーを浴びようとベッドを降りた瞬間、流希の意識は闇に呑まれた。


(だいじょうぶ。ぼくが守るよ)
 自分だって、ほんとうは怖いはずなのに。
 強くつないだ手は、少し震えていたのに。
 かばってくれた、幼い背中。
(りゅうきっ)
 呼び声に流希は反射的に飛び起きる。
 目元にたまった滴を手の甲で乱暴に拭い時計を見る。
 六時五十二分。二時間近く意識を失っていたようだ。
「いつまで、守ってもらうつもりでいるんだ」
 独白する。
 今は、あのときほど無力ではない。
 それでも、頼りたくなっている自分が情けない。
「いい心がけだ」
 首筋に冷たく細い感触があたると同時にすぐ背後から冷たい声が届く。
「……何のつもりですか? それで脅しになるとでも?」
 首にあてられているのは、刃物だと察しがつく。声の主は伯父の未東(みとう)
 未東の声がゆがんだように笑う。
「殺しては価値がないからか?」
「……私の『術力』が欲しいのなら、の話ですが」
 流希は顔を動かせないまま、それでも淡々と返す。
「っ」
 首筋から刃物が外れた、と思った瞬間、背に熱いような刺激が走る。
 その傷に沿ってねっとりと指で撫でられる。
「な、にを」
 手を逃れ、ふり返ると、指ですくい取った血液を舐めている未東の姿が目に入る。
 その満足そうな表情に流希はおもわず目を逸らす。
「死んでも構わない。その『血』さえあれば……『縛』」
「っ。『反』」
 術力がないはずの未東からはなたれた術に、反応が遅れ、返しきれなかった術のせいで右脚が硬直する。
 低い嗤い声が部屋にひびく。
「何を驚いている。考えもしなかったか?」
 血液自体に術力が含有されていると考える方が狂っている。それだけでなく、その血を体内にいれ、術力を手に入れるなどと。
 流希は右脚を引きずりながら後ずさり、壁にもたれて息を整える。身体が重い。
 長期戦に持ち込んで、血の効果切れを狙うべきか? それまで自分がもつかどうかは賭けになる。
 流希のそんな考えを見透かし、未東は嘲弄の笑みを浮かべる。
「おまえはまだ、自分の血の威力をわかっていないと見える。それほど、簡単に切れるものではない」
「……高く、評価していただいてますね……。大量に摂取しました、ね?」
 ひとすくい程度の血液で、力を維持できるはずがない。これだけ余裕でいるというのは事前に血を得ていたのだろう。倦怠感もそれで説明がつく。血を抜かれ、貧血をおこしているのだ。
「『空切裂』」
「……『閉界』」
 両腕で顔をかばいながら、流希は未東の放った見えない刃を防ぐ。
 しかし防ぎきることはかなわず、身体のあちこちに細い朱線がはしる。
「みごとな銀だ」
 完全に銀色に染まった流希の髪を見て目を細める。おだやかにも見える微笑み。
「が、防戦一方で良いのか? 『銀女』」
 再び放たれた刃が流希の左腕に太い切れ目を入れる。
 流希は痛みを無視して術を使う。
「『解施』」
「『壊』」
 流希のはった結界を容易く破り、未東は流希の腕から血が滴り落ちる様子を愉しそうに眺める。
 膝から力が抜け、流希はそのままへたり込む。
 それでも、未東からは決して目を離さず、睨みつけた。


 ■ ■ ■


「今日、流希休みか?」
 授業をサボることはあっても、遅刻欠席はしない流希の姿が本鈴間近になっても見えず、諷永は尋ねる。
 ノートを借りようとメールを打っても返事もない。
「欠席みたいだな」
 苦く呟く青に諷永はみじかく聞く。
「連絡は?」
「ない」
 携帯電話を開け閉めして落ち着かない青を見て、頭の隅に追いやっていた不安が再び湧き上がり諷永は舌打ちする。
「嫌な感じだ」
「あぁ」
 頷きはするが、青は逡巡する。
 ここで動いて良いものなのか。事態が好転するとは限らない。かえって……。
 青の迷いを断ち切るように諷永が声をかける。
「どっちにしろ後悔するんだったら、動いたほうがマシだろ」
 楽観的なのか悲観的なのか、良くわからない言葉に説得されて、青は立ち上がった。


