うわぁ、男ばっかり。
男子クラスだから当たり前だけれど、ドアの隙間から広がる一面の男子の背中に思わず顔をしかめる。
昼休みにもかかわらず、規則正しく並んだままの机に、ほとんどの生徒は突っ伏している。
おなかもふくれて、眠気に負けた、みたいな。
「あれ、真由?」
声に振り返ると、見慣れた顔。
「なんだ、朔花か」
「何だ、やっぱり真由か。どーしたの、わざわざこっちの棟まで」
こちらの言い草が気に入らなかったのか、同じ言葉で返してくる。
「東に用があってね。貴重な昼休みに来たんだけど、この状況で」
ほぼ毎日、顔をあわせている部活仲間だとはいっても、さすがに突っ伏した背中では判別つけられない。
教卓の上には座席表もあるだろうけど。女子が入り込むと目立つよなぁ。起きてる人間も、少しはいるんだし。
「そーだ。朔花、東の席知らない?」
「この間まではそこだったんだけど、今月入って席替えしてるから」
朔花は視線を宙にさ迷わせる。
結局わからないってことか。役立たずめ。
「男クラの前で女子が二人してこそこそ、何やってんの?」
頭の上から降ってきた声に息をのむ。
……びっくりした。
声で判別ついていたけれど、顔を上げると案の定、東がのほほんとたっている。
なんだ、教室内にいなかったんだ。
「東を探してたんだよ」
他の男子の昼寝の邪魔をしないように出入り口から離れる。
「それはわざわざ。なに? 今日部活休み?」
うれしそうだなぁ、こいつ。
基本的にまじめに部活やってるくせに、休みになるのはそれはそれで良いのか。
「残念。今日は外コートに変更だって」
「うわ、サイアク」
ぬか喜びした後の言葉にわざとらしく東は肩を落とす。
まぁ、確かに外コートはイヤだけどね。砂、すべるし。
「バスケ部が試合近いからってことで体育館使用、押し切られたらしいよ」
まったく、うちの顧問ってば弱腰なんだから。
「またかー。いい加減、取り立てないとマズイかなぁ」
同意を求めるように東はこちらを見て笑う。びみょーに悪い顔。
それは良いけど、っていうか是非やってほしいけれど、朔花が軽くひいてるよ?
人当たりの良い面だけを見せるようにしてたんだろうに。
「ともかく、男子部、伝言板書いておいてね」
「塚田さんは女子部板、もう書いたの?」
「まだ。今から」
今の時間なら、部室へいって帰ってきても、五限目に間に合うだろう。
「おれも一緒に行くよ」
「ん。じゃ、朔花」
立ち去るタイミングが取れずにいた朔花に片手をあげると、同じように小さく手を上げかえす。
「うん。部活頑張ってねー。東くんも」
教室に戻っていく朔花を視線で追って東は聞き逃しそうな小さなため息をつく。
「何、そのため息」
歩き出しながら尋ねると苦笑いの気配。
「つまんないなーと思って。結局、水森さんってば早瀬とくっついちゃうし」
しみじみとした口調。実は、割と本気だったのか?
朔花をからかって遊んでいるというか、半分は早瀬にイヤガラセしてるというか、そんな感じなんだと思ってた。
「何、その不審そうな顔」
「別にー」
実際のところ、朔花と早瀬は付き合ってるわけじゃないらしいけど、言う必要はないだろう。
せっかく下火になりそうなのに再燃されたら朔花に面倒が増えるだけだ。
ま、付き合ってると見える程度には、仲が良くなってるのは事実だし。ここは腐れ縁の方を大事にしておこう。
「塚田さんは割と食えない感じだよねぇ」
それは朔花と違って、ということか? っていうか。
「東に言われたくないんだけど」
「そんな塚田さんが結構好きなんだけどなーって、意味なのに」
「はいはい」
いつもの軽口。まともに反応するだけばかばかしい。
「いっそのことさぁ、塚田さん、おれと付き合わない?」
隣を歩く顔を見上げると、案の定、かるい笑みを浮かべてる。冗談の延長。
懲りないな、東。
「いいよ」
あっさりと予想外であろう答えを返すと、東のにこやかな表情が固まる。
「ぁえ?」
「じゃ」
びっくりしたままの東を捨て置いて、女子部室棟の階段を駆け上がる。
ちょっと勝った気分だ。
「えぇと、塚田さん?」
部室の連絡板に練習場所変更を書き込んで戻ると、同じ場所で待っていた東に声をかけず、そのまま横を通り過ぎる。
「んー? 早くしないと五限始まっちゃうよ?」
すぐに追いつき、並んだ東に気のない返事をする。
「……からかうのはやめよーよ」
疲れたような声に、となりの顔を見上げる。
それを、東が言う?
