告白(後)



「あら、お帰りなさい。静史郎」
「ただいま」
 丁度玄関先に出ていた祖母の声に内心を気付かれないよう平静に返す。
 本来「おかえり」と迎えいれられる立場ではなく、「ただいま」と返すのにも抵抗がある。
 が、その許容にためらうたび、強要されては応じないわけにはいかなかった。
 良くできました、と言わんばかりに穏やかに笑みを浮かべる祖母に諦めた笑みを返す。
「めずらしいわね。青乃ちゃん家の方から来るなんて」
「青乃さんに料理を教えてもらう友達を連れてきたから」
 促されて、一緒に家に入りながら簡単に説明をする。
「それこそ、めずらしい。巽くんじゃないのよね?」
「ちがうよ。だったら初めからそう言うし、大体わざわざおれが連れてくる必要ないし」
 牧原からすれば青乃さんは伯母で、もともと普通に出入りしている。それに牧原はある程度料理ができるから今更習う必要もない。。
「そうよねぇ。でも、静史郎がここに友達を連れてくることなんてなかったから、他に思いつかなくて」
「都が以前に連れてきてるから、青乃さんとも面識があるんだよ」
「あぁ、前に都ちゃんが話してた子ね、きっと」
 湯呑にお茶を注ぎながら、目を細める。
「どんな子なの?」
「都はなんて?」
 どことなく楽しげな表情の祖母に尋ね返す。
「いろいろ言ってたけど、そうね。静史郎を好きになるなんて見る目があるって」
 思った以上にろくでもない説明に抗議の言葉も出てこなかった。
 程よい温度で入れられた緑茶をゆっくりと半分ほど飲み、気持ちをを落ち着ける。
「それは都の誤解だ。水森はおれを友人としか思ってないよ。もちろん、おれも」
「そう? で、どんな子なの?」
「んー、要領わるくて、どんくさくて、たまに突拍子なくて、かわってる」
 そんなつもりはなかったが、かるく悪口めいた言葉ばかりになってしまった。
 しかし祖母をみれば、やわらかな表情でうなずいていて、特に問題なく伝わっている様子に安心する。
「私も会いたかったわ」
「……水森、割と人見知りだから、また機会があれば」
 半ばだまし討ちのように連れてきた上、この祖母にまで会わせたりしたらどれだけ文句を言われるかわからない。
「楽しみにしてるわね」
 嬉しそうに笑って、祖母はまっすぐこちらを見つめる。
「……ねぇ、静史郎。あなた、誰かを好きになってもいいのよ?」
「なに、突然」
 口にしたことはなかったし、気取られるような態度をとった覚えもない。
 人づきあいが得手ではないのは確かだが、それは自身の性格の問題だ。
「あなたと、あなたのお母様や父親とは別人格なのだから、むやみに自分を押し殺して可能性を潰さなくていいの」
 淡々と、しかしきっぱりとした口調はこちらに否定する隙も与えない。
「そこまで確固とした考えがあるわけじゃないよ」
 それでも、やんわりと誤魔化すような言葉を紡ぐ。
「あのね、何年あなたのおばあちゃんをやってると思ってるの? 静史郎の考えそうなことなんてお見通しに決まってるでしょ? あなたは結果のわかっている過ちを犯したりしないから、大丈夫よ」
「どうかな」
 端からわかっていて仕掛けた母親はともかく、真面目で、きちんとしていたはずの父も最終的には受け入れてしまったのだ。
「まぁ、あなたが頑固な子だってことも良くわかってますけど」
 呆れたようにおじいさんに似たのねと苦笑いする。
「ありがとう」
 気遣ってもらえるのは素直にうれしい。
「そろそろ行くよ。料理教室も終わるだろうし」
「そうね。今度はご飯を食べにいらっしゃいな」
 立ち上がって湯呑を流しへ運ぶと、洗わなくてそのままで良いと声がかかる。
「わかった。じゃ、また来るから」
 待ってるわと、やさしい声に見送られて家を後にした。


「おじゃまします。水森、どんな感……」
 勝手に入ってくるように言われていたので、一声だけかけて家に入る。
 幸い、煙が充満していたり焦げ臭かったりはしないので、料理教室は問題なく進んだようだ。
「お帰り、静史郎。良いタイミングね」
 リビングから台所を覗くと、お茶の準備をしている青乃が微笑む。
 洗い物をしている水森は振り返りもしない。
 テーブルには保存容器がいくつも置いてある。
 今作ったにしては量が多いのは、事前に青乃が作っておいたものも混ざっているのだろう。
「どうでした?」
「楽しかったわよ」
 そういうことを知りたいわけではなかったのだけれど、迷惑になっていないのなら良かった。
「朔花ちゃん、別に普通に料理出来るわよ。慣れてないから、手際良くはないけれど」
「それは家庭科の授業だって受けてますし、最低限は出来ますよ。そもそも、はじめっから料理できないなんて言ったことないですし、早瀬に」
 トゲのある視線で一瞬こちらを見たあと、青乃に向けて水森はこぼす。
「じゃ、やれよ。普段から」
 あんな菓子パン続きの偏食生活してないで。
「早瀬に指図される覚えない」
「だったら、ちゃんと食べろ」
 こちらを見ないままの水森の後姿はやっぱり以前よりだいぶやせて見えた。
「まぁ、正論よねぇ、静史郎が。自分だけの一人分、作るのがめんどくさいのもわからないでもないけど」
 のんびりした青乃の言葉に水森はうなずく。
「それなんですよ。食材買い揃えるのも、作るのもですけど、だんだん食べるのも面倒になるんですよねぇ」
 最悪だ。物臭にもほどがある。
「水森」
「わかってる。ちゃんと食べます。たくさんもらっちゃったし」
 それがなくなったら、また元に戻りそうな気がするんだが?