「おはようございまーす」
 あえて気楽に諷永は、流希の伯父宅の通用門のドアを引く。
「あ、開いた」
 ダメ元で引っ張ったにも関わらず、すんなりと開いたドアを見て諷永は青をふり返る。
「……ただの不用心か、罠か。どうする、青」
「虎穴に入らずんばってね」
 常識人にあるまじき発言を聞いて、諷永は苦笑いする。
「結局、無謀ってところで青と流希って似たもの同士なんだな」
「他人のこと言えるのか、諷永は」
 軽口をたたくことで緊張をほぐしたつもりになって、二人は邸内に踏み込んだ。


「死ぬ気になったか?」
 勝ち誇った笑みを浮かべた未東は流希の顎を持ち上げる。
「伯父上がいな、ければ、心置きなく、死ねるん……ですけど」
 荒くなっていく呼気を押さえつけながら流希は笑ってみせる。
 死ぬこと自体にさほど恐怖はない。強がりではなく。
 ただ、そのあと。自分の力が利用されることを前提としたならば。
「死ぬわけには、いかないん、ですよ。絶対」
 きっぱりと言い切る流希を面白そうに未東は眺める。
「いつまで、強気でいられる?」
 未東は流希の傍らに膝をつき、まだ血の止まらない左腕をとると舌を這わせる。
 流希は慌てて左手を引くが、強い力で掴まれ逃れられない。
「このくらいのことで動揺して、それでよく大口をたたくことが出来たな」
 薄い笑みを浮かべたまま、未東は流希に口付けた。


「……青」
 一歩先を歩く青に諷永は小さく声をかける。
「ん?」
「……気持ち、悪い」
 青は振り返らずそのまま軽く返事をするが、そのあと続けられたかすれた声に足を止める。
「ちょ、顔、真っ青じゃないか」
 青の肩に額をあずけ、諷永は口元を手で押さえる。
「なん、か……へんな、異臭する」
 聞き取りにくい声の内容をしばらく考え、青は深く溜息をつく。
「瘴気の一種だ。……『感覚』が強いと、どうしても影響を受ける」
 自分のそばにいることが、より鋭くなっている要因のひとつだろうと青は苦く考える。それを口にはせず、諷永の額に触れる。
「んー、なにー」
 だるだるした声には応えず、青は呼吸を整えゆっくりと力を循環させる。
「…………ほら、少しは楽になっただろ」
「あ? あ、ホントだ」
 青の手が額から離れ、諷永はゆっくりと頭を起こす。異臭は相変わらずだが、ぐらぐらと視界が揺れるような感じがなくなっている。
「行くぞ」
 少し安心した表情で青は先に進んだ。


「どうした。諦めがついたか?」
 睨みつける目にも力がなくなってきた流希に未東は静かに笑う。
「まさか」
 ほぼ反射的に否定の言葉を吐き出し、流希は未東を強く見据える。
「立つこともできずにいるのに、か?」
 その言葉をうけ、流希は壁に手をつき、無理やり立ち上がる。
「この程度の挑発にのせられて、良く今まで逃げ延びていたものだな」
 わざとらしく呆れてみせた未東は、流希の身体を壁に押し付ける。
 ぱしんっ、と電気が弾けたような光が跳ねる。
「っ」
 流希は声にならないうめきを漏らし、唇をかみ締める。
 体内からの破壊。
 放っておけば数分で死に至りかねない、かなり高度な術をいとも簡単に施行する。
 ぎりぎりと痛む身体を何とか支えながら、流希は必死で意識を保つ。
「まだ立っていられるか。……さすがに反撃は出来ないようだが」
 未東の手が流希の頬をやさしくなでる。
 事実、立っているのが精一杯で術を使えるような状態ではない。
「それ、でも」
 力を明け渡すわけには行かない以上。
 流希の術言と未東のそれが重なる。
 そして、強い閃光と鮮紅が部屋を埋め尽くした。