言葉にはしなかったけれど、正確に表情を読み取ったらしい東は肩を落とす。
「いや。でも、おれの場合はそういうキャラだし。塚田さんは、違うでしょ」
キャラ、で何もかもがゆるされると思うなよ。
「ま、そうだよね。だったらあの返事もキャラ通り、言葉通りに受け取ってくれれば良いよ? からかってるんじゃなくね」
「塚田さん……」
カンベンしてください、と言わんばかりだな。
「授業始まるし、そういうことで」
「ちょっ、塚田さんっ」
チャイムまであと三分。
焦った声を無視して、そのまま自分の教室に向かう。
二連勝。
「つーかーだーサンっ。一緒に帰りましょっ」
女子部室棟の前でたたずんでいた東はこちらの姿に気付くと、他の女子の存在を気にもせず大声で言う。
自棄になってるな?
「東、方向違うでしょ」
ため息交じりに返すと、東はワザとらしくにこりとした笑みを浮かべる。
「付き合い始めたんだったら、一緒に下校は基本でしょー。駅まで送るよ」
さすがに少し声をひそめる。
公にする気はないワケだな。
「了解。じゃ、お先にー」
部活仲間に手を振って挨拶して、校門に向かう。
ならんで歩いていても無言。
悔しいからこちらから話をふってやらない。無理に話さなくても、それほど気詰まりという感じはないし。別に良い。
さすがに九月おわりになると暗くなるの早くなるなぁ。ちょっと前まで、まだ明るかった時間なのに。
「塚田さん、さぁ。さっきの、なに?」
「告白してきたの、東じゃない? 私はそれを良いよって言っただけでしょ。何も問題ないじゃない」
「だって、別におれのコト好きじゃないでしょ」
それ、東がいう言葉じゃない。
東だってこっちのことなんか好きでもなんでもないくせに。
「前に朔花とね、私は東となら付き合ってもいいなー、って話したこともあるんだよ?」
ニュアンスは微妙に違ったけどね。さほど嘘にはなってないだろう。
「はいー?」
「ほら。東って有能だし、目配りきくし、練習もきっちりしてるし、そういうとこ、尊敬してるし。実は」
いい加減な風に見せかけて、割とまじめだし。
「尊敬は恋愛とは別でしょ」
「尊敬できなきゃ、恋愛にはならないよ」
苦い声の東に即、言い返す。これは本音だ。
尊敬できなきゃ、好きになんかなれない。尊敬できれば、誰のことも好きになるかっていうと、それはまたちがうけど。
「詭弁だ」
それが何か問題でも?
「っていうかさ。東は基本的に自分のことを好きにならない人に告白するのは何で?」
本気っぽく言ってるときも、私のときみたいに冗談で言ってるときにも。
人を選んでる。
OKの答えが返ってこない相手を。
「なにそれ。それだと、おれがすごいマゾみたいじゃない?」
ほぼ真っ暗。外灯も少ない道なので見上げても表情はわからない。声は明るいけど。
っていうか、それでいくとわかっててあんな返事した私はサドか?