「容器返しに来てくれた時に、また料理教室しましょうか」
「いえ、そこまで迷惑かけるのは」
 楽しげな青乃に水森は慌てて首を横に振る。
「別に迷惑ではないけれどね、まぁ朔花ちゃんが気にする気持ちもわからないでもないけど」
 水森はもともと人に頼るタイプでもないし、断るのはわかっていた。青乃さんもきっと同じだろう。
 ただ、今後きちんと料理して食べるようになるかというと疑問が残る。最低限の料理が出来るのに、今までやってきていなかったことが簡単に改善されるはずもない。
 ここに連れて来た時点で干渉しすぎだし、柄にもないことをやっている自覚はある。ただ水森には何というか放っておけない危なっかしさがあって、つい口出ししたくなる。
 だからと言ってこれ以上、自分が介入できる問題でもない。
「仕方ないわね。じゃあ、静史郎と一緒に食べるようにするといいわ」
 どうすれば改善されるだろうかとぼんやり考えていたところに、唐突に自分の名前を出されあわてて顔を上げる。
「は? 青乃さん、何言いだすんですか」
「静史郎は自炊してるでしょ。朔花ちゃんに一緒に食べてもらえば、作る張り合いもあるでしょ」
 別に張り合いとかは要らない。他人に食べさせられるほどきちんとしたものをいつも作っているわけでもない。
 もちろん、水森の食生活とは比べ物にもならないほど栄養バランスはとれているが。
「無理」
「なんで? 実家に連れて来るなんて、もうカノジョ同然でしょ? そのくらいしても問題ないと思うけど?」
 あぁ、わかった。面白がってるんだな。水森がそういう対象ではないこと以前に、こちらの立ち位置を分かっているはずなのだ、青乃は。
「実家じゃないですし」
 本題をそらすために、ずれた答えを返したがそれはそれで失敗だった。あっさりとした青乃のは応えた。
「同じようなものでしょう?」
 違う。本来なら自分はここにいてはならない者だ。
 それは何度も繰り返し伝え、ことごとく否定され、水掛け論になるのがわかりきっているから、今はもう口にはしないけれど。
「まったく、頑ななんだから」
 独り言めいていて、でもしっかりこちらに聞こえるように青乃はぼやく。
 それを聞こえないふりでやり過ごし、青乃が詰めた保存容器のはいった紙袋を持つ。
「急なお願いを聞いてもらえて助かりました。水森、帰ろう」
 やり取りを聞いていたのかいないのか、どこかぼんやりとしている水森に声をかける。
「あ、うん。青乃さん、ありがとうございました」
「どういたしまして。またいつでも来てね。朔花ちゃん一人でも、気軽に」
 水森は少し困った顔でお礼を伝えていた。


 もともと二人でいても、ひっきりなしに会話をするタイプでもない。
 それは水森も同様で、お互いが無言で会ってもさほど気にはならない。
 が、それにしてもだ。
「水森」
 どちらかと言えば閑静な住宅街で、普通の声量で呼びかけても返事がないのはどうかと思う。
 何か考え込んでいるのか、単にぼんやりしているのか、周囲を完全シャットアウトしているようだ。
「水森さん? どこまで行く気ですか」
 こちらが足を止めても、声をかけても気付かないので仕方なくかるく腕を引く。
「ぅえ?」
「どこに向かってるか聞いても?」
 ようやく振り返った水森は寝起きみたいな顔で目をしばたたかせる。
「歩きながら寝るな」
「寝てない。ものすごく考えゴトしてた。駅、そっちだっけ?」
 来た道を戻ってるのだから確認するまでもないと思うのだが、まぁ、水森だしな。
「なんか言いたげな顔だけど?」
「別に。水森らしいなって思っただけ」
「バカにしてるね?」
 ふくれっ面をしてみせる水森に苦笑いを返す。
「水森がぼんやりなのは今更だし? ……悪かった。今日は強引だった。青乃さんの言ってたことも気にしなくて良いから」
 考え事の理由もそれ関係だろう、きっと。水森は基本的に真面目で人が良い。
「そういうとこ、早瀬だよね」
 水森は楽しそうに笑う。
「何が」
「ねぇ、早瀬。付き合わない? 私たち」
「は?」
 考える前に声が出た。
