銀波(ぎんぱ)



「おっ。綺麗にトブなぁ」
 フィールドの高飛びの試合に目をやった諷永(ふうえい)は思わず声がでる。
 お手本のような素直なフォームでバーを越える。
「ぁあ、梶中の吟樹(ぎんき)か」
「知り合い?」
 すぐそばで柔軟運動をしていた友人に尋ねる。
「イトコが梶の陸上にいるから、聞いた事あるだけ」
 あっさりした返答に、諷永は少しがっかりする。がっかりした自分に、少しおどろいた。
「残念。紹介して貰おうと思ったのに」
 不思議なほど惹かれた。
「別に自分で話しかけてくれば良いだろ」
 もっともな言い分に諷永は苦笑してうなずいた。


「あいつ、速い」
 特別フォームがそんなに良い訳ではないのに、ひょいひょいとハードルを越えていく。
「ぁあ? あれ堂山のゼッケンだろ? ……泉だってさ」
 ゼッケンに目を凝らしているあいだにゴールテープを切った当人の名前がアナウンスされる。
「すごいわ」
「それはいいけどさ、ウチ、最下位だったみたいだぞ」
 これでまた優勝が遠のく、などとぼやく友人に(せい)は屈託なく笑う。
「大丈夫。うちはもともと優勝争いできるような学校じゃない」
 たまたま前半に運よく得点が稼げたが、後半も同じ調子でいけるはずがない。
「言うな。夢を壊すな」
「ま、奇跡が起こるかもしれないし」
 肩を落とした姿に青はフォローをいれてみる。
「フォローになってない」


「ぅ、げっ」
 声と同時にばらばらと地面に散らばるペットボトル。
「スミマセン」
 すれ違いざま、ぶつかりそうになったのを避けたつもりが、かばんがかすったらしい。
「空だし、平気だよ」
 拾うのを手伝おうと、かがんだ拍子に、目が合う。
「あ、吟樹」
 思わず名前を呼んでしまった諷永は、訝しげにみつめる顔に、一方的に知っているだけだと伝えるべく口を開く。
「さっき、」
「あ。わかった。泉だ。当たり?」
 かばんに無理やりペットボトルを押し込みながら、謎が解けた、といわんばかりに屈託なく笑う。
「なんで知って」
「それ、そのままこっちの言葉じゃないかぁ? オレの方は、さっきのハードルで。おもしろく早いから、思わず見ちゃったよ」
 どういう評価だろう。おもしろいって。
「なんか、ひょいひょいハードル越えてるから。あんなフォームであのスピードって、すごい」
 おそらく素直に褒めているのだろうけれど、なんだか褒められている気がしない。
 正規の陸上部員ではなく、助っ人なのだ。フォーム云々は触れないで欲しかった。他校の人間相手に言っても仕方ないけれど。
「そっちは、お手本みたいにきれいに跳んでたよな」
「フォームだけきれいでもなぁ……改めまして、梶中の吟樹青です。よろしく」
 少しぼやいたかと思うと、すぐに笑顔を浮かべる。
 マイペースだ。
「堂山の泉諷永。よろしく……?」
 視線を感じて、そちらに目をやる。
 少し離れたところで、こちらの様子をうかがう髪の長い、同じ歳くらいの少女。
流希(りゅうき)
「もう終わっちゃったの?」
 少し低めの良く通る声。
「そりゃ、こんな時間だし」
「おかしいな。間に合うように出てきたはずなのに」
 何時に出てきて何時に着くつもりだったかは知らないけれど、もう四時だ。随分のんびりしてる。
「出掛けに変なヤツに絡まれてたせいだよなぁ、やっぱり」
「誰にっ」
 顔色を変える青に頓着せず、流希は諷永の方に顔を向ける。
「はじめまして、詠菜(えいな)流希です」
 ぺこんとあたまを下げられ、つられて諷永も自己紹介まじりの挨拶を返す。
「和んでる場合か。ケガは」
 かるく怒気を含んだ青の言い方に、諷永は眉をひそめる。そんなに深刻な状況か?
「あー……平気」
 宙に視線をさまよわせ、うなずくように地面に目を落とす。
「その言い方、全然平気じゃないな?」
 流希は少し顔をあげて小さく微笑う。その顔色の白さに諷永は息をのむ。
「ちょっと妙な薬、入れられただけ」
「って、」
 淡々と呟かれた言葉は、聞き流すには少々物騒だ。
 流希を支えるように傍らに立った青も顔をしかめる。
「とりあえず、どっかで休んだ方が良い。救護室、行くか?」
 表の方ではまだ人の気配がある。たのめば、開けてくれるだろう。
「……そんな、余裕はなさそう、かな」
 蒼白なままの顔を昂然とあげた流希の視線の先には、がっしりした体型のスーツ姿の男。
「こちらにお出ででしたか。主人がお待ちです。ご一緒に」
 諭すような声。しかしその手には鈍く光る拳銃が握られ、銃口をしっかりと流希に向けている。
 今は人気がないとはいえ、いつ誰が通るかわからない場所で。正気じゃない。
「知らない人について行っちゃいけないって、しつけられてる」
 平然と言い返す流希に、男は口だけ笑いの形を作る。
「あなたも良くご存知の方ですよ」
「そう言われても。あなたのことは知らないし、だからあなたの雇い主のことも、思い当たらないし」
 流希はため息を漏らす。
「だいたい、銃で脅して連れていこうっていうのは、どうかと思うし」
「撃たないとお考えですか? 傷ひとつなく、とは言われてないんですよ?」
 あまりにも動じない流希に、男は銃を握る手に力をこめる。
「撃たない方が、良いと思う。怪我するの、私じゃなくて、あなただから」
 男をひたと見つめたまま、流希は静かに宣告する。
「そんな、はったりに」
「あなたのご主人が、『私』を欲しがる理由を知らないの?」
 流希は一歩前へ進む。男の手の銃口は揺らがず、流希を狙ったままであるにも関わらず。
「バチは当たるものだと思う? 当てるものだと思う?」
 どこか楽しげにも聞こえる口調で尋ねながら、流希はもう一歩近づく。
「……はったりだ。撃ったとして、おまえに害はないにも関わらず、何故わざわざ忠告する」
 わずかにかすれた声で、それでも平静を保つように男が流希を見返す。
「目の前で死体が出来るのは見たくないだけです。……その後のごたごたに巻き込まれたくもないし。あなたのご主人も、『私』を警察に近づけたがらないと思います」
 淡々と言いながら流希は男の銃身を握りこむ。
「信じる、信じないは自由ですけど……退いていただけますか?」
 男の目を見上げて、お願いの形をとっているが、実際は命令に近い言葉。大声ではないのに、強い意志。
 男の手が銃から離れる。その拳が流希の身体を狙う。それをぎりぎりで避けた流希は銃を男に突きつける。
「この距離なら、心中できるかな? ……仮に、あなたが生き残ったとして、死体を連れ帰るわけにもいかないんじゃないの?」
 男のノドが大きく動く。その言葉をさえぎるように流希が口を開く。
「できないと思う?」
 スライドを引く音。ためらいない流希の行動に男が息をのみ、気圧されたように一歩下がる。
「退いて」
 男はその声に、ゆっくりと数歩下がったあと、その場から立ち去った。