「マゾ、っていうか、マゾなのかなぁ? やっぱり」
「肯定されるとへこむんだけど」
苦笑いまじりに東は言う。
その声音に、ちょっと躊躇しながらも、やっぱり口を開く。
「だって。ホントはずっと好きなままじゃないの?」
しんと静まる。呼吸さえひそめたみたいに。
「……だれを?」
「だから朔花のことも、早瀬にイヤガラセ含みだったと思ってたし」
あえてその名前を出さずに、でもそれとわかるように言う。
「ちょっと、待って。塚田さん。……何で知ってんの?」
唐突にしゃがみこんで、そしてこちらを見上げる。
表情までははっきりわからないけれど、きっと情けない顔をしてるんだろうというのは声から察せられた。
なんていうか、こんなかわいい反応が見られるとは思わなかった。
「んー。女子の噂話ネットワークで」
「ちょっ、それ、結構な女子が知ってるってこと?」
本気で焦ってるなぁ。必死というか。
「嘘」
ってワケじゃないけど。
「え? どっち」
苛立つような声にのんびり答える。
「多分知れ渡ってはないと思うよ? 直接の噂になってたわけじゃないし。いくつかの噂話を総合して推理して、カマかけたってだけ」
東は中学の頃、好きな先輩がいて、それを追っかけて同じ高校に来た、とか。その先輩は、早瀬のことが好きだったとか。
梅原先輩は小崎先輩と付き合う前は早瀬と付き合ってたらしいとか。
そういえば東と梅原先輩は同中だったよなーとか。
「カマ、って。塚田さん、かんべんして」
東は力なく下を向く。
「ほら。好きな子はいじめたくなるじゃない?」
「小学生男子じゃないんだから」
とりあえず多少立ち直ったのか、東は立ち上がる。
「塚田さんがこんな人だとは思わなかった」
「そう?」
割とこんな感じだと思うけど。
「きっちり、しっかりものの長女って感じだと思ってたんだけど、こんなプチいじめっ子キャラだとは」
そんなので逆襲のつもり?
「東は思ったとおりヘタレだったけどねー」
「あー、もう。塚田さんにはものすごい弱味にぎられた気分だ」
それほど気にしてもないくせに。
こっちが漏らさないと高を括ってるだろう。実際ばらす気もないけれど。
「あのさ、東。思ってもないこと口にするの止めたほうがいいよ」
口は災いの元。そんなんだから、私とこんな話する羽目になってるんでしょうが。
駅が近づき、外灯が増え、道がだんだん明るくなる。
「じゃ、送ってくれてありがと。また明日ね」
ちょっと勝ち逃げ気分で手を振った。
「ふぅ」
ドアが閉まる直前に何とか乗り込み小さく息をつく。
ざっと見回すまでもなく、空席はない。ドアにもたれてもう一度ため息を吐き出す。
なんか、疲れた。
反射して車内が映りこむ窓から、外をながれていく明かりをなんとなく眺める。
「いた。塚田さん」
声と、窓にうっすら映った姿。
「ちょ、何で乗ってるのっ」
振り返りながら思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえる。
周囲の視線が痛い。
「なに、東。どうしたの」
今度は声をひそめて横に並んだ東に尋ねる。
「ちょっと確認。さっきの話、まだ有効ってことでOK?」
むしかえすとは思わなかった。あれでうやむやにしてしまって、終わりだと。
東だってその方が都合がいいだろうと思ってたし。
でも、まぁ。たしかに、
「うん。続行中でいいよ?」
さほど問題ない。
今はカレシもいなければ、好きな人もいない。
どうせ休みの日も毎日部活で顔合わせてるんだし、恋愛感情とは別にして、好きだとは思うし。
っていうかここで却下するわけにはいかないでしょう。
「おれは多分、塚田さんのコト好きにはならないけど、それでも?」
静かな表情で東は淡々という。
小さく息を吐いてから、同じように静かに返す。
「それはお互い様でしょ。私も東に恋愛感情もてるかは疑問だし」
じゃあ何で付き合うのかっていう感じだけど。
ここまで来たら、なんというか……意地? 多分東も似たようなものだろう。
顔を見合わせ笑みを交わす。
「りょーかい。じゃ」
次の駅で停まった電車から東は降りる。
ドアが閉まって、電車が再び走り出すまでホームで手を振る東の姿が見えなくなってから、扉にもたれ深々とため息をつく。
最後の最後で逆転くらったというか。釈然としない。
うっすらとひびく振動音に、かばんから携帯を取り出す。
今日はあと何度ため息をつけばいいんだろう。
『真由、気をつけて帰ってねー 東』
短いけど、確実にダメージを与えてくれるメールをにらみつける。
どう返してやるべきか。あえて無視もありか?
それも不戦敗みたいで腹だたしい。
とりあえず、メール返信ボタンを押して。そして打ち込む。
負けるか。