暁闇(あかときやみ)



 銀女の暗殺。
 依頼人の代理を名乗った男は、躊躇わず、ごく軽い調子で言葉にした。
 禁忌にも関わらず。
「成程、」
 筆頭三家のひとつ、エイナ家の失脚を願う人間は数多い。しかしよりによって、その要石たる人物に手をかけるというのは不穏にすぎる。
 半ば伝説と化しているとはいっても、それは世の守護であり、文字通り要石なのだから。
 単にエイナの転覆を謀ってのことなのか、それともそれ以上の思惑があるのか。
 依頼人当人が姿を見せない以上、本意を読み取ることは出来ない。
「お引き受け願えますか?」
 四十絡みの男は、十歳程度のこどもにしか見えない姿のラキに丁寧に尋ねる。
 ラキは微笑う。
「ここまで聞いておいて、断るなんて出来るんですか?」
 代理人の男の隙のなさすぎる雰囲気は、間違いなく殺しに慣れたものが持つ特有の気配。
 男は肯定も否定もせず、おだやかに笑みを浮かべる。
 簡単に殺されない自信はある。
 しかし、断るつもりは最初からなかった。
「お請けします。指定どおりに」
 書面に残すことのない契約を結び、ラキは立ち上がった。


「運が悪かったと思って、諦めてください」
 雑然としたビル街の屋上から、銀女の住まう宮の方角をラキは見つめる。
 ここからはかすかに森が見えるだけで、その中に建つはずの宮まで見ることはかなわない。
 一般人が決して足を踏み入れることの出来ない、巫女の御座す場所。
 今更、禁忌を犯すのは怖くない。ただ、何の恨みもない……罪もないはずの人間を巻き込むことに少々良心がとがめる。
 依頼者本人が顔を見せないような依頼、常ならば断っていた。
 ラキはため息をこぼす。
 でも、それがエイナに関わることであれば別だ。
 六年間、薄れることのない想い。
 わずかに残る迷いを断ち切るように、ラキはまっすぐに顔をあげ、呼気を整える。
 目を伏せ、『遠視(とおみ)』の術を行使する。
 視界をさえぎるものが消え、本来であれば見えないはずの場所が手の届きそうなほどに近くに映る。
 すぐに依頼を実行にうつすつもりはなくとも、相手の顔や行動範囲くらいは知っておきたかった。
 ラキは視点を動かし、目当ての人物を探る。
 森の中の静謐な空間。
 手入れされすぎていない庭。華美でない、落ち着いた雰囲気のいくつかの建物。ごくわずかな人の気配。
 ゆっくりと見渡し、そして見つける。
 木陰で、無防備に眠る少女。
 得体のしれない、奇妙な胸騒ぎ。
 それを押さえ込んで、銀女だろうと思われる少女の姿をはっきりと捉えるべく調整する。
「……うそ、だろ」
 ざわりと鳥肌が立つ。
 恐怖ではなく。
 少女がまるで視線に気付いたかのように目を覚ます。
 肉眼では捉えられないほど遠くにいるのだ。見つかるはずはない。
 気を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を繰り返していたラキは、少女に微笑みかけられ息をのむ。
 ありえない。偶然だ。
 動揺が影響し、術が切れ、視界が手元に戻ると、ラキは脱力してへたりこむ。
 ずっと前に聞いた、お伽噺のような伝説を思い出す。
「これ、は……いくらなんでも、あんまりじゃないか?」
 そのまま屋上に転がって、ラキはため息まじりに呟く。
 澄みきった蒼天に、言葉は静かにとけていった。


 契約の日から三日。あれきり、依頼人側からの接触は何もない。
 ことがことだけに、依頼主も簡単に済むとは思っていないはずだ。しかし、いつまでもこのままではいられない。
 ラキは屋上から宮を包む森を眺め、深々とため息をこぼす。
 契約違反というのは、自分には縁のないはずの言葉だったのに。こんなまずい大仕事で、どうしてこんなことになったんだろう。
「一目惚れくらいだったら良かったのに」
 ラキは一人ごちる。
 そのくらいの感情であれば殺してしまうことは出来たはずだ。
 しかし相手にもったのはそんな感情ではない。感情ですらないのかもしれない、どこか暴力的で抗えないもの。
「どーしよ」
 ある程度、答えの出てしまっている迷いを声にする。
「なにを?」
「何をって……っなんで」
 気配も感じさせず降ってきた突然の言葉に、ラキは振り返り絶句する。
 まばたきを繰り返し、そこに立つ声の主が現物だと確信する。
 こんなところにいるはずのない、いてはいけないはずの人。
「何で来てるんだっ。ヤミクなんかにっ」
 犯罪特区であり、治安が悪いというレベルではない。良識と常識がある人間は出入しない場所だ。
「……怒鳴られるとは、思わなかった」
 困ったように微笑う。
 近くで見ると、より一層細く感じる華奢な身体。少し低めの良く透る声。
 あまりに普通で、あたりまえみたいな顔をして。
 脱力したラキは、少し声を落とす。
「自分の立場、わかってるの?」
「わかってるよ」
 ごく簡単に答える。
 屋上のフェンスにもたれて笑む少女を見て、ラキは泣き出したくなる。
「わかってないよ。……おれは、殺すよ?」
 吐き出した言葉がラキ自身に突き刺さる。
 一瞬、翳りをみせた少女は、すぐ何もなかったかのように笑みを浮かべる。
「それもわかってる。わかっていて来た。殺していいよ。あなたなら、私の死体を悪用したりしないだろうから」
 淡々と紡がれた言葉は、自棄になって出てきたものではなく、深い決意がみえた。
「……できる、か。そんなの……やだ。絶対。……殺させない。誰にも」
 亡くせない。半身。本来ひとつであった、今は欠けたるもの。
 相手が、どう感じているかは関係なかった。
 ただ、ラキ自身がそうだとわかってしまった。
 気付いてしまったら、もう揺るがせない。
「……なら、どうするの?」
 その問いかけの意味するところに気付かないふりをしてラキは微笑む。
「なにが?」
 深読みがすぎるだけで、実際は言葉通りの意味でしかないかもしれない。下手につついて、ヤブヘビになるのは避けたい。
 そんなラキの考えを見透かすように少女は口を開く。
「契約違反は、リスクが大きすぎるんじゃないの?」
「何でそんなことに詳しいの、銀女。そういうのはね、企業秘密。関わるべきじゃない」
 犯罪の坩堝であるヤミクの事情に通じているというのは問題じゃないだろうか。清廉高潔であるはずの巫女が。
「今更」
 自嘲を伴った苦笑いを浮かべる。
 その表情の意味も何もわからないまま、ただ魅かれる。理屈ではなく、そばにいればいるだけ、ひっぱりこまれる。
 そばに居られたら良いのに。そんなありえない考えがわきあがるほどに。
「一緒に暮らさない?」
 願望が自分の口から出たかと一瞬疑った。
 少女は風にあおられる長い髪を邪魔そうに押さえながら、ラキをじっと見つめる。
「宮に、来てよ」
 自分がとんでもないことを口にしているという自覚のない少女に、ラキは反論の言葉をさがす。
 諾、というには問題がありすぎる。
 それでも意を曲げない少女に、ラキはため息をついて折れた。

【終】




Jan. 2000
【トキノカサネ】