「付き合おうって言ったんだよ」
「それはわかってる。なに寝言言ってんだって話だよ。水森は解ってると思ってたんだが?」
 短くはない付き合いの中で、不本意ながらも水森には家庭の事情を知られている。そして誰とも付き合うつもりがないことも、その理由も。
 知らず言葉は強くなったが、水森は堪えた風もなかった。
「うん。解ってる。早瀬だってわかってるでしょ、私も早瀬のことを友達としてしか見てないってこと」
 そうだ。そういうヤツだった。はじめから。恋愛感情の欠片もないのに実験的に告白してくるような。
「考えなしな水森さん、今度はどういうつもりで言い出しましたか。まさか、ごはんを作ってほしいとかいう理由じゃないだろうな」
「まさか。作るって言われても困るよ。返せるものがないから、私が負債ばっかり抱える羽目になるじゃない」
 そしてこういうところも水森らしい。突拍子もなく妙なことを言い出す反面、基本的に人に頼るのが苦手で。
「じゃ、なに」
「仮面夫婦ならぬ仮面カレカノ。ほら、コンパとか、誘い断るの楽になるし?」
 水森は笑顔を張り付けてこちらを見る。どこか嘘くさい。
「それはさぁ、塚田とかにも嘘をつくってことなんだけど? 出来るの? 水森に、そんなこと」
 下手すると水森本人より水森の性格をよくわかっていそうな塚田なら、簡単に見抜きそうだ。
「真由には言わない。もし知られたらホントのこと言う」
 眉間にしわを寄せる。
「じゃ、青乃さんたちは?」
 ある意味、塚田以上に難敵だろう。あの人たちのことだ、仮面だとわかっていながら面白がる可能性が高い。
 そしてそのまま外堀を埋められそうだ。勘弁してほしい。
 水森も同様に思ったのだろう。ますますしわを深くする。
「別に青乃さんの前で、フリする必要ないよね。っていうか、しても無駄だよね。絶対ばれる」
「そこまでわかってて……ホントに学内だけってことになるんだけど?」
 一応友人ではあるけれど、一緒に出歩くことなどほとんどない。学内でだって、顔を合わせれば挨拶程度の立ち話はするけれど、一緒に過ごすことはほとんどない。今日みたいなことは例外中の例外だ。
「うん」
「意味ない気がする。コンパとか断るのが面倒なのもわかるけど、水森だって、そのうちには好きな相手ができるかもしれないんだし、その時に困るだろ」
「出来ないと思う。……なんかねぇ、ダメみたい。とくに好意の裏に下心が透けて見えちゃうと。まぁ、自意識過剰なんだろうけどね」
 歩調を速めて水森は数歩先を進む。
 口調は軽く笑っているけれど、なんとなく伝わるものはあった。
 まったく。
 本当は、もう少し気楽に構えてれば良いとか思ってはいる。変に考えすぎて、自分で決めつけすぎているとも。
 ただ、それはすべて自分自身が言われていることと同じで、他人から言われてどうにかなるものでもないというのもわかっている。
 水森が頑なになる事情は知らないけれど、知るつもりもない。
「水森…………水森が後悔しないんなら、良いよ」
 振り返らない水森の隣に並び、ため息と一緒にこぼす。
 だから、できることはこのくらいだ。
「すごく、イヤそう」
「別に、おれにデメリットはないし」
 俯き、視線を合わせないままの水森にかるく聞こえるように応える。
「でもメリットもない」
「コンパ断るのが楽になるんだろ?」
 自分で押しておいて、こちらが応じると逃げ腰になるのも変わらないな。
「早瀬、普通に平気で断ってるでしょ」
 ホントにめんどくさい奴だな、水森。だけど放っておけないというか、なんというか。
「それでも、多少は手間が減る。……そうだな、じゃ代償に、祖母に会ってもらおうか?」
「へ?」
 ようやく視線を上げた水森は目を瞬かせる。
「都があることないこと色々伝えたらしくて、水森に会ってみたいって言ってたから」
「……それ、なんか良くないフラグな気がするんだけど」
 水森を祖母に会わせたことがわかれば、それこそ実家に連れて来たなんてと青乃は面白がるだろうし、流れで要と都に話が伝わってもおかしくはない。
