月泉(げっせん)



 聞き飽きた言葉たち。
 権力に酔い、焦がれた者たちから紡がれ、漂うそれらを全身に浴びながら、下を向き、とりあえずはしおらしげに聞いているふりをする。
 損得勘定で、自分の気持ちに素直だという点において、(りょう)も長老たちと同じ穴のむじなだ。
 ただ、たどり着こうとする場所が違うだけで。
 聴覚と思考を切り離し、畳の目をぼんやり見つめていると、脳の端でぷつんと音がする。
 視界が一変する。
 先ほどまで映っていた畳は姿を消し、現在見えるのは三人の屈強そうな男。
 背後にも視線を感じるから、おそらくもう一人二人はいるのだろう。
 場所は薄暗く、薄汚い路地裏。治安があまり、というかかなりよくない場所のようだ。
 良は周囲に悟られないようため息をつく。
 そうして延々と続く雑音を打ち切るべく、口を開いた。


「遅い」
 苦行の場を何とか穏便に切り上げ、視えていた場所に着いた途端になげかけられた冷たい一言に良はため息をつく。
 結局、絡んでいた男は五人だったようだ。今は仲良く地面に横たわっている。
「すみませんね。本家で平和に愚痴を聞いていたもので。これでも急いできたつもりだったんですが」
 自分の視界を乗っ取った友人に、良は心をこめずに謝罪をする。
「発作さえ起きなければ、余裕だったのに」
 べったりと地面に座り込んだ藍方(あいかた)はポケットを探り煙草を取り出すと、慣れた手つきで火をつける。
 力が過大すぎ、器が耐え切れない藍方はたびたび発作を起こす。
 その度に良は藍方の視界を共有するようになっていた。
「発作とかそういう問題じゃなくて。絡まれるようなことするなよ」
 だいたい、例え発作を起こしていても、大人しくしていてくれれば慌てて駆けつける必要もないのだ。
「発作のコントロールが出来るわけないだろ。それに絡まれるのは不可抗力だし」
 だから根本的に絡まれるような場所に行くなということなのだが、言っても無駄だろうと良はため息をつく。
「こんなとこに長居しないで、さっさと行くぞ」
 ころがってる男たちがいつ目を覚ますかわからない。
 差し出した手を掴んだ藍方を良は引っ張りあげた。


 ■ ■ ■


 三人の賢者がいた。
 彼らは水の瞳を有していた。
 それらはせかいを余さず視透した。


 出会ったのは半年ほど前。
 先輩の応援に行った弓道の大会で、弓を引く姿が妙に目をひいた。
 群を抜いてうまいというほどでないのに。ただ、その眼に惹きつけられた。


「さっきは熱い視線をどうも」
 帰り際、揶揄かうような声を背中に受けてふり返る。
 名前など覚えていないが、すぐにわかった。
 弓をもたない普通のときでも、やはり印象的な眼。
「まさか会えるとは思わなかった『水紫(すいし)』に」
 やわらかな微笑みを浮かべた少年の、無造作にのばした手が右眼をかくしている前髪に触れる。
「っ」
 藍方はその手を思わずはたく。
 害意がないことはわかる。それでも、触れられたくない。
 少年は視線を落とす。
「わるい。つい、先走った。……おれは『水碧(すいへき)』」
 再度こちらを見た瞳の色は、淡い緑。
「そういうわけで、悪気はなかったんだよ?」
 肩をすくめると、向こうから呼ばれた声に反応して少年は立ち去ってしまう。
 最後に見た少年の瞳は、すでに普通の黒色だった。


「探した」
 校門から出てきた相手に、藍方は不機嫌に呟く。
 謎の提起だけしておいて、立ち去るのはかなり性質が悪い。
「見惚れて名前も学校名も覚えていない方が悪い」
 揶揄かうように笑う。
「覚えてたけど、下の名前だけだったんだよ、良」
 突然の声に驚きもせず、先に歩き出した少年の名前を呼ぶ。
 これから、長い付き合いになるだろう。
「おれはすぐわかったけど? 制服着てたし、藍方(にん)、校内で有名みたいだし」
 ずっと一緒にいたかのように馴染んだ空気がながれる。
「おれ、ろくに知らないんだ。スイシ、スイヘキについて。説明して欲しい」
 藍方の真面目な声に、良は微笑みを浮かべふりむいた。


「『むこう』の伝承。瞳の色は、紫、緑、青。それぞれ、水紫、水碧、水蒼(すいそう)とよばれる。で、過去、現在、未来を象徴する、と言われている」
 日も暮れ始めた小さな公園の、小さなジャングルジムのてっぺんで赤く染まった空を見つめて良が語る。
「それで『水蒼』は」
 その力を持つ人間が同時期に生を受けているとは限らない。それがわかっていながらも尋ねる藍方に、良は空を仰ぐ。
「いるよ」
「……まさか、」
 違って欲しいと藍方はねがう。ただ、それでも妙な確信があった。
 答えを待ち、藍方は表情の読めない良の横顔を見つめる。
 しばらく黙ったままだった良は困ったような笑みを見せる。
 それは無言の肯定。
「……そう、だよな。親の段階でいじられてるんだ。当然だ」
 つくられた器。注ぎ込まれた力。
 藍方はブランコをこぐ。吹き飛ばすように。
「悲観しても仕方ないし」
 良はジャングルジムから飛び降りる。
 『水蒼』の持ち主は良にとっても特別な存在だ。
 だからといって、どうしようもない。
「おれが、両方持って生まれてくればよかったな」
 ため息まじりで藍方は無茶なことを言う。
「ま。どう転ぶかわからないし。まだ」
「だ、な。とりあえず、よろしく」
 藍方に改めて挨拶され、良も小さく微笑った。
「よろしく」


 ■ ■ ■


「で、ご老体たちはまだなにも気付いてないわけ?」
 共同で借りている部屋に戻ってくると、早速藍方は煙草に火をつける。
「そんなドジするか。次期宗主のおれは真面目で、大人しくい、いい子で通ってるんだよ」
 お茶をいれながら良は嘯く。
「いい子、ねぇ?」
 含みがある言い方に良は苦笑いする。
「気付かれなきゃ、やってないと一緒。気づかない方が馬鹿」
「ひどい言い分」
 藍方はくすくす笑う。
「共犯者がなに言ってんだ」
 一緒に笑いながら良は紅茶を飲む。
 藍方は煙草の煙を目を細めて眺める。
「共犯上等。……『水蒼』を渡すわけにはいかない」
「夢を見るくらいは自由だけどね。夢くらい、見せてあげるけど」
 操られているふりくらいはする。
 その時までは。
 今はまだ何も視えはしないが、それでも。
「まだ、時間はあるだろうし」
「経験値つめば、少しは制御できるようになるだろうし?」
 そのためには余計な厄介ごとも厭わないつもりの二人は、静かに決意をかわした。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】