blind alley



 郊外、というよりは田舎と言った方がしっくりくる。
 大きめの道路が目の前を走り、駐車場用の敷地もふんだんにとれる場所なので、車での来場を見込んでいた場所なのだろう。
 オープン当時はかなりの人気の施設で、週末に広大な駐車場が満車になるほどだったらしい。
 しかし、それも長くは続かず、数年で閉鎖。
 閉鎖後から二十年以上経った今、駐車場だった場所はアスファルトがひび割れ、その隙間から雑草が伸び、荒れ放題。
「いつも思うんだが、なぜさっさと壊しておかないんだか」
 草むらの奥に巨大な木造迷路のなれの果てを見て、ため息まじりにこぼす。
 長年、手入れもされずに放っておかれたせいでかなり傷んでいるのが遠目にもわかる。
 突風でも吹けば、何枚かの板は飛んでいってしまいそうだ。周囲に人通りや建物がないとはいえ、車の行き交いはあるし普通に危ない。
 そして、それ以上に。
「なんかもう、嫌な感じに育ってるんだよなぁ」
 聞いてくれる相手はないが、ぼやきが止まらない。
「この草むら、突っ切っていくのかぁ。まとめて全部焼却して終わらせたい」
 とはいえ仕事だ。そういうわけにもいかない。
 あきらめのため息をこぼして、腰丈まである雑草野原に足を踏み入れた。


 廃迷路に『何か』がいる。対処してくれ、との依頼だった。
 放置してあった迷路に、廃墟探検なのか肝試しなのか入り込む者が度々いたらしい。
 立ち入り禁止のロープや、立て看板などは設置してあったものの、そういう輩が気にするはずもない。
 人件費をかけて巡回して注意するのも現実的ではない。なにしろ、金を生み出すこともない放置された施設だ。
 『夜な夜な子供の泣き声が聞こえる』『後ろから服を引っ張られる』などというありがちな話がSNSで流れていることもあったようだが、使われていない施設に不名誉な噂が立とうと大した問題ではない。
 しかし、そこで死亡者が話は変わってくる。
 娘と連絡を取れなくなった親が心配して、学校や友人をあたり、廃迷路に肝試しに行くといった情報を得て現地へ赴き、放置してあった車を発見。
 警察に通報して確認をしてもらったところ、本人とその彼氏とみられる遺体を見つけた。外傷はなく、衰弱死とみられる。
 その後、さすがに危機感を覚えた持ち主が施設の解体・撤去を試みるが、敷地に入った重機の故障やけが人が続出し、中断。
 今後の方針を考えあぐねている間に、再度不法侵入者の死者が出て、自分のところに話が回ってきた。
「もう少し、早いところ依頼が欲しかった」
 迷路の入り口だった場所の前に立ち、思わず顔をしかめる。
 いつ、どこが崩れてもおかしくないほどに木壁は傷んで、黒ずんでいる。
 正常な危機意識があれば、こんな危うい建造物の中に入らない。
 それに加えて完全に良くない場所になっている。
 三人の人間を呑んで、より強く人を引き寄せ、捕らえ、呑みこむ罠。
「入りたくないなぁ、外から丸焼きにしようかなぁ」
 前言撤回が早すぎるが、近づけば近づくほど嫌な気配がする。内部に入りたくない。
 だいたい、依頼人自身ここに来ているかどうかもあやしいし、来ていたとしてもこの嫌な気配を感じ取れてはいないだろう。
 適当に、程よい感じで報告書をでっちあげとけば、外部から処理してもきっとバレない。
 この状況では最終的に完全に消滅させるしかないし、それが内側から火をつけてもが外側から火をつけても大した違いもない。
 ただ依頼を受けた側の矜持としてどうかという話なだけだ。
 どちらにしろ、全体の把握は必要だ。
 迷路の外周にそって、ゆっくりと歩く。
 三分の二ほど過ぎたあたりに一台のバイクが停めてあるのに気づく。
 触れてみるが、エンジンはすでに冷めている。しかし一見した感じ、長期間放置されているものでもなさそうだ。
 いるのか? 中に。
「勘弁してくれ」
 七割方決行しようと思っていた外部からの焼却は不可能になった。
 さすがに人がいる可能性が高い状況を見なかったふりをすることはできない。
 足早に迷路の入り口まで戻り、足を踏み入れる。
 ぐらり、と視界がゆがむ感覚。
 夜の暗さとは違う、よどんだ黒い靄に包まれる、
「良く、こんな中に」
 普通の人間には靄は見えないかもしれないが、本能的に危険を感知できそうなくらいの禍々しさ。そんな中に平気で入り込める気が知れない。
 もしくは、既に呑まれたせいでここまで悪化したか。
「『浄炎』」
 ポケットから取り出したライターのふたを開け、火をつける。
 揺れる炎に吐息のようにささやきかけると青い炎が膨らみ、広がる。
 炎に祓われ、黒い靄が一瞬晴れるがすぐに炎を呑みこむようにして元に戻る。
 もう少し、しっかりと『術』を組まないと太刀打ち出来なさそうだ。
「退路の確保もいるか」
 取り出した糸巻の糸先を入り口付近の飛び出た金具に結び、ポケットに戻す。
「さて、行くか。『灯導』」
 地面に小石ほどの灯りがぽつぽつと灯る。
 その灯りを追いながら進み始めた。


