「おまえ『教育』は修めてるんだったか?」
「無理言うなよ、おれは十歳だったんだぞ」
見た目は十歳のままのラキは、何気なく尋ねる
岑羅は一瞬言葉を詰まらせる。
つい忘れてしまっている。成長を止めたのは両親を一度に亡くしたことが切欠になっていることを。
それはたったの十歳で寄る辺をなくしたということだ。特に母親はラキにとって師でもあったというから尚更。
「基本的な使い方覚えるのが精一杯でしょ、その年齢だと。そのあとキヌートのトコにいたのだって一年だし。あの時はもう、とりあえずキヌートの知識を体得するので精一杯だったし」
かるく笑う。
「十やそこらで、そう言い切れるのもすごいがね」
それは父母と死に別れるまでに、最低限はマスターしていたということだ。その上、稀代の術者であるキヌートの知識を一年で体得したと言い切れるというのは半端ではない。
「教本に目は通してあるけどね」
ラキはこちらの思考を止めるようにさらりと告げる。
「流石にぬかりはないね」
「あーのね。あくまでも読んだだけ。机上のもので、岑羅みたいにキチンとした教育を受けてるわけじゃない。……それにその手のことに向いてないのは、わかるだろ?」
確かに。
規格外すぎるのだ。そのせいで本当の意味での普通をわかることが出来ない。
だから今回の仕事を渋っているというのもわかっている。
「まぁねー。凡人には計り知れない悩みだよねぇ」
「あーのーさー、ヒトゴトみたいに言わないでくれる? アナタだって相当でしょうが。っていうか、作られたおれと違って天然ものなんだし」
「魚かなんかかよ」
がっくりと肩を落として、岑羅はわざと少しはずした答えを返す。
「養殖のおれより価値があるから良いって話でしょ」
ごく普通の表情でそんな風に言う。
「ラキ」
「ごめん、わかってるよ。ちょっと言ってみたかっただけ。岑羅、付き合い良いから」
にこっと笑う顔は屈託なくてすごくかわいい。
「つーか、イヤガラセだろ。かるい意趣返し」
「あのね、おれの被る迷惑に比べたら大したことじゃないでしょ」
ラキは否定せずに肩をすくめる。
「恩にきます」
事実上の承諾の言葉に、岑羅は手を合わせる。
「……おれをこんな使い方するの岑羅くらいだよ、まったく」
苦い口調に呆れをまぶしてラキは言った。
単調な、心地よい振動音。
終電一時間前の郊外へ向かう電車は、乗車率三十パーセント程度で、気だるげな雰囲気を醸しだしている。
流れる夜景の灯りが、だんだんまばらになっていく様子をラキはぼんやりと眺める。
かたたん、かたたん。規則正しい揺れが徐々に緩やかになる。
小さな駅に停車し、ドアが開くと冷たい空気が入り込んできて、ラキはひとつ震える。夜になったら余計に寒さが深まっている。
ホームにあったわずかな人影が電車に吸い込まれるように見えなくなる。
「お嬢ちゃん、こんな時間にどうしたの?」
自分にかけられたとは思わず、ラキは反応がおくれる。
今は女装をしているわけではないのでまさかそんな風に呼びかけられるとは思わなかったのだ。
この長い髪では間違われても仕方ないかと、ラキは相手の誤解にあわせて、女の子の表情を作り、首をかしげる。
「私ですか?」
六十代半ばくらいの女性が心配半分、興味半分な表情でこちらを見ている。
「そう。こんな時間に一人で」
少し咎めるような口調。
「えぇと、今からおばあちゃんの家に行くんです。……塾が終わってから来たから、遅くなっちゃって」
どこかまだ不審そうな顔をしているので少し付け足してラキは答える。
「こんな時間にわざわざ?」
女性は確認するように時計に目を落とす。
「お父さんもお母さんも出張で、家に誰もいないから週末はおばーちゃん家行ってるようにって。でも、塾の模試、休めなくて。私は一人で留守番できるって言ったんだけど」
適当なことを連ねて誤魔化す。
「あらそう。大変ねぇ。おなか空いてない? あめしかないけど、食べる?」
女性はかばんを探って取り出したあめを差し出す。