「水森が安易に考えなしなことを言うからこうなるんだろ」
 最初の告白の時から学習していない。
「おかしいなぁ。考えたはずなんだけどなぁ」
 独り言のようにぼやく水森に苦笑いしか出ない。
 しばらく考えるように空を仰いだ後、水森はこちらに手を差し出す。
「なに」
「よろしく、ってことで」
 思わず目を瞠る。
 実際のところ、祖母のことを持ち出せば水森は引くと思っていた。
 良くないフラグとまで言っていたのだから、尚更だ。
 つまり、それ以上に誘いに辟易しているのだろう。重症だ。
「じゃあ、まぁとりあえず」
 差し出された手を取る。
 握り返された手をそのままに歩く。
「……えぇと、早瀬さん?」
「なに」
 どこか動揺したような声に軽く返事をするも隠しきれない笑みが混じってしまう。
「えぇと、ね。握手はもう、良いよ」
「一応、彼氏彼女なら手くらいつなぐんじゃないの?」
「ここ、学校じゃないし。誰も見てないし」
「水森が土壇場で動揺しないように予行演習」
 半分くらいは本音だが、からかいすぎても仕方がない。
 ほどこうとしたところを、水森は指を絡めてくる。
「引率じゃないんだから、カレシとつなぐならこうでしょ」
 お互いの指が組み合わさった状態でつないだ手を水森はぐいと引っ張る。
 変なところ負けず嫌いというか、こういうところが要みたいなのにうまく転がされる要因だと思うのだけれど。
「わかった。おれが悪かった。水森の勝ちで良い」
「別に勝ち負けの話じゃないし?」
 どことなく怒ったような口調なのは恥ずかしさをごまかしているのだろう。
「じゃ、引き分けで」
「そういう問題なの? ……ごめん。ありがと」
 するりと指をほどいた水森は、こちらを見上げる。
「早瀬もさ、何か困ってることとか、あったら言ってね。私、いつも助けてもらってばっかりだし。早瀬、何にも言わないし……ねぇ、いま、人のことより自分のことをどうにかしろって思ってるでしょ」
 眉をひそめたのを見て、水森も思いきり眉間にしわを寄せる。
「ちがう。自分のこと棚に上げてよく言えたとは思ったけどな」
 何も話さない、頼らないのは水森だって同じだ。
「えっと、それはさ。でも、ほら。早瀬とか聡いから、私が言う前に気付いちゃうし」
 さすがに自覚があったらしい。苦し紛れの言い訳のようなことをぼそぼそと零していたかと思うと、顔を上げてこちらを見つめる。
「だからっ、私は気づかないから。言ってよね」
「逆切れかよ」
「じゃなくて、私ばっかりしてもらってたら心苦しいから」
 律儀というか、借りを作るのが嫌いだよな。
「何。じゃあ、おれの家の事情でも聞いてくれるんだ?」
 あえて拒否しそうなことを口にしたのに、水森は予想外に真面目な顔をした。
「早瀬が本当に話したいなら聞くよ。……聞くことしか、出来ないと思うけど」
 もともと話すつもりはなかったし、話す必要性もどこにもない。
 ただ、基本的に面倒事を避ける水森の受け入れる言葉で、ほんの少し力が抜けた。
「じゃあ、いつか。その時が来たら」
「ん」
 小さくうなずいた水森は隣に並んで歩く。
 もう手はつないでいないけれど、離れすぎない、近すぎない距離。たぶんこのくらいがちょうど良い。
「なに?」
 知らず漏れた笑みが水森に伝わったらしい。不審げな表情。
「別に」
 なんでもないと続けようとしたところで水森も静かに笑みをこぼす。
 視線をむけると笑みを深くした。
「なんかね、普通に友達だなぁって。早瀬に告白して良かったなぁってね」
 たまに、恥ずかしげもなく、こういうことを口にするし。
「早瀬にとっては迷惑だっただろうけどね」
 軽い口調とはいえ、この期に及んでこの認識か。肝心なところで察しが悪い。
 本当に迷惑だったらいちいち付き合わないし、ここまで余計な口出ししたりしないだろ、普通に考えれば。
 仕方なく、さっきは口にしなかったことを声にした。
「悪くないって思ってるよ。水森といるの」

【終】


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