 どれくらい歩いただろうか。
 黒い靄の中にいるせいか、時間の感覚がつかみづらい。
 『術』を使い最短距離を選んで進んでいるはずなのに、何度も同じ場所を通っている気さえする。
 ポケットに入れた糸巻からは糸が伸び続けているので、そこだけは安心する。
 自分一人なら最悪どうとでもなるが、要救護者がいるとなると、動きが制限されかねない。
 もしもの時を考えて当人たちだけで逃がす準備は必須だ。
 出来ればそんな状況は避けたいけれど。
「?」
 袖を引かれた気がして視線を下げる。
 揺らぐ靄の中からこちらを見上げる小さな子供。
「おにいちゃんも、まいご?」
「んー。迷子のお友達を探してる」
 小学校低学年くらいの少女に、本当のことを言うわけにもいかず濁して伝える。
「おんなじ! わたしもパパとママが迷子でさがしてあげてるの。困っちゃうよね、おとななのに」
 迷子なのは親じゃなくてこの子の方だろうが指摘はしないでおく。
「じゃあ、一緒に探しに行こうか」
 ひんやりとした手をつなぐ。
 足元の灯石を一つ踏み込んでから並んで奥へと向かった。


「こっちだよ、おにいちゃん」
 ぐいぐいと少女に引っ張られながら進む。
 灯石を目印にしているわけでもなく、当たり前のように正しいと思われる道を。
「慌てると、転ぶよ」
 苦笑いを返す。
「大丈夫だもん。はやくっ。こっちにパパとママがいるんだよっ」
 角を曲がる。
 おそらく迷路の中央付近だろうそこは行き止まりだった。
 崩れかかった迷路の壁にもたれかかる年若い男女。
「パパとママだよ」
 少女は愛らしい笑みをこちらに向けて見せる。
 少女と手をつないだまま、身じろぎ一つしない二人にゆっくりと近づく。
 意識がないだけで、生きてはいるようだ。
 そのことに、少し安堵する。
「パパ。ママ、もうずっと一緒だよ。迷子にならないでね。おにいちゃんも」
 子供とは思えない力で引っ張られる。
「一緒にいてくれるでしょ?」
「……お友達が見つかったから、おれはもう帰るよ」
「これは、パパとママよ」
 少女の声が固く険のあるものになる。
「違う」
 意識のない男女は二十歳前後だ。少女の親にしては若すぎる。
 ありえない。
 こんな夜中に、子供が一人で廃迷路にいること自体が、既に。
「ねぇ、君はどこにいるの。教えて」
 倒れている二人を背後に隠すようにして、なるべく穏やかに尋ねる。
「なに言ってるか、わからない!」
 癇癪を起こす少女に呼応するようにどこかで崩れるような音が響く。
「教えてくれたら、本当のパパとママを連れてきてあげるよ」
 少女の目が大きく見開かれる。
 こちらの提案に少女が気を取られている間に、糸巻を取り出し、倒れている二人にひと巻きする。
「…………こっち」
 ためらいがちに少女は一人歩きだす。
「『戻繭』」
 ぐるぐると糸巻からのびた糸が二人をまとめて包み込み、そのままころころと糸を手繰って来た道を戻っていく。
 それを確認して少女の背を追った。


 同じ場所を行きつ戻りつ、先ほどの迷いのない足取りが嘘のように、あちこちに引き回される。
 こちらを惑わそうとしているのか、それとも本当に迷っているのか。
「パパとママ、ほんとうに来る?」
「来るよ」
 不安そうな少女の声に当然のようにして頷いて見せる。
「……いらないって……おこった」
 小さな小さな声はそれでもしっかり耳に届いた。
 なに?
「ここにいなさいって……ずっと……まってたのに」
 泣き出しそうな声とともに黒い靄が濃く広がる。
 子供の、それも器を失って長く経つ者の言葉すべてが真実を語るとは限らない。
 が、子供一人が行方不明になっていれば大規模な捜索がされていて当然のはず。
 ここ二十年ほどの間にこの辺りでそんな事件はなかったはずだ。
 少女が不意に足を止める。
 視線を追うと壁の向こう側に深い窪み。
「ずっと、いたの。ここに、パパとママ、こないの」
「……うん。えらかったね。一人で。……目を閉じて」
 少女のまぶたにそっと触れる。
 冷たく暗い記憶が流れ込んでくる。
「遠くに明かりが見える?」
 少女を刺激しないよう、静かに声をかける。
 頷く少女に続ける。
「ほら、その向こうからパパとママが来るよ? 笑ってる?」
 少女自身が作り出す幻影をできるだけ穏やかなものにするために誘導する。
 大きく頷く。
「呼んでる?」
「うんっ」
 嬉しそうな声とともに少女の存在が空気に溶ける。
「……ろくでもない」
「誰が?」
 同業者の少年が、壁の上に立ち、見透かしたようにこちらを見下ろしていた。
「ラキ、何か用か?」
「いや。通りすがり。外にあった糸繭は解除して中の人間は適当なところまで移動させておいた。浄化済み。記憶も」
 ありがたいが、他人の術は簡単に解除できるものじゃないはずなのだけれど。
「ほら。とりあえず撤収するよ。長居する場所じゃない」
 痛ましげに奥の窪みを見て、ラキはすいと顔を上げた。


 廃迷路の奥にできた窪みの中で、見つかった子供の骨が二十二年前に行方不明となっていた少女のものだと判明したのはそれから数か月後。
 ラキがその両親について調べていたようだったが詳しくは聞かないまま放置した。
 そして諸々調査が終わり、解体が決まった廃迷路に再び足を踏み入れる。
 少女がいた場所に立つ。
 今はもういない。
 ただ薄っすらと黒い靄が残っているだけ。
「『浄炎』」
 ライターの火に吐息をかける。
 熱のない青い炎は消えず、大きく広がり廃迷路を包んだ。

【終】




Oct. 2022
【トキノカサネ】