「ありがとうございます」
ひとつを受け取り、口に含む。
あまい、パイナップル風味の味が広がる。
口の中でそれを転がしながら、よりまばらとなった街灯が流れていく窓の外をぼんやりと眺める。
がくん。
唐突に負荷がかかり、ラキは身体を折る。
「っ」
「大丈夫?」
少し間をあけて座っていた先ほどの女性が、心配そうに席を立つ。他にいる何人かの乗客の視線もこちらに向かうのが肌で感じられる。
幸い負荷を感じているのはラキひとりのようだ。
「……、平気です。ごめんなさい、ちょっと、ぼんやりしてたら、アメ飲み込んじゃった」
顔をあげ、小さく笑みを浮かべて見せる。
実際、衝撃でまだ大きかった飴を飲み込んでしまった。
女性はほっとしたような、困ったような顔をする。
「それはなんか悪いことしちゃったわね」
「……いえ。せっかく貰ったのにごめんなさい」
とりあえず、信じてもらえたようだ。
ぎりぎりと締め付けられるような感覚に、顔を伏せてくちびるをかむ。
握る手に力がこもる。手のひらに爪が食い込む。
散らすのは簡単に出来るが、仕事の内容を考えるとそれは良策ではなく、負荷が通り過ぎるのをじりじりと待った。
「……なんでいるんだよ」
昨夜、違和があった地点より三つほど手前の駅から乗り込んだラキは、ため息混じりにこぼす。
他の車両に比べて、明らかに人気のない車両。そこにたった二つの人影。
問題はその隣でしれっと座っている人間の方だ。
「大体、こっちに来るなんて話、聞いてないぞ?」
勝手にあちこち出歩いて良い立場じゃないのに。今更のことだけど。
「言ってないから」
当たり前でしょう、といわんばかりにさらさらと静かな声で返されると、説教しないわけにいかない気がする。
「そうじゃなくて」
「……ラキ、座れば?」
それをかわすように呟かれた言葉にどっと疲れる。
「フーエー、なんで連れてきてるんだよ」
隣に座り、ラキはとりあえず矛先を変える。
「いや、良くわかんないうちにこんなことに……岑羅が止められないのに、おれができるわけないだろーが」
「役立たずー。
とりあえずここにいることは今更どうしようもない。諦めて、
「んー、大丈夫」
目を逸らし根拠のない返事をする流希をラキは睨む。その回答はつまり、黙って出てきたということだ。
「何が大丈夫なんだよ。おれ、なし崩しに共犯者じゃないか」
「別に、ラキのあと、つけてきたわけじゃないんだから」
ため息をつくラキに流希もため息を返す。
「流希さぁ、それはラキについてきたって言っちゃうよー、ってことなのか?」
二人の会話を愉しそうに聞いていた諷永が口を挟む。
「うわ、そういう意図か」
そうではないことはわかっているが、ラキは面白がって、わざと顔をしかめる。
「何で……」
否定しようとした流希の目が、すっと細まる。
「流希?」
さすがに気付くのが早い。
いくら諷永の感覚の力が強いとはいっても、人払いの結界がはってある車中では、まだ感づけないようだ。
視線だけで流希を止める。
「諷永は、妙な裏読まないでよ。思ってないよ、そんなこと」
あっさりと意図を汲んだ流希は顔色を変えず、そのまま話を続ける。
「そういう言動とるほうが悪いんじゃないかぁ?」
そろそろか。
駅で停車し、開いたドアから冷たい風が入り込み、車内温度が一瞬さがる。
「流の日頃の行いが悪いからだろ」
言ってやると流希はふいとそっぽを向く。
拗ねた風を装って、様子を伺っているのがわかる。
再び電車が動き始めると、軽口をたたいていた諷永がうつむく。
さすがに影響が出始めたか。
昼間だから、昨夜のラキが受けた負荷ほどの負担は受けないはずだが、万が一のこともあるので静かに見守る。
ラキ自身は遮断するようにしているので、影響を受けることはない。その分、多少感覚は鈍るがさほど不都合もないだろう。
ラキがそっと流希に目を向けると、気付くのが早かったので、やはりきちんと遮断しているようだ。
その上で、状況を把握するべく神経を研ぎ澄ませている。