 あざやかな紅が降る。
 眼底に焼きついてはなれない。
「……」
 流希はただ一点を見つめて立ち尽くす。
 伯父、未東がいた場所。今は誰もいないその場所をひたすら。
 いくら目を凝らしても、戻ることはない人影。
「ころした」
 制御しきれなかった力は、未東を空間の狭間に押し込めた。
 死体がでることはない。だからといって、殺したいう事実がなくなるわけではない。
「いない」
 頬にまだ指の感触が残る。ずっと。


 目に入ったのは、白光に舞う真紅。
「力の、暴走……」
 しんとした空間に、青のもらした小さな声がやたらと良く通る。
 光が収まりだすと、ようやく流希の姿が目に入った。
 壁にもたれ立ったまま、ひたすら一点だけを見つめ続ける姿。満身創痍といって差し支えないほど、傷だらけだ。
「流希」
 小さく諷永は声をかける。
 人形のような無表情はかわることない。
「流希っ」
 今度はせいが強く呼ぶと、ゆるゆると顔を二人のほうに向け、笑みに似た表情をかたどる。
「なに? 大丈夫、だよ?」
「っ、どこがっ。それのっ」
 怒鳴りつけるように吐き出して青は流希の腕を掴む。
「だ、め……触らないで。血」
 逃げるように手を引いた流希は、バランスをくずして倒れるように床に座り込む。
「流希?」
 訝しげに呼ぶ青に、だまって流希は首を横に振る。
「とりあえず、止血しないと」
 大きな傷は左腕と左肩だけのようだ。左腕の方はほとんど止まっているようだが、肩からはまだゆっくりと血が流れているのがわかる。
 諷永が持っていたタオルを渡すと、流希は器用に傷をしばる。
「流希、泣けよ」
 いつもと変わりないように振舞う流希の表情がどうみても泣き出しそうに見えて諷永は促す。
 顔をあげた流希の微笑は、やはり今にも泣く一歩手前にみえた。
「私は、加害者だよ」
「被害者だ」
 青は流希の言い分を真っ向から否定する。
「この際、どっちでも良いから。泣きたいなら泣けばいいんだよ」
 このままでは自身を追いこみすぎて、行き詰ってしまう。自らに厳しい、というレベルをとおりこして単なる自虐だ。
「……人殺しを、甘やかす必要、ない」
 うつむき、呟く声が揺れる。
「流希を責めることなんて出来ないよ。誰も」
 やさしい言葉にうながされたように、流希は意識を手放した。


「おはよう」
 やわらかな声に流希は何度か瞬きをする。
 薄暗い部屋。自室ではない。が、見覚えのある調度品から客用寝室のひとつだろうとあたりをつけゆっくりと身体を起こす。
 左肩に激痛が走り顔をしかめる。
「大丈夫か?」
「諷永?」
 顔をのぞかせた友人に少し驚く。いるとは思わなかった。さきほどの挨拶は幻聴ではなかったようだ。
「なんだ? 寝ぼけてるのか?」
 変わりない笑顔で、諷永は流希の額にそっと手を触れる。
「まだ少し熱があるな。大人しくしてろ。何か飲むか?」
 あまりにも今までと同じで、何もなかったのではないかと思いたくなる。
 でも、それがありえないことも良くわかっている。
「……何日、たった?」
 漏らした声が掠れる。諷永にストローのささったペットボトルを渡され、ゆっくりと口に含む。
「三日。もうすぐ青も帰ってくるよ。買出しに行ってる」
 明るく言う諷永の心遣いがやわらかい。
「大丈夫だよ。気、使わないで」
 手の中のペットボトルに目を落とす。
 触れないようにしてくれている。
「あぁ……傷、だいぶ痛むか?」
 心配そうな諷永の声に、流希は息をつく。
「じっとしてる分には大丈夫そう。動くと、わからないけど」
「……傷、きっと残る」
 白く細い肩から背中にかけて大きな傷痕。強い力の通った痕跡。いつまでも、じわじわと血が染み出していた。
 一生流希を縛り付ける。
「それで良いんだよ。ずっと、覚えていられる」
 かわしきれずに、受けた刃。そして力を暴走させた。二度と、同じことを繰り返さない。
 気遣わしげに見つめる諷永に、流希は笑ってみせた。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】