「約束したんだ。だから、強くなりたい。守りたい」
幼い子どもの、真剣な眼に応えたいと思った。
「めずらしい」
仕事場から戻った
「事務所に行こうかとも思ったんだけど、退職した身としては、ねー」
高校にあがったのを機に仕事を辞めた
「で、どうした?」
冷蔵庫から缶ビールを取り出し、のどを潤しながら返事を待つ。
「……クスリ、もらいに来たんだけど」
くわえていた煙草の先を灰皿でつぶし、忍はためらいがちに口を開く。
自分の力を制御できずにいることが、きまり悪いのだろう。
身長が伸び、大人に近づいてはいても、未だ身体は蝕まれ続けている。
本来であれば、成長に従い負荷は減り、身体にかかる負担は少なくなる。
しかし、あり得ないほどの力を体内に宿す忍は、それでは追いつかず煙草やクスリに頼り、溜まりすぎた力を散らす必要がある。
どうにかしてやりたいと思いはしても、結局なにも出来ない自分に歯噛みする。
「あのさ、シン。おれのことでへこんだ顔しないで欲しいな。おれは、シンに感謝してるんだよ、これでもね」
困ったように、それでもやわらかな笑みを忍は浮かべた。
■ ■ ■
「……に、ん?」
リビングで小さな身体をかかえて倒れている忍に姿を見つけ、岑羅は駆け寄る。
触れた手首があきらかに冷たい。
「忍っ」
かすかな吐息をとらえ、再度強く呼ぶとうっすらと目が開く。
「……し、ん。……だい、ょーぶ」
「っ何が。大丈夫だ、何が」
意識がはっきりしていることに安堵して、思わず怒鳴る。
「へぇき、だか、ら」
もれる、かすかな声。
子どものクセに、心配かけまいと無理して微笑う。
「『眠れ』」
術を利用し、強制的に眠らせた忍をソファに運び、その傍らに座る。
相変わらず呼気は細いが、先刻よりは規則正しくもれている。
ある程度、このような症状がでることは予測していた。
一種の自家中毒だ。
強すぎる力が外に出せず、処理できないまま内部に溜まり、身体を蝕む。
とりわけ、身体の完成していない、術の使い方を身につけていない子どもには顕著に現れる。
忍には、起きて当然の発作。
これを制御できなければ術を使うことなど無理なので、放っておいたのが裏目に出たかもしれない。
これほどひどい症状が出るとは思わなかったのだ。いったい、いつから症状が出ていたのか。
強すぎる力を持っていることはわかっていたのに、それを考慮に入れていなかった。完全に自分のミスだ。
「……シ、ン? なに、泣きそ……なカオ」
術の効きが甘かったのか、うっすらと開いた淡い色の眼がこちらを見つめていた。
白い顔で、他人の心配をする大人びた子ども。
「誰のせいだと思ってるんだ」
「……ごめん」
ため息混じりにぼやくと、忍は素直に謝る。
謝るのは自分のほうなのに。
「もう少し、そのまま寝てな。ちょっと、買物行ってくるから」
かるく忍のあたまをたたいて立ち上がる。
多少良くなっている顔色に、ほっと息をついた。
「おい、忍」
大人しく寝ているかと思ったら、よく見ればソファの周囲に何冊か本が積んである。
そのうち一冊をうつぶせになって読みながら、忍は振り返らない。
「心配性。もう治ったから平気だよ。一応、シンの希望に応えて寝てるんだから、良いでしょ」
かわいくない。
かわいげを混ぜる努力もしないということは、完全に本に意識を持っていかれているな。
「で、発作は何度目だ?」
「んー? 五……六回、かな……ぁ」
ばたん、と本を閉じて慌ててふり返る。
「本を読んでる時に話しかけるな、よっ」
そういう無防備な時でなければ、本当のことなど言わなかっただろう。
「六回、ね」
そして発見できなければ、かくし続けただろう、この子どもは。
「今日みたいにひどいのは初めてだよ」
横を向いて、忍は小さく言い訳する。
どうだか。