後方を任せられるのは、実際のところすごく楽なのだけれど、それも問題だよなぁ、と内心ため息をつく。
拳をつよく握り、負荷に耐えている諷永の手にそっと触れる。
「出来るだけ息を整えろ。感覚を広げろ。糸口をつかめ」
負荷を和らげる手助けをしながら、端的な指示を出す。
言われたとおりどうにか呼吸を整えようとしている姿を観察する。
さて。どこまで捉えられるか。
空気が緩みはじめる。
諷永の様子が、目に見えて穏やかになりはじめる。
「……抜け、た?」
大きな吐息とともに諷永は呟く。
だんだん遠ざかっていく負の気配。
やはり夜より昼間のほうが大人しいようだ。昨夜のほうが気配がより濃密で、深追いしてきていた。
「次で降りるよ」
触れていた手を離す。
徐々にスピードを落とす電車の揺れに身をまかせながら、ラキは今後の予定を頭の中で組み立てた。
「で、何か見えた?」
拠点として使うアパートで昼食を済ませ、眠気を覚えてきたところをラキに尋ねられ、諷永は欠伸をかみ殺す。
「ん……。影? っていうか、靄みたいな感じかなぁ。まとわりついてきて、内にぐいぐい入りこまれるような感じ」
自分から聞いてきたにもかかわらず、ラキはなにやら真剣に書付けをしている。
聞いてるのか? と諷永が視線を向けると、ちょうど顔をあげたラキと目が合う。
「まぁ、そんなとこだね。……はい、諷永これ」
良いのか悪いのか、さっぱりわからない返答にどう反応したものか困りながら、とりあえず差し出された紙を受け取る。
「何、これ」
諷永は眉をひそめる。
コピー用紙に三重の同心円がひとつ。
「これ、おんなじように描いて。サイズはさほどこだわらないけど、あんまり小さいのはあとのことがあるから、程よくね」
「あとのことって何。ラキ、今これフリーハンドで描いてた?」
説明が中途半端すぎる。
「そう。フリーハンドでなるべく真円に近く。で、隙間にあとで書き込みするから、適度な大きさで」
白紙の束を渡され、諷永はためしに一枚とって丸をひとつ描いてみる。
「いびつだ」
よれよれした線で出来た丸。どうやったらあんなに綺麗に描けるんだ。
「じゃ、ガンバって練習してて。おれは夜飯の買い物行ってくる……流はどうする?」
窓際でぼんやりと外を眺めていた流希は、ラキの言葉に立ち上がる。
「一緒に行く。やることないし」
居残ってアドバイスするとかいう選択はないのか? 友達甲斐がない。
「そ? ほら、諷永、むくれない」
ラキの小さな手にぱたぱたと肩をたたかれる。
「さっさと行けばー?」
わざとむくれた声を出すとラキはくすくす笑って、流希と連れ立って出て行く。
ドアが閉まる音を聞いてから、諷永は再び紙に向き合った。
「段取り、聞いていい?」
隣を歩く流希の言葉に、ラキはひとつ息を吐く。
「必要?」
出来れば仕事に巻き込みたくない思いはあるし、仕事上のことを口にするのも少々抵抗がある。
「臨機応変でもいいけど、どこまで手出ししていいかの判断材料があったほうが楽」
淡々と返される。
できれば手出しをしない方向でいて欲しいのだけど、視線を少しうえにあげ、目を合わせると流希はかるく肩をすくめる。
「とっさに手が出るってこともあるし?」
静かな声にもかかわらず、かるく脅されているような気がする。
ラキは小さく溜息をつく。
「最低限の守りを教えて、あとはおれの裁量に任せるっていうのがシンラの依頼」
もちろん電車に絡んできているものの排除も頼まれているのだけれど。
「思ったより負荷強いし、諷永には荷が重そうだから、消すのはおれの仕事かな。できるだけ単純な方法で。諷永には見取りしてもらって」
「場の保護は?」
何でこんなに手慣れてるんだと、今更ながら問いただしたい気がするが、ラキはとりあえずは触れないことにする。
「流、やる?」
ラキ一人で複数の術を使うより、各々で展開したほうが諷永も見取りやすいだろう。
「それは、良いけど」
良いとは言いながらも流希は微妙な表情を浮かべる。
気持ちはわからないでもない。
