月影来(げつえいき)



 目に見えないもの。
 真実など、わからないもの。


「おはよー、(せい)
 にこ、とかわいらしい笑顔。
 十歳くらいの少年は、女の子に見間違えそうなほど愛らしい顔立ちをしている。
 こういう無邪気な笑顔をみせるかと思えば、ひどく大人びた目をしていることもある、つかみどころのない少年。
「……おはよう」
 応えると意味ありげな微笑を残される。
 すれ違った少年に、聞こえないようため息をついた。
 

「ラキ」
「あ、おはよ。(そら)
 天使もかくやという笑顔。
「僕にまで愛想振りまかないでください。意味ありませんよ?」
「辛辣ー」
 笑顔の大盤振る舞いに空は眉根を寄せる。
「何でそんなに青に突っかかるんですかね」
「心外」
 笑顔を絶やさずラキは肩をすくめる。
「キライなんですか?」
「おれの話、聞いてた? 心外だって言ったんだけど?」
 かわいらしく首をかしげているが、それを信用するにはラキの性格に問題がありすぎる。
「僕は、あなたがどういう人か、多少は知っていますから」
 場所限定で、とはいえ有名人なのだ。よくも、悪くも。
 見た目に似合わない、ひどく大人びた苦笑いがラキから漏れる。
「おれはね、別に嫌いじゃないよ。どっちかっていうと好きかな。青、かわいいし」
 どうみても子どものラキが、年長の青を評価する言葉としては適切ではない。
 しかし、ラキの見かけと実年齢が一致しないことは一部では有名だ。噂話をつなげていくと、少なくとも同年以上であることが推測される。
「好きな子ほどいじめたいとか言わないでくださいね?」
「それも、いいねぇ」
 はぐらかすことに慣れた笑顔。
 立ち話に疲れたのか、ラキは窓枠にひょいと座る。
「で?」
 もう少し、踏み込む。
「絡むなぁ。別に他意はないんだけど」
 灰銀色の目は、決して奥底まで読ませない。
 無理かと空は諦める。
「そういうコトにしておいてもいいですけど」
 どうしても聞き出さなければならないことでもない。
 相手の油断を招くのに最適な、ラキの無邪気な笑顔に気をゆるし、引き際を間違えたバカを山ほど知っている。
「……おれは、流希とは違うからね」
 窓からおりて、ぽつりとラキは呟く。
 ひどく、本音に聞こえた。
「はい?」
 その言葉の意味がつかめずに空は聞き返す。
「だいじょーぶ。空のことも好きだから」
 何事もなかったように笑って、ラキは立ち去った。