「とりあえずお茶いれるから。本、片付けな」
聞き出すのは無駄だろうとさっさと諦め、今後について話すことにした。
「何、これ」
忍にココアを、自分にはコーヒーを入れて落ち着くと、岑羅は買ってきたものをテーブルに滑らせる。
忍は訝しげな顔でそれを手にする。
「煙草とライター」
「それはわかるけど」
忍はとりあえずそれをテーブルにもどし、ココアに口をつける。
「シンって吸ったっけ?」
「人前じゃ、吸わないようにしてるからな」
もともと術を使うときに便利なので吸う程度で、好んで吸うほどではない。
「ふぅん。ぼくは吸わないから、もらっても困るよ?」
ライターのふたをかちゃかちゃと弄びながら忍は岑羅の出方を窺っているようだ。
「これから、吸うんだよ。あんまりオススメは出来ないんだけどさぁ」
岑羅にも、まだ迷いがある。
こんな子どもに、いくら本人に害がなく、手っ取り早いからと言って、喫煙を勧めることに。
ただ、薬の常習は今の忍には負担が大きすぎる。
「シンはさ、言葉足りなくて、わかりにくい。何の意味があるの、ぼくが吸うことに」
疑問の形をとってはいるが、実際は気付いているのではないかと勘繰りたくなる。
こちらの想いも、すべて。
透明な、心の底を見ているような眼で見つめられ、妙な居心地の悪さをおぼえる。
コーヒーを飲み、気持ちを切り替える。
「忍は。力をどこかで散らしてやらないとまずい。だから、あえて身体に害になるものを入れて、その浄化で力を消費させる。気休めだけどな」
どこまで役に立つかわからない。
しばらくは効果があったとしても、それがいつまでも続くとは限らない。身体が適応してしまう可能性もある。
「りょーかい。……だから、シンは気にしすぎない」
なにが「だから」なのか。
忍は邪気のない笑みを浮かべる。
まったく。かなわない。
「で。煙草っておいしいの?」
興味津々な、子どもの目。
「そんなワケないだろ。薬みたいなものだよ」
感じ方は人それぞれなので、一概には言えないが、岑羅は意地悪めかして笑った。
――。
「たばこ、良い?」
机にひじを突いて、気だるげに忍は言う。
目の前に散乱した資料からの逃避とも取れる。
「書類、燃やさないでね」
その後、問題なく術を使えるようになった忍に、仕事を手伝ってもらうようになっていた。
かなり無理をさせている自覚はあるので強いことは言えない。それどころか、立場は弱い。
「ん」
慣れた手つきで煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込んでいる。
自分が勧めたとはいえ、中学生にも満たない子どもが紫煙を吐く姿は、あまり良い光景ではない。
「あのさぁ。そういうへこんだ顔しないでくれる? ただでさえ不味い煙草が、余計に不味くなるんだけど」
灰皿に煙草を置いて、忍は苦い顔をする。
「シンが気にする必要ないでしょ。決めたのはぼくだし」
言い切れるのは、強さだろうか。
「仕事、行ってくる」
資料を綺麗にそろえて机の隅に積み上げると忍は立ち上がる。
「よろしく」
結局、この世界に引き入れたのは自分。
そのやさしさに甘えているのも。
それにも関わらず、罪悪感を持つのは欺瞞だと良くわかっていた。
■ ■ ■
「ほら、薬」
ラベルの貼られていない瓶をそのまま忍に放る。
「ダメだよな。こんなのに頼ってるようじゃ」
自嘲的な微笑が痛々しい。
「大丈夫。忍はちゃんと強くなってるから」
きちんと、まっすぐに進んでいる。
その言葉に忍は苦笑をもらす。
「シンは、おれに甘いからな」
忍が自分に厳しすぎるだけだ。
「じゃ、また」
少々呆れたように見つめていると、忍は苦笑して立ち上がる。
そのうしろ姿を、見送る。
約束は、きっと果たされる。
Feb. 2001
【トキノカサネ】