見取をしてもらうということは、基本に忠実な術を使う必要がある。
実戦で使うようになった今では、教本に載っているようなキチンとした術を組むのは却ってめんどくさいのだ。
「『場』とあと流と結界が崩れたときの諷永の保護」
「ラキは?」
説明に間髪なく流希が尋ねられ、ラキは苦笑いする。
「おれは要らない。何があっても。流と諷永は絶対に傷ひとつ負わないように。以上」
「それは自分勝手だし、厳しいよ」
思惑は読まれているだろうとは思っていたけれど、それを突きつけられるとため息をつきたくなる。
「だって、おれは仕事で引き受けたんだし」
言い訳のように呟き、昨夜のうちに見つけておいたスーパーに入り、カゴをとる。
「だから、全部の車両に護符描いたの?」
気付いてたか。
「全部っていっても、ローカル単線だから運行数少ないし、車両も少ないから大した量じゃないよ」
二両編成の車両が四本。乗客に被害が及ばないように昨夜のうちに手を打っておいた。
「あんまり無理しないでね?」
静かに労わる声。
「了解」
ラキは素直にうなずいて、とりあえず夕食の材料を適当にカゴにつっこんだ。
「おかえりー」
机に突っ伏していた諷永は身体を起こす。
「描けた?」
隣に座った流希に比較的マシなものを渡す。
「許容範囲?」
微妙にゆがみのある三重丸。思った以上に同心円を描くというのが難しい。
「良いと思うけど」
「どれ? あぁ、上等」
いれてきたお茶を机に置き、ラキは上から覗き込む。
「じゃ、簡単な結界紋の描き方」
ラキは諷永の向かいに座り、白紙を一枚とって、何の苦もなさそうに同心円をさらと描く。
「中心には術の履行者を記す」
ラキは真ん中に文字とも記号ともつかない文様を描き入れる。
「二つめの円には結界の範囲や種類を記す。今回の場合は本人中心に直径一メートル程度で守りの結界」
今度も意味不明な文様を描き込まれる様子を諷永は黙って見つめる。
「一番外は……まぁ、加護を得るための言葉を描くんだけど、今回はとりあえず四大を使っておこうか」
「四大っていうと地・火・水・風?」
ラキが描いている様子を眺めながら尋ねる。
「そうだね。土・火・水・空気で記す人もいるし、五行を使う人もいるし、この辺は好み」
「実際、多少間違っていても問題ないしね」
「え?」
流希の言葉に諷永は不審そうに顔を向ける。
「身も蓋もないなぁ。……はい、じゃこれおんなじように描いて」
流希の発言を否定せずにラキは手本を諷永に渡す。
「これ、なに? 文字?」
「一応。別に日本語使って描いても問題ないはずなんだけど。今回ははじめてだし、一応形式に則って描いた方が無難だから」
ラキは描かれている記号一つ一つの意味を諷永に説明する。
「ラキも結界つくるのに、毎回描いてるのか?」
尋ねると、ラキは苦笑する。
「そんな悠長なことやってられる現場ばっかりじゃないからねぇ。普段は頭の中で思い描いてそれで発動させるよ。紋を使わないやり方もあるし。質問は以上? じゃ、さっさと写してね。そしたら今日のところは終わりだから」
それ以上、つっこまれたくないのかさっさと話を切り上げてラキはお茶を飲み干した。
翌日、朝食を済ませ、『異物』がいる線路へ向かう。
電車の運行の妨げにならない位置に陣取りラキは諷永に向き合う。
「じゃ、昨日描いた紙だして、地面に固着」
ラキは何も書かれていない紙を地面に置き右手のひらでそれを抑える。
「自分を守る壁をイメージしつつ術を発動させる……『施』。……諷永の仕事は何があっても自分の作った結界をキープすること。あとはおれや流がどんな風に術を使っているか、良く見ていること。OK?」
諷永はラキの言葉にうなずき、手本を示されたように同様に紋章の描かれた紙を地面に置く。
「『施』」
紙が溶けるように消え、ゆらりと目では捉えられない膜が諷永を囲む。
「ちょっとゆるいかなぁ……集中、途切らせないようにね。じゃ、流」