「りょーにぃ」
 ノックと同時に開いたドアから入って来たのはパジャマ姿の子ども。
「どうした? 眠れないのか?」
 本を閉じて尋ねると、眉間にしわを寄せて複雑な顔をする。
「ガキじゃないんだから」
「つい見た目につられて。流希(りゅうき)の小さい頃を思い出すしな」
 どこからみても十歳程度の可愛らしい子ども。
 しかし、その実は自分よりひとつ年下なだけだ。
 経験値でいえば、比べるまでもなく断然格上の相手。
「性格悪いなぁ。いたいけなコドモ、いじめないでくれる?」
 都合の良いときだけ子どもをたてにしてラキは微笑う。
「で、どうした?」
 お茶をいれてやり、ベッドに座ったラキに渡す。
「ありがと。……おれ、出ていくよ」
 見かけどころか、実年齢よりも大人びた表情をするかと思えば、心細そうな子どもの顔をする。
 意識してそうしている時もあるが、今回の場合は無意識だろう。
 無防備すぎて、性質が悪い。
「なんでまた」
「知ってるのに言わせる? バランス、崩れてるでしょ。おれが居ることで」
 ラキは目を伏せて静かに呟く。
「バランス?」
 聞き返すと、嫌そうに目をあげる。
 わかってるくせに、と顔に描きつつラキはしぶしぶ応える。
「青、やっぱりおれのことダメみたいだし。……生理的に苦手っていうのはどうしようもないしね」
 お茶をのみながら、ため息をつくように話す。
「アレは鈍いから、わからないと思ったんだけどな」
「実の弟に厳しいな、(りょう)にぃは。……嫌だろうと思うよ。おれは流希に似すぎている。けど、全く異なものだから。青が良にぃくらい感覚強ければ、正体見透かせてよかったんだろうけど、中途半端な分、ね」
 薄く笑みを吐く。
 たしかにラキの言ったことも問題だが、こういう掴みどころのない部分が拍車をかけているのだろう。
 流希そっくりな表情をするかと思えば、全く違うものに見えたり、穏やかでやわらかい雰囲気かと思えば、冷徹な顔を見せたり。
「ラキが年齢のこと話してないせいもあると思うが」
 この見た目と内面の差はかなりの違和感だろう。
 ため息まじりに指摘すると、苦笑いが返る。
「だって、どう説明していいかわからないし。却ってよくない方に転ぶ気がするんだけど」
 拗ねたようなふくれっ面。
 どこまでが演技で、どこからが本音なのか判別がつけにくい。
「確かに青は妙なところで常識人だからな」
 基本的に『こちら』に関わってこなかったせいか、どうも世間一般の常識にとらわれているところがある。
 不老などといったら、どんな反応をするか。
「で、話が逸れてるんだけど」
 からになったカップをサイドテーブルに置き、ラキは話を仕切りなおす。
「却下」
 答えだけを簡単に返す。
 ラキの目線が険しいものに変わる。
「おれが何をしようと、自由じゃなかったっか?」
「ラキが本当にそれを望むなら構わないんだけどな。青のために我慢してくれるんだろ? だから却下。ラキが居なくなれば流希は悲しむし、それと秤にかけたら青が我慢するのが妥当」
 それにラキが本気で出ていくつもりなら、引き留めても無駄だ。こちらの意向をはかってくれるというのは、大切に想ってくれているからだろう。
「青に少し同情するんだけど」
 呆れ顔。
「青は打たれ強いし、時間が経てば慣れるだろ」
 馬鹿だから、と付け加えるのは控えたが、ラキはその辺りも汲み取ったようだ。
「もう少し、言い方があると思うけど」
「だから、ラキも気にするなってこと」
 くしゃくしゃとラキの髪を撫でる。
「……了解」
 曖昧な笑みを浮かべてラキは立ち上がる。
「おやすみ」
「おやすみ。おじゃましました。ごちそーさま。……ありがと」
 子どもの表情を見せてラキはドアを閉めた。


「ラキ」
 真剣な声に呼び止められ、ふり返る。
「どうしたの、青」
 青のほうから声をかけられるのは初めてではないだろうか。
 顔を合わすたびに困った顔をされ、それを面白がったりもしていたのだけど。
 今も困ったような顔をしているのは同じか。
 言葉を探している青にラキは助け舟を出す。
「おれ、お茶を飲むとこなんだけど、一緒に飲む?」
 ほんの少し、ほっとした表情をうかべ青は頷く。
「じゃ、行こ」
 青の腕を取り、引っ張って部屋に向かう。
 こういうことをしたら、もっと苦手に思われることは承知の上で。