「――」
 男の姿が完全に見えなくなっても、しばらくはそのまま拳銃を構えていた流希が、大きく息をもらし地面にへたり込む。
「大丈夫か?」
 駆け寄る青につづいて、諷永も近づく。
「つかれた」
「無茶するなよ」
「んー。終わりよければ全てよし?」
 顔をあげるのも辛いのか、自分の膝に突っ伏しながら流希はぼそぼそと呟く。
「なぁ、足、痛いんじゃないか?」
 聞きたいことはいろいろあったのだけれど、とりあえず一番現実的なところを諷永は尋ねる。
 流希はほんの少し顔をあげる。困ったような表情。
「目、敏いなぁ」
「それで、あんなすばやく動けるのはすげーよ」
 拳から逃げるときの一瞬の身のこなし。それ以前に、拳銃に臆することのない行動。謎だらけだ。
「火事場の馬鹿力? あー、なんか、目の前、ちょっと、砂嵐状態」
「それ、貧血」
 再度突っ伏した流希に、呆れたように青が指摘する。
「その拳銃、どうする気?」
 とりあえず、目の前のことを処理しようと諷永は流希の傍らに落ちている拳銃に目を落とす。
「不法所持で捕まるぞ、流希」
 からかうように言う青に流希は応えず更に深く突っ伏す。
「……」
「まったく。……おつかれ、諷永」
 肩をすくめた青に、あまりに普通すぎる言葉をかけられて諷永は思わず笑みをこぼした。


――半年後。
 見覚えのある姿。
 予感はあった。また会えると。
「オレは二組。流希は?」
「一組。わかれちゃったね……ぅわ」
 話をしている二人のあいだに割り込む。
「おれは七組ー」
「諷永?」
 二人が同時に諷永を見て、名前を呼ぶ。
「同じ学校になれて良かった」
「嬉しくナイ」
 うそぶく青の隣で、流希が楽しそうに笑う。
「よろしく」
 楽しい高校生活が送れそうだと、諷永はひらひら散る桜を見あげた。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】