流希はかるくうなずき目を伏せると、自分の顔の前で小さく手を鳴らし合わせる。声になる前の小さな吐息が漏れると同時に、諷永が描いたものより複雑な結界紋が一瞬、宙に浮かび拡散する。
過不足ない結界が周囲に張られるのを感じ取ると、ラキは線路に近づく。
こういうとき、本数の少ないローカル線は仕事がのんびりできて良いかもしれないと考えながら、ポケットからライターを取り出す。
「『誘現』」
ラキの言葉に引っ張り出され線路を覆うように茂った黒い雑草のようなものが現れる。
長い葉状のものがラキの存在に気付き、触手を伸ばす。
「『炎波』」
ライターに火をともし、そっと息を吹きかける。
術言によって増幅された炎が延び、『草』を包むように広がる。
低いうなり声のような音とともに、『草』の中から小さな飛礫が無数に飛んでくる。
「ラキっ」
いくつもの傷がラキに出来るのを目の当たりにして諷永が叫ぶ。それと同時に諷永の作っていた結界が霧散する。
流希がすぐに新たな結界をはるのを感じながらラキは表情ひとつ変えずに呟く。
「『滅消』」
最後に炎が大きくなり、『草』は跡形もなく焼き尽くされる。
「ラキっ、大丈夫か」
「……おれは何があっても結界をキープしろって言ったよな?」
心配そうに見下ろす諷永にラキは静かに指摘する。
「心を揺るがすな。術中は特に。事態は簡単に最悪の方へ転がる」
頬についた細い傷をラキは手の甲で拭う。
「動揺は命取りだよ……まぁ、初めてだったんだし、上出来だけどね」
ラキは表情を和らげる。
「気にすることないよ。わざと避けずに、諷永の動揺を誘ってたんだし」
へこんだ諷永に流希がフォローを入れる。
「ばらすなよ」
あの程度の飛礫、遮ることなど容易だったし、大した威力がないこともわかっていた。
だからこそ利用した。
「百聞は一見にしかずっていうだろ?」
「まぁ、動揺が危険なのは事実だしね」
流希は遠くを見て呟く。
その様子を見て諷永は神妙な表情を浮かべた。
「気をつける」
「うん。じゃ、帰ろーか」
「お嬢と諷永は?」
岑羅は尋ねる。
三人で帰ってくるかと思ったのに、入って来たのはラキ一人だ。
「二人は電車だから夕方でしょ。おれは別の仕事があるって別行動。『移動』で戻ってきた」
ラキは窓際にあるテーブルに座り、深々とため息をつく。
「どうだった?」
「とりあえず身を守る結界は教えた。勘は良いから、何回か繰り返せば一人でできるようになると思う」
どこか苦い声。
「何か問題でも?」
「逆術のこととか考えるとね、これ以上覚えさせるのは迷うよね。シンラが躊躇するのもわかる気がする」
大きな術を使えば、成功失敗を問わずある程度の見返りを受ける。
そこまでして覚えさせる必要があるのか疑問だ。
「俺が躊躇してるのはそれのせいじゃないけどな」
岑羅の言葉に、何か言いたげにラキは目を眇める。が、結局口に出されたのは事務的な連絡だった。
「一応、おれが炎を使った消滅呪と、流希のはった場の保護の結界の見取りはしてもらった。何をやったかわかった範囲で報告書に書いて出すように言っておいたから、おれの出す報告書見て答え合わせして」
「了解。お疲れ」
「ほんとにねぇ。向いてない仕事、まわさないで欲しいよね。っていうか、おれに仕事を回すな」
見た目に似合った、子どもっぽい表情でふくれっ面をする。
「ラキ、有能だから」
「だいたい、なんで流がいるわけ? 余計に疲れたよ」
その言葉がちょっと意外で、岑羅はラキをまじまじと見つめる。
「お嬢と一緒はダメなのか?」
あれだけ、近しいのに。
「……ダメっていうか、疎通ができすぎて、やりやすすぎて、やりにくい」
わかるような、さっぱり意味不明なようなことをラキは吐き出す。
つっこんで聞いても理解は出来ないだろうと、早々に諦める。
「とにかく、おつかれ。ありがとう。助かった」
ラキは小さく微笑う。
「早くシンラの迷いが晴れることを祈ってるよ」
やわらかな声は本音で、茶化すことも出来ずに、かるく頷きを返した。
Aug. 2009
【トキノカサネ】