「で、なんだっけ?」
 ラキは首をかしげる。
 青は出されたお茶を一口のみ、言葉を探す。
 何から、どう切り出すべきか。
 ラキがやわらかな笑みをこぼし、先に口を開く。
「おれも、ちょうど話しがあったんだ。青、おれのこと苦手でしょ?」
 かなり本題に近いところを引っ張り出され、青は頭を下げる。
「ごめん」
 理由などわからない。いい子だと思うのだけれど、どうしても苦手意識はなくならない。
「謝ることじゃないでしょ。人間、生きていれば一人や二人や三人や四人、気の合わないやつと出会うし、どうしても相容れない人だっているんだから、気にしなくていいよ」
 思い切り、というか開き直りが過ぎないか?
 頭でわかっていても、そこまで割り切れないだろう、普通。
 とくに落ち度もないのに、嫌われているラキの側からしたら。
「それとも青ってば、世の中全ての人と仲良しでいたいわけ?」
 少々とげを含む言い回しに青は苦笑いする。
「まさか。いくらなんでもそこまで楽天的じゃないよ」
「じゃ、別に問題ないでしょ。おれは青に嫌われてっていうか、避けられても気にしないし。なるべく、顔合わせないように注意するし」
 青が悩みを一蹴するように、ラキはあっけらかんとして言う。
 青は納得しかけて、言葉をもう一度考え直す。
「そういう問題じゃないだろ。それって、不自然だ。一緒に暮らしているんだし」
 ホテル住まいのような、それぞれ独立した部屋で過ごしているので、確かに顔を合わせないことは不可能ではないが、それでも居を同じにしているのは確かだ。
 ラキは難しい顔をする。
「今更、出て行くのはちょっとヤだなぁ。おれ、流希の側にいたいし」
 苦手な理由は根本的な考え方が違いすぎるせいだろうか。
 どうしてそういう考えに進むのかさっぱり理解できない。
 言いたいことはそんなことではない。
「だーからっ」
 青が説明しようとするのを、ラキの笑い声が邪魔をする。
「ごめんごめん。ホントはちゃんとわかってる。青ってかわいーのな」
 見目かわいらしい子どもに言われると必要以上に腹が立つ。
 青は眉間にしわを寄せる。
「馬鹿にしてんのか?」
「とんでもない。あのね、おれは青がおれを苦手に思う理由を知ってるよ?」
 静かな微笑。
 既視感。
 居心地悪くなる、苦手な表情だ。
「なに?」
 青はソファに座りなおし、姿勢を正す。
「ナイショ。……知ったからといって、どうにかなるものでもないから」
 穏やかな顔に、少しいたずらっぽい笑みを混ぜてラキは告げる。
 じゃあ、どうしろというのだ。
「慣れるか、諦めてもらうくらいしか、方法思いつかない……ごめんね」
 青の表情を読み取って応えたラキの声は、すごく、めずらしく、本心からのものだとわかった。
「何で、あやまる?」
 嫌われている方が謝罪するというのはおかしい。どう考えても、謝るべきは青の方だ。
「青、やさしいからさ」
「そんな顔して、言うなよ。オレがいじめてるような気になるだろ」
 笑みを浮かべているのに、泣き出しそうに見える表情。
 のぞきこむと小さな笑みがそこにある。
 そして頬に触れる小さな吐息。
「……っおい!」
「信じちゃダメだよ、おれの表情なんて。青の素直なところは美徳だと思うけどね」
 反射的の飛び退いた青に、ラキは諭すように言っているが、完全に面白がってることが伝わってくる。
「フツーやるか?」
 頬とはいえ、キスを。
「あ、女の子のカッコしたほうがよかった?」
 ラキは自分の服に目を落とし、全く悪びれない。
「そういう問題じゃ……もう、いい。心配なんかしてやらない」
「うん。ありがと、青」
 さっきの今じゃ、素直には信じられない笑顔に青は開き直る。
「オレは気にしないようにするから、出ていこうなんて思うなよ」
 すぐに苦手意識は消えないだろうが。
「おれ、出て行くのはヤだなって、最初に言ったけど?」
 ラキから表情が消える。
 おそらく、図星をさせたのだろう。
「ラキってそう言いながら、ふいと出て行くタイプだろ。そういうところ、兄貴に似てるよな……あ、だから苦手なのか?」
「……あの、さ。それ、すごい失言だってわかってる?」
 あきれた、脱力した声。
「大丈夫。キライじゃないよ。兄貴のことも、ラキのことも。だからさ」
 笑顔を浮かべてラキを見る。
 大丈夫。前よりも、もう少し平気になっている。
「人が好すぎ。でも、アリガト。これからもよろしく」
 ラキは苦笑いまじりで、それでも嬉しそうな顔をした。


 見えなくてもわかるもの。
 真実なんて、しらなくても。

【終】




Jan. 2003
【トキノカサネ】